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First Stage

- 帰還、そして祖は参られた -

第壱話

待ち人たち






壱.






 シンジ。元気?
私は、まぁアンタの事除けば、元気よ。
 レイは相変わらず。いえ、変わったわね。多分今のレイを見たらアンタびっくりするわよ?まぁ他人に不愛想に見られるのは相変わらずだけど、自発的な所も出て来たし、表情も大分分かるようになって来たわ。ま、これも私の苦労のお陰よね。この礼は倍にして返してもらわないとね。 
 始めてあの娘の事を聞かされた時はそりゃ驚いたわ。でも、レイには私よりも何もなかった。何も持ってなかった。でも変わったわ、レイは。碇司令の娘になって、リツコの愛情いっぱいに受けて、あの娘は人としての生き方を必死に学び取ろうとしてる。 
 でも結局その切っ掛けを与えたのはアンタよ。シンジ。レイからそれを聞かされた時は、やっぱりちょっと悔しかったな。って、ちょっと漏らしたらあの娘何て言ったと思うっ!? 
『安心して、アスカ。あなたから碇く、お兄ちゃんを奪ったりしないから。』 
 なんてほざいたのよっ!?あの娘っ!!き~っ!! 
 アタシが真っ赤になって固まってたら、レイはアンタとそっくりの、優しい、綺麗な笑顔で笑ってくれた。心遣いは嬉しいけど、見透かされたのはムカツクわっ!! 
 あ、そうそう。アタシとレイは一年前には考えられなかった程親しい関係よ。所謂親友ってやつ。昔のアタシ達を知ってる奴が見たら、天と地がひっくり返る位驚くわね。でも、どっちかって言うとレイは私にとっては手の掛かる可愛い妹って感じね。
 ミサトも相変わらず、ビールかっ喰らってるわ。一体何所にあれだけの量を貯蔵してるのか分からないくらい飲みまくってる。オヤジっぷりは今も健在よ。もう三十路に入ったってのに、もう少し自制出来ないのかしら?まったく、少しはこっちの苦労も考えて欲しいわ。家計のやり繰りが大変。今になってアンタの苦労がよ~く分かったわ。よしっ、今月からミサトの酒量を半分に減らしてやるっ。 
 ミサトももう三十一よ?いいかげん結婚考えた生活してもよさそうなものを。って愚痴漏らしたら、 
『ねぇ、アスカ?私達は家族よね?私はアンタの母であり姉であり、アンタは私の娘であり妹であり。血は繋がって無いけど、頼り無い女だけど、一人足りなくなっちゃったけど、私達、家族よね?私は貴女が一人立ちするまで見守るから、アスカも私の事見守ってくれるかな?へへっ、結婚は、もう少し時間掛かっちゃうかも知れないけどね。メンゴッ!!ぐうたらな姉を許してちょっ。』 
 恥ずかしそうに、ふざけて見せてたけど。でも、きっとまだ辛いんだろうな。たまに夜中に一人で泣いてる時あるもの。忘れられないのね、加持さんの事。 
 それは私も同じか。
 あのマッドも相変わらずよ。今は何やら怪しい武器の開発に勤しんでるわ。まったく、もう使徒なんか来ないって分かってるのに、そんなに戦力強化して何が楽しいのかしら。まぁ、Nervが国連の公開組織になってからは世界の軍事バランスの権勢になるから強化するに越した事は無いけど、それにしたってかなり趣味入ってるわよ。あれは。 
 あの後、リツコも暫くは落ち込んでたんだけどね。碇司令に結婚を申し込まれて、レイを養女に迎えて、今は碇姓を名乗ってるわ。うちの近くにね、新築の新居構えて。幸せそうよ、アンタのママ。とってもね。 
 でもそこにアンタが居ないのはすごく変な感じ。リツコと司令は入籍しただけでね。リツコに聞いたの。何で式を挙げないのか?って。 
『あの人がね。申し訳無いって。レイの為にもと思って籍は入れたけど、式まで挙げようなんて。図々しいにも程があるって。それには私も同感だったしね。レイは一緒に住めるだけで満足だっていうし。でもウエディング姿が見れないのはちょっと残念だ、って。参っちゃったわ。』 
 まぁ、予想は、してたけどね。アンタに引け目感じてるのね。それでも、幸せそうに笑うリツコ、アンタのママが一寸羨ましかったな。
 ヒカリとはもちろん今でも大大大親友よ。私が抜け殻みたいになっちゃう前まで、最後までヒカリは私の事面倒見てくれて。ホント、今でも感謝してる。あの後だって、私の看病までしてくれて。只でさえ鈴原の面倒見て大変だった筈なのに、本当、それこそ何度お礼言っても足りないくらいよ。 
『アスカ?私じゃあんまり役に立てないけど、いつでも頼って良いからね。アスカは一杯頑張ったんだから、もう無理する必要なんか無いよ。アスカッ。アスカはいっつも意地張り過ぎなのよっ!もっと素直になってよ。もっと私達の事信用してよぉ。私達親友でしょ?だったらいつでも相談してよ?泣きたい時は一緒に泣いてあげるから、悲しい時は一緒に悲しんであげるから、ね?だって私、嬉しい時はアスカと一緒に喜びたいもの。』 
 嬉しかった。ホント、嬉しかった。親友って、こういうものなんだって、実感出来た。だから甘えたの。アンタの事が悲しくて、辛くって、ヒカリの心遣いが嬉しくて、思いっきり泣いたわ。それからね、私がよく泣くようになったの。 
 でも、その後ヒカリは私と何を喜びたいの?って突っ込んだら、真っ赤な顔して。そう。そうよ、あの頃から怪しいとは思ってたのよねぇ。だって毎日看病に来るのよ?大変だからいい、って言ってるのに来るのよ?そしたら案の定。まったく。ヒカリにはやられたわ。前はもうちょっと初心な娘だと思ってたけど、今じゃすっかり惚気だわ。私達当てられっぱなしよ。 
 え?決まってるじゃない。アンタも鈍感よね、まったく。
 アイツ。戻って来てるわよ。そう、生きてたの。マナにアンタの事話した時、一緒に泣いたわ。ダメね。何か私すっかり泣き虫になっちゃったかな?あ、マナの話ね。連れの二人も失って、戻ってみればアンタもいなくて。そりゃ辛いわよね。今は戦自にいた時の知識を買われてNervで見習いやってるわ。このまま行けば多分ミサトの下で作戦課の仕事に付くんじゃ無いかな。もちろん大人になってからの話よ?今はあくまで見習いよ。見習い。 
 Nervって言っても所詮は軍隊。ふつうの生活だって望めるでしょ?って忠告したんだけどね。 『私ね、いっつも守られていたわ。嬉しくもあったけど、でもムサシ達を失って。守られるだけの自分を私は許さない。自分にも出来る事はやっておきたいの。私の身体は皆を守る事には耐えられなくなっちゃったけど、守られるにしたってその手助けはしたいの。もう、後悔はしたく無いのよ。その時その時を、精一杯生きてみたいの。』 
 まぁ、色々あったけど今じゃすっかり気の合う仲間よ。いつもヒカリ達とつるんでるからね。今はそれが支えになってるんだと思う。でもそれで良いんだろうな、あの娘は。ほら、“空元気も元気”ってやつ。マナは空元気の使い方を知ってるから、周りまで元気を分けて貰えるの。やっぱりシンジの選んだ娘だもんね。良い娘よ、とても。 
 だからって、そう簡単には渡さないわよっ!
 アイツもこの間戻って来たわ。親の都合で疎開先で足留め食ってたらしいけど、こっちに来るのが決まって、即行で引っ越して来たらしいわ。でも、戻って来て真っ先に会おうとしてたアンタがいないって知って、やっぱりマユミも泣いたわ。 
 マユミも今じゃ良い仲間よ。相変わらず本が恋人な様ね。レイとイイ勝負だわ。それでも少し変わったみたいよ。昔はアンタにそっくりな性格してたけど、今はすっかりクラスにも馴染んでるわ。変わったわねって聞いたら、 
『そんな事ありませんよ。私は私ですもの。ただ、皆といると楽しくって。お喋りするのも、ショッピングに行くのも、普段の他愛無い事が実はすごく楽しい事なんだって気付けたんです。そうしたら口癖だったご免なさいが、何時の間にか言わなくなってて。そう。気付けただけなんです。きっと。』 
 そう言った後、くすっと笑ってホントはアンタに言われた事を実践してるんだ、って。 
 ちょっとっ、何言ったのよっ?
 マヤも変わらないわ。相変わらずの潔癖性。いい加減青葉さんと付き合えばいいのに。ま、プライベートに口突っ込む気も無いけどね。仕事は。いわなくても分かるでしょ?リツコにくっ付いて例の怪しい武器作ってるわ。はぁ、先行き不安よね、マヤも。 
 マヤも暫くは落ち込んでたわね。 
『私には何もしてあげられる事は無かった。貴女達を危ない目に遭わせておいて、その後ろで無理矢理自分を正当化してたの。そうしないと耐えられないのよっ。だからね。潔癖じゃないといけないって思い込んでる。私は、卑怯なのよ。汚れてるの。幸せになんか、なれないよぉ。』 
 そう言って、私の前でわんわん泣いて。ほんと、お子様ね。でも。だからね。ありがとうって言ってあげたら、もっと泣いちゃって。でもその頃からね。リツコの婚約も決まって、徐々に以前の元気なマヤに戻ったのは。 
 そうそう、マナとは中が良いみたい。よくマナが質問してるわ。でもあの二人、っていうかマヤよね。あの娘ホントに二十(ピー)歳かしら?どうも並んでいると同い歳に見えちゃうのよねぇ。
 あれ?何だか女の事ばっかりになっちゃったわね。 
ねぇ?アンタ見掛けに依らずプレイボーイだったんじゃないでしょうねっ? 
 まぁ、いいわ。女ばっかりじゃつまらないでしょうから次は男。
 じゃあ、先ずはあの鈍感ジャージ男ね。さて、アンタが知りたいのは恐らくこの事でしょうね。決まってるじゃない、アンタの考えなんてこのアスカ様に掛かればお見通しよ。安心しなさい。今じゃすっかりグラウンド走り回ってるわ。そう、治ってるわよ。ん~、治ったと言うのは正確じゃないわね。つまり、鈴原の足はNervのバイオテクノロジー、皮肉だけどレイのクローン技術のお陰で、失った左足だけをクローン培養したものを本人に移植したの。お陰で拒絶反応も無くて、今じゃ何所殴っても丈夫なもんよ。 
 それと、今はフォースよ。そう、復帰したの。私も、ヒカリも止めたんだけどね。でも、アイツは私が今まで見た事も無い(ヒカリは見てるかも知れないけど)真剣な顔で言うのよ。 
『わいはお前等が一番辛い時に、助ける事が出来へんかった。いや、助けるなんて驕った事言わん。せめて側におってやりたかったんや。でも実際には助けるどころか寧ろお前等の足引っ張っただけやった。なぁ?惣流。綾波もや。お前等はもう十分やろ。もう十分や。お前等はようやった。後はわい等に任せい。わい等にも出来る事なんやさかい。後は任せい。』 
 参ったわよ。そこまで言われて、断われる訳無いでしょ?だからって、私がEVAに乗るの止める訳でも無いんだけどねっ!!まぁ、少なくとも一人で全部背負い込むのはもう止め。だって、手伝ってくれるって言うんだもん。少しぐらい甘えたって良いよね?でも、正直見直したわ。流石シンジの親友、3バカトリオよね。 
 さて、さっきの答えよ。後数年もすれば、きっとジャージ着た雀斑の赤ちゃんが見られるわよ。
 それから眼鏡オタクね。あれも相変わらずよ。相変わらずカメラレンズ磨いて私等の写真売り捌くカメラオタクで、相変わらず迷彩服着込んだ戦争オタクで、相変わらず情報には鋭いコンピュータオタクよ。 
 変わった事と言えばあれね。相田もNervに出入りしてるわ。意外だって思ったけど、事情を聞いたら納得出来たわ。アイツったら危ない事するのよ?ちょっと前にMAGIにハック掛けたらしいわ。それも聞いてビックリッ!なんと入り込んだらしいのよっ。リツコの眼をかいくぐってよっ!?まあ、その時は見つからなかったけど、相手はあのNervよ?すぐにリツコに痕跡を発見されて、御用になったわ。で、尋問に私も立ち会ったのよ。なんでこんな事したんだって。そしたら、 
『いや~、Nervには綺麗なお姉さんが大勢いますから、是非その情報を入手したくって。』 
 いや、マジなのよ。私ほんっと、アイツの思考だけは理解出来ないわ。皆も呆れ返ってたけどね。まあ、これなら単なるおふざけで終わると思ったんだけど、突然リツコったら、 
『理由はどうあれ国際機関の非公開情報をハックしておいてただで済むとは思わないでね?悪いけど貴方には二つの選択しか残されていないわ。一つはそれなりの処罰、この場合は当然死刑ね。もう一つはNervの捕虜となる事。さぁ、どっちがお好みかしら?』 
 そりゃあビックリもするわよっ。私とミサトは慌ててリツコをとめようと思ったわ。でもその前に、相田は少しびっくりした顔した後、リツコの顔見てにっこり笑って『じゃあ、捕虜にしましょう』なんてのうのうと言っちゃうんだもん。でもまあ、結局遊ばれたのはアタシとミサトの方で、リツコと相田の奴は最初から分かってたみたい。要はこの事件、相田の売り込みネタだったのよね。リツコも害は無いし将来有望と思ったのか本気で技術部に引き抜くつもりだったみたい。で、今はマナと同じ見習い扱いでNervを出入りしてるわ。 
 もっとも、今一番の問題は、Nerv内でもカメラ撮りまくってる事なのよね。リツコも堪えてるみたい。
 さて。こいつも入れるべきかどうか悩む所だけど、まあ一応入れといてあげるわ。話しは聞いたわ。何でもアンタが大層世話になったらしいわね?もっとも、こいつはそのオリジナルって事らしいけど、ど~も納得出来ないのよねぇ。悪い奴では無いんだけど、気を削がれると言うか何と言うか。厄介者なのは確かね。 
 で、渚カヲル。最後の使徒。Nervの上位機関だったSEELEの本拠地で発見されたクローン・オリジナル。どう見ても信じられないわ。美形なのは認めるわよ。学校でも人気はあるし。でもね、方向音痴なのよっ?アイツ。それも重度、いや、宇宙観測的に修正不可能の究極方向音痴よっ! 
 シンジ、友人は選びなさい。 
 結局使徒の反応は出なかったしね、人間らしいわ。レイも其処の処は同じらしいけど、理由は分からず終い。ま、どうでもいいけどね。で、フィフスに復帰してるわ。もっとも使徒じゃ無いせいかどうか、シンクロレベルはレイとどっこいどっこいね。はんっ、私に勝とうなんて百万光年早いわよっ!方向音痴治して出直して来なさいっての。 
 でも、やっぱりカヲルもイイ奴よ。面倒見が良いのかな。今はレイの所に居候してるけどレイの相談によくのってるみたいだし、いっつもウソ臭い笑顔だけど皆には優しく見守る視線を向けてるし、鈴原と相田とも良くつるんでるから私がネオ3バカトリオと命名してやったわ。 
 一番不思議なのはカヲルが使徒の時の記憶を持っているっていう事。レイもそうなんだけど、リツコにも結局分からなかったわ。で、本人に聞いてみたのよ。で、 
『さあ?僕にだって判らないよ。でも、きっとシンジ君の御陰じゃ無いのかな?』 
 ってにっこり笑ったわ。その時思ったの。あぁ、こいつは確かにシンジを大切に思ってるんだな、って。だからね、色々と引っ掛かる部分はあるけども、ま、一応シンジの親友って事でアタシの記憶にはインプットしておいてあげたわよ。
 そうだ、日向さんと青葉さん。二人とも今は仕事を頑張ってるわ。二人ともNervの組織改編の時に昇進したのよ?日向さんは戦術作戦部作戦局局長で一尉、青葉さんは作戦司令部中央作戦室室長の一尉。二人とも各部署の責任者として頑張ってる。 
『僕等に出来るのはこれ位の事しか無いけどね。でもそれで君等が戦い易い条件を揃えられるのなら、僕は本望さ。』 
『俺達は最後の戦いで嫌と言う程、君等に借りを作ったからね。この礼は一生掛かっても支払い続けるさ。』 
 そんな事より早く恋人GETしなさいよっ、って突っ込み入れて二人に滝の涙流させて仕事に戻らせたわ。もう。そんなに責任ばっかり背負わないで欲しいわよ。もう少しであの二人の前で泣きそうになっちゃったじゃ無い。
 冬月副司令。この人には何もかもお世話になってるのよ。私がこっちに移住するために必要な手続きも、両親の説得も、態々ドイツまで出向いてくれて、私がリハビリしている間に全部済ませてくれたの。たまに私達の勉強まで見てくれるのよ?なぜそこまでしてくれるのか不思議だったけど、 
『なに。教え子の面倒見るのは年寄りの役目さ。今はもう教壇に立つ事も無くなったが、Nervが今の私の教壇だからね。部下達の指針になるのは一番無駄に歳を食ってる私の仕事だよ。もっとも、君等の家庭教師程にも役には立てんだろうがね。』 
 って、苦笑してた。以前は司令と同じで何考えてるのか分からなかったけど、実際話してみるとすっごく素敵な紳士って感じ。
 よし、男はこんなもんよね。案外少ないわね。まさかホントに女に手出しまくってた訳じゃ無いでしょうね?もしそうだったら只じゃ済まないわよっ。 
 で、ん~と、あとはシンジの家族ね。
 司令も相変わらず。あの無口無表情は何とかなら無いのかしら?この鬚オヤジッ!って思ってたんだけど、少し見方が変わったわ。この間レイに晩御飯にお呼ばれしたの。で、びっくり。てっきりリツコがいて鬚オヤジはいないと思ってたら、リツコはNervの残業で司令がいるんだもの。リビングで新聞広げて寝っ転がってお茶飲んで。『レイ、お茶くれ。』『はい。』よっ!?まるっきりぐーたら親父よっ!?あれも直接育てられたせいでしょうねぇ。レイの無口さの理由が分かった気がしたわぁ。さらに吃驚したのは、なんとっ!!その日は司令が料理したのよっ!!信じられるっ!?ひよこエプロン付けて『うまいか?(ニヤリ)』とかやるのよっ!?もう、鳥肌立っちゃったわよ。シンジ、よくぞそこまで育ってくれたわ。この親に育てられなかったのは正解だわ。似なくて良かったわね。 
 でもね?御飯はとっても美味しかったわ。しかもシンジの味とそっくりなの。思い出して、泣けてきちゃって、そしたら司令がね、 
『惣流君。済まなかったな。全ては私の責任だ。私はシンジと向き合う事も出来ない臆病者だった。結局は私はユイの面影をシンジに見るのが恐かったのだ。ユイが死んだという事実を受け入れられなかった。そして私は悪魔に魂を売り渡した。狂気に捕われた結果がこれだ。最後にはユイの忘れ形見までを失った。大馬鹿者だよ、私は。本当は私がシンジの所にいるべきで、シンジはこうして君たちといるべきだったのだろうな。本当に済まない。許される事では無いのは分かっている。だが、謝らせてくれ。もし。もし、許してくれるのなら。いや、許してもらう必要は無いな。ただ、レイの為にも、またこうして一緒に飯を食ってやってくれないか?せめて、レイの支えになってやって欲しい。惣流君、私に出来るのは君の身の安全と将来の保証と、こうして飯を作ってやる事ぐらいだ。君にとってはシンジの飯と似ているというだけで辛い事かもしれんが、それでもたまに来てはくれないか?レイの為にも。何より、碇シンジという人間がいた事だけは忘れないでやって欲しいのだ。頼む。』 
 頭を下げる司令を前に、レイにしがみつきながら泣いちゃったわ。泣きながら、また御馳走して下さいね?おじさま。って言ったら、『あぁ。』って、笑ったの。 
 シンジと同じ。安心する、優しい笑顔だったよ。 
 最後は私ね。どうかな。変われたのかな、私は。皆は変わったって言うけどね。
 あの日。まだ憶えてるわ。サードインパクト。今にも落ちてきそうな星空に掛かる真っ赤な血の橋。LCLの海。その向こうに佇む巨大なレイの顔。突き刺さったEVA量産機。異形の世界。 
 そして、浜辺に打ち捨てられたアタシと、シンジ。 
 シンジ? 
貴方は何を思ったの?
どうしてアタシの首を絞めたの?
 どうして、アタシを殺そうとしたの? 










弐.






 アタシはあの時何もかもが嫌だった。生きているのさえ嫌だった。ママさえいればそれで良かった。でも、最後に側に居たのはシンジだった。一番見たく無い、大嫌いな、アンタだった。気持ち悪かった。殺してやりたかった。殺そうと思った。でも身体は言う事を効かなかった。何時の間にかシンジはアタシに跨がって、アタシの首を絞めて、アタシを殺そうとしていた。ああ、アタシはこんな奴に殺されて死ぬんだと思った。嫌だった。息苦しかった。気持ち悪かった。ふと、薄れていく意識の中で思った。こいつは何でアタシを殺そうと思ったんだろうって。気付いたらシンジの頬に手が伸びていた。さっきは少しも動かなかった事なんて少しも気付かなかったわ。手の平からシンジの体温を感じたの。温かかったの。ねぇ?アンタは何で殺そうと思ったの?二人しか居ない、こんな世界に生き残った事に絶望したの?傷付いたアタシが哀れだったの?それとも、アタシの事そんなに嫌いだったの?理由を、シンジがアタシを殺そうとする理由を考えているうちに、頭の中がグチャグチャになって、こんがらがって、手の平は温かくって。何が何だか分からなくって、何も分からないのがどうしようもなくて、
『気持ち悪い』
 気付いたら、アタシは病院のベットの上だった。身体は何所も痛くは無かった。怪我なんか一つもして無い。
 EVA量産機に陵辱された時確かにエントリープラグの中のアタシは、右目はロンギヌスの槍で突かれ、串刺しにされ、内臓を引きずり出されて、そして最後はバラバラに喰い千切られた。恐らくシンクロ多過だったんだと思ってたけど。
 でも実際には何ごとも無かったかのように、アタシはベットに横たわっていた。
 身体を起こして唖然とするアタシは暫くぼっとしてたけど、突然開いたドアにびっくりして我に還ったら、そこにはミサトがやっぱり唖然とした顔して息切らして突っ立ってて、二人して一分以上は呆然としてた。
 後ろから表れたリツコが優しい顔でミサトの背をポンと押して、蹌踉けたミサトは部屋の中でまた立ち止まって。
 二人の眼が重なった時、ミサトの目から涙が流れ落ちた。
 ミサトはもう大泣きして、アタシにしがみついて、アスカッ、アスカ、って。
 ミサトの事なんか大嫌いだって思ってた筈なのに、気が付いたらアタシは、しがみつくミサトの頭に手を乗せて優しく撫でていた。何でそんな気になったのかは分からない。傍らではリツコがアタシ達を優しい眼差しで見守ってる。
 なんだろう?
 そう、幸せだった。
 何故か分かった。突然に理解した。幸せだって。
 漸く泣き止んだミサトは真っ赤に目を腫らせてアタシの顔を見て言った。
「アスカ?」
「何?ミサト。」
 自然に出た。すごく優しく。そんな自分に少し戸惑った。けど、嫌じゃ無かった。
「大丈夫?」
くすっ。それはこっちの台詞よ。取り乱したミサトを見ていた分そう思ってしまった。隣でリツコも笑いを堪えているわ。でも、ミサトが心配してくれるのが嬉しかった。
「どうして?アタシはこの通りぴんぴんしてるわよ?」
 そう言ったら、ミサトったらまた泣いちゃって。どうして良いか分からなくて困っていたら助け舟はすぐ側からやってきた。
「アスカ。貴女、一ヶ月も眠っていたのよ。」
「え?」
 リツコは大雑把に今までの経緯を説明してくれた。
 NervとSEELEが画策していた人類補完計画。アダムとリリス。それに使徒やEVAを利用する事。碇司令とSEELEの対立。サードインパクトを利用した人類の完全な生命体への人工進化。そして、初号機がその依り代に利用された事。ターミナルドグマに安置されていたリリス。レイが碇ユイのクローンでその魂がリリスのモノであった事。その覚醒。サードインパクトの発動。
「よく生きてたわね、アタシ達。」
 そう、夢でも幻でも無くアタシ達は生きている。その事が計画が失敗したであろう事は容易に想像出来た。
「そう。生きてる。解らないのよ。確かにサードインパクトは発動したわ。そして私達はLCLに、生命のスープへと還元された、筈だったのよ。でも私達は今ここにいるわ。確かに生きてる。」
「どうして?」
「言ったでしょ?解らないのよ。でも推論で良ければ。」
「聞かせて。」
 ミサトはもう既に泣き止み、リツコの話に耳を傾けている。でも口は挟んでこない。恐らくもう聞いている事なのだろう。私は改めてリツコの話に集中し始めた。
 リツコの推論はこうだ。
 サードインパクトが発動された以上、その過程で何かがあったと考えるべきだ。だが人類全てがLCL化するまでは計画通り事が運んでいた事をMAGIが記録していた。つまりその後に原因があるのは確かだ。だがMAGIはそれ以降の事を記録していなかった。恐らくは依り代に要因があったと言う。依り代の元に戻りたいという意志が計画の中途補正をしたのではないかと。でなければ人類が生き残ったこと事態考えられないし、世界は壊滅していた筈だと。皆が目を覚ました時、それはサードインパクトが起きる直前の状態だったそうだ。第三新東京は壊滅的打撃を受けていたが、その後他の都市は全く元通りだったのは確認済みだった。今はもう第三新東京市も復興作業に入っていると言う。
 そして、アタシはEVA弐号機の残骸から救出されたのだそうだ。
「もし、計画が途中放棄される様な事になっていたとしたら、正に地獄のような景色だったでしょうね。」
「ちょっ、ちょっと待って!?」
「アスカ?」
 気に掛かったたった一言。『地獄』。
「たぶん、なってるわよ。一度。」
 二人は訝し気な表情で視線を交わす。気が狂ったとでも思っただろうか?でもアタシは見ている。確かに見た筈だ。
「どういう事?アスカ。」
「アタシ見たのよ。破壊された世界を、気持ち悪い世界を。」
 よく思い出せない。吐き気がする。肝心なところが曖昧になっている。どんな、情景だったか。
 黙り込んだアタシに、二人は溜息を付き話を変えた。
「ねぇ、アスカ。気のせいかも知れないわ?記憶が混乱しているのかも知れないし。第一、アスカはこの間まで精神汚染を受けて危険な状態だったのよ?皆生きてるんだし。とにかく今はゆっくり休養とって、安静にしてましょ?後片付けは私達に任せなさい。ね?」
 心配そうに、ミサトが顔を覗き込んでくる。全く、いつからそんなに心配性になったのよ?
 また、少し嬉しくなって、素直にいう事を聞いた。
「じゃあ、あんまり長居しちゃ悪いしね。私達は帰るわ。」
「何かあったら呼んで。すぐ来るから。」
「うん。分かった。」
 二人が微笑む。優しい空気。そっか、皆生きてる。
 あれ?
「ねぇ。」
 部屋を出ようとしていた二人が歩みを止め振り返る。
 私は膝元に組んだ両手を空ろに見つめ、朧な記憶を繋ぎ合わせる。
 次の瞬間あの景色が克明に蘇った。
 でもそれの事より先に口を吐いたのは、
「シンジは?」










参.






 結局、シンジだけが見付かっていなかった。
 私が目覚めてからも、暫く捜索は続いた。でも一向に見付かる事はなかった。
 何故あの時会話の途中で気付かなかったのだろう。初号機が依り代になっていたのなら、その中には当然シンジが乗っていたであろう事は気付いてもよさそうだったのに。自分が意図的に忘れようとしていたのか、本当に忘れていたのか。
 結局、依り代となったシンジが皆を、世界を救ったのだろうか?
 初号機はジオフロントに弐号機や量産機と共に打ち捨てられていた。だが、初号機のエントリープラグにはシンジではなくレイが乗っていた。レイは直ぐ収容され、検査を受けた。レイは使徒ではなかった。純粋なクローン。遺伝子は人類のものと100%一致した。
 未だレイは目覚めない。
 ベットに寝むるレイを見ているうちに気付いた。
「何だ。アタシと同じじゃない。」
 自分が試験管ベビーである事は知っていた。ドイツNervで知らされたのだ。少しはびっくりしたが、別に気にはならなかった。自分がママの娘である事に変わりはない。寧ろ優秀な遺伝子を受け継いで生まれたのだ。誇るべき事だと思った。
 今は、そんなに嬉しくはない。寧ろ嫌悪した。だから父はアタシをあそこまで嫌悪したのだ。自分の娘ではないから。別に父に好かれなかった事が嫌な訳ではない。そんな事は以前から分かっていた事だ。ママにさえ愛されていれば満足だった。今になって嫌だと感じたのは、父親に愛された事の無い自分自身だった。
 だが。
 今、目の前に眠る少女には、父も母もいない。
 過去に生きた人間の遺伝子を受け継いだだけの、コピー。複製。代替品。
「私より、酷いか。」
 辛く当たった自分に嫌悪する。知らなかったとは言え何故あそこまで嫌ったのか。
 答えは簡単。似ているからだ。似ている境遇をどこかで感じ取っていたのだろうか?似ているから、ここまで荒んだ少女を否定したのだろう。自分は違うと。自分は愛されていたと。
 横たわっているレイの髪を手に取ってみた。
 蒼銀。柔らかく、手のひらから流れ落ちる毛髪はキラキラと日の光を反射して輝き、美しかった。
「ちゃんと手入れしてるのかしら?少し枝毛になってるじゃない。」
 微笑。それでも美しいのは、この娘の特権だ。不幸な境遇に生まれた者の、ささやかな特権。それぐらい許されたって当然だ。私達は同じ歳の子達よりそれなりの苦労を背負わされた。だったら良いじゃないか。
「美しく生まれて来た事ぐらい、許されて当然じゃない。ねぇ?」
 これからは仲良くやっていけるかも知れない。似た者同士。
「いつまで寝てるつもり?早く起きなさいよ、レイ。」
 病室の窓からは、日の光と柔らかい涼し気な風がいつまでも舞い込んでいた。
 やがて、レイは目覚めた。
 レイが目覚めたその日。
 シンジの捜索は打ち切られた。
 再びレイの検査が行われ過去のレイの記憶が全て受け継がれていることが判明した。検査の後レイの病室には、アタシとミサト、リツコ。そして碇司令と冬月副司令がいた。二人は、特に碇司令からはこの間まで感じていた、異様なまでの威圧感が全く感じられなかった。
「レイ。大丈夫か?」
「はい。」
 表面上は今までと全く変わらない会話。まぁ、司令が他人の心配するなんて珍しい事だけど。
「記憶が残っているそうだな?」
「はい。」
「出生から今までの一連の記憶をレイは全て記憶しています。特にレイの、サードに移行した時に発生した、記憶障害は解消されている様です。」
 リツコは少し言い難そうにして俯き気味に報告する。リツコがダミープラントを破壊した事は聞いた。レイを憎んでいた事も。でも、今のリツコには憎しみなど少しも感じない。ただ後悔があると言った感じだ。
 これも、サードインパクトに関係あるのだろうか?人の心理にまで影響するモノだったのか?
「そうか。」
 碇司令まで少し黙り込む。それはきっと彼も自分の狂気の素行を悔いているからだろうか?司令の表情からは何も読み取れなかった。
 静寂。気まずい雰囲気の中、口を開いたのはやはり司令だった。
「レイ。」
「はい。」
 沈黙。言い淀む司令。やがて、
「シンジを、知らんか?」
 驚いた。あの司令が真っ先に聞いた。シンジの話ではこの親子には大きな溝があった筈だ。司令自身シンジに近付く事も、ましてや思いやるような所は見た事がない。何がこの男を変えたのだろう?やはり、
「知りません。」
 レイは落ち着いたいつもの口調で返した。アタシもミサトもその落胆は大きかった。レイなら絶対何か知っていると思ったからだ。その期待は呆気無く幕を閉じた。
「そうか。」
 碇司令が短く返す。それっきり俯く司令はどこか寂し気に見えた。
 沈黙。アタシは耐えられなくなってレイの知っている事を聞き出そうとした。レイと司令のペースでは何時迄経っても終わらないじゃない。全くトロイんだから。と、いつものシンジへの口癖を心の内で呟いて思った。やっぱり親子なのね。
「レイ。」
 すんなりと彼女の名前を呼べた。今迄はファーストだったのに。レイは少し不思議そうな顔をしていたが黙ってアタシの顔を見つめ話を聞こうとしていた。
「レイの知ってる事、全部教えて。何でもいいの。気付いた事全部。」
 暫くの沈黙の後、彼女はこくりと頷いた。レイは両手を組みジッと見つめぽつりぽつりと紡ぎ出した。
「私は、司令とターミナルドグマへ降りて、補完計画を、サードインパクトを起こす為に、アダムとの融合、そしてリリス、無へと還る事を願った。でもその途中で碇君の声を聞いた。行かなきゃいけないと思ったわ。私は三人目で、碇君の事は何も知らない筈なのに。碇司令からアダムを奪い、私はリリスへと還った。碇君の所へ行く為に。」
「それで?」
 アタシは先を促そうとした。が、レイは少し言い淀んで、
「そこからは私の記憶ではないわ。寧ろリリス。私は只、碇君の元へ、一つになりたいと願っただけ。」
「どういう事?レイはリリスじゃなかったの?」
 振り返ってリツコに聞く。司令には聞きずらい。
「綾波レイは綾波レイよ。ただその魂はリリスを元にしていたという事。リリスへ還元すればその魂は元のリリスへと戻った筈よ。記憶が曖昧になっても不思議じゃないわ。」
「“一つになりたい”というのは間違いなく補完計画、人類を一つの生命体にするという事のキーワードになったのだろう。サードインパクトは確かに起きたのだよ。そのすべては依り代であった碇の息子に託されたのだ。SEELEは全ての人類を単一の種への進化を望み、その為にシンジ君を精神的に追い詰める様仕向けた。渚カヲルもその一つであったのだろう。もっとも最終的に進化出来たとしても、そこには人類としての意志など欠片も残らなかったであろうがね。一方碇のシナリオはユイ君と再びまみえる為に、意志を残したまま融合する計画だった。そうすれば郡体としての人類から、全ての感覚を共有した安寧の世界を手に入られる筈だった。最もこれはレイ君の意志で潰えたがな。」
 リツコの後を継いだ冬月副司令は、一気に事の真相を語った。その表情には自嘲しかない。
 確かに補完計画は一握りの人間の傲慢さが生み出した狂気としか言えない。
 司令はただ俯いていた。その姿はまるで神に懺悔する迷い子の様で。
「碇君と話をしたわ。」
 不意にレイが口を吐いた。
「ど、どういう事!?」
「一つになった世界で、碇君と会った事を覚えてる。でも夢だったのかも知れない。」
 自信無さそうに呟くレイは何処か儚気に見えた。自分の流行る気持ちを押さえて、諭す様にレイの手に自分の手を重ねる。少し冷たい、でもレイの体温を感じた。
「構わないわ。気付いた事、何でも言ってみて?」
 レイはまた不思議そうな、少し驚いたうような顔でこちらを見た。戸惑っているのだろう。アタシの態度に。今日のレイは表情豊かに見える。僅かな変化だが、確かに彼女は表情を持っている。今迄気付かなかった。良く考えたら今迄罵るばかりで、彼女の表情等じっくり見た事がない事に気付き、自嘲した。自分自信の変化に戸惑っているのか困った顔のレイの表情を嬉しく思い、これからはもっと見ていてあげようと思った。
 レイは一言一言噛み締める様に言葉を紡いでいく。
「そこは、多分LCLの海の中だったんだと思う。そう。碇君が聞いたわ。ここは?って。あれは、ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。どこまでが自分でどこから他人なのか分からない、曖昧な世界。どこまでも自分で、どこにも自分が居なくなってる脆弱な世界。





......僕は死んだの?

 

いいえ。全てが一つになっているだけ。

 

これがあなたの望んだ世界、......そのものよ。

 

でも、これは違う。

 

違うと思う。

 

他人の存在を今一度望めば、再び、心の壁が、全ての人々を引き離すわ。

 

また、他人の恐怖が始まるのよ。

 

......いいんだ。

 

ありがとう。

 

―――あそこではイヤな事しかなかった気がする。だからきっと、逃げ出してもよかったんだ。
...でも逃げたところにもいい事はなかった。
...だって僕がいないもの。
...誰もいないのと同じだもの。

 

再びATフィールドが、君や他人を傷つけてもいいのかい?

 

―――かまわない。

 

でも、僕の心の中にいる君達は、何?

 

―――希望なのよ。

 

ヒトは互いに分かり合えるかも知れない、ということの。

 

好きだという言葉と共にね。

 

だけどそれは見せかけなんだ。
自分勝手な思い込みなんだ。
祈りみたいなものなんだ。
ずっと続くはずないんだ。
いつかは裏切られるんだ。
ぼくを見捨てるんだ。

 

―――でもぼくは
もう一度
会いたいと思った。
その時の気持ちは
本当だと、
思うから。






その後は、もう憶えてない。気付いたらここで寝ていて、」
 レイは普段喋らないせいか、一旦休んだ後、アタシの顔を見て、
「...貴女が側に居たわ。」
 アタシはその時のレイの微笑に、思わず見愡れてしまった。
「なる程。やはりシンジ君が望んだのだな。元の世界を。」
 副司令の言葉で我に還ったアタシに、自分の見た光景が蘇った。
 では、あの世界は何だったのか?
「ねえ。アタシ見たわ。確かに見た。紅い海と、星空に掛かる血の橋。それにシンジも。あの世界は何だったの?シンジが元の世界を望んだんだったら、何故私達はあそこに居たの?」
 矢継ぎ早に問いを重ねるアタシに、リツコと副司令は困った顔を見せた。その応えは今迄沈黙していた、碇司令から返ってきた。
「恐らく、時間差が生じたのだろう。シンジが元に戻る事を望んだのはレイの話からも確かだろう。そうなれば、世界は再構築され始めた筈だ。そしてヒトも元に戻り始める。ヒトが原書の海、LCLの海から再生するには自分がヒトの形をイメージし自分自身を構築し直さなければならない。現にSEELEの老人達は再生した様子はない。自分で自分自身をイメージ出来なければ戻る事は出来ない。シンジと君はその世界に二人しかいなかったと言った。それは恐らく世界が再構築される前に、君等二人が再構築し終えてしまった為だろう。その時点で他の誰もヒトの姿をイメージ出来たものは居なかった筈だ。あそこは安寧がある。そう簡単には抜け出せん。だがいち早く再生した君たちは、再構成する前の世界を目にした。そういう事だろう。」
「じゃ、じゃあっ、シンジ君も生きてるのでは!?再生したアスカはシンジ君と会っているんですよ?」
 ミサトが慌てて司令に言い寄るが、司令は頭を垂れたままだ。
「ねえ、アスカ!アスカはシンジ君に会ったんでしょ!?だったらその後どうなったか憶えてないの!?」
 ミサト達には気まずくて、シンジがアタシを殺そうとしていた事は言ってなかった。
 だがこうなっては話さない訳にはいかない。アタシは渋々、事の真相を語った。ミサトの顔は徐々に血の気を失い、青くなっていった。
「分からないの。シンジが、シンジがあの時、一体何を思ってアタシの首を絞めたのか。その後はもう意識が途切れちゃったから、分からない...」
「...まさか...それで絶望して...」
 ミサトはすっかり意気消沈してしまい、その空気は皆にも伝わってゆく。
「まぁ待ちたまえ二人とも。シンジ君がどうなったのかは誰も見て居ないのだ。まだ決めつけるのは...」
「もういい。冬月。」
「碇...」
「シンジの捜索は打ち切る。」
「し、司令っ!!」
 ミサトは声を上げ、リツコも驚きを露にしている。アタシとレイは只呆然としていた。
「シンジが生きていようと自ら死を望んだとしても、今はやるべき事が他にもある。敵はSEELEだけではないのだ。Nervが生き残るにはまだ処理すべき事は山程ある。」
 碇司令はあくまで仕事然とした口調で皆を諭す。でも一番辛いのは司令の筈だった。何よりシンジの捜索は司令自身が指事を出している。だがそれも発見出来なければ司令自身が打ち切らなければならない。
 Nerv総司令と一人息子の父親。
「碇シンジの親近者、責任者、ちょうどここには揃っている。決を採る。意見のある者は今この場で言ってくれ。」
 誰も何も言えない。以前の司令ならば有無を言わさず決めた筈だ。それがわざわざ他人の意見を取る。一番辛い筈の人が、一番辛い選択を採らなければならない。それに意見出来る者はここには居なかった。
「すまん。私に出来る事は、シンジが望んだこの世界を守る事くらいだ。」
 司令はゆっくりと席を立ち、病室を出て行く。
「司令。」
 その歩みを止めさせたのはレイだった。
「何だ。」
「碇君は、ここには嫌な事しかない事を理解していました。知っていて、戻ってきたんです。きっと、何処かで生きています。」
 レイの言葉は自身に溢れていた。確信しているレイに、アタシも気付かされた。
「そうよっ。シンジは会いたくて、皆と会いたくて戻って来たんでしょ?だったら、絶対戻ってくるわよっ!アイツは絶対戻ってくるわっ!!」
「あんた達...」
 ミサトとリツコが微笑む。副司令が頷く。
 司令はアタシとレイを見て、
「ああ。そうだな。」
 病室のドアが開き、部屋に緩やかな風が舞い込んだ。










四.






 アタシとレイは一緒に居る事が多くなった。
 比較的身動きの取れるアタシがレイの病室へと赴き、日がな一日お喋りをする。もっぱらアタシが話題を振る役でレイはどちらかと言えば聞き役だが、それでも以前のアタシ達に比べれば格段の進歩だ。
「ダメじゃな~いっ!ちゃんとシャンプーとリンスを使わないとキューティクルが痛んじゃうわよぉ。」
「そうなの?」
「そうなのっ。」
 レイの部屋に通い始めて一週間が経つ。いろいろ聞くうちにレイがかなり荒んだ生活をしていた事が判明した。呆れたのは洋服が一着も無く、制服を二・三着持っているだけだというのだった。そんな事ではダメだ、といったが『どうして?』の一言で返されてしまった。更には、朝食無し・昼食パン・夕食固形食品+栄養剤等というふざけた食事、下着は一種類の物を数着分しか持って無い、etc、etc...
 要するにレイは生活全てに最小限の物しか所持して無いし、必要性も感じていないという事だった。
 取りあえず、退院したら二人でショッピングに行き、必要な物を買い揃える約束はしてあった。
 が...
「は~っ...あんたねぇ、いくら何でも酷すぎよぉ?周りの人見て、自分が変だなぁとか思わなかったの?」
「別に...どうでもよかったし...」
 レイが俯いてしまったのを見て、少し言い過ぎたかと後悔する。
「...私は、只無に返るだけの存在だった。人間としての必要性は何処にも無かったから...」
 レイの自滅的思考は、今は無き同居人にだぶって見えた。だが、それは私の怒りをも買う事になった。
「ふざけんじゃ無いわよっ!!何よそれっ!?アンタ時分がいらない人間だって言いたいのっ!?それじゃ何っ!私もいらない人間だって言いたいのねっ!?」
「...アスカ?」
 レイはこの時初めてアタシを名前で呼んでくれた。でも頭に血が上ったアタシでは気付く事は無かった。
「アタシはね、分かったの。アタシとアンタはねぇ、似てるのよっ。アタシは試験管から生まれたのっ。私はアンタと同じなのよっ!私には偶々ママが居たけど、嫌な死に方して。アンタには誰も居なかったけど、でもそれはたいした問題じゃ無い。結局、アタシ達は両親の愛情を知らない。片方じゃダメなの。分かったの。二人の愛情を貰って、子は初めて幸せに成れるの。でも、だからってアタシ達が幸せになっちゃいけない訳じゃ無いっ!皆生きてるのっ。生きてる以上、幸せになる権利は誰にだってあるわっ!それをアンタは...レイはそれをいらないって言うのっ!?自分は消えてしまえって思ってる訳っ!?」
 アタシは息を切らせながらも、レイから目を離さなかった。
「...ごめんなさい。でも、それは、今迄の私の考え方なの。今はまだよく分からなくて。ただ、今の自分はそうは思って無いって思い始めてる。消えたいとは思って無い。確かに私は本来この世界には残る筈のない物だった。でも、どうしてか、多分、碇君の御陰だとは思うけど、私はここで生きてる。そして、LCLから戻って来れたのは、きっと私が生きたいと思ったから。たぶん、今の私は生きてみたいと思ってる。ただ今は何をどうすれば良いのかが、全然分からなくて...」
「レイ。」
 珍しく長く話すレイに、私は呼び掛けた。
「安心しなさい。生き方なんて、皆が幾らでも教えてくれる。ねぇレイ?少なくとも周りの人よりも、私達って両親が居ない分、結構苦労してるわよね?でもそんな不幸なアタシ達には、他人よりちょっとだけ神様がおまけを付けてくれてるわ。何だと思う?」
 レイはきょとんとして、首を振る。アタシは得意になってニヤリと笑った。
「決まってるじゃ無い。アタシ達はこんなにも美しく生まれて来たわっ!これこそ神様が不幸な私達を哀れと思って授けてくれた特権よっ!!」
 ぐぐっ、と握り拳を作って力説するアタシを、相変わらずぼけぼけっとした顔で見上げるレイ。
「......そう、なの?」
「そうよっ!!おまけにっ、Nervなんて軍隊に無理矢理入れられて今迄死線をかいくぐって来たのよ?これはもう、死ぬ迄Nervに面倒見てもらったって、罰は当たらないってもんよっ!!」
 アタシは決まったっ!!とガッツポーズ。レイは呆然。
「......ぷっ...くっ、ふ、ふふっ...」
「......ぷっ...くっ、ぷっぷぷっ...」
 次の瞬間、病室は大爆笑に包まれた。
 始めて見た、レイの大笑い。でも、アタシも可笑しくって、よく見て無かったけど。二人して、お腹抱えて、笑い過ぎて涙出て来ちゃって。何か、すっごく嬉しい。
 どのくらい笑ってたのか?漸く笑いが治まって来て、二人は笑顔で顔をあわせた。
「いいこと?レイ。先ずは手始めにショッピングに行って、必要な物全部買い揃えるわよ?もう、買いまくってやるんだからっ。」
「えぇ。でも、よく分からないから、教えてね?アスカ。」
「もっちろんよっ!まっかせなさいっ!!」
 私が胸張って言うと、レイはまたくすっ。と笑みを漏らした。
「レイ、初めて私の事名前で呼んでくれたね?」
「あ...」
 なんだ、レイも気付かずに言ってたのか。
「ね、これからは、アスカって名前で呼んでよね?」
「えぇ。アスカも、レイって呼んで。」
「アタシはこの間からずっとレイって呼んでるじゃない。」
「あ...そう、そうね。」
 もう。この娘天然かしら?なんて考えて、また可笑しくなっちゃた。レイが、天然ぼけ。
「ぷっ、くっくくくっっくくくっ...」
 レイはきょとんとなった後、くすくすと笑い始める。分かってるの?アンタが可笑しくて笑ってるのよ?
 何か、すごく優しい時間。今日は良い事がありそう。

 案の定良い事が起きた。

 レイを車椅子に乗せ、アタシ達は院内の庭へ出ていた。いつもの日課になった散歩。ジオフロントは最終戦の傷跡がまだ残っており、天蓋部は今だ大穴が開いたままだ。今は本部や地上部も含め復興作業が急ピッチで進められている。Nervの付属病院も幾らか被害を受けたが、未だ怪我人も多く修復作業に集まってくる作業員の事故にも備え、ここだけが真っ先に修復され元の景観を取り戻していた。
 そして今、この庭には結構な人が憩いを求めて集まっている。天蓋が開いている為、直接日光が差し込み、日の光は何処か清清しく思えた。まぁ、それが理由で毎日の日課にもなったのだが。
「ねぇ?もうすぐ退院出来るんでしょ?」
「えぇ。赤城博士にはそう言われてるわ。」
 レイに外傷は無い。ただ、検査が多いのと、救出された時にいくぶん衰弱していた為大事を取って安静にしているのだ。車椅子は大袈裟だと思ったのだが、ミサトが五月蝿かった。まぁ、ミサトはミサトでそれなりに責任を感じているのだろう。無下に断るのも悪いので、取りあえず言う事を聞いていた。
「レイ?思ったんだけどさ。」
「?」
「アタシ達と一緒に住まない?」
 突然の申し出にレイは戸惑っているようだ。まあ、気持ちは分かるけどね。
「でも...」
「分かってるわよ。でもね?昨日、ミサトに聞いたの。上の様子。」
「...地上部?」
「そう。そしたらね、もう、すごい状態らしいわ。中心部は、あの通りでしょ?」
 アタシは上を見上げ指差した。レイもつられて上を見上げる。天蓋部は、最終戦に自衛隊が使ったN2弾頭の威力の凄まじさを物語っている。
「着弾時のエネルギー波は中心部から10kmを超えたそうよ。で、調べてもらったの。」
「?...なに?」
「私達の家よ。私達のマンションは、ほら、中心部からは大分外れていたから被害は大した事無いんだけどね。アンタの家よ。アンタ、再開発地区に住んでたんだって?」
「えぇ。」
 始め聞いた時はこれまた驚いたものだ。なんでまた、とも思ったが今迄の経緯を考えれば、碇司令がレイを他人との接触を避けさせたのも分かる。
「で、アンタのマンションね?先ず拾六使徒戦の時のアンタの自爆。あれで先ず相当被害を受けてたらしいわ。で、止めのN2。かろうじて建ってはいるらしいけどね。もうガタがきてて、今回の復興計画で取り壊しが決まってるらしいのよ。そこで、さっきの話。どう?一緒に住んでみない?」
「......いいの?」
 自信無さそうに見上げるレイ。ちょっと目が潤んでて。ううっ、か、可愛いじゃない。
「あ、当たり前よ。」
「でも...葛城三佐は?」
「気にする事なんか無いわよぉ、ミサトなんか。」
 レイは困った顔で、何か考え倦ねている様だ。仕方なく助け舟。
「冗談よ。ミサトの了解は取ってあるわ。ミサトが断る訳無いじゃない。どうする?レイ。」
「......」
 レイは暫しの逡巡の後、こくりと頷いた。
「よしっ!!きっまり~っ!じゃあ、アタシ達は今日から家族ね。」
「...かぞ、く?」
 レイはアタシが何気なく言った一言が気になったのか、不思議そうにこちらを見上げる。そして気付いた。そう、レイは家族を知らずに育ったのだ。十四年間、人の温もりを全く知らずに。
「...レイ。アタシとミサトとアンタと。血の繋がりは無いわ。でも気持ちは自分の意志で繋げられる。アタシ達は、今日から、家族よ。」
「家族...初めてのモノ...知らないモノ...でも、この気持ちは......そう、嬉しいのね...私...」
 レイは胸元に手を組んで引き寄せると、祈るように目を閉じた。まるで、手に入れたたった一つの希望の光を取り零さない様に。
 幸せそうなレイを見ているうちに、何だか私も嬉しくなってきて。
 暫く二人はその余韻を惜しむように、木陰で佇んでいた。

 そして、

「アス、カ?」
 不意に名前が呼ばれた。
 ちょっと外れた遊歩道。そこに彼女は立っていた。
「...ヒカリ...ヒカリッ!!」
 思わずアタシは駆け出した。一時はもう会えない、最後までアタシの心配をしてくれた優しい、掛け替えのない親友。アタシはヒカリを思いっきり抱き締めた。
 二人は互いに涙声になりながら名前を呼び合って、再会を喜んだ。
「ヒカリッ、ほんとにヒカリよね?生きてるんだよね?」
「バカッ、アスカこそ...もう、二度と会えないかと思って、ホントに、心配したんだよ。怪我しなかった?落ち込んでたけど大丈夫なの?ホントに大丈夫?」
 ヒカリはもう、涙でぐしょぐしょになりながらも、私の心配をしてくれる。もう、本当に面倒見のイイ娘なんだから。
「大丈夫だってば。ほら、ぴんぴんしてるって。ね?安心した?」
「う、うん。でも、よかった。ホントによかった。ね、ホントに大丈夫よね?」
「もう、ホントに心配性ね?私は大丈夫だから、ほら。あっちも心配してあげて。」
 そう言って促した先にはレイが木陰でこちらの様子を伺っていた。
「あ、綾波さんっ!?綾波さんも無事だったのねっ!大丈夫?」
「えぇ。」
 さっきから大丈夫を連発するヒカリに、思わず苦笑してしまう。
「怪我したの?車椅子に乗って、そんなに酷い怪我なのっ!?」
「いえ。大した事無いわ。もうすぐ退院出来るし。」
 レイはきちんと受け答えをしていた。ヒカリとはあまり面識は無いはずだったけど。どうやら、ここ暫くレイの話し相手になったのは無駄にはならなかったようだ。
「そ、そう。良かった。そう、二人とも無事だったのね。」
「安心した?じゃあ、少し落ち着いて。ヒカリったらさっきから大丈夫ばっかりなんだから。」
「あ、ご、ごめんなさい。わたしったら、突然だったから、驚いちゃって。」
 流した涙をハンカチで拭きながら、ヒカリはにっこりと微笑んだ。
「で?いつこっちに来たの?せめて一言教えてくれれば会いに行ったのに。」
「昨日なの、急だったから。それに私だけ来てるのよ。コダマお姉ちゃんとノゾミはまだ疎開先から戻って無いわ。」
「?なんで?皆で戻って来たんじゃないの?」
 不思議に思い訪ねた。第三新東京は復興作業が始まったとは言え、まだ都市機能は回復していない。それが家族全員で戻ったのならともかく、ヒカリ一人で戻ってくる理由は思い当たらなかった。
「あ、あの...付き添いで来てるの。治療はここで見てもらった方が良いし、その、ぜひこちらで面倒見させてくれって言われて、それで急だけど昨日...」
 話が見えてこない。つまり、Nervの病院に用があるのは分かったが、分からないのは、
「?......付き添い、って。誰の?」
 途端に、ヒカリは真っ赤になってしどろもどろに意味不明の言葉を吐き始める。
「あっ!だ、だから、い、委員長として、面倒見る人が居ないと、妹さんも一緒だし、病院食は不味いからって、お弁当作ってあげなきゃ...」
「...鈴原ね。」
 ぼんっ、と煙りが上がった様に見えたのは気のせいだろう。ただヒカリの顔がさっきより真っ赤になったのは確かだ。ヒカリは完全に撃沈している。
 まったく。分かりやすい性格。
「...そう。アイツ、戻って来たんだ。」
 暫し考え込む。アタシはレイを見た。レイは黙って頷く。
「ねぇ、ヒカリ?」
「あ、な、なに?アスカ。」
 顔はまだ赤いが浮上して来たようだ。アタシは、もう一度覚悟を決めると、
「ヒカリ。鈴原に、会いに行ってもいいかな?」










伍.






 鈴原が左足を失った事は知ってる。
 だから、てっきり一般外科病棟に行くものだと思っていたが、ヒカリに連れて来られたのは意外にも第一神経外科病棟だった。ここはNerv直属の制限付き病棟だ。アタシ達は関係者だからフリーパスだが、一般の人間がおいそれと入れる場所では無い。が、ヒカリはナースステーションで手続きすると、呆気無く入れてくれたのだ。
 そこで思い出したのは、ヒカリが言った一言だった。
「ヒカリ?ここにいるの?」
「えぇ。妹さんも一緒よ。どうかした?」
「さっき、こっちで面倒見させてくれとかって言ってたわよね?それって、Nerv?」
「あぁ、その事?そうよ。疎開先の病院に直接やって来てね?『こちらの責任で大変迷惑を掛けました。以前の契約通り妹さんの治療と、鈴原さんの治療も全てこちらの方で負担するので、ぜひ本部にお招きしたい。』って。びっくりしたけど、何でも義足よりも精巧なNervの技術で鈴原の足を元に戻してくれるらしいの。それに妹さんの怪我はNervじゃないと完全には治療出来なかったから。」
 レイと視線を交わすと、僅かに首を振った。恐らく何も知らないのだろう。大方、司令や副司令の仕業だろう。ちょっと不安なのは、鈴原をフォースチルドレンに復帰させるんじゃないかと心配した事だ。今さらケチを付ける様な事はしないが、出来ればもう知り合いをあんな辛い目には合わせたくは無い。
 これは、後で直接聞いておかないと。心の内で呟いておいた。
「ここよ。」
 見ると確かに表札が入っている。
 扉が開く。中には清閑な顔つきの、片足を失った少年がベッドで体を起こしていた。
「よぉ、委員ちょ......惣流やないか...綾波もおるんか?」
 私達を確認したとたん、鈴原はにかっと白い歯を見せて笑った。
「よぉ。久し振りやな。どや?元気しとったか?」
「アンタ、大丈夫なの?」
 なるべく見ない様にするが、目はどうしても左足を見てしまう。が、そこにあるべきシーツ膨らみは、やはり無かった。あの後こいつと会うのは今日が初めてだ。その分気が引けてしまう。もしここにいるのがシンジだったら、アイツの事だ。気が狂っていたかも知れない。
「なんや。いつもの威勢の良さはどないしたんやねん?大人しいや無いか。」
「ア、アンタねぇ...」
「鈴原っ!せっかくアスカと綾波さんがお見舞いに来てくれたのにっ!!」
「じょ、冗談や、委員ちょ。そない怒らんでもええやんけ。」
 早速始まった夫婦喧嘩。う~ん。さっきまでの気が削がれてしまうわ。
「もうっ!」
「まったく、委員ちょは恐いのぉ。」
「なんですってっ!?」
「うっ!?な、何にも言うてへんがなっ。」
「はいはい。夫婦漫才はそれでにしてちょうだい。」
「「だ、誰が夫婦やねんっ(よっ)!!」」
 う~ん、見事なユニゾン。まぁ、これ以上突っ込んでも話が進まないので止めておく。
「で、どうなの?具合は。」
「あ、あぁ、気にすんな。足の一本や二本のうなっても大した事あらへんがな。」
 鈴原はけたけたと笑って、残った足の方をぽんぽんと叩いた。
「それに、Nervのバイオなんたらで元通りになる言うてるさかい、問題あらへんやろ。」
「そう。ま、十分元気そうな所は見せて貰えたし。よかったわね?ヒカリ。」
「え?あ、う、うん...」
「???なんで委員ちょがよかったんや?」
『『...鈍感。』』
「まあ、ええわ。それより、そっちは大丈夫やったんか?なんや、惣流は元気そうやが、綾波はどっか怪我でもしたんかいな?」
 鈴原の前にレイの車椅子を寄せながら毒づいた。
「何よっ。そのアタシはどうでもいいような扱いはっ。」
「なんやねん。見たまんまやんか。」
「なんかむかつくわねっ。」
「まぁ、ええやないか。で、大事ないんか?」
 会話に入り損ねたレイを促す鈴原。こう言う事には気が効くのに、どうしてヒカリの事には気付きもしないんだか。ちょっとヒカリが気の毒になったりもする。
「えぇ。大した事ないわ。ほとんど検査だけだし。問題ないわ。」
「さよか。良かったやないか。もうお前等とは会えへんのやないか思ってたさかいな。」
 また鈴原がにかっと笑う。こいつは。バカなんだか無邪気なんだか。
 思わず笑みが溢れる。横ではヒカリも笑っている。皆につられたのだろうか。
 レイも僅かに微笑んだ。
 二人は今までに見た事もなかっただろう。アタシだってついこの間初めて見たのだ。二人は少しばかり驚いた様だったが、すぐに笑みが戻った。
「ところで珍しいやないか?お前等二人が一緒に居るやなんて。シンジはどないしたんや?」
「あ、そう言えば。何処にいるの?碇君。」
 アタシとレイの体がびくりと震えた。ここにくると決めたのは寧ろこの事が理由だ。だが、いざその時になると体が拒否しそうになる。さっきまでの和やかな雰囲気が逆に今の心境を辛く、暗いものにしていた。
 表情にも出たのだろう。それを感じ取った鈴原が訝し気に聞いて来た。
「?なんやねん。急に黙り込んで...」
「アスカ?」
 レイは黙り込んでしまっている。今までならば躊躇なく結果を伝えただろう。だが今のレイはもう違う。恐いのだ。それはアタシも同じ。シンジとこいつは親友だった。もし伝えてしまったら、どうなってしまうのか?何かが壊れる。さっきまでの温かい気持ちが一瞬で凍り付いた様に。アタシ達の関係の何かが壊れてしまう事を恐れた。
「...なんやねん。」
 鈴原の口調が変わった。何時ものかん高い声ではない、どすの効いた太い声。
「......なんやねん...」
 恐い。鈴原相手に恐いと思う時分が居る事に気付いた。昔はともかく、今はこいつだって信頼出来る友人の一人だ。その人が傷付くのが嫌だった。悲しみに暮れる姿は見たくない。だが、
「なんやねんっ!!!」
 切り出そうとした瞬間に、鈴原の怒号が響き渡った。
 アタシもレイも体が一瞬竦み上がる。開きかけた口から、慌てて出る言葉は、何処か言い訳地味ていて嫌だった。
「あ、あの、鈴原...あのね...」
「...逝ったんか。」
 『行ったんか』に聞こえた。一瞬分からなくて戸惑ったが、理解した途端この後の状況に恐怖した。
「す、鈴原?」
「......逝ったんやな?」
 静かな声は、何故か病室の中を良く通った。
 そして、鈍い音が響き渡った。鈴原が寄り掛かっていた壁を殴った音だった。
「......ぁほがっ...何断わりも無く勝手に逝っとんねんっ...あの阿呆っ!!」
 再び殴られた拳は、壁に張り付いて震えていた。
「うそっ...うそでしょ?アスカ...綾波さん......」
 アタシもレイも何も言えない。申し訳なくて。どうして良いか分からなくて。
 ヒカリが泣き出す。鈴原も泣いていたかも知れない。いや。涙は見えなくても泣いているのだろう。
 アタシは今にも逃げ出してしまいそうだった。以前のアタシのように。でももう、動く気もしなかった。只泣くしかなかった。そのまま泣き崩れて消えてしまいたかった。
 だが、不意に開いたドアは、アタシにそれをさせなかった。
「...ミサト...」
 ミサトだった。恐らく監視カメラで異常に気付いてやって来たのだろう。ミサトは室内のアタシ達を見渡してから、部屋に入りベッドの、鈴原の前に建った。
「...シンジ君は死んでないわよ。」
 一瞬静寂が漂った。
「...ど、どう言う事でっかっ、ミサトさん!?シンジは生きとるんでっか!!」
「ほ、ホントですか!?」
 二人は驚いた様子でミサトにしがみ付く。ミサト、でもそれは...
「...正確に言うわ。だから二人とも落ち着いて聞いて欲しいの。いいわね?アスカも、レイも聞いて欲しいの。今日決定した事。」
 どう言う事か分からなかったが、取りあえずは皆了解し、先を促した。
「鈴原君と洞木さんは注意して。何れ正式発表されるけど、今はまだ機密事項だから。」
 二人は不思議そうに顔を見合わせたが、すぐにミサトに向き直り頷いた。
 一方アタシとレイといえば二人で顔を見合わせていた。発表?いったい何を?
「...汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機専属パイロット、サードチルドレン碇シンジ少尉は、『使徒戦争』最終戦に於いて、秘密結社SEELEの画策したサードインパクトを阻止せんが為、本人の機転により自らを犠牲にし、サードインパクトを阻止しました。ですが、世界再構築後に彼の消息は一切が不明。Nervはサードチルドレン碇シンジが死亡したものと推定。彼の多大なる功績を称しに三階級特進。一尉とす。」
「ちょっ!?ちょっと待ちなさいよっ!!何よそれっ!!ふざけんじゃないわよっ!!」
 切れた。ここの所無かったけど、今回は切れた。
 そんなの許せる筈がない。シンジはそんな事望んではいない。アイツがそんな言われて喜ぶ筈が無いのに。何より、シンジを死人扱いしたのが許せない。
「アスカァ。落ち着きなさいって言ったでしょ?話は最後まで聞きなさいよ。」
「これが落ち着いていられますかっ!!シンジがそんなの喜ぶ分けない事ぐらいミサトだって分かってるじゃないっ!大体なにシンジを死人扱いしてんのよっ!?今直ぐあのヒゲ親父の所に行って取り消させるわよっ!!」
「アスカ。司令は何もシンジ君が死んだなんて言って無いわよ。」
「言ってるじゃないっ!!」
「だから、司令はシンジ君が生きてるって信じてるわよ。だからシンジ君が何時戻って来ても大丈夫な様に頑張って世界中飛び回ってるのよ?」
「どこが信じてるってのよっ!!ミサト今死亡したって言ったじゃないっ!!」
「違うわよ。死亡したものと推定したのよ。」
「同じよっ!!」
「違うわよぉ。」
「どこがよっ!!」
「アスカ、待って。」
 永遠に続くかと思われたやり取りは、レイによって遮られた。すでに他の二人は蚊屋の外だ。
「レイッ!?」
「教えて下さい。葛城三佐。何故『行方不明』では無く、『死亡と推定』にしたのですか?」
「え?」
 頭に血が昇っていたせいか、一瞬レイの言ってる意味が理解出来なかった。
「そう。そう言う事よ、レイ。これはあくまで『特務機関Nerv』として全世界に報告される内容よ。」
「なによっ、それ。」
「それによるメリットは?」
 レイは随分落ち着いている。ミサトはにっこりと笑って軽い調子で言ってきた。
「つまり。これは世界中の人を味方に付ける為の作戦なの。あんた達はここに閉じこめられてるから、世界状勢は分からないと思うけど、世の中にはサードインパクトが起きた事を知ってその張本人を断罪しようとする人だっているの。事実その兆候はあるわ。」
「う、うそ...」
 信じられなかった、シンジは世界を救ったのだ。それを、処罰するなんて。
「事実よ。補完計画は確かに頓挫させたけど、LCLから戻って来なかった人もいるわ。それにね、SEELEの残党だってまだ何処かに潜んでる筈よ。こんな状態で、もしシンジ君が生きてる事が判明して御覧なさい?」
「あ...」
 脳裏を過るあり得るかも知れない光景。シンジが悪魔に仕立て上げられ痛めつけられる姿。SEELEに捕われ人体実験、洗脳、更には敵に回る事だってあり得る。
「そう言う事。これはね、シンジ君を神格化、英雄化する事で人民の意識の持たせ方を変える為なの。もし大事な人をサードインパクトで失った人でも、起こした本人が犠牲を払って死んだと知れば、ましてやそれが14歳の子供だと知ればそれなりに悪意を緩和出来るわ。周りを味方に出来ればSEELEだってそうそう手を出せない。そう言う意図もあるのよ。」
「で、でも、それじゃあ、シンジが戻ってきた時...」
 そう、それではあんまりでは無いか?死んだ事にされては戻るに戻れないでは無いか。
「アスカ。だから『推定』なのよ。そうですね?葛城三佐。」
「へへ~っ、あったり~。」
 微笑むレイと、嬉しそうなミサトに一瞬呆然となる。そして、気付いた。
「...ミ~サ~ト~ッ!!!騙したわね~っ!!!」
「あら~、騙してなんかいないわよぉ?それにぃ、アスカが勝手に勘違いしたんじゃな~い。」
「くっ......ま、まったくぅ。アンタも司令もいい度胸してるわよっ。世界中相手にペテンに掛けるつもりっ!?」
「あら、失礼ねぇ。文書面では何もおかしい所なんてないわよ?ただ、そうかな~、って言ってるだけだもん。もしシンちゃんが戻ってきたら、やっぱり生きてました~。で済むじゃない?」
「良い根性してるわ。ったくっ。」
 未だに事態を飲み込めていない二人を尻目に、くすくすと笑う三人。
「あ、あの~、ミサトはん?け、結局どういう事でっか?シンジはおらへんのですか?」
「あ、ご、ごめん。すっかり忘れてたわ。」
 ミサトそれは酷いわ。私も忘れてたけど。
「葛城三佐、酷い。」
 レイ。アンタも同罪よ。
「ホントにごめんなさい。私達はシンジ君を守るどころか先頭にかり出して、結局最後まで頼ってしまったの。彼方達の大事な友達に酷い事をしてしまったわ。許される事じゃないのは分かってるわ。でも、誤らせて?本当に、ごめんなさい。」
 ミサトは二人に深々と頭を下げた。本当はミサトにだって辛い事だ。ミサトにとってシンジは弟であり、大事な家族だったのだから。
「そ、そんな、葛城さん、頭上げて下さいっ。」
「そ、そや。それで、シンジは居のうなってしもたんですか?」
「...えぇ。でもね行方不明だと思って欲しいの。世界再構築後のこの世界でアスカはシンジ君を見ているらしいの。」
「ほ、ほんまかっ!!惣流っ。」
「そうなのっ!?アスカッ。」
 途端に二人はアタシに食い付いてきた。あんまり自信、ないんだけどな。
「う、うん。でも、記憶が曖昧だから自信ないのよ。ただの、夢か幻だったのかも知れないんだし...」
「でも、私達はアスカの見た碇君が本物だと信じてるわ。きっと、戻ってくるわ。」
 言い淀んだアタシの後を、レイは自信を持った目で二人に言った。そこまで言い切れるレイが少し羨ましくて。でも、勇気付けられて。
 アタシとレイの頭にミサトの手が乗せられ、ミサトは優しい顔で二人に話す。
「そうね。レイも私も、もちろんアスカもそうよね?私達はシンジ君が帰ってくるのを信じてる。だからね?鈴原君、洞木さん、二人も信じて欲しいの。何時シンジ君が帰ってきてもいい様に、皆で待っていて欲しいの。シンジ君の帰ってくる場所を、守っていて欲しいの。そうしたら、きっとシンちゃん、イヤでも帰ってくるわ。ね?」
「そう、そうね。私達が待っててあげましょう。ね?鈴原。」
「あぁ、せやな。センセならきっと、冴えない顔で戻ってくる筈やろ。それまでは、待っててやろうやないか。なあ?惣流。」
 嬉しかった。皆が信じてくれる。シンジの帰りを待っててくれる。それだけで、さっきまでの不安が嘘のように晴れた。

 そうか。そうなんだ。

 シンジがこの世界、元の世界を望んだ訳が、少し理解出来た気がした。










六.






 世界は未だ混乱に満ちている。

 事の起こった『あの日』。人々は何かが起こった事を感じていた。だが、『それ』が何であったのかは誰も明確に理解出来た者は居ないし、具体的に憶えている者は誰一人として居はしなかった。
 だが、それに対して応えたのは名も知れぬ、一部の者達にはイヤと言う程知れ渡っているある組織だった。
 国際連合非公開組織 特務機関Nerv。
 それは全て信じる事も疑わしい、だが全て紛れもない事実だった。
 事の中心地となった第三新東京市に於いて、Nervは『人類補完計画』が事実上失敗に終わった事を確認するや、全てを終局へ導く為、その迅速な行動を実行に移した。
 その手始めが世界中を相手にしたNervの総力を挙げた情報戦だった。スーパーコンピュータ『MAGI』があらゆるメディアやネットを通じて、Nervの存在と『人類補完計画』についての情報を流出させたのだ。『セカンドインパクト』が『使徒』と呼ばれる未知の生命体に因って引き起こされた事。使徒の再来を予期し、その殲滅に『福音』の名を持つ汎用人型決戦兵器『エヴァンゲリオン』を用いて撃退したこと。その全てを裏世界から操っていた秘密結社『SEELE』という組織のメンバーが、自らを神としようと『人類補完計画』を画策した事。それを阻止する為に、NervとEVAが動いた事。SEELEがNervを牽制する為に戦略自衛隊を投入し、第三新東京市に量産型EVAシリーズが襲来したこと。そして、SEELEのシナリオとは違う形で補完計画が発動した事。
 それが『あの日』起こった、『サードインパクト』である事。
 世界を巻き込んだメディアジャックは、Nerv総司令碇ゲンドウ氏自らの演説によって、『使徒戦争』の結末として幕を閉じる。
 これらにより世界状勢は一変する。特に、自らを神としようとしたSEELEに対して、国際世論から反発の声が挙がった。ヴァティカンでは、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世自らが『SEELEの意図は、神に対する冒涜であり、許されざる行為。それを正そうとしたNervの果敢なる勇気を賞賛する。』という異例の声明を発表し、キリスト教国に多大な影響を与える。中東でもイスラム教の指導者達は挙ってSEELEを非難した。比較的多神教信奉の多いアジアでは、キリスト・イスラム両教などに比べれば非難の声は小さかったが、それでも各宗教の指導者達は露に嫌悪を示した。また、SEELEの影の支配を快く思わなかった国々は、これらに便乗する形で反SEELE色を打ち出した。
 更にNervは国連に臨時総会の招集を要請。Nervの公開組織化と、大幅な組織改革。そして『未確認生命体に対する排除及び捕獲等特別法』通称・特務法を提案。国連本部はこれを速やかに可決。これによりNervは、事実上世界最強の軍事機関として機能する事になる。また使徒やATフィールド、S2機関等未知なるシステム解明の為の研究機関としての性格をも併せ持った特務組織として再出発する事になった。国連内の上部組織として敵性生命体研究対策委員会が存在するのみのNervには、緊急時の完全な指揮権から国連加盟国の国家統帥権までもが与えられる超国家機関としての性格が付与されていた。これはSEELEが存在した折よりも強大な権限がNerv与えられた事となる。
 決戦の地となった第三新東京市は未だその傷跡を残しているが、国連直属の学術研究都市としてNerv直轄の下で再建計画が実行されている。それは正に人類の未来を担う理想の空間都市と言えるだろう。事実、その期待を寄せる人々が続々と集まりつつある。
 今日程、人類の国家に対する信頼が失われた時期は存在しないだろう。
 SEELEという狂信者に就いた各国家の政治家に自分達の国を預ける国民達は最早何処にも居なかった。セカンドインパクト後の不安極まりない状勢の中で、SEELEという強大な権力に果敢に立ち向かったNervへの信頼は世界世論に不動の地位を与える事になった。
 人類の未来、その一点に関しては政治家の思惑も利権争奪も度外視してNervに託する事を世界が求めたのだ。

 最後に。
 ここ最近、世界はこの使徒戦争に一応の落ち着きを見せ始めていたが、先日Nervは再び世界に衝撃を走らせた。
 今まで機密事項で非公開になっていた、決戦兵器エヴァンゲリオンのパイロット。
 それがNervの第一次研究報告会議の中で公表されたのだ。始めて正式報告されるこの国連会議は異例の全世界中継という形で行われていた。今回の報告は『使徒戦争』の真相報告がその主なものとなっていた。
 終盤までそれは滞りなく進んだが、最後に行われた予定にないパイロットに関する報告は全世界に波紋を投げかけた。なんとパイロットは僅か十四歳の少年少女に託されていたのだ。これを受けた評論家や一部の宗教家には、子供さえ戦争に狩り出すNervに批判を向けようとした。が、世界最強の決戦兵器が実は人類の敵だった使徒のコピーである事を公表し、同じ使徒でなければとても勝ち目がなかった事を示唆。しかもその操縦法が神経接続、シンクロという特殊な操縦法であり、その適性はセカンドインパクト後に生まれた子供、つまり15歳以下でなければ存在し得なかった事、さらには第三使徒を迎えた2015年までに僅か三人しか実戦には配備されず、最終戦まで入れても五人しか発見されなかった事が、その困難さを物語っていた。
 結果論議は大きく二派に別れた。Nerv存続は困難かと思われたが、それは呆気無い程の幕切れで賛成派多数で幕を閉じた。

 それは、世界中が哀しみに暮れるという、史上稀な日であった。

 以下に、特務機関Nerv総司令碇ゲンドウ大将の、悲嘆の中でも揺らぐ事のなかった気丈な報告の抜粋を記載する。

『我々は今回、最後までパイロットの公表をすべきか否かを悩みました。しかし、Nerv内での議論の結果、その裁定は全世界の皆さんにお任せする事にいたしました。この三人の少年少女が決戦兵器エヴァンゲリオンのパイロットです。(モニターに三人の写真が映る:左上写真)ファーストチルドレン、最初に発見された適格者です。綾波レイ、14歳、日本国籍。エヴァンゲリオンテストタイプ零号機専属パイロット。彼女は早期に発見され、EVA起動実験等数多くの被験者としてもその功績を残しました。セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー、14歳、アメリカ国籍。エヴァンゲリオンプロダクションタイプ弐号機。彼女も比較的早期に発見され、数々の実験、実戦配備までの特種訓練等を受け、更に大学を出る程の博識は、実戦でも十分に活かされました。そして、エヴァンゲリオンテストタイプ初号機専属パイロット。サードチルドレン、碇シンジ。14歳、日本国籍。皆さんお気付きでしょうが、不肖の息子です。彼は、第三使徒襲来直前に発見され、その当日に半ば無理と思われた初号機の起動、そして人類初の使徒との実戦を経験し彼は勝利しました。そのシンクロ率も他の二人の郡を抜き、使徒単独撃退数は十七体中九体、正にエースパイロットとしての名に恥じない功績を残しました。他二名フォース・フィフスチルドレンは発見はされていましたが、実戦配備される事なく最終戦を迎えました。(中略)我々はその重要性を問われる特種任務遂行の為とはいえ、余りにも非人道的な行いをしてしまったのでしょう。我々は十分それを覚悟の上で任務に望みました。それが人類の未来を紡いでくれるのであればと。最終戦、SEELEの襲来は予期していました。我々はSEELEの人類補完計画の断固阻止に徹しその殲滅に全力を注ぎました。しかし量産型EVA9体を相手に我々は最早抵抗する事も叶わなかった。結果、皮肉にもその性能・能力の高かった初号機とパイロットはSEELEの補完計画の発動の依り代として利用されてしまったのです。そしてサードインパクトは発動した。だがその土壇場で彼は自分が補完計画のコントロールを委ねられている事に気付いた。それは最早最後の賭けと言ってもよかった。幸いな事に彼の、元の世界へ戻すという強い意志が、計画の途中補正を可能にしサードインパクトは起こったものの、人類も地球もこうして生き残る事が出来たのです。しかしその代償は余りにも高く付きました。サードチルドレン碇シンジは、この一ヶ月の捜索の甲斐なく現時点で今だ発見出来ておりません。サードインパクトでLCL化し未だ戻らぬ者もいると報告は受けています。特にSEELEの元老院達はその殆どが戻ってはいない様です。これは恐らく計画の中心に居た事と何等かの関係があるのでしょう。そして、正にその中心に居たサードチルドレンは最早望むべくも無いのかも知れません。我々は既に手を尽くし切りました。残念ですが捜索の打切りを決定しています。我々はサードチルドレンの残した希望を無駄にする事は出来ません。人類の未来を勝ち取る為にも、我々Nervはあらゆる事態に即す様、全力を尽くす覚悟で居ります。ですが、我々が必要か否か。その全ての判断は皆さんに御任せしたい。』

 後日、国際連合は世論の、Nervの『多大なる功績』を認める意見を尊重し、特務機関Nervの存続を正式に決定した。

 また以下の文面は、特務機関Nervより関係各位に配られた『第一次研究報告書』の追記事項である。

『汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機専属パイロット、サードチルドレン碇シンジ少尉は、『使徒戦争』最終戦に於いて、秘密結社SEELEの画策したサードインパクトを阻止せんが為、本人の機転により自らを犠牲にし、サードインパクトを阻止。しかしその後、彼の消息は一切が不明。Nervはサードチルドレン碇シンジが死亡したものと推定。彼の多大なる功績を称し三階級特進。一尉とす。』

ニューヨーク・タイムズ 2016年3月15日付 第二面より










七.






 国連臨時総会から立ち戻ったゲンドウは、総司令執務室に関係者を集めていた。
 総司令碇ゲンドウ大将を始め、副司令冬月コウゾウ中将、戦術作戦部部長葛城ミサト二佐、技術開発部部長赤城リツコ博士技術二佐、戦術作戦部作戦局局長日向マコト一尉、作戦司令部中央作戦室室長青葉シゲル一尉、技術開発部技術局局長伊吹マヤ博士技術一尉。
 そして、エヴァンゲリオン零号機専属操縦者ファーストチルドレン、綾波レイ三尉。
 エヴァンゲリオン弐号機専属操縦者セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー三尉。
 密議は唐突に始まった。
「忙しい所、召集を掛けて済まない。実は、先日の臨時総会でのシンジ君の扱いに付いてなんだが...」
「何か問題でも?」
「いや、そうでは無い。碇とも相談したのだが、表向きシンジ君を死亡とした以上は、こちらも態度だけでも示して置くべきだと思ってな。」
「あの、態度とは、いったい何を?」
「葬儀よ。ミサト。」
 今まで黙していたリツコの唐突提案に、ミサトは少しばかり動揺した。
 しかし、それより早く動いたのは他でも無い、アスカだった。
「ちょっと、リツコッ!!それはいくら何でもやり過ぎよっ!シンジが戻ってきた時お墓が在るなんて情けなくて顔も合わせらんないわよっ!!」
「アスカ、でも...」
 リツコの説得よりも早く、その父親は口を開いた。
「惣流君。済まないがこれだけは済ませておかないと世論も五月蝿い。私も不本意ながら承知したのだ。これだけは我慢してくれ。せめて葬儀は密葬にして、ここにいる身内だけで済まそうと思っているのだ。」
「碇司令...」
「惣流君、レイ。シンジが何処かで生きていると願っているのは皆一緒だ。只、シンジが帰ってきた時の準備だけは万全を整えておきたい。済まんが付き合ってはくれぬか?」
「大丈夫わ。アスカ。だって、碇君は戻って来るもの。だってこれは御芝居でしょ?だったら、問題ないわ?」
「そ、そうよ、アスカ。シンちゃんが安心して帰って来れるようにしておくのが、アタシ達のやって置くべき事じゃ無い。」
「アスカ?皆信じてるの。早くシンジ君に戻ってきて欲しいって。」
「そうだよ。アスカちゃん。僕らも一緒に行くからさ。」
「アスカ、やりましょう?そうすればシンジ君だって一日も早く帰って来なきゃって思ってくれるはずよ。」
「な、アスカちゃん。皆でやろう?」
 暫しの沈黙の後、アスカの同意を以て葬儀は行われる運びになった。

 夏の陽射しが煌々と照りつける中、十人の男女がそこに立ち尽くした。
 その中の一人はその口から洩れる朗読と姿形で神父だと分かる。そしてその石版を取り囲む黒の装束達。その儀式が葬儀である事は誰の目からも疑い様のない事だった。
 そこに漂う空気は何故ここまで哀しみを誘うのだろうか。
 昨日までは、待ち人の死をあそこまで頑なに受け入れる事は無かったのに、今彼等はその焦燥感に身を浸す内に、彼は二度と戻らないと言う先入観を否応無しに植え付けられる。
 アスカは一瞬これが悪魔の儀式では無いかと感じてしまった。
 長い沈黙の中、やがて神父の朗読が止み、儀式は終わった。神父はゲンドウに一礼し、ゲンドウもまた礼で返す。神父はそのまま教会へと去って行った。
 皆、黙して誰一人として語らない。
『何よ...何で皆黙ってるのよ...』
「...済まんが、先に戻る...」
 ゲンドウは只黙ってその場を立ち去ろうとする。冬月とリツコもそれに続く。
『なんで...黙って行っちゃうのよ...』
「アスカ。」
 漸く掛かった声にアスカは藁にも縋る思いでミサトを見遣った。だが、
「帰るわよ?」
 期待する言葉はかけられなかった。マヤも、日向さんも、青葉さんも。
「...アスカ?」
「......いい。もう少しここにいるから、先、帰って。」
「...分かったわ。」
 暫し呆然と石版を見つめた。
 そこには『SHINJI IKARI 2001―2016』と記されている。
 気付くと横にはレイが、俯いてシンジの墓を眺めていた。
「...アスカ...」
「...くやしぃ...くやしいのよ...」
「どうして、こんなに哀しいの?」
「...分かんないわよ...」
 嗚咽だけが周囲に流れる。静寂。蝉の声。ジリジリと刺す陽射し。
 何なのだろうか。この押さえきれない焦燥感は。襲いくる哀しみは。
「アスカ。碇君、生きてるよね?」
「...分かんない。」
「どうして?昨日まで信じるって言ってたのに。皆も言ってたのに。どうして何も言ってくれないの...」
「ねぇ、レイ。私達は、何か勘違いしてたのかな?ひょっとしたら、私達が見たのは、ホントは幻だったのかな?アタシ達がシンジに戦いを押し付けた事に、引け目を感じていたから、あんな幻を見たのかな...アタシ達は幻想を抱いていただけなのかも知れない。皆は大人だからとっくに気付いてて、アタシは子供だからそれに騙されて...」
「...アスカは、もう信じる事は出来ないの?」
「......分からない...分からないよぉ......アタシは、アタシは只知りたかったの。あの時、シンジが何を思ったのか。どうしてシンジがアタシの首を絞めたのか。どうしてアタシを、殺そうとしたのか...でも、今はもう...何も分からない...」
「...アスカ...」
「...ねぇ、レイ...アタシはシンジにたくさん、たくさん...罵ったの...」
「.........」
「なんであんなに酷い事言ったんだろう...何でアタシはあそこまでしなきゃいけなかったんだろう。」
「それを、後悔してるのね?」
「酷い奴だよね?...あの時、シンジが初号機に取り込まれた時、居なくなって清々したって言ってた癖に、いざ居なくなれば、アタシはサビシイって思ってる。狡いな、アタシ...」
「...でも、アスカは優しいわ。」
「!?」
 突然の抱擁。レイはアタシを抱き締めてくれた。優しく、頭を撫でて。
「...くっ...うぅっ...」
 アタシの涙腺がとっくに決壊していた事に、洩れ出た嗚咽で漸く気付いた。
「うぅっっ...レイィィ、レイィィ...うぅっっ....」
 もう止まる事は無かった。泣いた。思いきり泣いた。
「いないよぉぉ...シンジが、シンジが居ない...何処にも居ないのっ...寂しいのぉ....」
 どのくらい泣いていたのだろう?目が真っ赤に腫れているに違い無い。
「...アスカ。泣きたい時は私がいてあげるから、幾らでも泣けばいいわ。」
「...レイ...」
「アスカ...待ちましょう...碇君を。」
「...うん...」










八.






 3月。日本には四季が戻り始めていた。
 Nervが先日行った第十三次報告では、地軸が2000年以前の状態に戻りつつあるとされた。その為か、この冬はかなり気温が下がった。そう。冬である。今まで日本は『終わらない夏』とまで言われていたが、今年の冬には雪が降ったのである。雪を見た事のなかった子供達は物珍しい顔で屋外を駆け回り、大人達は17年振りに訪れた、白い妖精を嬉し気に見上げた。
 二人の少女が、まだ少し肌寒さの残るものの小春日和と言っていい空の元、佇んでいた。
 彼女達の後ろ、少し離れた場所にには白い教会が建ち、彼女達の周りには灰色の石版が幾つも立ち並んでいた。そして今彼女達は、一つの石版の前にいた。
 そこには一人の名前が刻まれている。年号は『2001―2016』。随分と短い。
 その前には白百合が添えられていた。
 傍らに佇む少女は、肌が異常に白く、その髪は色素が抜け落ち蒼銀。髪型はシャギーが掛かったショートカット。その瞳は紅く、その顔立ちはまるで妖精のように整っている。細みの体を黒の大人しめのワンピースに身を包んでいた。
 その後ろに立ち尽くす少女は、健康的な肌理の細かい肌と、紅茶色の金髪ロングヘア。その髪を赤のカチューシャの様な物で止めている。瞳は深い海のように蒼く、愛らしさの中にドイツゲルマン系の精悍さを感じさせる顔立ちをしている。絶妙なプロポーションが少女から大人への最終ステップを迎えている事を示している。そして同じ黒でシックなジャケットとパンツに身を包んでいた。
 全く相反する印象しか無いこの二人の少女が、今は只静かに、遥か彼方に思いを寄せている様だった。
 どれ程その静寂は続いたのか。やがて赤の少女は長い瞑想から舞い戻り口を開いた。
「...一年振りね。いろんな報告した?」
「...えぇ。」
「ふふっ、わたしも。」
 レイはゆっくりと立ち上がった。一歩下がりアスカと並ぶと、石版に目線を固定したまま問うた。
「何故、今まで来なかったの?」
「...認めるのが、嫌だったのよ。」
「誰も死んだなんて思って無いわ?」
「わかってる。でもあの日、形式だけとは言え、この下にシンジが居ない事は分かってるのに、私は泣いてしまった。」
「...えぇ、憶えてる。」
「結局、あの後皆待ち合い室で待っててくれて。皆辛かったのよね。私と同じだった。」
 アスカの髪が気紛れな風に舞い上げられる。アスカはその細腕で流れる髪を押さえ呟いた。
「絶対戻って来るって言ったくせに、私は思わず認めてしまいそうになったわ。ここへ来るのが恐かったのよ。認めてしまいそうだから。」
「......じゃあ、何故今日は来たの?」
「だって、一年経ったのよ?いい加減来ておかないと何言われるか分からないわ。」
「...今は、信じてる?」
 レイがじっとアスカの目を見た。レイは相手の本心を探る時にこれをやる。これが見事に当たるものだから、こういう時のレイに逆らう事をアスカはしない。
「正直ね、もう諦めかけてるかも。信じていたいんだけどなぁ。どうしても時の流れにおいてけぼり喰っちゃうのよね。」
「.........そう。」
「...レイは?」
 ちょっと悪戯。今度はこっちが目を見つめて放さない。だがレイは特に気にした風も無く。
「私もよ。今は、お兄ちゃんがどんな声だったか、もう思い出せない。」
「そっか......辛いね。」
「...うん。」
「...行こっか?」
「そうね。」
 二人は身支度を整えると、今一度その石版に視線を移した。
「じゃあ、お兄ちゃん。」
「じゃあね。シンジ。」











時に西暦2017年
少年は今だ帰らない











EPISODE:01

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First edition:[1999/04/01] 

Revised edition:[2000/09/20]