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壱.






 夜だというのに異様な暑さと、体中に纏わり付く湿気が鬱陶しい。
 まあ、地軸が戻りつつあるとは言え、この地で清涼感を求める等この地域に住む者達に申し訳無い。戻ろうが戻るまいが然して変わらないのだから。今だ貧困に喘ぐ人々を世界中で五万と見て来た。クーラーの効く部屋で呑気にアイスでも食べていようものなら、彼等に袋叩きにされても文句は言えまい。そういう所だ。ここは。

 前方、二時の方向。一人。アサルトライフル一丁装備…
 気配で発見した男はどうやら目的の集団の一人らしい。見張りと言った所か。右側方5mにいる仲間が、軽く顎をしゃくり合図を送ってきた。どうやら自分で動く気は無いらしい。もう一人の仲間、左後方8m。目が合った途端に肩を竦めた。こちらも同様らしい。
 胸の内だけで溜息を付き、一気に見張りの後方まで回り込む。勿論気配は消す。足音など立てるのは愚の骨頂。自分の命を火にくべる様なものだ。相手は何も気付かずに煙草など吸ってる。明らかに素人だ。否、自分から見ればだが。彼等が武装集団である事に変わりは無く、事実何人も現地の人間を殺している。一般人にとって脅威の対象である事に変わりは無い。
 銃は使わない。ナイフも使わない。一呼吸で背部へ取り付き、声を出させない様口元を覆う。間は無い。一瞬だった。
 今、自分の腕の中で眠る男の首は有り得ない方向に曲がっている。だらしなく開いた口腔から涎が流れる。それを無視し、音も立てず草叢へと戻る。遺体を目立たない岩影に捨て置く。
 木陰から仲間の居る方を見る。一人は特にこれと言った反応は無く。もう一人は大層感心した顔になっており、それが少し可笑しく思えた。

 少し気まずくて、こちらも苦笑した。





 僅かに。
 コンドルが鳴いたように思う。気のせいかもしれない。
 老人が静かに床-剥き出しの土だが-から一握りの砂を掬い取った。
 彼の名はブル。ラフィング・ブル。この荒野に住み付くインディオだ。民族衣装と黒く焼けた皺の多い顔が、老人であると言う以外、彼の年齢を判らなくしている。名前以外は知らない。隣に居る男も知らないらしい。長い付き合いだとは言っていたが。
 そんな事よりもいいのだろうか?こんな所で寄り道している場合ではないと思うのだが。仕事には行かないのだろうか?何時も強行軍の癖に。だが意に反して、ここの時間は遅遅として進まない。
 老人は砂を掬い取った握り拳を目の前に差し出し、僅かに緩めた。指の隙間から流れる、砂のせせらぎ。
「…どうなんだ?」
「……」
 しゃがみ込んでいる男が聞いても老人は黙したまま、手元を見据えている。僅かに開かれた目蓋から漏れる眼光は鈍い。一瞬寝ているのかもしれないと思う。
 男は急かした癖に、特に苛立ってはいない。変わらずにお気に入りのマールボロを吸い続けている。テントの中はさっきから煙りっぱなしだ。
 男の井出達はいたって簡素な物だ。メキシカンブーツに、ジーンズ。上半身を大きく覆うポンチョは極彩色を放っている。黒にでかでかと髑髏がプリントされたTシャツは、今は見えない。そして極め付けはアタマの上に被った帽子だ。つばは肩幅まで広がり、頭頂は頭の二倍近く高さがある。所謂メキシカンハットと言う奴だ。
 まぁ、言いたい事は判る。彼が言うには「現地の人間に馴染め」と言う事なのだろう。が、余りにも趣味で着てる様にしか思えない。何せこの服を購入する時の顔は嬉々とした物があった。十中八九間違いあるまい。で、今自分も同じ格好をしているのを、取り敢えず男を恨んでおく事で、無理矢理この理不尽さを納得させていた。それでも納得出来ないのは、恐らくここがベネズエラであって、決してメキシコでは無い事であろう。
 やはり理不尽だ。
 老人が僅かに口を開く事で、静寂が震えた。
「…デプイの精霊が騒ぐ…暗き闇の中、羊を求め足掻いている。天の子等が門を開けようとしておる…」
「…どういう事?」
 相変わらず老人御言葉は難解だ。隣の男は解っているのだろう。
「…聞いたままさ。他に意味なんて無い。」
 そう言うと男は立ち上がり、さっさとテントを出ようとする。結局男の言う意味も判然とせず、後に付く。
「鷹よ。」
 不意に、老人が口を開いた。男がテントの入り口で立ち止まって振り返る。
「天空に風が吹く…鷹よ。昇るか?…降りるか?…」
「……身を任せる。」
「………」
 老人は静かに目を閉じた。男もテントを出て行く。自分も後に付いて出た。





 ここは正に秘境だ。魔境と言い換えてもいい。

 ここに住んで居たインディオ達が、この特異で人を寄せ付けない形状故に古くから神秘的な土地とし、この高地を『名前(グアイ)の無い(イアナ)場所』、つまり名前の付けようがない所として『グアイ・イアナ(ギアナ)』と呼ぶようになったのは遥か昔の事だ。
 だが、密林地帯の中から忽然と姿を現す、古生代の古い火成岩が連なるこのデプイは更に太古、凡そ20億年前という地球上で最も古い岩石で出来ている。
 年間を通じて殆ど霧に覆われている為に、未だ正確に航空測量が行われていない南米ベネズエラのギアナ高地。厳密にはコロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ、ブラジルに跨る盾状地の事で120万平方kmに及ぶ。そしてここには、百ヶ所以上のテーブルマウンテン(卓上台地)があると言われているだ。このテーブルマウンテンとは地球最古の岩盤の硬い部分だけが残り、台地状に突出したものなのである。
 今から2億5000万年前、ゴンドワナ大陸は約2億年を要して、現在の南アメリカ、オーストラリア、アフリカ、南極大陸を創り出したのだが、この地殻変動はギアナ高地を中心に起こったという。つまりギアナ高地は微動だにせず、この地殻変動を何億年も傍観していた事になる。
 上空の雲の合間から鋭く切り立つ岩肌を覗かせるのは、ベネズエラ、ガイアナ、ブラジルの三国の国境に位置するロライマ山だ。周りの熱帯林から上昇した水分が、高く聳え立つ断崖にぶつかって雲を造り、その全容を現わす事は滅多に無い。因みにこのロライマ山はコナン・ドイルの小説「失われた世界」の舞台となった所である。
 これらのテーブルマウンテンに近付くことは容易ではない。道等は当然無いしテーブルマウンテンの麓は世界最大級の年間降水量5000mmを超える熱帯林に覆われており、麓に辿り着いても次は標高1000mもの断崖が行く手を阻む。更にいつも周囲は雲や霧に包まれ、天候が変わり易い上に気流が悪く空から近付くことも難しい。人を寄せ付けないこの山々は未だ多くの謎に包まれている。
 『テプイ』とはインディオの言葉で『神々の家』という意味を持つという。白いベールに覆われたその姿を前にして、自分達の力の及ばない、大いなる力が働いているのを感じずにはいられない。世界中のあらゆる奥地に調査が進み、失われつつある現在。その中でギアナ高地は、未だ人の手の及ばない陸の孤島として、今もなおここに在る。

 そして今。自分達はこの滅多に踏み入る事を許さない秘境の一つ。
 インディオ達に「悪魔の山」と畏れられる『アウヤンデプイ』へ入り込もうとしていた。
 無論自力でだ。ジャングル手前、オリノコ河下流から支流の一つのチュルン河まではボートも使えたが、この密林を進む事さえこの地は踏み入る者を拒否してくる。
 まるでそこには何者かの意志でも働いているかの様に思う。

 そう。目に見えない、何か…





 男。
 カムイがベネズエラヘ行くと言い出したのは、セカンドニューヨークから帰って来て直ぐの事だった。

 司狼カムイ。
 それが自分の保護者だ。保護者だと思った事は一度も無いが。何せ似たような歳だ。兄と言った方が近い。
 彼のやる事成す事はいつも唐突だ。なんの前触れも無くやって来る。
「明日の朝一番だ。準備しとけ。」
「準備?」
「決まってんだろ。お前も行くんだよ。」
 この傍若無人さに何度溜息を付かされただろう。もう数えるのも飽きた。今に始まった事では無いが、それでも理不尽に感じるのを止められはしない。更には自分の流され易い性格も少し恨めしい。なんの反論も出来ず結局は付き従う事になるのだ。だからと言ってそう簡単に自分の性格を変えられる訳が無い。人間はその様には出来ていないのだから。
「…で、何しに行く訳?」
「あのな。お前何年俺のお付きやってるんだ?分かれよ。」
 着替えをバックに詰める手を止め、本当に飽きれ返った顔でこちらを見てくる。あのね…また溜息が出そうだ。
「…あのさ。僕は何時からカムイの付き人になったの?それに、何年も何も、僕等はまだ出会ってから一年と三ヶ月しか経っていないんだけど。」
「…そんだけ居るんだったら分かれよ。」
「………」
 何たる理不尽さ。地の底に届きそうな溜息を付いてしまった。溜息は人を老けさせると聞く。なら自分はとっくの昔に呆け老人になっている事になるから、間違いだろう。尤も、精神的にはどうだか分からないが。少なくともこの男の相手は疲れる事だけは確かだ。
 カムイはもう自分に興味を失ったのか、煙草に火を付け咥えたまま、また新たな荷物をクローゼットから取り出す。
「ほら。お前の分だ。」
 そう言って自分に放った黒光りの鉄塊。
 一瞬で弛み切っていた緊張が張り詰めた。
「……どういう、事?」
 分かっている。この男が言う筈は無い。だから答えは返ってこない。筈だった。
「……早く準備しろよ。」
 そう言ってカムイはにこりと微笑んだ。
 微笑んだ…
 いっそう判らなくなっていた。銃が出て来た以上“仕事”である事は判っている。そして現地に行くまで彼はその目的を絶対に口にはしない。黙して語らない。だが、
 何故…?
 今の彼の顔は、そう。何かを企てている時の顔に近い。せっせと銃の手入れを終えバッグに詰め込んで行く。しかし、さっきの彼の顔は何処か自分を安心させる、何か。
「…仕事、なんでしょ?」
「そうだっつってんだろ?明日早いんだからとっとと終らせろよっ。」
 まぁ、どっちにしろ彼が喋る事は無いという事か。どうやら明日はかなり早いらしい。て事は早朝便で移動か?マズイ。もう深夜1時だ。ここシンガポールからベネズエラでは、十時間以上の移動確定だ。碌な睡眠無しでそれはちときつい。
 行くと決めた以上は手の動きも早い。もう手馴れた物だ。さっさと銃の手入れを済ませ、他の荷造りも済ませる。
 カムイはとっくに荷造りを済ませ、既にシャワールームへ直行している。

 なんで、笑ったんだろう…

 眠りに付くベッドの中でカムイの横顔を見た。





 マレーシアでの仕事を終えた二日後早々にシンガポールを出発し、アメリカを経由してこのベネズエラに到着したのは更に二日後の事だ。翌朝、空路でオリノコ川に面したプエルトオルダスへ三時間かけて移動。レンタルしたジープでジャングル手前に着いたのがその五時間後。そして今そのジャングル内に進入してから三時間、移動だけで計六十八時間掛かっている。約三日だ。
 今回は途中何度も泊りゆっくりとした物だが、時には軍用機で地球の裏側へひとっ飛びして、直ぐ仕事なんて強行軍もある。だから今回は比較的楽と言えば楽だ。
 だが、仕事に楽も苦も無い。それなりに危険の伴う、その殆どが人を殺す事を目的とする仕事に、自分はもう慣れてしまっている。
 感覚が、麻痺してしまったのだろうか?
 自分は、変わったのだろうか?

 この地に赴いた目的は、最近少なくなっていた正式な仕事だった。と言っても自分が正式に受けている訳ではない。カムイが受け、それに自分が同行しているに過ぎない。これを知るのは今この場に居る三人だけだ。
 そもそも彼が持ってくる仕事は殆どが自分で勝手に見付けて来て、勝手にやっている物が多い。今回が偶々“本職”だと言う事に過ぎない。自分が本職に付き合うのは今回が三度目だ。自分が来るまでは専ら本職をメインにやっていたと言っていたが、真相は判らない。
 今回彼が仕事を受けたのは、自分の事もあったのだろうし、また彼の興味も多分に含まれているのは確かだろう。
 彼の仕事は、基本的に“本職”も“バイト”も隠密行動が基本だ。否、普段の生活さえ隠密のような物だ。彼に戸籍は無い。無論本籍も。生まれは名前と顔立ちから日本人だと推測は出来るが、その名前さえ本名かどうかさえ分からない。彼は確かに存在はしているが、本来は居る筈の無い人間なのだ。尤も、今じゃ自分も似たようなもんだけど。

 今回の仕事の目的はこの『アウヤンデプイ』に潜む謎の武装集団だ。
 本来、本職の対象は貴重な物や場所に対して行われる事が多い。その過程で戦闘も多分に含まれるのだが。そして今回は珍しい事に対象が人間なのだ。否、組織と言い換えた方がいいだろうか。
 話の経緯はこうだ。
 数ヶ月前、このギアナ高地の近隣住民の消息が途絶えた。特にこのギアナ高地はセカンドインパクト前に国立自然公園として指定されていた。しかしインパクトの世界崩壊後、それも無視され管理する者も居らず、無法地帯と化していた。そして周辺の管理事務所や家屋は、流れ付いた放浪者達に格好の住処となっていたのだ。現在では、そこはささやかな村として機能し始めていたのである。
 ところがその村から徐々に人が消え、外部との連絡が途絶えた。数週間後にはアウヤンデプイ近隣の村村から全ての人間がその消息を絶ったのである。
 そして奇妙な噂が流れ始める。「デプイに人が居る」と言うのだ。勿論それを知る者は少なく極一部の情報屋の手によって流された噂だ。暫くは誰も近付かなくなり、その噂も忘れ去られた頃、やがてそれは異変となって現れた。
 滝が消えたのだ。
 アウヤンデプイの北東に位置する、落差979mという世界最長の滝、「アンヘルの滝」。それが突如として消えたのだ。それは有耶無耶には出来ない無い真実だった。
 異変との関係性を憂慮し、実際にこのアウヤンデプイに武装集団が潜んでいるらしい事を覚ったカムイの雇い主は、急遽その調査任務を決定したのだ。
 本来なら彼等がその程度で動く事は無い。彼等の目的はそこには無いからだ。だが、今自分の隣を歩いている仲間の齎した情報により、それは無視できない対象へと一転した。
 武装集団はどうやら黒ミサを行なっていたらしい。一体この男が何処からその情報を仕入れたかは分からないが、その程度ならば難無くやってのける能力を持った男だったという事なのだろう。自分はその手の事に詳しくは無いが、カムイはかなり事情通らしい。まぁ、でなければこの仕事が回ってくる事も無いだろうが。かくして、彼等のお目がねに適った武装集団の実態調査をこれから行なおうと言うのである。

 結果がどうなるかは分からない。武装集団と黒ミサを行なっていた者達は全くの無関係かもしれないし、近隣住民が消えたのは彼等が勝手に居なくなったのであって、武装集団とは全くの無関係なのかもしれない。勿論、それを確かめに行くのだが、少なくとも相手はかなりの武装をしているらしい。素直に調査協力してくれるとも思えない。少なくとも戦闘は避けられない。
 間も無く彼等に接触する予定ポイントに到着する。戦闘は近い。

 真実如何によっては、彼等の存在を抹殺する事さえある。
 それが彼、司狼カムイの、

 『SPRIGGAN』の使命だ。





 機内でずっと、今回カムイが自分を同伴させた理由を考えていた。

 オリノコ川に面したプエルトオルダスから車で移動し、ラフィング・ブルとの会合を終えた後、現在金鉱の町ラスクラリタスヘと向かっている。因みに服は着替えた。さすがにここから先あの格好は目立ち過ぎる。ラスクラリタスは確かに以前は様々な炭鉱で栄えた町ではあろうが、今の世の中土の中から出てくる資源などたかが知れてる。名ばかりの寂びれた町だ。

 カムイは今だ仕事の内容を教えてはくれない。まぁ、どっちみちまた戦闘になるのは判っているのだ。今更おたつきはしない。
 だが、現地に着いてもまだ教えてくれないと言うのも、おかしな話だ。
 なぁんか企んでそうなんだよねぇ…
 どうせ聞いてもカムイが喋りはしないだろう。彼が相手では大人しく処刑台に上っておくしかない。

 視線を外に向ける。
 風景にさっきから変化は無いが、道路は勢い良く流れている。時速…130kmってとこか。とばしてるなぁ…
 荒れた大地。広がる荒野。真直ぐと伸びるハイウェイ。何も無い。
 自分はこれとよく似た光景を知っている。
 誰も居ない。
 まるで、異世界…

 思い出したくは無い。辛い、記憶…

「着いたぞ。」
 不意に現実へ引き戻された。遠くに町が見える。勢い良く止まったのはラスクラリタスの郊外。
 路肩に車を止め、カムイは車を降りた。不審に思うが取り敢えず自分も降りる。着いたと言う以上、何等かの目的があるのだろう。
「…何かあるの?」
「あぁ。」
 曖昧な相槌をついてカムイは懐から煙草を取り出した。紫煙がたなびく。午後一時。中天には我こそ天の支配者と云わんばかりに太陽が輝いてる。暑い。軽く四十度は超えているだろう。
 カムイはただじっと車の脇にしゃがみ込み、寄り掛かって煙草を吹かしている。
「…ねぇ。何やってんの。」
「煙草吸ってる。」
 平気でこういう事を言うから性質が悪い。目付きも悪いが。
 結局反論する気も起きずまた黙り込む。絶対判っててやっているんだろうなぁ…
 玩具にされる自分が何となく哀しい。

 唐突にハイウェイの向こう、自分達が今走って来たプエルトオルダス方面から一台の車が走って来ていた。
 かなり飛ばしている様だ。土煙を立てあっという間に近付いて来たのは白のランクルだった。こちらもまた急ブレーキで自分達の目の前に止まった。辺りを埃っぽい煙が舞う。
「おっせーよ、ったく。」
「え?」
 呟いたカムイは、言葉の内容とは裏腹に満足そうに立ち上がった。
 エンジンが掛かったままのランクルに自分も視線を合わせる。
 男が降りて来た。
 後ろで縛った髪の毛、だらしないシャツと、全くアイロンを掛けて無さそうなチノパン。そして…

 そしてあの印象的な、飄々とした顔の不精髭。

「よっ。元気そうだな。」

 一年振りの再会だった。

「………」

 相変わらずの昼行灯ぶりに、開いた口が塞がらない。
 いや、驚いているだけなのだが。
 慌ててカムイを見る。してやったりの表情。はめられた。
「……だ、騙したね、カムイ…」
「騙しちゃいないさ。言わなかっただけだ。それに仕事はこれからだ。」
 がっくり頭を垂れる。疲れた…
 駄目だ。この人の相手は疲れる。
 だが…
「どうした?久し振りの再会だろうが。もう少しかんどーしてやれよs?」
 にやにやと、だが優しい視線の意味がようやく判った。
 まったく。この人は…

 振り返って、男に向き合う。

「……御久し振りです。加持さん。」

「あぁ。君も、元気そうだな。シンジ君…」





 今日は2017年3月21日。

 久々に、呼ばれる名だ…

 碇シンジ。

 そう…

 僕はまだ…生きている…






復活祭






弐.






 この地を訪れたのはニ年振りだろうか。
 輝く街の光に、不意にあの日の記憶が過ぎる。しかしそれも数瞬で紫煙の中へと煙って消えた。

 自分がここに訪れたのは他でもない。用件の相手がここに来ているからに過ぎなかった。用向きが急ぎでもなければこれ程急く事も無かったのだが、見付けてしまった以上は仕方あるまい。その為にこのホテルへ来ていた。
 尤も、アポ無しだが…まぁ、それはいつもの事だ。
 それにしても、結構な数の目と耳が残っていた。主もまだまだ甘いな。便利なものに慣れすぎではないのか?

 眼下に広がる光の渦。人の命の灯火の様に、瞬き、潰え、弛たい、流れる。摩天楼。何時も思う。ひょっとしてこの儚い光景は幻ではなかろうかと。全てが幻で、実は自分自身もここには在らざる者。本当の自分は暖かいベットで毛布に包まり、まどろんでいるのではないかと。全てが夢で、自分は目覚める事も無く、ずっと、ずっとこうして夢の中で生きているのだと。

 不意に意識が覚醒する。
 否。自覚する前に身体が反応しただけだ。人が来る。時計を見る。午前一時。足音が近付く。崩れかけた灰を灰皿へ落す。再び咥え紫煙を吸い込む。ドアが開く。視線だけを向け、主人を出迎えた。
「……」
「……」
 主人は間抜けに口を半開きにして、ドアノブを握り締めたまま固まっている。いい加減慣れれば良い物を、毎回毎回よく飽きないな。そう思いつつも口には出さない。それはそれで楽しみでもあり、嬉しい反応だ。
「早くドア閉めて座ったらどうだ?素人さんを巻き込むのはマズイだろ?」
 主人は漸く我を取り戻しドアを閉めると、明らかに憤慨した表情でつかつかと肩を怒らせてこちらへやって来る。まぁ、これも何時も通りの反応だ。久し振りに会った主人は中々にめかし込んでいて、何時もの妖しさを感じない。
 主人は自分の目の前で仁王立ちになると、ぐぐっと顔を近づけ口を開いた。あれ?香水変えたのか?にしても、近付き過ぎだろ?キスしちまうぞ?
「一体今まで何処をほっつき歩いていたのかしら?」
「まぁ、ぼちぼちとな。」
「…何がぼちぼちなのよ。こっちは今まで以上に火の車なのよ?猫の手も借りたいこの時期に、のんびり隠居生活とは良い度胸してるのね?」
「…御嬢。こっちだってそれなりに事情があってだな…」
 突如顔が強張る。と言うか強張らされた。主人の両手がしっかと自分の顔を挟み込んでいた。
「……」
「……」
「…御嬢は止めなさい。」
「…ふぁい。」
 主人は直ぐに手を離してくれた。基本的にはそれほどしつこい性質ではない方だ。尤も今両頬には真っ赤な手形が御土産として残されてはいるが。ま、こんな所も可愛い所だ。
 一見して少女と見紛うその風貌にも関わらず、卓越した頭脳でニ百数十の企業を傘下に置き、今やGNPの三分の一を稼ぎ出す財団の創始者で、尚且つ彼女が不可思議な言語を操る齢三百を超える魔女だ等と、一体誰が信じようか?
 一方でこうして紛う事無き少女の反応を見せる。それが彼女の人間としての魅力なのだと知っているのは、おそらく世界中で自分と後二人だけであろう。
 自分が「御嬢」と呼ぶと、彼女は必ず“照れる”。自分が最早世俗とは遠く離れた存在なのだと判っている癖に、やはりそう呼ばれる事を望んでいる自分を恥じ、しかし、望んで止まない。
 在る意味。淋しい女なのだ。それを知ってるのは、俺だけか。
 辛うじて頬を染めるに止め、こちらを睨んでいる彼女を見やる。
「……」
 そっと。頤に手を添え、唇を寄せた。

「…元気そうだな。ティア…」

 ベランダ窓に散らばる極彩色の粒の中、影は重なった。





「…ちょっと、今何て言った?」
 矢庭にティアが声を上げた。彼女の肌はまるで十代の様な張りのある…否、そういう存在なのだ。今の彼女は。だから一々そんな事を気に掛けはしない。ただ引き寄せその温もりを感じる。それが例え自分にとっての偽善であったとしても。欲に溺れている方が、余程人間らしい。それは彼女も承知の筈だ。
 だからなのか?吸い込む紫煙同様、吐き出た物は苦味と素っ気の無い台詞だった。
「だから、クリスタル・スカルを見付けたと言った。」
 ティアは数秒こちらの顔を見つめた後、自分の腕とベットから抜け出し、素っ裸のまま部屋の隅へ。う~ん、相変わらずイイ身体してんなぁ。テーブルの上に置いてある、古めかしい小さな木箱を持って戻って来た。
「これ。今日貰ったわ。」
「貰った?」
 自分の疑問に主人は応えない。要するに見ろという事か。錠は掛かっておらずあっさりとその蓋を開いた。
 思わず口笛を吹いてしまった。空かさずティアが入手ルートを明かした。
「加持リョウジ。国連特務機関Nerv情報調査部長。彼からの贈り物よ。」
「…何だ。俺と会う前に別の男と密会か?」
 冗談めかして言ったつもりだが、どうも自分は演技が下手らしい。本気で取ったティアは頬を桜色に染め、慌てて否定して来た。
「ば、馬鹿っ、違うわ、仕事よっ!」
「……成る程。加持か。なら納得だ。」
「だ!だから違うわよっ!!」
「こっちだ、こっち。」
「え?」
 木箱から取り出したのは、紛れも無く“水晶の髑髏”。暫しの間の後、ティアはベットにちょこんと正座し、髑髏をじっと見つめ始めた。しかし…そのリアクションは三百歳の…いや、止めておこう。
「…贋物…」
「って、おいおい。気付かなかったのかよ」
「…一瞬しか見なかったから。」
「それでもSPRIGGANかよ?」
「…悪かったわね。」
 膨れる所もまぁ可愛いのだが…案外、演技ではなく素かもしれない。何時の間にか視線は髑髏ではなく自分に向いていた。
「で、あなたの方は間違いない訳ね?」
「当たり前だ。ま、偶然だったけどな。」
 シンガポールの密林奥深く。とある洞窟にひっそりと安置されていたクリスタル・スカル。
 “水晶の髑髏”
 『オーパーツ』(OUT OF PLACE ARTIFACTS)と呼ばれるそれ等は、当時の加工技術では決して作る事の叶わぬ古代文明の遺作。だが、大英博物館に展示されている物を始め、世に知られるそれ等は全てがレプリカであり、只の贋作に過ぎない。所が稀に発見される髑髏の中に、本物のオーパーツが存在する。
 水晶以外の特殊な物質で出来ているそれ等は、ある種の強大なエネルギーを保有しており、今現在に三つの髑髏が発見され、全てアーカムによって封印されている。アーカムの実験で判明したのは、掌に乗るほどの小さな髑髏が、ある一定の振動を与えると、最大2億ジュールという莫大なエネルギーを発生させる、言わば核以上のエネルギー融合炉であると言う事実だった。
 アーカムではこのオリジナルの水晶の髑髏を、レプリカとは区別し『クリスタル・スカル』と呼ぶのだ。
 そして今回、自分が偶々手に入れたクリスタル・スカルは、紛れもなく四つ目のオーパーツだった。
「で、今何処に?」
「そこにある。」
「え?」
 振り向いたティアの視線の先にあるのは、さっきまで自分が来ていたジャケットのポケット。妙に膨らんだその中身は、然して、「元祖水晶の髑髏」である。
「…あ、相変わらず無防備ね…」
「俺程の頑丈な金庫は有るまい?封印は任せる。」
「ハイハイ。了~解。」
 如何にも不貞腐れてますと言った顔で、そそくさとベットに潜り込み、ピッタリと身体を寄せてくる少女。最早飽きれるしかない。
「ねぇ?…知り合いなの?彼。」
「あぁ、昔、戦場でな。腐れ縁だ。」
 急に頭を抱え込んで蹲るティアに少々驚く。気分でも悪いのか?
「あっっっの昼行灯っ!騙したわねっ!!!」
 …成る程。アイツならティアを手玉に取っても可笑しくはない。尤も仕返しの恐さを知っていたら、とても出来た芸当ではないが。加持、短い付き合いだったな。
「ま、相手が悪かったな。で、身包み剥されたか?」
「…あのね。ふぅ…仕事よ。Black・Howling。」
 それこそ唐突に。少女の瞳は主の瞳へと変わっていた。
「ギニア高地に行って欲しいの。」
「……ほう。『デプイの怒り』か?」
「?!…知ってたの?ずっと隠居だった癖に。」
「情報収集は全ての基本、だろ?で、別に他の奴だっているだろ?俺は今ちぃと手が離せないん…」
「どうも怪しいの。彼の情報を信じればだけど……どう思う?」
 そう言って彼女が取り出したのは一枚の写真。
「…ミサ…にしちゃぁ場違いだな。」
「ええ。」
 そう。ここに写っている集団の様相は、一貫して『黒ミサ』なのだ。しかしこれが行われていると言うのが、南米ベネズエラでは、些か不具合が多い。どうせやるならマヤか、インディオか。その方がしっくり来る。
「…気になるな。」
「この手の仕事をこなせるのは、今のアーカムじゃ私と百歩譲って彼方位だわ。ジャンじゃ畑違いだし、朧はもう降りては来ない。私は今の仕事から手は離せないし、他の連中は体力ばっかでダメね。」
「…やれやれ。SPRIGGANも質が落ちたもんだ。手ぇ抜いてんじゃねえか?御嬢?」
 静寂。 
「……もう一つ。」
「無視するな。」
「はいはい。で、彼が同行したいそうよ。」
「…加持が?」
「えぇ。」
「……」
 ふむ。そう言う事か…
 ならば…
「何?」
「あぁ。ちょっとな。それより、どういう風の吹き回しだ?」
「?何がよ。」
「Nervだ。」
「あぁ。アーカムの総意よ。」
「…今までは無視を決め込んでおいてか?」
「仕方ないわ。あそこまで表に出てしまった以上、今更封印は出来ない。」
 まぁ、そうだが。しかしそれは自分の求める、納得行く答えではない。
「御嬢はどうなんだ?」
 暫しの間。ティアは目を瞑り何かに耽った後、何処か遠くを見つめた。
「…そうね。私も、今回の件に付いてはかなり悩んだわ。でも、あの日に全ては決まっていたのかもしれない。」
 郷愁が何を意味するのか?聞き及んではいるが、見て来た訳ではない。彼女達にしか判らぬ思い。
「賭けてみたくなったのよ。人間は、ひょっとしたら、進化の兆しを見せているんじゃないか?って。」
「…随分と勝率の低い賭けなもんだ。」
「そうね。でも、やっぱりそれを決めるのは私じゃない。アーカムでもない。なら、何時か人類は挑戦しなければいけない日が来るんじゃないかしら?」
 少女の、純粋過ぎる目が、突き刺さって来た。返事に気は入らない。そう言う熱い情熱はどっかに置いて来た。
「…それが今だと?確証は?」
「……碇シンジ。」
 …くっ、くっくくくくくくくくくっ…
 内心だけで笑っておく。全く…世話の焼ける嬢ちゃんだ…
「奴は死んだ。」
「行方不明よ。Nervの人達も彼が帰って来ると信じてる。だから賭けたのっ。」
 熱いねぇ…
 ここまで力説する彼女は見た事がない。クールで、冷徹で、綿密で。その彼女にこんな一面があったとは。
「それで全面援助って訳か?で、抜け目無いお嬢としては、Nervをしっかり管轄下に置こうって訳だ。」
「し、失礼ねぇ…万が一を考えて、よ。」
 照れるティアを横目に苦笑しながら、新しい煙草に火を付ける。
「しかし意外だね。他人を信じるのはもう懲りてたと思った。」
「あっ!?…あれは、ちょっと気を抜いちゃっただけよ…」
 どうやら本人も懲りてはいるらしい。まぁ、そうだろう。
 実はアーカムは一度、企業上がりの野心家によって、「乗っ取り」の憂き目に遭い掛けているのだ。まぁ、結局は“死んでいた”初代会長が復帰し、事無きを得たそうだが。その時に発動されけた遺跡の処理の方が大変だったらしい。
 汚名は内々にもみ消され、歴代アーカムの会長は総じて女ばかりである。しかも若い。会長は必ず二十代後半になると突然に退役し、新会長が選ばれる。それも何処からとも無く、一七、八の小娘がである。僅か十年そこそこで入れ替わるのだ。所が誰もそれに逆らう者は誰一人いない。最早アーカムの伝統行事である。だからアーカムの歴代会長は一般会社より遥かに、多い。
 まぁ、それでも混乱が起らないのは、圧倒的カリスマの持ち主しか会長には成り得ないからであるのだが…
 真相を知る者にとっては茶番でしかない。何せ中身は“初代”から一向に変わって居ないのだから。
「それよりっ。仕事は受けてもらうわよ?」
「あぁ、判ってる。」
 煙草を揉み消しシャワールームへと退散した。

 さて、どうしたものか…





 シャワーから上がると入れ違いにティアがバスルームへ消えて行った。
 擦れ違いにキスをせがむ当たりは、さながら恋する乙女って奴だ。まぁ、彼女の願いは知っている。だからこその関係か。精一杯そこに幸せを感じたがる彼女には、やはり同情を禁じえない。
 今思い出すと、初めて出会った時の第一印象は「いけ好かない女」だった。今はそのギャップが可笑しくて堪らない。彼女とは一体幾つ離れているのか。自分と彼女では歳も性格もまるで噛み合わない。
 ふと思い立った。
 自分等、生きて来た正確な証さえない。それを埋め合う為の、馴れ合い、か。
 煙草とジッポを取り、ソファに深く体を埋める。

 ジッポの蓋を開けた時のオイルの匂いが好きだ…危険に満ちている…
 マールボロの強さが丁度心地よい…紫煙が自分を隠してくれる…
 アルコールは強ければ強い方が良い…俺という存在が薄れる…
 硝煙の匂いは堪らない…火花が飛び散る瞬間自分はそこに居ない…
 戦場の喧騒と静寂と緊迫感が忘れられない…生と死の境界に居る事が身体に染み付いている…
 敵兵の咽を掻っ切る瞬間は快感が走る…恍惚の表情を浮かべる自分が居る…
 血の赤は綺麗だ…意識が解放される…

「……フッ…」
 自分の中に潜む凶悪な衝動に、今更何の感慨も受けない。
 これが自分と言う存在。ずっとそうして生きて来た。こういう生き方しか知らない。死と隣り合わせでなければ、生きた心地さえしない。
「…イカレてるな…」
「何?」
 何時の間にかティアはタオルを身体に巻き付け、髪の水気を落としながらバスルームから出て来た。
「何でも無い。」
 適当にあしらう。結構長い時間妄想に耽っていたようだ。最近ではそうでも無かったがな。
「忙しいか?」
「え?なに?」
 ドライヤーを掛け始めた彼女には聞こえなかったらしい。肩口まで切り揃えられた黒髪が熱風に吹き飛ばされ、水気を飛ばして行く。
「仕事だ。忙しいか?」
「んー…」
 少し声を荒げると、彼女は有耶無耶な返事を返して、ブロウを早々に切り上げた。室内が静けさを取り戻す。
「まぁ、そこそこにね。何と言っても今まで有り得なかった形での遺跡…と言うよりは古代人そのものと言っ
た方が正確かしら?まだまだ未知の部分が山の様にあるわ。正直扱い切れる物かどうか不安だけど、でも、職員達はやる気十分って感じね。」
「そりゃそうだろ。何より実際に使えているモノだしな。科学者冥利って奴じゃねぇのか?」
「でしょうね。でもそれ以外の見地でも興味深い代物よ。」
「?」
「宗教・密教・伝奇・神話・進化論・生物学…etc.etc.上げれば切りが無いわ。」
 そう。人類の全てを根底から覆す証。『神が創りしモノ、ANGEL』そして…
「……人が創りしモノ、EVAか…」

「ねぇ?乗ってみる気、無い?」
 唐突なそれを理解するには、暫しの逡巡があったのは確かだ。
「…何を?」
「だから、EVAよっ。」
 まぁ、解っていて聞いたのは、少なからず気後れしたからだが。
「…俺がか?」
「そうっ。」
「…EVAに?」
「そうよ!」
「…何で?」
 大方彼女が考えている事は分かっている。EVANGELIONという奴は、何でも乗り手を選ぶそうだ。その確率は大層低く、セカンド・インパクト以後に出生した者で無いと、適性は有り得ないらしい。まぁ都合良く、自分もその圏内に入っている様ではあるが。
「彼方だってシンクロ出来る可能性が有るわっ。それに、知りたいのよ。EVAそのものが皆同質なら、結局最後はそれを制御するチルドレンの資質差によって変化する筈よっ!もし彼方の様なTOPクラスのSPRIGGANがEVAに乗ったら…」
「断る。」
 一人盛り上がるティアを一言で制止し、煙草の火を揉み消す。彼女の説得は、まぁ、半分が本音だ。もう半分は異なる。それは『WITCH』ティア・フラットとしての、ある意味復讐心から来るものだ。表向きはそうでも、彼女自身両手を広げてNervを信用している訳では有るまい。何某のイレギュラーも有れば裏切りだって有り得る。いざと言う時の為の、カードが必要だ。それも最強のカード。
 しかし。それは随分とあやふやな、何時切れてもおかしくは無い綱渡りと等価だ。何時もの彼女ではこういう事は有り得ない。緻密で抜け目無い罠を張り巡らせている、何時もの彼女ではない。
「……何故かしら?」
「一つ。御嬢のその魂胆が気に食わない。」
 僅かに肩が震えたのを見逃す筈も無い。まぁ、自分で分かっているだけマシだ。
「二つ。俺は機械が苦手だ。」
 今の震えは全く別種だ。煽ってるんだからそういう反応でなければ困るが。
「三つ。俺よりベテランが傍に居る。態々俺が乗る必要も有るまい。」
 今度は流石に疑惑が先に立ったようだ。
「…ベテラン?傍?」

 取り敢えず。爆弾は早めに落しておく事に決めた。

「碇シンジ…俺が預かってる。」

 かくして主は…十分以上は静かなものだった。

「な、ぬぁあんですってーっ!?」





 大した理由は無い。偶々戦場で戦い、偶々戦場で共に戦った仲に過ぎない。
 ただ、向こうは俺の技量に、こっちはあいつの考え方に、一目置いていただけだ。

 突然。何の前触れも無く山猫はやって来た。正直驚きはしたものの、彼の情報収集力を考えれば不思議ではなかった。

「…悪いが、暫くの間この子を預かって欲しいんだが。」

 開口一番これである。サード・インパクトとやらが起きたと世界中が大騒ぎしている最中の事だ。そんな在ったんだか無かったんだか分からん様な事より、今を生きる事の方が俺には重要だった。だから始めは無視するつもりでいたのだ。余計な荷物は必要無い。それ程奴に貸しを作った覚えは無いし、あるのは寧ろ向こうの筈だ。
 だから、彼、加持リョウジが何故恥の上塗りに来たのか、その理由位は聞いてやろうと思った。尤も俺はその時彼に、「勝てない勝負はしない」という確固たる持論があるのを、すっかり忘れていたが。

「この子は、碇シンジ。今世界中で話題の当人だ。」
 聞いていきなり後悔した。そもそも招き入れたのが間違いだったかもしれない。俺でも気を抜いてるとこの有様だ。ティアでは彼に良い様に掌で遊ばれるような物だ。厄介事はゴメンだと思ってはいたが、ここまで最大級のモノを持って来るとは想像だにしなかった。

 少年を見た。
 何処にでも居そうな、気の弱いナイーブそうな普通のガキだった。まぁ、俺とて彼より一つ二つ歳食っただけだが。第三の情報は以前からアーカム経由で見ていた。その中に彼の写真も当然あり、確かに見覚えの有る顔ではあった。ただ一つ。眼の輝きだけは、その時とは明らかに異質の物だった。
 一つだけ。確認しておく事があった。

「…何故、ここに来た?」

 瞳の輝きが一瞬陰る。少年は暫く考えを纏める様に黙し、口を開いた。

「…僕は、沢山の人を傷付けて、沢山、沢山殺してしまいました…もう、生きているのさえ嫌になった…」
 少年は唇を噛み締め、懺悔の言葉を紡ぎ出して行く。
「…僕は、何もかも嫌になって、結局逃げ出して…そして最後には、全てを、壊した…最後の最後で思い止まったのは、それも単にそこから逃げ出したに過ぎなかったんです……何もかも自分で逃げた癖に、一番傍に居たアスカを、結局殺そうとさえした…」
 煙草に火を付ける。少年の懺悔は終わらない。
「…自分の醜さに気付いた…それと同時に、彼女が好きだった自分にも…」
 紫煙に煙る空気の中で、少年は膝の上の拳を握り締め、肩を戦慄かせる。
「情けなかったっ!…自分の行ないも、彼女の事を思い遣れなかった事もっ!!…」
 手の甲に落ちる滴に、どれだけの思いが込められているか。それは俺には関係は無い。それは少年だけの物だ。
「…僕は馬鹿だし、何が出来るかなんて分かりません…ただ、皆生きてるって知って、初めて思ったんです。」
 少年の顔が初めて自分を見据えた。
 真摯な瞳だった。
「僕の好きな人達を、守りたいって。」
 正直、羨ましくも思う。自分には無いモノを持っているこの少年を。
 若いねぇ…
「僕の手はもう一度汚れています…多分、世界で一番…今更、臆しはしません。ただ、今のままじゃダメだと思うから…そしたら加持さんが、彼方なら適任だろうって…」
 何時の間にか少年の口調は元に戻り、何処か照れている様でもあった。

 フッ…
 何が俺をそうさせたかは、今でも分からない。その程度で、とも思う。何せこっちは地獄で一生暮らしている様なものだ。只、直感的な何かが俺を突き動かしたのは確かだった。
「加持。高く付くぜ?」
「一生掛かりそうだな。」
 加持の奴は冗談交じりでそう言ったが、甘いな。俺は十分本気だ。

 少年、シンジは立ち上がって、深々と礼をした。

 正直シンジがここまで成長するとは、俺でさえ予想してなかったのだ。完全な予定外である。

 先ずは銃を握らせた。手始めにSOCOM。Heckler&Koch社製のハンドガン。始めは臆した顔付きで引き金を引いていたが、数刻もすれば眼の色が変わっていた。集中力が尋常じゃないのだ。コツを掴むのに然程時間は掛からず、呆気なくターゲットのど真ん中を打ち抜いた。
「EVAに乗ってた時は銃なんて全然当たらなかったんだけどな…」
 当たり前だ。銃というのは見た目以上にデリケートだ。情緒不安定なインターフェースを通して扱える程甘くは無い。マズルジャンプや軸線軌道の微妙なずれ。それ等は100%自分自身で感じ取らなければ、そうそう的に当たる様な物では無い。
 それにしてはシンジの上達速度は並ではなかった。尤も倉庫にあったハンドガンを一通り撃たせた後の彼の感想、
「これが一番良いかな?」
 と、外見に全く似合わない50口径デザートイーグルを選んだのには、流石の俺も閉口した。

 銃器だけではない。格闘訓練にも同じ事は言えた。
 俺自身が教えられる事は少ない。何せ実戦向き、否。実戦でしか役に立たない、全くの独学による殺人術。自分が元から学んでいた截拳道に加え、師から学んだ戦場で生き残る術。そして実戦から学んだものが全てだ。
 格闘訓練はNervでも受けたとシンジは言ったが、俺から見ればお子様の御遊戯にしか見えない。殺してくれと言ってるような物だ。そう言うと、シンジは自身に常にハードトレーニングなメニューを立て、黙々とこなしていった。
 彼が急成長を遂げた原因の一つに、成長期だったと言う幸運が上げられるだろう。人間と言う奴は面白い物で、成長期に受ける外的刺激は、色濃く身体に反映される。
 事実シンジの身体はここに来た時の子供の体から、男も大人も通り越し戦士の物になっていた。

 そしてナイフだ。接近戦でこれに勝る武器は無い。
 格闘が漸く形になり始めた頃、メニューに加えた。体裁きは徐々に身体に染み付いて来た為か、そこそこ形にはなっていたが、やはり扱いが素人に近い。
 EVAの戦闘でナイフは使い慣れていたとは言っていたが、如何せんその使い慣れたと言うのが曲者だった。一度憶えてしまうと、人間の固定観念を崩すのは非常に難しい。ナイフは手に持って振り回す物だと思いがちだがそうではない。いざとなれば手裏剣の様に投げ飛ばした方が、一撃で急所を狙えたりもする。
 これを突き崩す為に、荒療治を講じた。手首を切ってやったのだ。恐怖と言う感情はある種闘争本能のトリガーを引く役割を持つ。追い詰められた虎は何をしでかすか分からない、と言う奴だ。逆に今はそれが欲しかった。
 その夜シンジに夜襲を掛けた。多少手を抜きはしたものの、殺気までは殺さない。寧ろ全開にしてやらないと意味は無い。案の定、キレたシンジは凄まじかった。風である。その流れ止まぬ烈風とスピードには、危うくこちらが切り殺される所だった。

 おそらくシンジは完全なオールラウンドタイプなのだろう。その場その場の状況に応じ、臨機応変に対応し活路を見出す。そしてその対応こそが、彼独特のどんな相手であろうと避け様の無い決定打となって返って来る。
 偶に居るのだ。こういった奇跡的な才能の持ち主が。これではこっちの立場が無くなると言うものだ。

 シンジは更に面倒な事を言い出した。
「勉強がしたいんだけど。ダメかな?」
「……」
 まぁ…俺に学が無いのは致し方ないとして。
 身を隠す身分でのそれには正直頭を悩ませた。仕方なく“然るコネ”を利用し、その人物に秘密裏に御願い申し上げた所、比較的喜んでそれを引き受けてくれた。言うまでも無くコネはアーカムであり、ティア相手に口を開く心配が無いという条件で思い当たったのは、アーカムが誇るオリハルコンの権威。メイゼル博士と、助手のマーガレット女史である。
 仕事の合間を見ては彼等の所へ赴き、学びを乞うていた。長期的に合えなくなる時は、その分のテキストを纏めて持ちかえり、次に会う時に再復習と言う訳である。専ら面倒を見てくれたのはマーガレットの方らしいが、メイゼルの爺さんの方も久々に骨のある教え子が出来たと喜んでいた。
 シンジは日常訓練を休む事も無くそれ等をこなし、終いには通信教育制度を利用出来るケンブリッジ、オックスフォード、MITの三校同時入校、飛び級を果たし、半年も満たない内にオックスフォードからは、国際法に関する博士号までもぎ取って来た。勿論これらは全て偽名で行なわれている。加持の助力もあり、後々実名への切り替えも出来る事になっている。
 この面に関しては、俺は何も言う事は無い。唯一度だけ、何故そこまでして学びたいかと問うた事はある。
「もし、あそこに戻る事が出来たら、きっと必要になるだろうな、と思って。」
 その真意は計り知れない程重い事だろう。まぁ、シンジならそれも可能かもしれないと、それ以上聞く事はしていない。

 ありとあらゆる戦術訓練の“いろは”どころか“ほへと”まで教え込み、でっかいオマケも付けて僅か一年半で出来上がったのは、並のSPRIGGANさえ凌ぐであろう『SOLDIER』だった。





「どうも加持は本格的にシンジに惚れ込んでるらしい。確かにあの才能は稀に見るもんだ。だから俺に預けに来た。暫く世間の目から離す為にな。滅多な事ではこの一年ちょい全く、加持とさえ連絡を取ってない。大学受験の時位か。サード・インパクトとかNervの実情に付いては、本人から直接聞いたし、最近の事はアーカムのホストからも仕入れられるし。まぁ、大方の事は熟知してる。まぁここ一ヶ月位はメイゼルんとこも行ってないし、ずっと二人で彼方此方バイトしてたからな。連絡も取れなくてお前の所に来たんだろう。」
「…バイトって…」
「傭兵部隊。」
「…アナタって人は…ったく…」
 一通りの説明を聞き終えた主はがっくりと膝を折り、ベットへと突っ伏した。
 かと思った途端に彼女が跳ね起きる。
「アナタねぇ!!判ってるのっ!?仮にもあのっNevr総司令の一人息子よっ!?世界の救世主よっ!?そ、それを…」
「…勘違いするなよ、ティア。」
 ゆっくりと煙草の火を点す。紫煙の燻りよりも、別の何かが胸中を燻っている。
「それを望んだのは加持でも俺でもない。アイツ自身だ。」
「だ、だからって…そんな…」
「なぁ、ティア。俺達は確かに人殺しだ。それこそ数え切れない程の人間を。でもな、だからと言って俺達は人間である事を止めてるか?ま、俺は辛うじて止まっているって感じだがな。少なくともアイツは純粋な思いを成す為に、自らの掌さえ血に染めている。それは、悪い事か?それを決めるのは俺達じゃあ無い。シンジとアイツの周りにいる奴等だ。」
「…カムイ…」
「…御嬢は、良くやってるよ。皆認めてる…」
 彼女だって無傷で生きて来た訳ではない。皆、何かしら傷を持って生きている。心に。
 だから今は。そっと、少女の肩を抱き寄せた。

「…へへっ。泣いちゃった。」
 まだ少し潤んだ瞳を向け、少女は顔を上げた。
 …幼児退行気味だろうか?…
「ま、そういう訳だ。新しいチルドレンも選出されたんだろ?だったら今更…」
 他人の膝の上できょとんとした表情で座っているのは、意外にも間抜けである。
「ダメよ。だってシンジ君には初号機が有るもの。それにそのチルドレンは今は予備役。新しい機体はこっちで用意してるけどまだ先の話しよ。」
「…それこそ俺の出る幕なんか無いじゃねぇか。」
 ニヤリと微笑んだ少女は顔を近付けて得意満面の笑みでのたもうた。
「なぁんだ。情報が基本だ!なんて言う割には、肝心な物が抜け落ちてるじゃない。」
「…な、何だよ。そりゃ…」
 少し引きが入った自分を無視し、齢三百の少女は膝から飛び降りると、ベットに向かった。
「OK.OK.じゃぁ、シンジ君は今回の仕事には同行させるのね?」
「あぁ、そのつもりだけど。何だよっ?肝心な物って…」
 毛布の中に潜り込んだ少女は、天井を見上げながら不気味に表情を歪めていた。
「あぁっ!あたしこういうの大っっっっっ好きっ!!とっとと仕事終らせてあたしの所に来なさいよっ?勿論っ、シンジ君もね♪フフッ、フフフフフフフフフフフフフフフッ♪」

 少女の無気味な笑いは、直に静かな寝息へと変わっていった。

 …はぁ…
 ま、加持にでも聞いておくさ。

 眠らない摩天楼を眺めつつ、深く紫煙を吸い込んだ。

 薄闇と揺らめく紫煙の中、俺の意識はゆっくりと、霞の中に埋もれていった。
 









参.






「ったく。へましてくれるよなぁ。」
 普通、失敗を侵す事が多いのは、経験の少ない年若い者であり、それを叱るのは年輩者の役目だ。
 が、今この場ではそれはすっかり入れ替わり、若輩者が年輩者に対し叱咤していた。それもかなり嘲った口調で。

 生い茂る密林の中を幾筋もの銃弾が飛び交った。
 最初の見張りをシンジが倒して更に奥へ進む事25分後。ほんの少し気を緩めた加持が敵のトラップに掛かり敵に感付かれた。
「もう歳なんじゃねぇの?」
 思わず噴出しそうになる。この青年---否、男は何処であろうと変わらない。いや、違うな。彼にとっては寧ろここに居る事こそが、当然であり自然なのだろう。足を放り出し岩場に背を預け、だらんと脱力したその姿からは、緊張などは欠片も無い。見上げる空に何を見ているのか。
 自分ではそこまで出来ない。諜報活動位なら何時もの昼行灯も押し通せるが、戦場でここまで気を抜く事等出来ない。
 常に傍にある生と死の境界線。
 そんな場所で平然と、まるで縁側で日向ぼっこでもしているかの様に平然としている。この男は。真似など出来る筈も無かった。しかし自分とてやり手のスパイとして修羅場を潜って来たのだ。昨年のSEELE掃討作戦だって指揮をとって見せた。が、どうにも自分が野戦向きでは無いと自覚はしていたが、彼等に付いて行ける事はあっても、まさか足を引っ張るような事等有り得ないと思っていた。実際には引っ張ってしまったのだが。
 それをこの男は一言で失笑に臥す。
「そうか、加持ももう引退かぁ。」
 この様に。まるで普通の世間話である。加持は苦笑でしか返せない。実際、自分はもうこの手の仕事に従事するのは、これが最後だろうと踏んでいる。後は古巣へ戻り、少なくとも彼よりは真っ当な職に就くつもりだ。確かに、歳だろう。もう三十一だ。この世界から足を洗って、生きて生涯を全うするなら、この辺が引き際である。それが多少危険が伴う職だとしても、この境界線上で生きていくよりは断然ましだ。
 さて、アイツはなんと言って迎えてくれるだろうか。ま、打ん殴られるのだけは覚悟しとくか。

 藪に身を潜める三人を追う影は、三十四。意外と多かった。大した仕事でも無いと高を括っていたが、どうやら相手はそれなりの規模を持っているらしい。着実にこちらに近付いて来ている所を見ると、それなりの訓練も受けているだろう。完全に気配を消した三人を、間違い無く追い詰めて来る。少なくとも一介のプロ以上のレヴェルで無ければ出来ない事だ。
 振り切るのを諦め、小声の世間話をしながらも、索敵を止める事はしない。敵の人数・配置・装備。気配だけで全てを読み取る。最早呼吸するにも等しい。どうやら自分の連れもその辺は判っている様だ。当然だ。その位出来なければパートナー等必要も無い。だからこそ却って加持の存在は邪魔以外の何者でもない。尤も仕事だ。それを言った所でどうなる物でもない。だから決めた。
「加持。ここに座ってろ。」
「あ?しかし…」
「座ってろ。シンジ。」
「何?」
 御互い顔等合わせない。隣のまだあどけなさ残る少年は、視界も使って周囲を見渡す。
 まだまだだな。それに硬い。
「六十秒でケリを付ける。そっちは任せる。」
「判った。」
 一瞬目が合う。それで十分だった。

 合図も何も無い。御互いの眼が交差した瞬間。彼等は駿足で足音一つ立てずこの藪から姿を消し、あっという間に闇に埋もれる森の中へと姿を消した。
 正直驚いた。彼はいい。その程度ならば難無くこなす。何せ化け物だ。
 だが彼---シンジは違う。二年前はあれ程繊細な極普通の少年だった彼が、今は化け物の動きに難無く付いていく。しかも彼と同等の技量を持って。最早自分等足元にすら及ばぬだろう。正面切ってシンジに勝てる自身は今の加持には無い。
『通りで。歳も食う訳だ。しかし…』
 彼は六十秒と言った。ざっと加持が見積もっただけでも、周囲に二十人は追跡者が居る。否、恐らくはもっと居るだろう。どうやら自分は完全な御荷物らしい。これだけの人数をたった二人で六十秒。しかも二人共二十歳にも満たない。
『やれやれ。時代ってのは進むのが早い。』
 取り敢えず。三十秒は経ったか。藪に身を潜める加持の耳には、森のざわめきしか聞こえて来ない。
 空を見上げる。満月が雲に隠れて見えない。薄暗い。成る程。彼はこのタイミングを見ていた訳だ。静かだ。とても半径50m外が殺戮の舞台と化しているとは思えない。それも一方的な。
 加持はただ見上げていた。静かな光りが徐々にその顔を照らし出す。時計を見る。一分は間違い無く過ぎた。
 加持の視界の両脇から二人の影が歩み出る。僅かの緊張。銃を握り締めるが、それも直ぐに揺るんだ。
 果たして期待通り。月の洗礼を受け戻って来たのは、返り血一つ浴びていない二人だった。

「シンジ。俺に六人も預けるとは良い度胸だな。」
 戻ったと思ったら、開口一番愚痴である。
「そんな事言ったってしょうがないじゃ無いか。カムイの側に多く居ただけだよ。」
「そこを空かさずフォローに回るのが弟子の役目ってモンだろが。」
「またそんな無茶を言う…」
「あほ。単にお前の足が遅いだけだ。」
「……」
 加持には苦笑しか返せない。何せ次元が違う。間抜けな会話に見えて、その実加持には及びもつかない。
 シンジはぐったりと項垂れ、反論する気も失った様だ。取り敢えず、戦果を聞いて見たかった。
「で、何人居たんだ?」
「…加持。お前大丈夫か?数数えられるか?アルツハイマーじゃねぇだろうな?最近じゃ若年で来るって言うぞ?」
「……」
 彼の次元はやはり何処かずれている。
「…はぁ。カムイ。加持さんにはそこまで判らないよ。」
「何だよ。ジョークじゃねぇか。」
 にしては顔が笑ってなかった。真面目に心配された様でかなり嫌だ。男は続ける。
「三十四だ。意外と多いな。思った以上にでかい。」
 主語は無い。だが、この手の会話には加持の方が長けている。彼の言っている意味はストレートな分、寧ろ難無く受け入れられる。
「そんなに居たのか。って事はかなり大規模に周辺から掻き集めたのか…」
 周辺の集落から人を掻き集め武装しているのか。もし今の追跡隊が一部隊だとすれば、確かにかなりの規模だ。が、男の同意は得られなかった。
「何言ってんだよ。何処の世界に素人掻き集めた特殊部隊が居るんだよ。」
 一瞬意味を取り損ねた。
「なに?」
 男が何かを放った。加持の手にすっぽりと収まったのは、鈍く光る赤と白と青と星。階級章だ。
「米の御国は何度滅ぼされようが、同じものを量産する脳味噌しか持ってないらしい。奴等『米海兵特殊部隊(シール)』だ。」
 気の抜けた男の声。しかしそんな物は加持の耳に入らなかった。手の内に収まるそれにしか。
「それとも、どっかに身売りでもしてたか?あの国も余計な金食い虫を抱えてる余裕は無いだろ。」
「…アメリカ軍が…それも特殊部隊がこんな所で一体何をしてるって言うんだ?」
 思わず聞いていた。何故、軍隊が居る?この『悪魔の山』に。自分達の相手はただの素人武装集団では無く、一国の特殊部隊だと言う事か?しかも先の追跡隊が一個小隊だとすれば、かなりの数の部隊がこの山に潜り込んでいる事になる。
 男は一瞬意外だという顔で加持を見て、嘆息した。
「あのな、加持。そもそもあの情報はお前が持って来たんだろうが。」
 写真の事だろう。そうだ。武装集団と黒ミサ。繋がらない点。それがこの山に居る。
「そもそもな、ここでミサってのが間違いなんだよ。」
「…どういう事?」
 少年が聞く。どうやらシンジはこの手の事を彼から、教えを請うてはいないらしい。ま、彼と同じ職に就くのでも無ければそれは要らぬ知識だろう。男が教えなかったのも頷ける。
「黒ミサってのはそもそも西洋宗教圏で生まれた代物だ。ま、二十世紀にはアメリカにも渡りはしたがな。しかし南米にまで下りては来なかった。こっちには土着民族が居たしな。」
 インディオだ。現代ではその数も減ったと聞く。
「ここで儀式めいた事をするなら、インディオかマヤか。どっちにしろ土着宗教で無いと筋が通らない。」
 そう。それは判る。しかし彼等はここに居た。だから何かあると踏んだのだ。しかし、男の見解は違っていたらしい。男が胸ポケットから例の写真を取り出した。
「だからこれは黒ミサじゃない。『召還』だ。」
「……はっ?」
「…………」
 自分にもシンジにも意味は判らなかった。男はそれを無視し続ける。
「そもそも格好は関係無い。場所と時間。そして技術と知識があれば、『召還』はそれ程難しい事じゃない。下手すりゃ素人だって呼出せる。」
「カムイ。意味が判らないよ。『召還』。」
 少年が呆れた様に聞く。何時もなら男も愚痴り出す所だが、今回に限ってそれは無かった。
 そして気付いた。これはバイトでも仕事でもない。彼は弟子に授業を開いているのだ。習得させる気は無いのかもしれない。だが、世の中にはこんな事だってあるのだという。
「『召還』ってのは要するに、超常の力を引き出す為の儀式、と言うよりはシステム操作に近い。」
「超常の力っていうのは?」
「地球自体が所持する莫大なエネルギーだ。地球は生きていると考えられ、その内部を血液の様にエネルギーが駆け巡っている。俺達はそれを『レイ・ライン』と呼ぶ。例えばそれは、『龍脈』と呼ばれる大気の流れをコントロールする事で、地脈エネルギーが炎蛇として顕現したり、時には御し切れない妄念として魔物となったり、ま、様々な形で現れる。」
 凡そ信じ難い事を、極当然だと語る目の前の男。その知識は彼の本職で、トップに立つが故だろう。そろそろ話しは終りだと移動を開始する。だが、それだけの説明で自分達に、点と点を繋ぐ事は出来なかった。
「だがどうしてだ?何故それに米軍が荷担している?!」
「別にアメさんだと決まった訳じゃないがな。あいつ等は単なる処理班だ。護衛と排除のな。この周辺一帯の住民をを駆逐したのはこいつ等だろうな。恐らくはもう一つ、制御し切れなくなった時の為に殲滅部隊が居るだろうな。そっちの方が厄介だ。」
 彼は独り言の様に言う。護衛?排除?それに殲滅?加持には訳が判らなかった。
 しかし、彼との生活が長いシンジには、男が何を言わんとしているのか把握出来たらしい。
「カムイ、いい加減出し惜しみはいいよ。結局彼等は何処だかの組織で、その力を欲して『召還』をしようと企んでる。そして、それにはアメリカ、もしくは他国に身売りしたアメリカ特殊部隊が居るって事なんだね?」
 男は薄く口元を緩めると、満足そうに、しかしやはり愚痴た。
「流石は俺の一番弟子。その位は分かって貰わんと困る。って訳だ。判ったかな。加持情報調査部長殿?」 
 結局彼は自分を扱け下したかっただけかもしれない。

 更に奥に進む前の男の背中を見つつ思う。
 時に彼は、戦闘部隊一個師団を相手に一人で殲滅し、時に超常の力を相手に封印・破壊さえ辞さない。昔聞いた話しでは、彼等の部隊はその殆どが、特殊合金『オリハルコン(精神感応金属)』を利用した、アーマード・マッスル・スーツを装備しているらしい。実物を見た事は無い。しかし彼はそれを拒み生身で任務をやって退けると言う。彼曰く、「あんなごつい着ぐるみ、動きずらいだけで邪魔だ。」だそうだ。その代わり彼は、オリハルコン製のコンバットナイフを好んで使う。
 そんな彼---司狼カムイが、所属部隊---アーカム考古学研究所所属特殊工作部隊『SPRIGGAN』で、No.1エージェントを誇っているのも当然と言えば当然といえる。
 しかも彼には畏怖と尊敬と憎悪で呼ばれる字(あざな)がある。

 『Block・Howlling』---黒き咆哮

 それが一体どういった意味で付けられたのかは知る者はいない。ただ彼の存在を知る者は、皆畏れてそう呼ぶのだ。
 先の1分間を思い出す。まさに世界最強と言ってもおかしくない男。そしてその男に全てを教え込まれた、自分の良く知る少年。否、自分はもう彼を知っているとは言えないかもしれない。
 先の戦闘は彼等の能力の一端を垣間見たに過ぎない。恐らくは氷山の一角。そして少なくともそれは、もうすぐ明らかになるだろう。

 ふと気付いた。自分は、無事に生きて古巣へ戻れるだろうか?
 この先予想以上の戦闘が待ち受けている事だけは、確かな様だ。










四.






 一人。男は興奮していた。自分が一世一代の大偉業を為さんとしている事に。山奥に不釣合いな最新設備を取り揃えた、物々しい数の観測機器。目の前の男達が今回の作戦を成功させれば、後はこの記録から自分の思うがままに、世界中のエネルギーを掌握出来る。だが男に覇権だの権力だのは興味は無い。ただ事の全てを解明する事だけが、自分にとって重要且つ最も名誉な事であるのだから。

 今一人。男は冷静だった。隣の科学者は何やら鼻息荒く興奮しているが、別に彼が何をやっている訳ではない。更には彼に如何こう出来る事でもない。これは我々にしか出来ぬ特殊技術なのだから。自分の指揮の元、黒衣の術者達がこの数週間下準備と、システム構築と、念の注入に全力を注ぎ込んで来た。それも後僅か。果たして自分の今までの修行は、如何なる意味を持つ物だったのか?自分の価値は?目的は?それも後僅かだ。もうすぐ解るだろう。自分の目指していた物が。もうすぐ術式---儀式が始まる。

 更に一人。男は焦った。先程、仕掛けたトラップが作動し、侵入者を発見したとの連絡を受け、自分の指揮の元二個小隊を追跡に出したのだ。しかし出て行ったきり彼等からの連絡は途絶えた。どう考えても包囲網を潜り抜ける事など、出来る筈が無い。という事は返り討ちにあったと考えるのが妥当な答えだろう。二個小隊が瞬時に消えたのである。当然大規模な敵対組織が、ここを嗅ぎ付けたと考えるのがセオリーだ。だからこそ隊を取り仕切る自分への責任は重い。焦りもした。

 離れて一人。男は苦笑を堪えた。たかが自分の指揮する部隊の連絡が途絶えた程度で、うろたえるその様が。世の中に強い物など五万といる。事実自分の部隊に、彼等は誰一人として勝つ事など出来まい。そう言うものだ。自分等が彼等とは別任務に就いているのが、何よりの証拠。今それよりも気になるのは、その侵入者とやらだ。何だかんだ言っても彼等は選り抜きの特殊部隊だ。その彼等を振り切ってここへ乗り込む等、ここ数週間滞在していて全く無かった事だ。何故に今なのか?何故に事、最終段階に至って彼等は嗅ぎ付けて来たのか?この地に滞在し始めて早幾週間。別働隊という事もありそろそろ飽きが来ていた所だ。作戦も本格的に稼動し始めた。隣を見る。静かな物だ。何も変わらぬ。そういう事か。どうやらメインディッシュには大物が用意されいた様だ。

 最後に一人。男はただ盲目していた。何もせず。何も思わず。ぴくりとも動かず。来たるべき時を待って。

 静寂。

 不意に森が、木々が、川が、山が、空が、空気が。
 ザワメク…

 男は瞑想を止め空を見上げる。
 月。満月。
 男は、薄笑みを浮かべた。










伍.






 シンジは若干の緊張を持って今回の任務---実質的には今まで同様バイト扱いなのだが---に取り組んでいた。
 今まで正規でカムイが『SPRIGGAN』の任務を持って来たのは、今回が三度目。過去二回は然程立て込んだ事情も無く、極普通に戦闘をこなし、目的の遺跡を回収しただけに過ぎなかった。
 だが、今回はどうやら毛色が違うらしい。否。今までがどちらかと言えばズレていたのだろう。カムイの本職は本来こういったものの方が多いと聞く。自分には及びも付かない戦いが、まだ此の世には存在していたと言う事だ。
 だからこそ今回は気を抜く訳にはいかなかった。先の追跡隊は確かに予想外の戦闘力を所持していたが、実際自分達の足元には及びもしない。呆気なく地に平伏した。恐らく戦闘自体にはそれ程不安は無いのだろう。でなければカムイが同行を認める訳が無い。彼は足手纏いと判っている者を、態々連れて来て危険に晒すような事はしない。いや、寧ろ邪魔だとさえ思っている。だから自分や加持がここに居ると言う事は、問題は無いのだろう。
 では何故カムイは今回自分達を同行させたのか?それも先の戦闘で知れた。数が多い。的はかなりの兵隊を取り揃えているのは明白だ。であればカムイはそれ等の相手をしつつ、本職もこなさねばならなくなる。だからこそ人手が欲しかったのだろう。今回自分と加持は雑魚の相手をしていろと言う事だ。
 そしてもう一つ。彼は見せようとしているのだ。
 『SPRIGGAN』とは、本来如何なる者であるのか、と言う事を。
 シンジに『SPRIGGAN』になろう等と言う願望はこれっぽっちも無い。それはカムイも知っている。自分がカムイに教えを請うているのは、あくまでも守る為の力が欲しいからだ。
 自分では無く、守りたい人達の為に。

 正直、シンジはここ最近悩んでいた。戻るべきか否かについて。勿論、故国にだ。
「もうお前に教えられる事なんかねぇよ。後は勝手に自分で精進するんだな。」
 数日前にカムイに言われた事である。自分は別に、カムイの技量までに追い付いたとは、微塵も思ってはいない。それは教えていたカムイにしたって同じだろう。自分は一度とてカムイに勝てた試しは無い。
 別段、免許皆伝と言う訳でもあるまい。カムイは別に格闘道場の主ではないのだから。彼はあくまでも自分自身を、『殺戮兵器(キリングマシーン)』だと一笑に臥す。その彼に出来るのは、基本と実戦と“見せる事”だけだとも。
 だからシンジはその言葉を聞き理解した。ここから先は付いて回るだけでは意味が無いと。高みに上りたいのならば、カムイの傍に居る必要は無い。何処か山奥にでも引っ込んで、一生を修行に費やせば良い。カムイの様にその手の職に就くのならば、それなりの準備も覚悟も要る。金が欲しいのならば、傭兵にでもなって戦場を飛びまわれば良い。学問を追及するならば、偽名登録してある大学へ再登録し修学すれば事は済む。そしてまた、平和に暮らす事も出来る。今までの全てを捨てて。
 カムイは暗に言っていたのだ。『目的を明確にしろ』と。
 そして、シンジの目的は今挙げたどれとも違っていた。
 故国。それも『第三新東京市に住まう彼等を守る』と言う。

 しかし、シンジは未だ悩んでいた。
 目的ははっきりしている。が、どういった手段を取るかを、この数週間ひたすら悩んでいた。
 守る為ならば、幾つか方法はある。世界中を飛び回り、Nervの叛乱分子を徹底的に叩く方法。何処かの武力組織を乗っ取り、それを利用してNervを守る方法。いっその事国連に所属し、世界中を掌握しようかとさえ考えた。どれも直ぐには無理だが、今のシンジには決して出来ない事では無いと自覚していた。ただ時間を要すると言うだけ。尤も本人に権威や象徴に固執する腹積もりは微塵も無いが。
 だが尤も有益な方法は、あの街に戻る事に他ならなかった。しかも自らの手で直ぐ様守れるのである。これ程有益な方法は無い。
 だがそれこそシンジには、踏ん切りが付かない選択だった。
 シンジは行方不明---しかもNervでは死亡した扱いになっている事も知っている。何故そうなったのかもだ。カムイは定期的にNervの情報を、アーカム財団経由で入手しては自分に見せてくれた。何も言わずに。無言の態度が嬉しく、またこちらも無言で感謝した。父やNervの人々の心遣いには感謝している。御陰で自分はこうして、名を偽り別人として生きて来られたのだから。自分の立場は弁えているつもりである。直ぐ様捕らえられ、処刑台に上げられても不思議ではなかったのだ。
 だからこそ、今戻る事が最良の選択とは思えなかった。どうせなら十年・十五年位間を置くべきなのだ。そうすれば人々の記憶から、『碇シンジ』の記憶は消え去り、Nervヘの批判・圧力は最小限に押さえる事が出来る。だがそれは組織としての選択だ。自分を待ってくれている人がいる。彼等の思いを無下にし組織としての選択を取れる程、シンジは大人に成り切れてもいなければ、なるつもりもなかった。
 そして何よりもシンジにその選択を拒ませる原因。

 翻る亜麻色の髪。深海よりも深く澄んだ瞳。透き通る白磁の様な肌。何物を寄せ付けない孤高の精神。
 色褪せ乱れた髪。光りを返さない虚ろな瞳。荒れ果て痩せこけた肌。敗北に押し潰された虚無の精神。

 荒涼の大地。

 異形の世界。

 紅の海。

 赤の少女。

 縊り殺そうとする自分。

 頬に添えられる掌。

 嗚咽と涙と手の暖かさと。

 気持ち悪い。

 最も心に食い込んでいる、それは楔だった。










六.






「グレイク。」
 唐突に名前を呼ばれる。今まで黙して動かなかった彼に、果たして呼ばれたという事は、命令かもしくは死の宣告に他ならない。額に滲む脂汗を拭い、黒ずくめの青年に近寄る。
「はっ。」
 目の前には、岩肌に腰掛け夜月を見上げる青年。この場に余りにそぐわぬ全身黒のカジュアルスーツ。左手に帯刀する長い日本刀。左肩に連れ添う見た事も無い異形の黒鳥。
 欧州系の顔立ちも相俟って、この場にそぐわぬ井出達にも関わらず、その姿は何処か幻惑的で現実感を伴わない。
 何よりもその無表情がそう感じさせる。
 また額に汗が滲む。
 青年は顔も向けず夜空を見上げたまま口を開いた。
「侵入者の殲滅に向かえ。発見次第、展開させた守備部隊も向かわせる。」
 命令だった。しかし後半部分は承伏出来なかった。
「その必要はありません。殲滅には五班と六班で当たります。彼等はシールでも選り抜きの小隊です。警護を割く必要はありません。」
 四十も近い自分が、この青年に敬語を使わねばならない事を、理不尽だと思った事は無い。寧ろ畏敬さえ込めていた。それよりもこの山の守備を無視し、丸裸の状態になる方が余程危険だ。
 しかし青年は一向にその考えを変えることも無く、先程からぴくりとも変わらぬ姿勢で吶々と言って来る。
「構わん。どうせこんな所に来る連中の方が珍しいのだ。寧ろここを嗅ぎ付けて来たその連中を誉めてやれ。全力で相手してやらねば、ここまで来た甲斐が無いと言うものだ。」
「し、しかし…」
「ここの警護なら、『アマデウス』だけで十分だ。お前達は殲滅に従事しろ。」
 決定だ。最早反論する事は許されない。自分には米海兵特殊部隊大隊長としてのプライドはあるが、元より上官に逆らう気質は持ち合わせていない。
 しかし、今自分が気に食わないのは目の前の上官の隣にいる、彼専属の特殊部隊長のこの男。ウォルフガング・フレデリックだ。
 『アマデウス』。今回の作戦の最終プロットの為に用意された、プロ中のプロばかり集めた部隊。しかしその実彼等は、傭兵の寄り合い所帯に等しい。それでも我々の様な洗練された部隊が相手でも、彼等に敵う事は出来ないだろう。それだけ彼等の個々のポテンシャルは高い。勿論自分等も今や雇われの身だ。人の事は言えない。だが何と言われようと、自分---元米海兵特殊部隊シール大隊長グレイク・ドノバンとしては、苛立ちを押さえる事は出来なかった。ウォルフガングが、例え元同じ米軍所属の人間だとしても、だ。
「了解しました。」
 怒りの語気を押さえ承伏し、グレイクは隣のウォルフガングを一瞬だけ見る。まだ三十になろうかという程度の若造だ。しかしその鈍く光る左腕が決して生身の物ではない事が、少なくとも自分以上の能力を持っているのだと実感させられる。
 そして、彼が間違い無く元『米軍機械化部隊(マシンナーズ・プラトゥーン)』の、生き残りである事もまた明白であった。

 立ち去るグレイクを横目にしつつ、中年を越え様かという歳にも関わらず、未だ溢れでる彼の血気盛んさに苦笑した。
 ウォルフガングは静かに隣を見やる。未だ青年は空を見上げるのみだ。
「いいのかい大将?大隊長殿は御不満の様だったが。」
 自分は余り上下関係と言うのが得意ではない。元居た米軍機械化部隊においても、常に何かしら上官の怒りを買っていた。しかし、目の前に居る今の上官は然してその事を気にはしない。自分が彼に気に入られ徴用されたのは、そんな理由からなのかもしれない。がちがちの軍人上がりのグレイクとは一線を駕していた。
「…気にするな。所詮使い捨てにすぎん。」
 苦笑。それは彼等のみならず、自分達とてただの駒に過ぎないと暗に言っている。尤も自分は余りその事は気にして居ない。自分がこの様な職に就いているのは、単に強い敵と戦い勝利する事にしか、喜びを感じ無かった為だ。だから今回の任務に不服を感じる事も無いし、グレイクに幾ら罵られた所で堪えはしなかっただろう。
 それよりも自分が興味あるのは、この青年の方だ。ある日突然自分の前に現れ、いい仕事があるとスカウトしに来たのだ。依頼内容には元来この手の仕事が多かった為、自分にとっては特に興味を覚えなかった。全ては彼の風貌・素性・性格に興味が湧いたからだった。
 何時も変わる事の無い黒ずくめの井出達。虚ろでありながら、何処か強烈な意思を感じられずには居られない瞳。そして常に身から離さない日本刀。付かず離れず付きまとう不気味な黒鳥。常に闇を纏った青年は、実はまだ十七という若さであると言う。青年と言うよりは少年に近い。だがその全身から発する雰囲気に、どう見ても大人びた印象しか受けないのだ。
「ウォルフ。」
「?」
「グレイクでは事足りんだろう。『アマデウス』も準備しておけ。作戦は続行する。」
 それ程強力な敵だという事だろうか。侵入者は。
 久々に身体の奥に潜んでいた血が滾り出した。
「判った。契約では作戦失敗時に、事後処理をする予定だと思ったが?」
「必要無い。発動すれば事は済む。」
 つまりあの契約書は表っ面だけで、自分達の任務は始めからこの侵入者対策だったという訳だ。という事は、今来ている敵も始めから判っていた事なのか…
「了解。大将。」
 余計な詮索はしない性質だ。自分には戦いさえあれば良い。
 待機している部下達の元へ戻る途中、『魔術師殿』と擦れ違った。

 『アマデウス』隊長と擦れ違ったが、特に興味は無い。挨拶も無く主の元へ報告に向かう。
 主は岩肌に腰かけ、星の流れを詠んでいる様だった。
「アレイスター様。間も無く術式の準備が完了致します。」
「ゲルマー、術式を一部変更だ。」
「…は?」
 主は星を詠み続けている。何か異変があったかと自分も見上げるが、特に変化は無い。今更術式の変更等理不尽以外の何物でもない。一体何があったというのか。主は変わらず続ける。
「精霊は解放するだけで良い。」
「し、しかし結出しなければ使い物には…」
 言いかけて、途中から言葉は出なくなった。まるで金縛りの如く。明らかに主の法術だった。目には見えぬ強力な波動に、身動き一つ取れない。じっとりと汗が滲み出し、ゲルマーは恐怖に脅える。
「必要無いと言っている。」
 変わらぬ口調。全く動かない二人。しかしそこには極大の力の差が現出していた。彼は指一本動かす事無く、意思だけで術を施行している。己が全身が恐怖に染まった時、唐突に束縛から解放される身体。剥き出しの土に跪いた途端、一気に汗が噴出す。決して暑さの為ではなかった。
「し、承知しました…」
 直ぐ様返す承伏に、主は全く興味が無いかの様に星を詠み続けている。恐ろしい人だ。カール・ゲルマーは身を正し立ち上がる。
「と、ところで、あのミドガルドとかいう科学者は何とかなりませんか?鬱陶しい事この上ないのですが…」
「気にするな。術式が発動するまでは生かしておけ。記録さえ取れれば良い。後は精霊の餌にでもしておけ。」
 軽くお使いを頼むような口調だが、その中身はそれ程軽い事では無い。主は一体何が目的なのか。教えは請えない。我々は所詮駒だ。彼に逆らう事は許されない。従うか、殺されるか。選択は二つに一つなのだ。
「承知。術式変更は直ぐ完了します。」
「分かった。直ぐ行く。」
「は。」
 早々にその場を立ち去る。そうせねば今にもまた死に目を見るかもしれない。自分は絶対に主には逆らえない一生を送るのだろうと覚悟しながら。

 “アマデウス”が軽く咽を鳴らし、羽を広げた。
 それに呼応する様に青年が漏らした。

「…安心しろ。奴は来る。ここにな。」

 月は未だその姿を煌煌と光らせ、己が存在を主張している。
 青年は立ち上がり、ジャケットを翻してその場を立ち去って往く。










七.






 グレイク・ドノバンは先の上官への口答えに後悔していた。彼はどうやらこの侵入者の実力を予め認知していた様である。

 先行した第二次追跡隊から接触した旨を受け、指示通り展開していた小隊、計六班百二十名の守備隊を引き連れ、半分を後方待機、半分を先行部隊の支援に向かわせようとした。
 ところが。
 無線のあった地点で待ち受けていたのは、先発で送った追跡隊四十人の、死体の山であった。
「よぉ。遅かったじゃねぇか。隊長殿。」
 唖然としていると、まだ歳若い声が上がった。声のした方向には三人の男。否、内二人はまだ少年である。一瞬自体が理解出来ない。が、少年の一人が左手に抱える物を見て驚愕と共に理解する。それはたった今骸へと変わった自分の部下に他ならなかった。
「…まさか、少年兵が侵入者とはな…しかも他に仲間が居るようでもない様だ…一体何者だ。」
「生憎、自己紹介の準備はしてこなかった。悪ぃな。」
 おどけて見せる少年に怒りを覚えたのも確かだ。しかし、それに任せて安易に指示を出したのは、自らの大きな失態と言えた。
 結果。
 後方支援さえ回して迎撃したにも関わらず、物の十数分でけりは付いた。唯一の男は後方からの援護射撃をしていたに過ぎない。実質は特殊訓練を受けた兵隊百数名を相手に、この少年兵二人が殺してしまったのだ。正に瞬殺と言っていい。
 彼等二人の領域に飛び込んだ兵隊は、物の一撃で急所を討ち取らればたばたと即死して逝く。こちらの援護射撃は兵の多さ故、彼等の為の城壁となってしまい、下手に撃つ事は出来ない。かと言って離れて傍観していれば、後方支援の男から頭を打ち抜かれる。瞬く間に出来あがる死体のピラミッドを、グレイクはただ見ている事しか出来なかった。気付けば余りの恐怖に足が震えだしていた。

 そして今。自分は間抜けにも一歩も動けず、自分の半分も生きていないこの少年に、銀の刃を喉元に突き付けられていた。
「さて。後はアンタだけだ。どうせ吐く気は無いだろうが、念の為聞いとくぞ?ここで何をしようとしている?元米海兵特殊部隊が誰に雇われて、こんな所で生き恥晒してるんだ?」
 まるで世間話。が、彼の目が笑っていない事だけは見て取れた。
「驚いたよ。落魄れたとは言え精鋭の我々が、こうも呆気なく狂態を晒すとはな。貴様、一体何者だ。」
「…はぁ…やっぱ言う訳ねぇか。んじゃ、死んで来い。」
「ま、待てっ!?」
 僅かに食い込み、刃は止められた。鮮血が流れ出しているのが判る。間違い無く死んだな。私は。だが…
「死に土産だ。名前くらいは教えろ…」
 静寂。暫し絡み合う視線。死に際だと言うのに、脂汗が止まらなかった。まるで獣のようなその眼に。
「Block・Howlling」
 …聞いた事がある。戦場では死神の如く噂され、しかしその姿を見た者は誰一人居ない。たった一人で一個師団を殲滅したとか、戦車相手に生身で対抗出来るとか、俄には信じ難い、噂の一人歩きした伝説か何かだと思っていたが。
 まさかその正体が、こんな少年兵だったとは…
「…成る程な。誰も顔を知らぬ訳だ…」
 瞬間、少年の目は僅かに凛冽の目で細められ。

 その瞬間、グレイク・ドノバンの生涯は終った。

 舌を巻くとは正直こう言う事だと気付かされた。
 二人は銃を所持しているにも関わらず、これまで一切使用していない。体術とナイフ捌き一つでこの人数を殺してしまったのである。加持が足手纏いにしかならないのも頷ける。自分には戦闘に炙れた残兵を駆逐する程度が、精一杯だったのは確かだ。
 目の前にたった今倒れ臥した男を見詰め、つくづく彼を敵には廻したくは無いと思う。
「良かったのか?聞き出さなくて。」
「どうせ何も知らねぇよ。目を見りゃ判る。」
 シンジと目が合い、溜息一つ。先程彼が溢した愚痴を思い出す。彼の相手は疲れる。この一年半、彼との生活で溜息が増えたと。確かに。彼と行動を共にするのは、余程の若さと忍耐力が要りそうだ。
 苦笑して空を見上げた途端、加持の笑みは凍り付いた。
「…おい…アレは…」
 傍でシンジも顔を強張らせている。反応したのはカムイ一人だった。
「ちっ!もう始めやがった!!行くぞっ!」
 状況は一気に動き出した。
 加持は生きて帰れる事だけを、全力で走りながら願った。

 空に浮かぶ満月がまるで引戸を開く様に、背後に漆黒の影を湛えて浮かんでいた。










八.






 ペーター・ミドガルドは興奮の坩堝の中に居た。
 決して月蝕ではない。満月が漆黒の双子を背後に携え、空高く浮かび上がっていた。
 術式が始まった途端、周囲が磁場異常を発生し出した。それも尋常ではない数値で。計測機器が次々と計測結果を吐き出している。これで間違い無く自分の将来は約束されたような物だ。歓喜が全身を鳥肌立たせる。
「どうだ。」
 唐突に背後から呼び掛けられる。今回のスポンサーだった。全ての運はこの男に出会った日からだと言えた。俄には信じられない事実と、それを立証する為の助力依頼。全ての功績は自分の物として発表しても構わないという、涎物の処遇。おまけに資金は必要なだけ用意してくれると言う。この条件で断る必要などミドガルドには無かった。
 そして今日、遂にそに日は来た。自分が世界の技術者として頂点を極める事が、確約されたのである。これが喜ばずに居られるだろうか?数週間に及んだ熱帯夜の苦労等、瞬く間に吹き飛んでしまった。
「おぉっ!!アレイスター殿!見てくれっ!!全ては順調だっ!盛れる事無く計測されておるっ。これで我々の未来は確約されたような物だっ!!」
「そうか。」

 高笑いするミドガルドに特に興味を覚えた様子も無く、漆黒の青年は発動された術式---六芒魔法陣を見やる。
 自分もそれに習い見詰めた先には、『魔術師殿』ことカール・ゲルマーを中心に据え置き、その周囲に十二名の黒マント達が、何やらぶつぶつと詠唱を続けている。
 ウォルフガングにはその意味は判らない。が、先程からぴりぴりと肌に感じる重圧感だけは、はっきりと認知していた。特に劇的な何かが起きている訳ではない。一つだけ。月がもう一つ現れた事だけだ。だが、それがこの術式の前兆にしか過ぎず、これから更に何かが顕現する事だけは、ウォルフガングにもはっきりと判った。
 元々超古代文明の遺産奪取等を目的とした作戦が多かった為に、その手の知識や経験はそれなりに積んでいた。だから今起こっている現象の先に起こる事は、大方見当が付く。その規模と破壊力だけは。だが、実際に何が出て来るかまでは判らない。そこまでは隣の主に詮索していないし、するつもりも無い。元より雇い主は教えるつもりなど有りはすまい。
 一際ゲルマーの詠唱が周囲に轟き出す。と、それに呼応するかの様に、周囲に冷気が舞い込み始める。目の良い、続に言う霊感を持つ者ならばそれが見えただろう。大気が徐々に濃密になり何かの容を為そうとしている事に。霊感とは実際には感覚の鋭い者がそれに当たると、ウォルフガングは認識している。そしてそれは自分にも見えていた。おそらく隣の主にも見えているだろう。尤も計器に取り付いて、狂気乱舞している偏屈に見えていないのは確かだ。
「…ところで…」
「?」
 異様な気配が吹き荒れ始めた周囲を余所に、変わらず主が口を開いた。
 否、僅かにその口元が笑っている様に見えるのは、気のせいだろうか。
「良いのか?他の連中に任せて。既に半数は死んだぞ。」
 言われて降りかえる。しくじった。目の前の異常現象に気配を乱されて気付かなかった。
「ちっ!あいつ等じゃ役不足かっ。」
 慌てて獲物を担ぎ、走り出す。一度だけ背を向けた主を見た。
『…良く、あの中で気付けたもんだ…』
 改めて青年の実力の一端を垣間見た様で恐怖する。
『いくら俺でも、あんな死刑宣告人とだけは戦いたくはねぇな。』
 まさか直ぐにその時が来るとは、流石の彼も思いはしなかった。

 術式は最終行程に及ぼうとしていた。だがこれは最初の作戦予定での話しである。
 既に周囲には夥しい妄念達が寄り集まり、今か今かとその時を待ち受けている。そして上空からは得も言えぬ圧倒的な力が舞い降り様としていた。最後の詠唱を唱え終われば、これら精霊達のエネルギーは一気に集結し、結晶となって現出する。
 だが。
 それを自分の主は望んでいない様であった。これだけの大きな力を所有すれば、単独で世界を掌握出来ると言うにも関わらず。その意思がゲルマーには読めなかった。だから自分には従う事しか出来ない。操り人形の如く。
 ちらと主の顔を見た。
 無言。
 その視線が何を意味するのか今更問う必要は無い。既に決定事項なのだ。
 だから、ゲルマーは実行に移した。例えそれが周囲の部下。延いてはあの科学者達の命が代償であったとしても。

 ゲルマーは突然詠唱を放棄し、変わって転移魔法陣を描き出す。突如現出した漆黒の空間。彼はその中へと身を投じ、次の瞬間には彼の姿も漆黒の闇も消え去っていた。
 事態を把握出来なかったのは、今まで消えてしまった男に付き添っていた黒マントの部下達である。そしてまた、突然予定に無い異変に混乱したミドガルドも、また同様であった。
 一斉に主にその真意を確認しようと振り返る一同。

 しかして、そこに黒衣の青年の姿は無かった。

 そして黒マント達は気付いた。自分達が捨てられた事に。
 転移魔法と言う高等術を持ち得ない彼等だったが、今回の術式が失敗した時、如何なる結果が待ち受けているのかは熟知していた。だからなのか。彼等は一様にぐったりと頭垂れ、跪き、最早生きる気力さえ持ち得なかった。

 科学者は理解不能だった。自分の身に何が起こったのか。それを知る術は彼には無い。
 しかし現実を、自分に分からない事など無いと言う稚拙なプライドが、愚かにも彼に現実逃避をさせていた。
「おぉ…磁気異常が増大して行く。この一帯に膨大な質量が収束しているのかっ!?」
 ただ現実を見とめず、己の許容範囲内でしか物事を考えられぬ人間。それが青年の意図した人選だったとしても、それに科学者ペーター・ミドガルドが気付く事は有り得ない。

 “意思”は気付いた。契約が破棄された事に。
 それが何を意味するのか。自分たちが裏切り行為を、そのまま見逃す事は有り得ない。それもまた古からの契約であるからだ。
 だから、契約を反故にした連中に制裁を加える為、“意思”は現出する。
 荒れ狂った大気に吹き荒れる、妄念と怨念と憎悪の感情を飲み込んで。
 古の、契約せし姿。
 『     』として。

 彼等の生は完全に絶たれた。それが出現した為に。
 意識は有る。が、実体化したそれを認識する事は出来なかった。

 圧倒的質量をもってそこに現れた“それ”に、食い殺される事だけを本能が知っていた。





 20億年の沈黙を破り、“それ”は咆哮した。

 天空に浮かぶ月を切り裂かんばかりに。

 デプイに悪魔が現出した。





EPISODE:04

Battle of Easter






九.






 それが何かなんて判りはしない。
 ただシンジが感じたのは、純粋なる『怒り』。
 そう、感情だ。
 怒れる山。
 それは、
 今眼前に姿を現した。
 言葉通りの身を持って。

「…参ったな。奴さん、失敗しやがった。」
「一体、どうなってるんだ…これは…」
 カムイの呟きに、加持が唖然と問い返す。
 シンジ達の目の前には、今正に“それ”が現れていた。
 何と表現すれば良いのか。目の前の密林を付き抜けて現れた巨大な漆黒の影は、今頻りに足下の何か目掛け蠢いている。人型だと言われればそうも見えるし、動物だと言われればそうも見える。が、尤もしっくり来るその名は『化け物』。そうとしか言いようが無かった。不定形に蠢くそれは、ただ只管に怨嗟と憎悪を放ち、数キロ先で鳴動を繰り返している。それは怒り狂う神の姿なのか。不意に噴き上がる火の手。おそらくあれを召還した者達が抵抗しているのだろう。が、影が特に意に介した様子は無く、火の手は無作為に森を燃やして行く。火が燃え広がらないのは、単にこの付近の木々が水気を多く含んでいる為か。
「…あれが、召還された、モノなの?…」
「…正確には違う。が、似たようなもんか。暴走してるのさ。」
 今まで遭遇した事の無い異界の光景に、シンジが呆然とそれを見やる。カムイの説明は曖昧だが、しかし重要な点だけはストレートに伝えて来た。
「暴走?」
「あぁ。」
「止められるの?」
「止めなきゃ俺等が…いや。このギアナごと魔界と化す。」
「…魔界って…」
 そんな馬鹿な、とも思ったが。しかし現にシンジの目に映る光景は、紛れも無く事実であり、それを否定する事も出来ない。そんなシンジの心情を読み取ってか否か、カムイはあくまで大した事では無いように言ってくる。
「なぁに。用は人が立ち入れなくなるだけだ。ほっとく訳にも行かんが、それ以前に俺等が食われて御陀仏だ。」
「お、御陀仏…」
 飽きれるしかない。この異常事態に対しても全く動じない彼の神経には、正直頭も下がるが、彼への信頼度も下がる瞬間だ。自分はここでくたばる訳には行かない。加持もそうなのだろうが、彼には既に許容範疇を超えた事態らしい。出現したそれを注視したままなのは、果たして異形なるモノに束縛されている為か。それともカムイの神経に付いて行けなくなった為か。
 カムイはそんな自分達を無視し、何やら荷物を漁り始める。
 取り出したのはごついグローブ。
「全く。御嬢の奴、厄介な仕事ばっかり廻しやがって。持って来ておいて良かったぜ。」
「何なの?」
 珍しく防具を身に付ける彼に興味を覚える。彼は基本的に防弾チョッキや、強襲用のスーツ等を使う事は無い。勿論実力故の事だが、防具の類は気を読み取る為の妨げにしかならない事を、彼は頻りに説く。肌で相手の殺気を感じる事。それが戦場で生き抜く為の最も有効な手段であると、経験の上で言っているのだ。流石にシンジには防弾チョッキまでは手放せないが。尤もそれの御世話になる事は最近では滅多に無くなった。
 それは今回とて同じ事な様だが、気になるのは装着しているのがグローブだけと言う事。
 カムイは特にその問いに答える事も無く、要点だけを言って来る。
「いいか。あれは一種の精神体だ。銃なんてぶっ放しても効きゃしねぇ。気を打ち込め。お前なら牽制くらいにはなる。」
「…牽制、ね…」
 それはつまり手を出すなと言う事か。どうやら今回は自分の身を守るのが精一杯か。
「加持。2、3キロは距離を取れ。死にたくなきゃな。」
 言外に、ここからは無理だと伝える。彼の言葉に優しさは入らない。いや、どうかな。シンジには判らない。彼の性格はこの一年程である程度は掴めたつもりだ。基本的に朴訥な彼は、その優しさを態度でしか現さない。が、彼の奥底にはもっと薄暗い感情がある事も、シンジは何となく掴んではいた。それが何かまでは判らないが…しかし、今目の前に広がる光景を何度も見てきたシンジには、そう思えるのだ。
 見渡せば、そこには死体の山。統率の取れない傭兵じみた部隊だったが、先の特殊部隊連中とは一線を駕していた。寄せ集めだろうが、その戦闘力は明らかにシンジのそれに匹敵していた。苦戦する自分を余所に、苦も無く瞬殺して行ったカムイに、果たして人間の血が通っているのかと疑いたくなる瞬間だ。
 彼はよく言う。
 自分は殺戮兵器だと。
 彼の何がそうさせるのか?
 シンジには、まだ判らない。
「シンジ。」
「ん。」
 不意に呼び掛けられる。判ってる。
「加持さん。そろそろ行った方が良いですよ。」
 加持が自分等の視線に気付き、その先を見やる。そこには…
「…くくっ…こりゃあまた、とんでもねぇ客がいたもんだぜ。」
「悪ぃな。礼儀しらずの客でよ。」
 燃え上がる森と、異形の物体を背に、一人の男がそこに現れていた。

 ウォルフガングは正直驚愕していた。所詮寄せ集めとは言え、それなりの死線を潜って来た者達ばかりなのだ。自分に与えられた部下達は。それを威とも簡単に死地へ追いやった、この珍客に身震いした。と同時に湧き上がる自らの闘争本能。背後で起こっている緊急事態にも驚いたが、彼にとってこの戦場の方が余程魅力的に映ったのは確かだ。
 思わずそう考えていたのは、ウォルフガングにとって、久々に自分と同等の実力を持つ敵に巡り会えたからだ。だからか?今一人居た中年の男が奥の森へ消え行くのを、自分は黙って見過ごした。
 そう。今自分の獲物はこの二人で十分過ぎる様に思えたからだ。
 正面、最も手前に居る青年が続けて口を開いた。
「また偉い遺物が残ってたもんだ。テメェ、『米軍機械化部隊(マシンナーズ・プラトゥーン)』だな。」
「ほう…俺達は既に過去の遺物だと思っていたが、お前さんは知っているようだな。一体何者だ?」
「言ったろ?礼儀知らずの客だよ。」
 僅かな他愛の無い会話の中で、ウォルフガングは既に後悔し始めていた。背中に流れる冷汗を止められなかった。自分とて元は生身の人間であるし、今もその大半はそうだ。だからこそ、幾多の死地を掻い潜って来た自分に、今ここに充満する殺気がひしひしと感じられた。
『こんなとこにもう一匹死神がいたとは…こりゃ契約破棄だな。』
 冷汗を流しつつ、相手の実力が今回の自分の主と同等か、それ以上である事は明確だった。
『こりゃあ…死んだか?』
 半ば生存さえ諦めた時、殺気はふっと掻き消えた。
 ようやく止まった冷汗と、焦りかけたウォルフガングを無視し、青年は動いた。
「シンジ、ここは任す。」
「え?」
「…俺とは殺り合いたく無いそうだ…だろ?」
 そう言って青年は皮肉の笑みを自分に向けて来た。それが自分を逆撫でする為なのは判ってはいたが…
『クッ…てっめぇ…』
「んじゃ、俺はとっとと仕事終らすわ。」
「ちょ、ちょっと…」
 そう言ってのうのうと自分の真横を通り抜けようとする青年。ただで通す訳にも行かぬ、がしかし、自分の体がまるで言う事を効かないのは、青年が再び殺気を放っているからであり、今自分が手を出せばその瞬間にウォルフガングは、地獄への片道切符を頂く事になるだろうからだ。
 屈辱と恐怖心が綯い交ぜになって、苦渋の顔で青年を見送るウォルフガング。が、不意に青年は立ち止まり。
「気を付けな、オッサン。アレは下手すると俺より手強いぜ?」
「?」
 それだけを言い残し去る青年。不審に思い降り返ると、既に彼の姿は無く。
 改めて正面を向く。
 そこには、今一人の青年…と言うよりはその童顔さ故か。
『…コレが…か?』

 一人の少年が自分と対峙していた。










拾.






 カムイは…参っていた。
「ホンと、参ったな、こりゃ。」
 目の前には蠢き惑う、死肉達。悪霊、ゾンビ、アンデッド、etc、etc…
 呼び名は多々有れど、存在は皆同じ。だが、これの元になったのは。
「ま、殺していようがいまいが、どっちみち結果は同じか…」
 そう、カムイ達が殺して来た兵隊達。そして、ここでこれを呼出しアレに食われた連中の死体。既に死体と化した筈の存在が、今目の前に立ち塞がっていた。
 そしてその奥には…巨大な御霊。
「こんなモンが在ったとは…地球はデッカイねぇ…」
 飛び掛って来る死肉達。握り込んだ拳一撃でのし倒す。
 その拳が僅かに光っているのは、このグローブに仕込まれた細工に他ならない。
 『サイコブロー』
 人間の精神波---所謂『気』を増幅・解放する、アーカム特製『AMスーツ』の常用装備の一つだ。普段なら自分の気だけでも十分な所だが、流石にここまで大物だと人間程度の精神では、瞬時に食い殺されるのがオチだ。
「全く、だから俺は、アーカムの仕事は、受けたかねぇん、だけど、なっ!」
 無駄口を叩きつつも、一つ一つ襲い来る連中を粉微塵に粉砕して行く。下手に原型を止めて残すと、何度でも起き上がって来る。それが例え死人と化した連中の意思では無いとしてもだ。だからこそカムイは、せめてこれ以上死人を冒涜される事だけは無いように、一撃で全てを破壊する。
「加持の奴ぁ、生きてるかねぇ…」
 不意に浮かんだ不精ヒゲ。彼も物好き故にこの世界に飛び込んだのだろうが。どうも彼には身分を弁えない所が在る。あっちでの事もそれなりにシンジから聞いている。ま、今回の事でいい加減足を洗う事に踏ん切りも付いただろう。
 それに、
「あいつもそろそろ、戻してやるべきなんだろうな…」
 苦笑。自分の全て、とは言わないが出来る限りの事を教え込んだ。弟、と言うには年が近いが、自分も彼もその精神的な差が開き過ぎている。自分は変に大人び過ぎているし、あいつは妙に子供地味てる。尤も、この一年と少しで彼も大きく変わったのだろうが。
 そしてそれを変えた、もしくは変えてしまったのは自分だ。それが正しかったのか否か。ティアにはああ言ったが、正直自分でも判断は付かない。勿論シンジ自身が選んだ事だ。止める事も出来ない。が、
 『俺は…見てみたいのかもな。』
 何を?判らない。
 ただ、自分には無い、何かを。
 鮮血。
 自分の頬から飛び散る、赤。
「フッ…」
 目蓋を閉じる。開く。
 目の前には、ナイフを掲げた元シール大隊長。だった者。
 最近どうも思考に没頭し過ぎだな。死地が目の前にあるってのに…
 カムイは切り付けられた頬から流れる鮮血を、自らの指で頬に広げ隈取る。

「…教えてやるよ…死に土産だ…」

 尤も、彼に意識など残っている筈も無いのだが。
 否、相手は彼ではなく…

「俺が、『Black・Howlling』と呼ばれる訳を、な。」

 音の無い咆哮が、デプイに響き渡った。










拾壱.






 二人は組み合わせた刃を切り離し、お互い距離を取った。
 それは背筋をも凍らす、何かを感じたから。
『何だ?』
『今のは?』
 森の奥で先程から轟音が轟いている。おそらくはあの青年が、化け物相手に奮戦している為だろう。
 だが、今感じたのは…なんと言えばいいのか?何が起こったと言う訳でもない。ただ感じた。不気味な、そう。あの化け物と同等かそれ以上の、音無き叫び。
 異様な空間と感覚の中での戦闘。
 ナイフ片手に対峙する男と少年。
 何かは判らない。が、今はそれどころでもなかった。
『カムイは任せるって言ったけど…こいつ、強い。』
『フッ…強いこたぁ強い。この年でここまで出来るのは誉めてやるが…そこまでだな。』
 ウォルフガングは始め青年に言われた言葉に、少年に対し警戒心を持っていた。下手をすれば…そんな風にも思ったが、実際にはそれ程でもない。スピードは自分に劣るし、少年はまだ発展途上だ。
 それに、自分にはまだ切り札がある。
 少年は焦り始めていた。青年が何を考えて、自分にこの場を任せたのかは判らない。が、少なくとも自分の力しか今は頼れなかった。とは言え、シンジも幾多の戦場を回った。相手が自分の実力より上か下かは判断が付く。そして明らかに今、自分は下位に属している事は明らかだった。
 それでも、今シンジは死ぬ訳には、行かなかった。
「少年。」
「?」
 ウォルフガングは突然口を開いた。警戒するシンジ。
「貴様、碇シンジ、だな。」
「!?」
「…やはりな。どっかで見た顔だと思った。」
 シンジはたじろいだ。自分の過去を知る者。追求。弾劾。シンジが最も怖れる、深層の罪悪。
「フッ…安心しな。別にそれを如何こうって訳じゃねぇ。ただ、生きていたとは正直驚きだぜ。しかも、傭兵の真似事とはな…」
「………」
 ふと構えを解くウォルフガング。シンジは不思議に、それを見る事しか出来なかった。
「少年。一つ教えてやろう。今世界中じゃお前さんのいた組織が、軍事バランスを統率している様に見えるようだがな。」
「?」
「知ってるか?裏の世界じゃSEELEが消滅した御陰で、息を潜めていた幾多の特殊組織が集結しつつある。」
 突然講義じみてきた目の前の状況に、シンジは戸惑いつつも聞き逃せなかった。
「…どういう、事?」
 ようやくシンジが反応を示したのを、満足そうに微笑を浮かべるウォルフガング。
「狙いは判るだろう?世界最強の兵器を一人締めするなんざ、ほっとけない連中ばかりだ。そうは言っても、扱える人間は一握り。しかもガキだ。扱いは面倒だが、しかし手に入れれば、最強の力を手中に収められる。」
「…何が、言いたいのさ…」
 シンジには判っている。これは自分の動揺を誘う為の手段に過ぎない。自分を確実に仕留める為の。それでもシンジは意識を切り離す事が出来なかった。目に浮かぶのは、
「お前さんは良いさ。死んだ事になってるからな。だが、その格好の餌食になるのは間違い無く…」
『…アスカ…綾波…』
 判っている。これは、陽動だ。
 だが、シンジの思考は、徐々にウォルフガング術中に支配されつつあった。
 当然、それは男の思惑通りであり。
『甘いな。少年っ!』
 俯き、少年の視線が外れた瞬間を、ウォルフガングが見逃す筈も無く。
 男の左腕は弾けた。否、本来の姿を取り戻したと言うべきか。全速の助走は瞬時に自らの身体を少年の元へと運び、身動きのままならぬ少年の胸元僅かに左。心臓の位置に彼の左腕がぴたりと添えられた。
 シンジが目を見開いた時には既に事及ばず。
「ぐっ!!!」
 衝撃。
 振動。
 粉砕。
「がぁああああっっっっ!!!!」
 吹き飛ぶ岩。
 砕け散る木々。

 吹き飛ばされる最中、骨の幾つかがずたずたに砕け、心臓がその機能を一瞬麻痺させられたのを、碇シンジは薄れる意識の中で認識した。










拾弐.






 加持は別に逃げ出した訳でもなかった。
 今回の任務は独断とは言え、Nerv情報調査部長としての最初の任務と言っても過言ではないからだ。
 だから、今現状を見届けるのは、彼の最低限自分に課した任務だった。
 ルートを変えカムイを追う。あの異形の生命体の真価も問わなければならないだろうが、しかしあれは正直自分の手に負える物ではない。だからせめて、見ておきたかった。彼が一体どういった手で、収拾を付けるのか。

 ようやく辿り着いた異形の物体の足下。
 そこは正に地獄絵図だった。
 そこら中に散らばった、原型を止めない死肉。飛び散った鮮血。充満する死臭。
 幾多の戦場を駆け抜けて来た加持にさえ、それは目に余る凄惨さを極めていた。
 そしてその中央。対峙する漆黒の異形の生命体と、
「……し、司狼?」
 鮮血を浴び真っ赤に染まった戦闘服。血がこべり付いた頭髪。
 深紅の、獣。
 そう、そこに人間は居なかった。
 カムイが一歩前に出る。対峙した異形が、何故か後ずさった様に加持には見えた。
「加持。」
 不意に獣に自分の名を呼ばれ、加持までがたじろいだ。
「知ってるか?『レイ・ライン』ってのは要するに、地脈エネルギーを生物の血管だと観立てれば判りやすい。」
「え?」
 カムイと異形は睨み合ったまま。自分との距離はかなり離れているにも関わらず、カムイの声は森によく響いた。
「だが血管を流れる血液は、流れっぱなしでは無いよな?常にエネルギーの送配と供給を賄っている。」
 何故?何故この死肉達はここに転がっている?それはカムイが処理をしたから、なのか?千体近くあるのに?…
「じゃぁ、生きる為に必要なエネルギーは、一体何処から絶え間無く受け取っている?」
「………」
 何故?何故異形は攻撃を仕掛けない?カムイは無防備に距離を詰めているのに…
「地球上にある様々なポイントが存在する。俺達はそれを『龍脈』と呼ぶ。そこから噴出した血液は、炎蛇や魔物、コイツみたいに地上に顕現する。」
「………」
 何故?一体何をカムイは言っているのか?否、誰に言っているのだ?…
「一体コイツ等を作り出した、『意思』は、何処から来たんだ?」
「………」
 判らない。そんな事は…でも、この異形は?

「…お前は、知ってるんだろ?」

 咆哮?
 鳴動?
 嘆き?

 デプイ中を震撼させる程の叫び声。加持が一瞬で身動きが取れなくなる程の。
 ただ、加持には感じた。
 異形が…脅えている?

「あばよ。」

 襲い来る異形に打ち込まれる閃光。

 叫び
 怨嗟
 怨恨
 憎悪
 消滅
 離散
 上昇
 昇天

 立ち昇る光の集合。

 加持の目は一瞬で眩み。やがて闇を取り戻した。
 目の前には真っ赤に染まった戦士と、光り輝き立ち昇り、消え逝く粒紛。
「…な、何なんだ?…今のは…」
「ほい。任務終了。」
 お軽い声に見上げた視線を正面に戻すと、カムイが何時もの調子で加持を見やった。
「…お、終ったのか?」
「そ。昇天~っ、てな。」
「……昇天って、お前。」
「そんなもんよ。この手のはな。」
 呆れて物も言えない。普通だと言わんばかりの彼の調子には。
「…司狼。お前いつもこんな仕事してたのか?」
「いつもって程じゃねぇよ。今回は実際、大物だな。何せここに居付いていた主だろ。こんな所に『龍脈』があるとは俺も知らんかったが。ま、暴走を押さえるのはアーカムにとっちゃ御手の物だし、生憎『龍脈』の破壊は禁止されてるからな。これで今回は終了。後はティアにでも言って、警備させるさ。」
 カムイにしては珍しく良く喋る。それも気にはなるが、加持には意味不明の単語が一つ。
「……主って、何だ?」
「ん?20億年分の怨念。」
「に!?20億年分!?」
「そ。一度も起動してなかったんだろう。御かげで溜まりに溜まった物が、ドカンとな。」
 また出て来た。どうも彼は説明するのが面倒らしく、人に判るような説明をしたがらない。
「起動って…何を。」
「だから、古代人の造った『龍脈コントロールシステム』。」
 カムイの言う『龍脈』に付いては、先刻から散々されてはいるが、しかし。
「……そ、そんなにそこら中に転がってる物なのか?そりゃ…」
「まぁ、な。うちで現存確認しただけで百を越えるし、龍脈地図じゃぁ千は下らんらしいぞ。」
「せ、千?」
「ま、安心しな。早々起動出来る奴は、今の世の中いねぇっ……」
 突然。流暢だったカムイが立ち止まり、講釈を止めた。
「…司狼?」
 振り返る。
 凝視。
 視線の先は…「悪魔の山」と呼ばれるアウヤンデプイ山頂。
 その上を…
「……鳥?」
 鳥だろう。飛んでいる。見た事も無い種類だが。ここは南米だ。しかも奥地。珍しくは無い。
 カムイは、今だ凝視している。
「司狼?」
 何分経ったのか。ようやく呼び掛けに応じた。視線だけを。鋭く。
「……どうした?」
「…いや。何でも無い。急ごう。シンジがまだ梃子摺ってるらしい。」
「あ、あぁ…」
 正直自分も、シンジの事を忘れそうになっていた感はある。だが、問い正そうにも、今の彼にそれを聞く事は加持には出来なかった。余りに、近寄り難く…
 前を歩くカムイに追い付こうと走り出したが、逆にカムイは立ち止まり、加持が思わず追い越してしまった。慌てて振り返った先のカムイは、再び山頂を見据えていた。
 その雰囲気に、声を掛ける事も出来ず。

「…まさか、な。」

 何が、とは問えなかった。










拾参.






 辛うじて。
 辛うじてだ。意識を止められたのは。

 『高振動粉砕システム』
 EVAに装備されたプログレッシヴ・ナイフ。超高振動によって如何なる物体をも切り裂くそれの、原型ともなったシステム。当初は指向性を得られず、無駄に周囲を破壊するしか出来なかったそれを、逆に武器として利用したのが、『米国防総省(ペンタゴン)』であり、『米軍機械化部隊(マシンナーズ・プラトゥーン)』だ。
 そして、目の前に居る男の左腕が、鈍く黒光りしているのもまた、それを人体に無理矢理装備しているからであり、プログナイフ程洗練されてはいない物の、その破壊力は人体相手であれば脅威にさえなる。
「ほぅ…避けたか。見直したぜ、少年。」
 致命的一撃を食らってしまった。シンジの左肩が内部で砕け散り、既に痛みを通り越し感覚さえ麻痺し始めていた。
 避けられたのは瞬間に的を外せたからだ。心臓から左肩まで。気付いた瞬間体が動いていた。もしあのまま食らっていれば、確実に自分は内蔵も心臓も破壊され死んでいただろう。
「だが…」
 そう。致命傷には違いない。左手が全く使い物にならなくなった。どうする?…
 ウォルフガングが右の防具から弾き出したブレードで切り掛かる。
 辛うじて回避するシンジ。そこを狙い澄ました様に、急接近する男の左腕。
 身体を捻り回避。地面が爆ぜる。爆砕。
 弾き飛ばされた御陰で、若干距離を置く事が出来た。立ち上がる。
 男は既に構え直して臨戦体制。
 シンジには余りに不利だった。
「どうした、少年?ここまでか?」
 にやける男を無視し、ナイフを構える。
「フッ…」
 激突。
 刃から飛び散る火花。
 アッパー。
 ストレート。
 切り返し。
 回し蹴り。
 突き刺すナイフ。
 切り付けるブレード。
 右腕に突き刺さる。
 左大腿を切り裂く。
 喉元にナイフ。
 組み敷くブレード。
 膠着…
 睨み合う二人。
「フッ、フフッフフフフハハハハハっっっ!!面白いっ、面白いぞっ!碇シンジっ!!」
「…なに?」
「そうか…こう言う事か。手負いの癖に良くここまでやる物だ。」
「何が、言いたい…」
「久し振りだよ。ここまで俺と互角に戦ってくれる奴は…」
「だから…どうしたっ!!」
 金属音。飛び退き距離を取る男と少年。間合いを計る両者。
「確かに面白い…だが、ここまでだ。そろそろ止めと行こうか?少年っ!!」
「!?」
 ウォルフガングの突き出した右腕のブレードが、弾丸の如く発射され眼前に迫り来る。上体を反らし辛うじて回避するが、前髪が数本持って行かれる。ぎりぎりか。そして視線を戻した時には既に時遅く。
「遅い。」
 ボディーブロー。振動。
「がぁああああっっっ!!」
 吹き飛んだシンジは何本も背後の木を薙ぎ倒し吹き飛ばされ、勢いの弱まった所で木に激突し、そのまま崩れ落ちた。
 辛うじて動いた左腕をカバーに向けたが、腕ごと持って行かれた。内蔵もかなりやられている。
「ぐっ…かっはぁ!」
 吐き出す鮮血。不味い、よね。
『…何やってるんだろ…僕…』
「良くやったと言いたい所だがな、少年。ここまでだよ。」
 歩み寄るウォルフガング。
 僅かに。視線を上げるシンジ。
『…ゴメン…』
 それは、誰に向けた物か…

「おいおい。なぁに梃子摺ってるんだ?」
 振り向くウォルフガング。見上げるシンジ。
 崖の上から加持と、血に染まったカムイが見下ろしていた。
 その瞬間、ウォルフガングは標的を変更せざるを得なかった。目の前の瀕死の虎よりも、後門に現れた死神の方が余程厄介だ。
「シンジ君!?」
 傷を負うシンジを助けようと加持が飛び出そうとするのを、カムイは引き止めた。
「どうした?止め刺さねぇのか?」
「…何?」
「ホレ。死に掛けだぜ?」
「お、おいっ!司狼!?」
 判ってはいるが、これが陽動で次の瞬間、自分が背後から突き刺されていてもおかしくは無いのだ。おいそれとウォルフガングがカムイの挑発に乗れる筈も無かった。
 尤も、本人にはその気はさらさら無かったが。
 カムイが求めた物は…





 

 

 

 

 

「…シンジ。」

 

 

 

 

見上げる。

血に染まった、悪鬼。

だが、その瞳だけは、

どこか真摯で…

 

 

 

 

 

「…お前は、何故、戦う?」

 

 

 

 

 

何故…

何故、僕は戦う?

 

もう、悲しむ顔を見たくなかった…

誰も、死なせたくは無かった…

 

一度全てを壊そうとした僕が言えた事じゃないけど…

 

 

 

 

 

あんたこのまま止めるつもりっ!?

今ここで何もしなかったら、私許さないからねっ!

一生あんたを許さないからねっ!!

 

 

 

 

 

絶望だけじゃないと、彼は教えてくれた…

 

 

 

 

 

好きだという言葉と共にね…

 

 

 

 

 

希望があると、彼女は教えてくれた…

 

 

 

 

 

…希望なのよ。

 

 

 

 

 

他人だから、生きていけるんだって…

 

 

 

 

 

でも、あなたとだけは、死んでもイヤ。

 

 

 

 

 

判ってる。判ってるよ。

だから僕はもう…

 

 

 

 

 

気持ち悪い

 

 

 

 

 

それでも好きだから…

だから、守りたいんだ…

 

荒い息、立ち上がる。

大丈夫。動く。

男が横目でこちらに気配を配っている。

驚いている。

あれ?

何でこんな事、分かる?

 

 

 

 

 

「…そうだ、シンジ。」

 

 

 

 

 

見上げる、やっぱり真摯な瞳。

でも………カムイ。

あんたは、

何を見てるのさ…

 

 

 

 

 

「お前が戦士を望むなら…」

 

 

 

 

 

そうさ…守る…

 守る為に、僕は、戦う。

 そう、決めたんだ…

 だから…

 

 

 

 

 

「戦って、死ね。」

 

 

 

 

 

 何かが、シンジの中で弾けた。

 

 

 

 

 






カムイは憶えていた。忘れ様も無い。
 一度だけ。奴のキレた瞬間を。閃光。煌く白銀。迫り来る疾風。
 一体幾つ痛烈打と斬激を食らったか。それなりの自負もあった。
 だが、『ソレ』は明らかに自分と同等か、それ以上。
 カムイは僅かに口元を歪めた。

『見せてみろ。お前の本当の真価を。』

 加持には何も見えなかった。
 認識出来ない。視覚が。
 閃光。
 目も眩む一撃。
 気付いた時には、何もかもが終っていた。

『おいおい…嘘だろ?』

 ウォルフガングは観ていた。確かに観ていたのだ。
 異様な気配を察し、目の前の死神も然る事ながら、ソレよりも遥かに鋭い殺気。
 目の前の死神は何故か先の殺気を潜め静観している。
 ウォルフガングの野性の勘が、危機は背後だと察知していた。
 何やら死神が言っている。だが関係無かった。
 明らかに自分の敵は後ろに居た。
 横目で少年を見やる。
 少年は居なかった。
 否。
 そこに立ちつくしていたのは、

『…馬鹿な…あれだけのダメージを…』

 残念ながら、彼の思考はそこまでだった。
 掻き消える少年。
 次の瞬間ウォルフガングの思考は断線を起した。

 カムイだけが見えていた。辛うじてだが。
『…凄まじいな。』
 手負いの狼、とは良く言うものの、だ。
 あの時から約半年間。カムイはその実力を今まで見た事は無い。
 ソレでもだ。
 左腕粉砕。
 腸部数ヶ所破裂。
 左大腿裂傷。
 裂傷、打撲数多。
 この状態からである。
 直立からの無動作反応。背後の木を蹴り跳躍。その距離8m。
 跳躍と言うよりも、あれは飛行だ。
 そしてそのまま男の頚動脈---否、首ごと切断。
 足下に転がる生首。
 余りの速さに、未だ立ったままの胴体。
 血飛沫を上げる切断部。
 遥か後方に着地しているシンジ。
 総飛距離にして、12m。
『…化けモンだな。こりゃ。』

「加ぁ持。」
「え?」
「手ぇ、貸してやれよ。ありゃ立ってるのがやっとだ。」
「!?」
 加持が正面に向き直った途端、シンジは片膝を付き倒れ込んだ。
「シンジ君っ!!」
 駆け寄る加持を尻目に、苦笑しつつカムイも歩み寄った。
『やれやれ。余程の入れ込み様だな、ありゃ。』

 懐からMarlboroを取り出す。一仕事終えた時の一服。これだけは止められない。
 じじっと。zippoに点した火に照り返る自分の顔と、火の灯る紙巻煙草の先端。
 深く紫煙を吸い込み、空を見上げた。

 満天の星空。
 満月は既に元の姿を取り戻し、何事も無かったが如く三人を照らす。

 3月22日。
 日曜日。
 満月。

 カムイは満月を睨み据えたまま。

「………何が…復活した?…」

 応えるモノは、そこには無く…










拾四.






 重症ではある。
 が、その程度でくたばる程生温い鍛え方はされていない。
 目が覚めると、そこは場末のモーテルなのか。シンジはベッドに寝かされていた。
 溜息。
「まだまだ、だな…」
「よ。御目覚めか?」
 首だけ廻す。左肩が僅かに軋む。鎮静剤でも打ってあるのだろう。それ程酷い痛みは来ない。尤も薬が切れた時の事は考えたくないが。
 ドアから顔を覗かせたのは、案の定自分の保護者だった。
「ん。」
 カムイは煙草を咥えたまま、椅子を引っ張って来て、背凭れを前に跨いでどかりと座った。
「まだまだだな。」
「だね。」
「甘いんだよ、お前は。」
「そうかな?…そうだね。」
「その代償が、これだ。」
「うん。」
「でも。」
「?」
「俺が教えてやれる事はもう無いさ。」
「……そう。」
「あぁ。」
 静謐。今、何時だろ。
「シンジ。」
「?」
「まだ答え、聞いてなかったな。」
「………」
「決めたか?」
 何が、とは問わない。判っている。彼が何を言いたいのか。
 ずっと悩んでいたのだ。ここ数日。否、あの日。世界が一度終末を迎えた日から、ずっと。
 だから、だからこそだった。
 死にたいと思ったあの時。
 死に掛けたあの時。
 気付いた事…

『今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気付き、後悔する。私はその繰り返しだった。糠喜びと自己嫌悪を重ねてるだけ。でも、その度に前に進めた気がする…』

 そうだ。
 忘れてはいけないんだ。
 きっとあれが、僕の求めているものだから。
 だから…

『何の為にここに来たのか、何の為にここにいるのか、今の自分の答えを見付けなさい。そしてケリを付けたら、必ず戻って来るのよ。』

 ゴメン。ミサトさん。
 決めるのに、こんなに時間、掛かっちゃったよ。
 ゴメン、カヲル君。
 ゴメン、綾波。
 ゴメン、アスカ。

『…約束よ…』

 僕は…

「決めたよ。」
「……で?」
 カムイを見る。真摯な瞳。
 だからだろうか?
 何の気負いも無く言えた。
「僕は、Nervへ戻る。」
「…そっか。」
「うん。」
「いいさ。お前が自分で決めた事ならな。」
「うん。」
「でも、忘れるな。」
「え?」
「あの時のお前が、本当のお前だ。」
「………」
「そして、それで終りでもない。」
「……うん。」
「分かってりゃ、良いさ。」
「うん。」
「だから、今は休め。」
「…うん。」

 そして静かに、シンジの意識は眠りに付いた。










拾伍.






 朝は比較的強い方だ。あっさりと起きられる。
 あいつは…自分とは正反対だな。
 久々に安穏とした空気に、思わず彼の地の彼女の寝相の悪さを思い出す。
 部屋を出ると彼が、自分達しかいない事を良い事に、寂れたモーテルの真ん前で、シャワーの後なのだろう。上半身素っ裸で、朝日を全身に受け、コップ片手に歯など磨いていた。
 とても先日の悪夢を片付けた張本人とは思えない。が、その剥き出しの身体が徹底的に鍛え上げられた物だというのは、否が応にも判った。
「よう。」
「お~ぅ。」
 歯ブラシを咥えたまま返事して来る。取り敢えず加持は、事終るまで一服でもしながら待つ事にした。
 今日も天気が良い。一昨日の凶事から二日目の朝。傷付いたシンジを運び、このプエルトオルダスまで戻り、取り敢えずシンジの容態が落ち付くのを待っている。流石に若い、しかも鍛えている人間の回復力は違う。昨日には既にがつがつと食事に有り付くシンジは、見ているこっちが気持ち悪くなる程食いまくっていた。『食って治す』。Nervに入隊して直ぐ派遣された教練部隊で、良くそこの教官に言われたものだが、あれは本当だったと改めて思い知らされた。
 あれこれ考え巡らす内に、いつの間にやら自分の隣に来て一服しているカムイに驚く。全く、油断も出来ないな。こいつの前じゃ。
「どうだい?シンジ君の容態は?」
「ま、良いんじゃねぇの?そろそろ動けるだろ。」
「もうか?」
「んな甘い鍛え方はしてねぇって。」
「ま、だろうな。」
 もう次元が違うのは判ってはいるが。改めて言われると、呆れる。
「で、どうすんだ?」
「シンジが帰るっつてるんだ。良いじゃねぇか。」
「…良いのか?」
「俺はお前から預かっただけだ。」
「…フッ…なら、良いけどな。」
 案外、情にほだされ易いかとも思ったが、そうでもなかったらしい。今になって手放すのが惜しくなったのではとも思ったが、気の使い過ぎだったらしい。
 苦笑する加持を余所に、カムイは話題を変えて来た。
「ところでな。」
「ん、なんだ?」
「お前が御嬢騙した事。怨んでるぞ?」
「御嬢?」
「ティア・フラット。」
「………」
 清々しい朝日の中、何故か加持の背中を涌き出る冷汗。
「ま、覚悟しとけ。」
「な、何とかならんか?」
「なんねぇなぁ。」
「………」
 取り敢えず滝の涙を流して現実逃避した。
「それとな。」
 まだ何かあるのか、と後ずさる加持。
「…そうじゃなくて。」
「?」
「第壱支部。何かあるのか?」
「第壱?何かって?」
 首を捻る。突然『何か』と言われても思い付かない。
「御嬢にシンジの事話したんだがな。」
「話したのか?!」
 シンジの生存を知るのは極々数名に隠して来た事だ。まぁ、シンジが帰国を決意した今、特に隠す必要は無いかもしれないが。でも、カムイがアーカム総帥と会ったのは、先日の任務前だった筈。情報が漏れることを怖れた。
「ま、安心しろ。あいつは何も言わんて。」
「そ、そうか…」
「それより、シンジを連れて来いと言っていた。」
「???」
「心当たりは?」
 考え込む加持。シンジが第壱支部に行って、何かメリットの或る事…
「………まさか…四号機か?」
「四号機?四号機ったら、あの第弐支部で消滅した奴だろうが?何で第壱支部に…」
「回収されたのさ。先月の話しだ。北極点に突然出現した。原因は不明。これを知ってるのは、それこそNervとアーカムの上層部の中でも一握りだけだ。ホストコンピューターにさえ記載されていない。データ上は本部と第壱支部のMAGIだけだ。大体、アーカムの協力援助だって、殆ど四号機が一番の理由だ。新機種開発は隠れ蓑さ。」
「…そういう事か…」
 そして、シンジというキーパーソンが齎すメリットは…
「…という事は間違い無く、起動実験か。」
「だろうな…尤も、御嬢はまた別のパイロットを乗せるつもりらしいが…」
「?…シンジ君じゃ、ない?」
「そりゃそうだろう。シンジには初号機がある。」
「…じゃぁ、新機種の起動テストだけで、正式パイロットは予備役から、か…」

 何やら考え込む加持を横目に、ぼっと空を見上げる。
『ま、その内気付くだろうから、言わんでも良いか…』
 わざわざ乗る気の無いパイロット候補がここに居る等と、教えてやる気も無い。
 どっちみち自分は断るつもりだ。彼女が何と言おうと。
「…それより、司狼。」
「んあ?」
「お前…Nervに来てみないか?」
「………」
 呆れる。俺を組織に束縛するつもりだったらしい。アーカムでさえ、ティアが居るから俺を引き止められていられると言う事に、彼は気付いて居ない様だ。
「お前…始めっからそのつもりだったな?」
「あ、あぁ…まぁ、な。」
「生憎だったな。俺は縛られるのが大っ嫌いなんだよ。」
「ハァ…そうか…やっぱだめか…」
 どうやら引き際だけは弁えてるらしい。もう一度誘おう物なら、その首にナイフでも突き付けてやる所だった。
「良いじゃねぇか。シンジが戻るんだ。あいつに兼任でもやらせろよ。」
「ま、そのつもりではいるんだが…」
 何やら言い含む加持。
「?…何だよ?」
 振り向くと、珍しく真剣な加持の目が、カムイを射った。
「どのみち、あんたは来る事になるんじゃないのか?」
「………」
「…お前が、アーカムと繋がっている限りは、な。」
 交錯する視線。静寂。朝日が二人を照らす。

 不意に開かれるドア。部屋から出て来るシンジ。
「おは…よう…」
 途中で語気が削がれる。勿論、目の前で睨み合う二人を見止めたからだ。
「…どうしたの?二人とも…」
「なぁに。何でも無いよ、シンジ君。どうだい?」
「あぁ、はい。普通に生活する分には、もう。」
「そりゃ良かった。」
「シンジ。」
 加持とシンジの会話に割り込むカムイ。二人は振り返る。
「準備しときな。加持もだ。第壱支部へ行く。」
「第壱支部?何で?」
「ま、その話しは後だ。取り敢えず飯でも食おうや。」
「は、はい…」
 不思議がるシンジは、背を向けたカムイを横目に、部屋に押し戻されてしまった。
 加持が一瞬立ち止まり、何やらカムイに呼び掛けた。
「司狼。さっき言った事は忘れてくれ。俺の気の迷いだ。」
 カムイの返事は…無かった。


 変わらず朝日を眺めつづける青年が一人。

 柔らかな、風が吹く。

 僅かに目を細め、青年は自身にしか聞こえない声音で呟いた。





「…昇るか?…降りるか?…」





 朝日だけが、それを聞いていた。





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First edition:[2000/05/06]

Revised edition:[2000/09/20]