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「すまなかったな。シンジ。」

そう。それが最後の贖罪だった。 その筈だった。

prologue
-side-B-





「ユイ?」
 今目の前には嘗て愛した、否。今も愛している妻が居た。
 何故?疑問しか沸かない。
 自分は死んだ筈だ。喰われた筈だ。初号機の、息子シンジの手によって。
 そこまで鮮明に覚えているのに、今の状況は全く不可解だった。
 それとも、ここが私の望んだユイの居る場所なのだろうか?
 私の望みは叶ったのだろうか。
「あなた...」
 妻の悲しげな呟きがゲンドウに届けられた。
 淋しげで、儚くて、今にも消えてしまいそうな声。
 それを見ていられなくて、私は妻の元へ近寄った。
「どうした?ユイ。」
 手に触れようとして気付いた。
 自分の手が余りにも汚れている事に。
 ここに来る為だけに、一体どれだけの命を犠牲にしたのだろう?
 ましてや息子までをも生贄として捧げた自分。
 もうすっかり麻痺していたと思っていた自分の心が、激しく軋みを上げた。
 襲い来るのは、後悔、自責、許容、躊躇、戸惑い。
 何処までも続く他人への、恐れ、怖れ、畏れ、オソレ。
「す、すまん。私には、もうお前には、触れる資格等...」
 分かっていた。それでも会いたいと願った。
 たった一人の、愛すべき妻に、恋人に、女に。
 唯一目、見えたかった。
「それでも私は、唯お前に会って謝りたかった。」
「...何を?」
 始めてユイが返事を返した。それがこの場を間違いなく現実なのだと認識させる。
 だが、返って来た妻の声はやはり何処か精彩を欠いていた。
「シンジの事を。お前にも、謝りたかった。」
「...あなたはもうシンジにも謝ったでしょ?」
「分かっている。だからこそお前にも。」
 ユイは一層表情を曇らせ、更に俯いてしまった。
 私はどうすれば良いのか判らず、只おたおたするばかりだ。
 
「あなたは、分かっていないわ。謝れば済む問題じゃなかった。」
「...何?」
 一瞬何の事を言っているのか理解出来なかった。
 間を置いてそれがシンジの事だと理解する。
「どう言う事だ?」
「それは、私も悪かったのでしょうね。こんな計画に身を費やして、少しもシンジの事を見てあげられなかった。」
「しかし、お前は誰よりもシンジの事を愛していた。それは私も見ていた。」
 ユイはキッと顔を上げて私を見た。
 そこには嘗て見たことの無い程、大粒の涙を流し真っ赤になった妻の顔があった。
「どうしようっ、どうしようっ!ゲンちゃん、私...私は、シンジを...シンジを...」
「ユ、ユイ?」
 突然、堰を切った様にユイは私にしがみ付き大泣きを始めてしまった。
 私には何もしてやる事が出来ず、只抱きとめてやるだけだった。
 一頻り泣いたユイが顔を上げた時、二人は何処だか分からないその空間に座り込んでいた。
「ユイ、何があった?落ち付いて話してくれ。ここは、補完された世界ではないのか?」
 ユイはまだ涙声のまま、それでも落ち着きを取り戻した様子で話し出した。
「ここは、確かにそう、全ての人が溶けた世界。LCLの海よ。」
「ならば、何故...何があった?」
 ユイは俯いて語り始めた。
「私は、初号機の中で全てを見ていたわ。そして審判の時、レイの心と同化した私が、シンジの願いを聞いた。」
「あぁ。でなければこの世界は在りえん筈だ。それが私の計画だった。だがそれは失敗したのでは...」
「えぇ。確かに失敗したわ。でも一度はこの世界が構築されたの。シンジはそれを望んで、そして拒絶した。」
「では、ここは...」
「そうよ。今再構築し始めているの。戻る意思の在る人間から徐々に戻り始めてる。だから時間が無いのっ!」
 また涙目になり始めたユイ。これ以上泣かれては話が進ま無い。
 私は仕方なくユイを宥め、落ちつかせると先を促した。
「真っ先にシンジが戻ったわ。あの子が望んだから。」
「あぁ。だろうな。」
「そして、真っ先に望んだのがアスカちゃんだった。」
「...」
「でも、でもシンジは、もうぼろぼろだったのよ。身も心も。彼女を受け入れる事をせず、唯望んでしまった。」
「それは、こうなる前もそうだった。」
「そうじゃないのっ。その瞬間気付いて、いえ。思い込んだのよ。自分が醜い存在なんだって事に。」
 感情を爆発させる彼女に私は只聞き入るしかなかった。
 それは...それではまるで、私ではないか。
「...」
「そして、あの子は...」
 もうユイはそれ以上言葉に出来なかった様だ。
 だが聞かねばならない。
 シンジが、シンジが一体どうなったのか。
「シンジは、どうした?」
「......行ったわ...過去へ。」
「...何?」
 意味が理解出来なかった訳ではなかった。
 只、信じられなかったのだ。
 そんな事が、可能なのか?
 その意が読み取れたのか、ユイは再び語り出した。
「シンジはもう既に神にも等しい力を持っていたわ。だから過去に戻ったって不思議じゃあ無いわ。」
「しかし、そんな事をしてシンジは何をするつもりだ?私への復讐か?」
 ユイは力無く首を振る。
 語られた内容は、シンジの行動とは思えない物だった。
「復讐は、自分自身によ...あの子は、自分をとことんまで地獄に叩き落すつもりなの。」
「...それは...只の、自殺行為だ...」
 そこまで私はシンジを追い込んでいたのか。
 そこまでシンジを突き落としたのか。
 私は、つくづく馬鹿な男だったと言う事か。
 私欲の為に息子を利用するような畜生にもなった。
 結果、その息子が畜生へと落ちて行く。
「...シンジ...」
 ユイは今までの事が嘘の様に意思を貫き通す目を私に向けた。
 私は、彼女の生き生きとしたその目が見れた事を、心の片隅で少し嬉しく思った。
「御願いっ!あなたっ!!シンジを、シンジを救ってあげてっ!私では、きっと拒絶されるわ...」
「拒絶?そんな筈は...」
「違うの。シンジは初号機を私を通さずに起動するつもりだわ。」
 その意味を理解するのに、一瞬の間が必要だった。
「ば、馬鹿なっ!!そんな事をしたら、有無を言わさず取り込まれるぞっ!!」
「いいえ。今のシンジなら私を押さえ込んで、初号機も制御下に置くわ。それ程...強力な意思だったの。」
「...馬鹿な...」
「御願い。ゲンちゃんにしかシンジは救えないの。アスカちゃんやレイちゃんではシンジに近すぎて無理なの。」
「しかし、どうやって...」
 そう。ここにはもうシンジは居ないのだ。
 過去へと跳んだシンジをどうやって追うと言う...まさか...
「ゲンちゃんも行くのっ。過去に!!」
 あぁ、ユイ。君はどうしてそう突発的な思考をしているんだ。
 しかし、私の中でもっと問題な事があった。それは、
「私に...出来るだろうか...」
「ゲンちゃんっ!!」
 ユイが手を振り上げた。来るっ!......
 だが、何時まで経っても来ない為、目を開くと、
 ユイは泣いていた。
「私と...ゲンちゃんの...子供じゃない...親が救えなくて、どうするのっ...」
 そう。そうだ。
 贖罪を誓ったではないか。シンジの目の前で。
 そうだ。私の息子だ。救えないでどうする。
「......そうだな。シンジと、ユイと、私と。」
「ゲン、ちゃん?」
「...また、みんなで暮らそう。幸せになろう。その為にも、シンジを救わねば。手伝ってくれるか?ユイ。」
「...ゲン、ちゃん...」
 ユイはまた大泣きしだしてしまった。参った。
 時間が無かったのではないのか?
 しかし...こんなに泣き虫だっただろうか?
 まぁ、所詮は人間。こんなものか。私も、そうだな。
「ユイ。時間が無い。」
 私の一声にユイは涙を拭き取ると、明るいあの太陽のような笑顔を見せてくれた。
「えぇ。頼みましたよ。あなた。」
「あぁ。」





真っ白に瞬く光。


私は、シンジと、そしてあの場所を願った。

「第三新東京市へ...」

世界が弾けた。

Lunatic Emotion
第1章
- 望んだ過去、望まぬ未来 -
Present by NaoXYZ

[続劇

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First edition:[1999/10/25]