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壱.

 

 

 

 

 

2017年3月25日 午前4時44分
ドイツ ベルリン市街





 白み始めた夜空に浮かぶ、一粒の黒点。
 否。
 それは鳥だ。
 ゆっくりと滑空する彼を、この時間に見留めた者はいない。人影少なく僅かに点在する浮浪者達も、凍えるその身を丸め生きる事に精一杯で、空を見上げる者等居はしないから。
 大きく旋回した黒鳥の行く先は、ベルリン市街で荘厳な威光を放つ、ベルリン大聖堂。ホーエン・ツォレルン家の墓所である。第二次大戦の爆撃で大天蓋に大きな被害を受けたそれも、今は元の姿を取り戻し、時を経た今も煌びやかに在り続けている。明け始めた街に浮かび上がる精密な彫刻が施されたそれは、人という歴史の中で何を見続けて来たのだろうか。
 音色。
 誘われる様に天蓋に取りついた黒鳥の先には、天窓が一つだけ開け放たれ、そこからパイプオルガンの音色が盛れ出て来ている。もし、彼が人の知識を得ていたのならば、それを一度は何処かで聞き及んでいた事だろう。ましてやこの国の者ならば、尚の事彼の創り出した名曲を知らぬ筈も無かっただろう。
 『Johann Sebastian BACH/バッサカリアとフーガ ハ短調』
 荘厳な聖堂に荘厳な楽曲。天才と謡われた彼の者が奏でたその曲を、寸分違わぬ程に再現している。
 何処か危う気で、何処か儚く。
 オルガンの音色がそれをまた一層深めて往く。
 黒鳥が果たしてそれを知ってか知らずか。天蓋で暫し明け往こうとする空を眺めている。その姿はまるで音色に耳傾けている様でもあり。
 幾許かの後。やおら天窓から飛び降りた黒鳥。両翼を大きく羽ばたかせ、ゆっくりと下降して行く。その大きさからはとても考え付かない程の静かさで、ゆっくりと、ゆっくりと。
 音色は徐々に盛り上がりを見せ、更に哀しげに。更に悲しく。
 黒鳥は揺ったりと重力を感じさせずに地に辿り着く。
 否、そこは地面では無く。ずらりと並ぶベンチでも無く。
 それは、人間の肩。
 つい先刻までは間違い無くそこには無かったその存在。漆黒の長髪。漆黒のスーツ。漆黒のコート。まるで存在自体が漆黒のようなその左肩に、同じく漆黒の鳥が留まっている。ただ、陰が携えた刀剣らしき物だけが、鈍く光を反射していた。
 静かに佇み腰掛ける漆黒の陰。否、正確には彼はベンチに腰掛けているのでは無く。座するべき所に黒のビジネスシューズを乗せ、背凭れるべき場所に腰掛けて足を組んで座している。
 僅かに身動ぎをした黒鳥を余所に、不安定なその場でも漆黒の男はぴくりとも動かずに、ただ静かに目蓋を閉じていた。
 黒鳥の深紅の瞳が、聖堂の正面中央を見据えた。
 そこには先刻から聖堂に鳴り響く音色を奏でる者。
 鍵盤を走る指先の動きに合わせ、揺れ惑う煌く金糸。巨大なパイプオルガンに据えられた、装飾細かなチェアに座り、一心不乱に音を奏でるそれ。その鬼気迫る様は、曲を創作した彼の者が乗り移ったか如くに、静かに、激しく、時に倒錯に満ち、喜び溢れるが如く。時折見える横顔は、まるで西洋彫刻が如く完成された端正な白磁。その目蓋もまた、全く開かれる事は無く。しかし、その指先はまるで精密機械か、または神の如く正確な調べを奏で続けていた。
 やがて。
 オルガンの音色とは異なる、しかし清浄な声音が響いた。
「我が地ドイツが生んだ彼の大バッハはこう言ったそうだ。『音楽は神の素晴らしい賜であって、本来神に発するものであり、優れた音楽は様式の如何を問わず神を讃え得る』…真理だとは思わんか?終局の為の序曲には彼の曲が最も相応しい。
「お前が目指すのは終局か?」
 今まで身動ぎもしなかった漆黒の陰。男は僅かに緩めた視界から、何も無い正面をねめ付ける様に曲を奏でる男に応えた。
「っクククク…俺が目指す物は唯一つだ。終局は彼等の為に。」
 外見の高貴さからは遠く離れた下卑た忍び笑い。それでもやはり。男の手は全く別の生き物の様に、鍵盤の上を動き回る。
「ゲートは無事開いたそうじゃ無いか…流石は魔術師殿といった所かな?」
 一瞬だけ。金髪の男はその視線を漆黒の男に寄越し、直ぐ様目蓋を閉じた。黒鳥も陰も全くその様子を捉える事無く。しかしそれは気配で察している様ではあった。
「言った筈だ。俺はそんな物ではない。今は只の雇われ者だ。」
「フッ。よく言うぜ…百を越す配下を世界中に持つ首領が。」
 陰は無言でそれに応え、男は返答が無いのを応えと取ったのか、再び演奏に集中しだした。
 曲が徐々に終盤を迎えつつある。譜面は何処にも無い。この男は十五分近い楽曲を先程からそらで弾き続けている。しかもその視線を一度たりとも鍵盤には向けようともせず。にも関わらず、その調べが本来の演奏と全く劣らぬ程の出来映えなのは、それだけ彼がこの曲を知り尽くしている為か。それとも…
 男が再び口を開く。
「さて、次は何が聴きたい?やはりバッハか?」
「残念だが、クラッシックに興味は無い。」
「クックッ…お前はクラッシック所か音楽だって碌に知らないんだろう?」
 陰はやはり無言。それがまた男には面白い事だったのか。更に忍び笑いを続けた。
「『幻想曲とフーガ ト短調』なんかも序曲には良いがな。俺はやはりワーグナーが最も相応しいと思うぞ?『マイスタージンガー』等尚更だ。ニュルンベルグで生れたこの曲程、序曲としては相応しくは無いか?」
 男の講釈を全く聞いている様子の無かった漆黒の男は、ふと出て来た地名にその目蓋を開いた。
「…本部ではなかったのか?」
 それこそ意外だと言わんばかりに視線だけを向ける演奏者。口元に浮かべる笑みは何を意味しているのか。
「何の為に態々爺共の汚物処理をやらせたと思ってる。せっかく我が地を掃除して行ってくれたんだ。使ってやらにゃ悪いだろうが?」
「その為の第参支部か。」
「最後のゴミ溜めだ。」
 暫し睨み合う二人。否、視線は全く合っていない。全く絡み合う事の無い鋭い視線。しかし、確かに二人の視線は何処かで絡み合っていた。陰はすっと目蓋を閉じ、元の盲目に戻る。
「お前が頭だ。好きにするが良い。」
「そりゃどうも。魔術師殿。」
 おどけた男の声とは裏腹に、曲は最高潮の盛り上がりを迎え、そして荘厳に終焉を迎えた。
 と同時に雑音。
 否。
 それはこの聖堂にある、一つの扉が開かれた軋み。
 静寂の訪れた聖堂内に響く、床とヒールの奏でる規則的な歩調。やがて薄闇から姿現し、天窓から差し込む微光に祝福されし乙女。涼やかなライトブルーのワンピースドレス。純白のコート。流れる茜の髪。白く透き通った肌。
 ただ一つ場違いな物。仮装舞踏にでも出席しそうな、その目元覆おう蝶の仮面。刳り抜かれた瞳だけが蒼く光りを返していた。
 天窓が作り出した円筒の光りの空間の中央。立ち止まった少女は恭しく会釈する。
 ゆっくりと閉まった扉の音。
「十二使徒。御命令により参上致しました。」
 深窓の礼嬢の呟きが終ると共に、聖堂内に再び響き出す、禍禍しい旋律。しかし直ぐにその調べは荘厳な物へと変わって往く。
 『Wilhelm Richard Wagner/myster Singers of Nuremberg』
 ワーグナーにしては珍しく喜劇色の強い曲。彼の作品の中で最も難しく、しかも管絃楽曲である。それもこの男は何の苦も無く、パイプオルガン一つで再現している。どうやら彼はその辺の奏者とは格が違うらしい。
「あぁ。御苦労。相変わらずアンジェラは美しいな。仮面を剥げば更にその美しさに、俺の目も眩むだろうぜ?」
 紡がれる楽曲とは余りにもそぐわぬ厭味。しかし、男の声自体がそれを幾分緩和させているのは確かだった。
 少女は僅かの逡巡。しかし特に気にした様子も無く、極々普通に謝辞を述べた。
「申し訳ありません。」
 男は顔も向けず口元だけ僅かに微笑み応えた。
「なぁに。お前の美しさは俺が良く知ってる。仮面を取らずともその高貴さは、存在すべてが証明しているさ。」
「…有り難う御座います。」
 少女も男も、全く陰の存在を捉えていながら、その眼中には無いものとして扱っていた。僅かに。黒鳥が退屈だと言わんばかりに、欠伸と羽伸ばしをし元通りに佇んだ。
「ところで。一人足りない様だが?」
 それこそ何でも無い事の様にのたまう男。
 しかし、それに過敏に反応したのは少女の方だった。僅かに顔を歪めたのが仮面越しにも見て取れた。
「申し訳ありません。カグヤが手間取っている様です。」
 よく目を凝らせば、漆黒の男以外にも何時の間にやら音も起てずに、薄闇に紛れる人影が聖堂内に点在していた。ベンチに座る者、寄り掛る者。壁際に立つ者。その数、十。少女を入れて十一人が、あの僅かな間でこの聖堂内に入り込んでいた。
「そうか。あいつは病弱だからな。尤も、そこがまた彼女の魅力でもある。か弱い少女を守りたくなるのは男と言う生き物の性だな。」
 男の言葉に更に不機嫌そうに顔を歪める少女。顔を合わせてもいないに関わらず、それに呼応する様に男の口元が笑みを漏らした。
「嫉妬するお前も中々に可愛い物だな?」
 少女はぴくりと反応し、ばつの悪そうに顔を背けた。くつくつと盛れる忍び笑い。少女の頬が僅かに染まっているのは、朝日が顔を見せ始めた為なのか。
 暫し聖堂に流れる音色。何時の間にか少女も目を閉じ、その音色に耳を傾けていた。否、他の者も。
 再び雑音。が、奏者が演奏を止める事はしなかった。
 薄闇から小走りに姿現し、中央に立つ少女に並んだ今一人の少女。腰まで伸びる漆黒の髪。その髪が艶を失わず光りを返しているのは、持ち主の手入れが行き届いているからだろうか。
 その風体はこの街では些か不自然であった。本来日本と呼ばれる東洋の異国で見掛けるその衣装。しかし、例えその国であれ、街中を歩くには些か不似合いな。それは巫女と呼ばれる衣装。純白と深紅の日本装束。その上から。まるでちょっと散歩に出ましたという雰囲気で羽織った、洋物のチャコールグレイのコート。アンバランスなそれに、清純さを湛える少女の風貌。
「遅れて申し訳ありませんでした。」
 奏者に向け深く陳謝する巫女姿の少女。特に反応せず演奏を続ける男の変わりに、隣に立つ少女が口を開いた。
「遅いですわよ。」
「ごめんなさい。」
 巫女の少女はこれと言って言い訳するでもなく、只同じように謝辞を述べた。尤も大分砕けた調子ではあるが。仮面の少女が続けて何か言おうと口を開こうとした時、男の声が響いた。奏者ではなく、漆黒の男である。
「揃ったぞ。」
 呟きに呼応し嘶きを上げる黒鳥。人類に確認されている鳥類と明らかに逸脱した種の鳴き声は、やはり何処か狂気地味ていた。だが、それに特に反応した者は無く。奏者もまた只管に演奏を続けるのみ。
 徐々に盛り上がりを見せ始める楽曲。やがて…
 オルガンの音が響き渡っているにも関わらず、何故か男の声は聖堂の隅々まで行き届いていた。
「俺は別に時間の制約などは付けん。皆自由にやってくれ。死海文書等というつまらん物に囚われた爺共と、俺達の目指す崇高なる目的とは訳が違う。」
 終焉を迎え往く楽曲。更に身を持ってさえ曲を表現する奏者。にも関わらず、彼の声だけは全く別物の様に響き続ける。
「俺達は、俺達の力のみで進もうじゃあないか。全てを手に入れようじゃ無いか。」
 その場にいる者達、皆が奏者の調べと言葉に聞き入っていた。漆黒の男と黒鳥以外は。
「時間は、たっぷりとある。糸は全ての必然を取り囲み、全ての必然を起してくれる。刻は満ちた。」
 更に激しく、強く、脈動する終局。
「その為の集結。その為の序曲。全ては我等、エホバの名の元に。」
 最後の一音、最後の一言が、残響となって聖堂に響き渡った。
 立ちあがる男。そのまま腰掛けていた椅子にのし上がり、右足を背凭れに掲げ、大仰に天を仰いだ。
「さぁ。創めようじゃねぇか。プレリュードをっ!!」
 まるで天子の誕生を祝福するが如く聖堂に、男に注し込まれる清浄なる光り。
「ぎゃははははははははははははははははははははっっ!!!!!!!!」
 余りにも場にそぐわない、禍禍しい笑い声が響き渡った。






エホバ来たりて



 

 

 

弐.



 

 

 

2017年3月25日 午前11時05分
アメリカ フロリダ州 Nervアメリカ第壱支部





 先日。
 無事第三新東京市立第一中学校を卒業し、晴れて来月より同第一高等学校へ進学の決まった、少女が今、このNerv第三実験場にて何をしているかと問われれば。
「うっさいわねぇっ!私は今気が立ってるんだから話し掛けんじゃないわよっ!!」
 と返しただろう。
 少女の名を、惣流・アスカ・ラングレー嬢、という。
 アスカはせっかく手に入れた、僅かばかりの貴重な休日を満喫する為に、先日よりあれやこれやと思惑を重ねていたのだが、彼女の保護者、葛城ミサト二佐作戦部長の、
「あ、忘れてた。アスカぁ。明日朝10時から本部で弐号機の最終調整と起動実験やるからぁ。んじゃ、よろしくぅ!」
 と言う無責任極まりない一言によって、彼女の『休日の過ごし方エトセトラ至福の時間5時間16分43秒』は、物の数秒で灰塵と化したのである。
 余談だが、彼女の保護者も一緒に灰塵と化したのは言うまでも無く。
 これに対する碇リツコ女史のコメント。
「無様ね。」
 そんな訳で、朝も早くから呼び出し食らった彼女は、エントリープラグの中で悶々と「代休は必須よね。ボーナスだって付けて貰わないと割に合わないわっ。」と息巻いていたりするのである。
 EVANGELION弐号機改修型。
 正式型番:EVA-02 B-Type
 ケイジに拘束されている弐号機に左程の変化は無い。
 では何処が改修型なのかと言えば、先ずは全体の装甲強度が上がった事である。Nervが新たに迎えたアーカム技術部員達の手によって、現行機種から約1.5倍まで装甲強度を上げる事に成功している。しかも装甲重量は従来よりも80%まで軽減されていて、である。これは、アーカム財団が占有秘匿所持する、稀少金属オリハルコンの生成技術の過程で判明した、金属類生成技術の一端であるのだが、これを知る者はNerv上層部と元アーカム技術員だけである。これは本来オリハルコンが、『賢者の石』という古代の何者かが生成した特殊金属から得られる物であり、またその存在は世間には全く知られては居ない。しかもこの賢者の石。生成の仕方次第で如何様な使い道も出来ると言う優れ物である。だが、この様な物がおいそれと権力者に知れれば、争いを招くことは必死。それ故例えNerv内と言えども、そう簡単には事情を話せないのである。結局、一般技術員にはアーカムの技術力が優れた物である、としか説明できず暫し軋轢も生じはしたが、その後特には問題が起こる様子も無かった。技術屋にとってはそれ等の技術を吸収し、自らの知識とする方向に転化する方が有益だった為だ。また重量軽減分、肩部・腰部・股関節等にも装甲が追加され、更に防御面で強化されている。
 次に、各種武器装備にも変化はある。従来EVAに標準装備されていたのは、両肩に装備されたウェポンラックのみであった。プログレッシブ・ナイフとニードルガン。この二種が主であったが、本来汎用兵器とはいえNerv内では、余りにも野戦向きの装備は疎かに見られていた。これを空かさず指摘したのもまた、アーカムの技術職員である。彼等は本来アーカム所属特殊部隊SPRIGGANに専属する職員と、遺跡調査をする職員等とに大別されている。そして、Nervにやって来たのは略六割が前者である。これは移籍者選別に当たって財団総帥自ら出した指示による物だ。彼女はEVA、牽いてはNervと言う組織が、自分等のSPRIGGANと財団という位置関係と左程変わり映えしないと見抜いた為だ。そして、EVAをサポートする為には、戦闘に有益な効果を配せる技術員を、としたのである。結果、EVAには装備過重にもならず、しかしあらゆる事態に最低限対応出来る武装を施したのである。例えば右大腿部装甲。ここにはプログナイフよりもサイズ・強度共に大きく、しかし長剣程には邪魔にならない、所謂コンバットブレードが装備されている。更に左大腿部装甲内には、オートマチック・ガンと、予備弾薬。他にも色々と物騒な代物---例えばn2手榴弾---をという案や、重武装型改修案もあったが、予算と常識的範疇から碇リツコ女史が丁重にお断りした。
 目に見えぬ所では、全体の筋力アップと骨格の強化。これには以前から懸案として上がっていた物だが、バランスの調整が難しい為、従来の15%向上に止まった。また、流石のアーカム技術員もEVAという、初めて触れる対象の本質部分だけに、早々手を出す訳にも行かなかった。
 さて、改修型の最も大きな変化と言えば、やはりアンビリカルケーブルの廃絶とS2機関の搭載であろう。本来制御不能だと思われていた半永久機関は、皮肉にもこの地に襲来したSEELEの使徒、EVA量産型から得られた技術から、搭載・実用が可能となった。これにより人類の未来を支える福音の使者は、地球上何処へ派遣されようが、何時間作戦が続こうが、稼動が可能になった訳である。
 そして、既に零号機・参号機・伍号機の三機は、既に改修を終え弐号機の改修作業と入れ替わりに、各専属操縦者と共に本来の待機任務へと移行・復帰している。
「で、まぁ~、無事弐号機も改修作業を終え様としている。とはいうものの、ねぇ…」
 コントロールルームから一先ず改修を終え、最終調整と起動実験の為拘束される弐号機を見ながら、作戦部長がぼやいた。彼女もまた、来月から第一高校のチルドレン候補生の警護、及び監視任務の為、建前上転勤という立場にある為に現在お休み中。よって本来の仕事である、Nerv本部へと一応顔を出している訳である。相変わらず寝坊が多く、同居人に叩き起こされる毎日が続いているのは言うまでも無い。今日も今日とて遅刻して来ている。
「何?何か不満でも?」
 応えたのは、Nerv本部のおっかさんが板に付いて来た技術部長。最近では人員増強が好を相し彼女の負担が大幅に軽減された為、いざ主婦業に専念しようと思えば何時の間にやら、自宅の御大臣は娘に全て取られており、しかも娘の方が手際が良かったりする。結局、すごすごと本部に戻り仕事をやっていたりする訳である。一度だけ仕事奪還の為説得を試みるも、「いい。楽しいから。それに、皆の役に立てるし。」と言う健気な一言に、敢え無く断念。結果仕事に専念する事に決め、余暇が出来れば出来るだけ娘との時間を持つようにしている訳である。特殊な家庭事情にあるとはいえ、それが周囲からは理想の家族像に見えるらしく、更には否が応にも面倒を見る羽目になったNerv内の問題児達の御陰で、晴れておっかさん襲名に至った訳である。
 そんな二人が大学時代から変わらぬ仲として、今はこの組織を引っ張っている。
「ん~…」
「なに?はっきりしないわね。何か要望があるなら今の内よ。」
 言葉を濁すミサトに、僅かに眉根を寄せマヤの席でコンソールに見入るリツコ。ミサトは腕を組み今度はモニタに映るアスカを見た。
「アスカがねぇ。いやぁ、私も前から懸案事項だとは思ってたけどさ。」
 妙に言い淀む。まぁ話す気はあるのだろうと見て取り、リツコは手元のモニターを凝視する。ミサトは続けた。
「ま、要するに現状じゃぁどうにもなら無いわね。流石にあんたでも無理よ。」
 頭の奥でかちんと何かが鳴った。人はそれを技術屋魂と呼ぶ。
「何なの?はっきり言いなさいよ。」
「だから。戦力配分の事。」
「?…本部と支部の?」
 今現在本部以外にあるEVAは、第壱支部にある四号機である。しかしこの四号機。実は先月の発見から未だ、世間一般国連を含め何処にも公表されていない。第壱支部以外の支部にも、である。
 何せ曰く付きの機体である。世界初のS2機関搭載実験機として起動と同時に暴走を起こし、第弐支部ごと消滅。しかも先月、謎の磁場異常と共に突如出現、回収された機体である。ある意味、封印された初号機と同様の危険性を孕んだ期待であるのだ。それ故上層部によって公表は控えられ、未だ世間に隠匿している形になっている。
 だが、リツコにとって解せないのは、それを決めた上層部の中に自分が居ない事である。ここで言う上層部とは、総司令碇ゲンドウ・副司令冬月コウゾウ・そしてアーカム代表ティア・フラットの三名である。そう。リツコさえその後の事を聞かされていないのだ。ゲンドウから聞かされているのは『四号機の存在抹消の為改修作業を施し、それを次世代機種として公表する』と言う事だけだったのだ。無論これはリツコとミサト、そして上級管理職者だけである。
 リツコにとっては憤慨やる方無い。そんな重要な懸案を技術層責任者足る自分抜きで決め、しかも一方的に阻害されたのである。そこで強硬手段を取ってみたものの、徹底的に夫を折檻したにも関わらず一向に口を割らないのである。内緒で第壱支部のMAGIにハッキングを掛けたが何も発見出来なかった。予想出来たのはおそらくアーカムが一枚噛んでいるであろう事。そして、MAGIを使わずに自前で何やらやっているらしい事。その二つだけだった。
 何よりそんな問題付きの機体を、自分の手に任せて貰えなかった事が、リツコの憤慨の一番の理由であるのは確かだった。
 だからこそ、支部間の勢力バランスが偏っている事が、真っ先に頭に浮かんだのだ。
 だが、親友が考えていた事はどうやら全く違ったらしい。
「違うわよ。最悪の事態に陥った時の戦力配分よ。そうねぇ…例えば、使徒の再来。」
「!?」
 ぽつりと呟いただけだったがタイミングが悪かったのか、意外にもコントロールルームに響いてしまっていた。全員の目が一斉にミサトに集中し、さしものミサトも少々ばつが悪かった。
「い、ぃや~ねぇ。例えばよぉ。例えば。」
「ぞっとしない例えね。」
 リツコがコンソールを離れミサトと並びモニターを見やる。
「それ、アスカが言ったの?」
「いやぁ、そう言う訳じゃないわよ。ただね。どうしてもEVAは格闘戦メインになるじゃない?そうなると個々のポテンシャルが均一であるに越した事は無いわ。しかも高いレヴェルでね。でも現実はそうも行かないわ。だからオフェンスとディフェンスのバランスが重要になる。ところがどっこい。今のNervじゃ、精々アスカクラスじゃないとオフェンスは勤まらないわね。レイとカヲル君じゃぁディフェンス止まり。鈴原君は、正直出せるかどうかも疑問ね。何せ実戦経験ゼロだからねぇ。況してや予備役に到っては気体さえ無い始末…」
 実はさっきから隣でリツコの青筋が数を増している事に気付かずに、欠点を次々と並べ立てるミサト。別にリツコのせいでは無いのだが、何故だか悔しい。
「…で?…」
 さしものミサトもリツコの様子がおかしいのに気が付く。すかさず寄り道を止め結論へ導く。
「だ、だから。しょうがないのよ。現状じゃぁ幾ら足掻いてもね。誰にもどうにも出来ないわ。でも、世界を守る新生Nervとしては意地でも守り通さなきゃ行けない。この間の廃棄衛星程度ならどって事は無いのよ。でも、もしさっき言ったように使徒クラスの災害が発生したら?」
「勿論。木っ端微塵ね。」
 リツコとてそこまで言われれば判る。戦力の増強。決して無駄に数を増やし、世界の派遣を握ろう等とは思っていない。しかしやり過ぎて困るという事だけは無い筈なのだ。予防出来る事ならば出切る限り手を尽しておかねば、いざと言う時に何も出来ないまま全てが終ってしまう。そういう職場だからこそ起こる、ジレンマ。判ってはいる。しかし、現状は何も出来ない。今出来得る事は精一杯しているつもりなのだ。かと言ってむやみやたらに予算を掻っ攫う訳にも行かない。世界で飢えに苦しむ人々が、未だこの地球上に五万と居るのだ。人はパンのみで生きるに在らず。早々無理も出来なかった。
「必要な事ではあるけど、現状出来る手盾としては…」
「そうね。レイ・カヲル君・鈴原君の底上げと、交代要員としての予備役の訓練増強くらいか。」
 尤も、ここの長達は長達で、何やら裏でこそこそやっている様だが。とは流石にここでリツコも口には出来なかった。無論その事はミサトも知っているので、判ってはいるだろうが。
 モニターに見入るミサト。視線の先には、赤の少女。成長期の御陰で先日プラグスーツを新調したばかりである。
 不意に、呟き。リツコにしか聞こえない程の。
「…初号機が、動けばね…」
「…それは言わない約束でしょ。」
「…ごめん。」
 御互い、目線は合わせられなかった。
 数十分後、弐号機改修型は無事起動。
 暴走する事無く安定を保ち、ロールアウトの為に最終調整へと入った。
 起動実験中、一つの朗報。
 セカンドチルドレンとしては過去最高のシンクロ率を叩き出した。
 シンクロ率、
 94.6%









 

参.





 

2017年3月25日 午前11時05分
アメリカ フロリダ州 Nervアメリカ第壱支部





 書類に目を落とし執務室への廊下を歩く、若い女性が一人。
 第壱支部司令代理職に就く、ティア・フラット。その人である。
 彼女は本日、出勤と同時に第一ケイジへ直行。その足で各種現場確認を行ない、新たな指示を飛ばし、今ようやく自分の部屋へと向かう所であった。
 元Nerv職員を含め、ここ一ヶ月の第壱支部での彼女の評価は、既に某総司令と同等であると評価されてもいる。尤も彼女にその気は更々無い。全てはNervの者達に任せてもいる。自分は只の仲介に過ぎないと。しかしその手際の良さがまた、下部職員の評価にも繋がっているのだが。何より彼女はちょっとした事でも、あしげく歩いて直接確認を取っている。その実直さが最も大きな評価へと繋がっていた。しかし実情は、このプロジェクトを隠密にこなさなければいけない為であり、その全ては彼女の頭の中でしか全体像は見えていない。個々は与えられた仕事しか知らぬのだ。それ等を数十名が纏め、更に数名がそれを纏め上げる。報告事項は個々書類提出のみに限らせDataは抹消。書類も事済めば焼却処分。一切は闇の中へと消え去り、全体像を窺い知るのはその頂点にいる者だけという周到さである。
 実は彼女の仕事はこれだけではない。彼女はあくまでもアーカム財団所属の、しかも総帥である。勿論その殆どは役員達に任せてはいるものの、肝心な部分ではやはり自分が見なければいけない事もある。だが、流石に数十年も続けて来た組織である。優秀な部下達も居る。黙っていても事は問題無く進み、自然最近の仕事配分は、前者が七、後者が三と言った所だった。
 以前彼女は書類へ目を通したまま廊下を進む。流石に巨大な敷地ではあるが、一ヶ月もあれば頭の中に地図が出来あがっている。何処ぞの某作戦部長や、某フィフスチルドレンとは大違いである。
 やがて見えて来た、司令執務室。扉の前で立ち止まる。圧縮式の扉が自動で開く。入る。閉まる。止まった。
 書類に目を落としたまま、部屋に入った直後に立ち止まった彼女は、ぴくりとも動かなかった。
 五分。十分。十一分と二十三秒。
 彼女は動きを見せた。
 書類を下し、しかし顔は俯いたまま。つかつかと広い執務室の中央奥、執務机のある所まで早歩きし、どんと大音響が響いた。
「何で貴方はそう神出鬼没なのっ!!」
 机に手を付き怒りに震える司令代理の視線の先には、僅かに口元に笑みを浮かべ、豪奢な椅子に座り愛用のMarlboroを咥えた青年が居た。
「よっ。急がしそうだな。」
 青年の名を、司狼カムイという。
「全く…一体ここを何処だと思ってるの?天下のNervよ?しかも私が居るのよ?そこら中に結界が張ってあるのに、一体どうやって入って来たんだか…」
 捲くし立て、額に手を当て、唖然と立ち竦むティア。ころころと忙しい。
「なぁに言ってやがる。こんなの只のバラック小屋じゃねぇか。素通りだよ素通り。」
「バ、バ、バ、バ、バ、バ、」
 バラック小屋ですって!?と言いたいらしい。彼女の言いたい事は尤もだった。何せ現在、この第壱支部はその機密性故、普通の人間には見えない呪符結界が敷かれている。ティア・フラットという魔女だからこそ出来る裏技である。それで無くとも天下の国連組織。警戒が厳重なのは言うまでも無い。下手をすれば本部よりも進入は不可能なのだ。それをこの青年はあっさりと一言で切って捨てたのである。尤も、彼だからこそ出て来る言葉であるが。
「ジオフロントじゃぁこうはいかねぇけどな。」
「何言ってやがる。俺のカードが無きゃ入れなかっただろうが?」
 突然上がった声にティアが振り返る。そこには、
「加持三佐…」
「ども。総帥。」
 そんな二人を余所にカムイは加持の言い分に応えた。
「それはお前だけだろうが。俺等は気配消して付いてっただけだ。御嬢の呪符結界なんざ精々殺気を捉える程度だ。手の内バレバレなんだよ。」
「………」
 きっ、と睨み返すティアを、何処吹く風でのうのうと言ってのけるカムイに、少々加持も引いていた。
 だが、ふと違和感を感じたティアは表情を緩め聞き返した。
「俺…等?」
 一瞬にやりと笑みを深めたカムイ。やおら立ち上がった彼は机を回り込み、ティアの肩を抱き反対向きに振り返らせる。
「紹介するぜ。俺の不出来な一番弟子の、碇シンジだ。」
 果たして。そこには以前見た写真とは異なり、しかしまだ幼い面影残る…少年が居た。
「あ、あの…初めまして。碇、シンジです。」
 少しどもりながらも笑顔で応えた少年。ティアは、何とも言い出せず唖然としてしまっていた。
 自分が連れて来いと言ったのは当然憶えてはいる。が、一度死んだと思われていた人物に相対する、と言うのは幾ら魔女の自分でも、早々体験出来る事象ではなかった。死ぬ時は死ぬ。それが自分達の生きる世界の常識だったからだ。
 いい加減無反応なティアに呆れ、カムイは助け舟を出した。
「シンジ。こっちが三百越えた魔女のぉぉぉぉぉっっっっ!!!!」
 突然腹を抱え悶絶し出した青年。それを無視する様に再起動した司令代理。
「何を聞かされているかは大体想像付くけど、無視して良いわよ。アーカム財団総帥のティア・フラットです。宜しくね。碇シンジ君。会えて嬉しいわ。」
「は…はい…」
 シンジには見えていた。何が起こったのかはっきりと見ていた。だから唱えた。勇気の出る呪文。
『逆らっちゃダメだ逆らっちゃダメだ逆らっちゃダメだ逆らっちゃダメだこの人にだけは逆らっちゃダメだ……』
「んのぉぉぉ…み、みぞおち…も、モロ…もろ……」
 何があったかは言うまでも無い。
 ティアは真面目な顔で振り返り、
「それから、加持三佐?」
「は、はいっ!!」
「違法カードはまぁ、目を瞑るとして。先日は大層なプレゼントを有り難う。きっちり御礼をしなきゃね?」
 最後の一言に何気にハートマークでも飛んで来そうな、美女中の美女の極上の笑顔であったが、加持の頭の中はそれどころではなかった。幾多の交渉人(ネゴシエイター)を務め成功を収めて来た彼にしても、である。
「は、はいぃぃぃぃ!!!!」
『逆らっちゃダメだ逆らっちゃダメだ逆らっちゃダメだ逆らっちゃダメだこの人にだけは死んでも逆らっちゃダメだ……』
 この中で唯一正しい選択を選べたのは、最も人生経験の浅い筈の、しかしこの手の状況突破には鋭い感性を持つ、年若いシンジだけであった。
 脅威の回復力で既にソファで茶など啜っているカムイ。
 その向かい。シンジの隣では死なない程度には手加減してくれた御陰か、一応その命を繋いでいる。
 シンジも取り敢えずティアの煎れてくれた紅茶で寛いでいた。「毒…入ってないよね?」と思ったのは内緒である。
 ティアは上座へ座り、同じ様に茶を一口付け、本題に入った。
「先ずは、ようこそといった所かしら。それと、良く無事で戻って来たわね。有り難う。シンジ君。」
「あ、いえ。そんな。こちらこそ、御迷惑をお掛けしまして。ここにこうして僕が居られるのは、カムイの御陰ですから。」
「まぁ。あらあら。そう…」
 何やら意味深な相槌でカムイを横目に見るティア。それに気付きじと目になるカムイ。
「…っんだよ?」
「い~え。別に。」
 要するに。ティアは自分が仲間外れにされた事が気に食わなかったのだ。メイゼル博士とマーガレット女史には教えていた癖に、自分には寧ろ隠す様にしていたのが、余計に気に食わないらしい。
「ま、いいわ。そういう事にしておきましょう。まぁ、何はともあれ、世界の救世主が無事戻って来たんですもの。」
「いえ、そんな…僕は、そんなんじゃないんです…」
 言い淀むシンジに僅かに反省の色を隠したティア。
「ごめんなさい。でも、貴方が世界を救った事に変わりは無いもの。もっと自信を持ったら…」
「止めとけよ。」
 ティアの言葉を遮るカムイはどこか冷めた表情で、カップに注がれた液体の表面を注視していた。
「こいつはそういうのが一番苦手なんだよ。いいじゃねぇか。もう終わった事だ。」
 そう言って再び紅茶をすすり始めるカムイ。カムイは判っていた。ティアがシンジに対し過剰な希望を見ている事に。魔女という人生を歩んでいた彼女に、些か人としての感情の機微を感じ取る部分が、欠落し始めている事に。だから彼女には判るまい。シンジがあの日からどれ程苦悩して来たのかと言う事が。勿論、カムイとて判っているつもりも無ければ、判ろうとした事も無い。そいつの悩みはそいつの物だ。そしてケリを付けるのもまたその本人だ。だからカムイはシンジの悩みに一切干渉した事は無い。
 話しを切替えさせる為にも、カムイは続けた。ティアが感情を取り戻すのは、難しい事だろうとも思いつつ。
「それより。ちゃんと連れて来てやったんだ。とっとと説明しろよ。どうせ御嬢の目的は四号機なんだろ?」
 僅かに驚きの顔を見せ、あぁと納得する。
「そう、加持三佐に聞いたのね。そうよ。いま、ここには先月突如出現・発見された四号機があるわ。」
「で、それにシンジ君を乗せ起動テストを行なおうと言う訳ですな?」
 加持が言葉を繋ぐ。シンジはここに来る途中説明を受けていた。四号機が発見されその改修作業を行なっている事。改良を加えS2機関が暴走する事は無いであろう事。そして、ティアの呼出しが起動実験の為にパイロットを必要としているであろう事、だった。シンジはその旨を受け了解し、三人はベネズエラからここへ来たのである。
 だが、三人の思惑は見事外れた。
「あら、誰がそんなこと言ったの?私はシンジ君に会って話ししたかっただけよ?」
「「「は?」」」
 思わずハモってしまう、男三人。ティアはにこにこと笑顔浮かべ平然と言ってのけた。
「だって、シンジ君じゃ四号機には乗れ無いもの。」
「ど、どういう事ですか?!」
 叫んだのは加持だ。カムイは概要をシンジに聞いただけで、EVAの何たるかは知らない。そのシンジさえパイロットとしてはそれなりに受け答え出来ても、技術的な面は碌に知らない。この場で事を詳しく知っている人間は、加持とここ一ヶ月で積め込まれた知識を正確に把握しているティアだけだった。
 ティアは暫し考え込み、しかし直ぐ口を開いた。
「ん~…これは私と碇司令と冬月副司令しか知らない事だから、口外はしないで頂戴。四号機が最初の起動実験で暴走し、消滅したのは知ってるわね?で、改修された四号機を調べたんだけど、実はパイロットが乗っていた痕跡が無かったの。」
 異を唱えたのはシンジだった。カムイはどうやら聞き役に徹する事にしたらしい。
「え?パイロット無しで、暴走ですか?」
「いいえ。パイロットは居たのよ。ここに居た第壱支部の元司令に白状させたわ。確かに候補生パイロットは搭乗していて、起動実験を決行した。」
 そこまで言われ、その現象に気付いたのは、他でもない。経験者足るシンジ本人だ。
「まさか…取り込まれたんですか?」
 ティアはその応えに満足し、先を続ける。
「さすが元パイロットだけの事はあるわね。そう。しかも、四号機のコアには何もインストールされてはいなかった。空だったのよ。それ故の暴走だったと言う訳。」
 シンジはサードインパクトの時に、初号機のコアに母ユイがいた事を明確に認識していた。それ故に、シンクロが本来どういったものであったかを、今は明確に認識している。そしてその奥に潜む初号機本来の意思も。
「回収された四号機のコアを調べたわ。本来ならパーソナルデータの書き換えで、ある程度の互換はされる物と言われているけど、それは嘘。適格者とは本来、血縁関係者をそのコアに取り込む事でコントロールが可能になる。そうして強制的に生産された子供達だからこそ、チルドレンと呼ばれたのよ。」
 それはつまり…加持が口を開く。
「では、シンジ君が可能な機体は…」
「そう。初号機のみね。」
 意外な事実を知り、思わず溜息を付く加持とシンジ。
 しかし今まで黙って聞いていたカムイが不服そうに口を開いた。
「じゃあ御嬢は何の為に俺達を呼んだ?俺達が来る意味なんて無いじゃねぇか。」
 それこそ不服だと言わんばかりにティアは声を上げた。シンジはそれを黙って見ている。
「だから来てもらったのは、私がシンジ君に会いたかったのもあるけど、彼にはレクチャーしてもらわないと。」
「何の。」
 一向に話しが読めない。ティアはそれこそ呆れた顔でカムイを見た。
「もう…言ったじゃない。四号機には貴方が乗るのよ?」
「「え!?」」
 驚愕。予想外の展開に声を上げたのは、やはり事態を飲み込めていなかったシンジと加持。
 一方、カムイは何となく嫌な予感を持って話しを聞いていた。この女が意外に頑固である事を彼は知っている。
「…断っただろ。」
 憮然と応える彼に、困惑で返すティア。残りの二人は呆然としたまま、話しは続く。
「ダメよ。だって、コアのパーソナルと貴方のデータ。一致しちゃったもの。貴方じゃなきゃ四号機は動かないわ。」
「他のを見付けりゃ良いだろ。候補生だって第三に居るんだろうが。」
「既に調査済みよ。誰一人受け付けないわ。念の為本部が持っていた、世界中の子供達のパーソナルと照合したけど全くダメ。何故コアに吸収されたパイロットのパーソナルと、貴方のデータが一致するかはまだ追跡調査中。尤も、街毎吹き飛んだ第弐支部はもう残ってないし、消失から出現までの間に、機体やコアに何らかの異変が起こった事も考えられるけど、今はまだ全くの謎ね。でも、機体には異常が無いし、S2機関も再調整中。問題は、パイロットだけが限定されると言う事ね。」
 実はシンジには全てのEVAと互換する、真の適格者足る素質がある。また未だ本部で予備役として甘んじている四人もだ。ところが、この五人の真の適格者を持ってしても、四号機は拒否反応を示す事が判っている。原因は判らない。
 ただ、ティアは消失・出現時の状況から見て、例の虚数空間から抜け出て来たのは間違い無いと踏んでいる。未だアーカムでさえ、その存在の何たるかを全く解明出来ていない位相差空間。その中に一年以上閉じ込められていた存在に、如何なる影響が出るのか等、判る術すらある筈も無い。
 ただ、今は乗れるものが居る以上、それに乗せてみるしか無かったのだ。
 カムイは只、黙って茶を啜っている。シンジも加持も何と言えば言いか判らない。
 ティアはカムイに向け僅かに目を細め、そして再び説得を始める。
「つまり、貴方にしか扱えない。四号機には貴方に乗ってもら…」
「断る。」
 一瞬で切って捨てる。カムイは目さえ合わせようとはしない。
 シンジは驚いた。カムイが怒っているのだ。始めて遭遇した事態に暫し逡巡する。カムイが怒っていると判ったのは、明らかに彼が殺気を発しているからだ。今にもティアの喉元をナイフで切り裂きそうな程に。今までカムイが怒っている所など見た事が無い。普段も怒って見せたりはするが、それが振りであるのは見て取れた。何があろうと朴訥で何時も飄々と事を受け流す彼が、何故これ程EVAを嫌悪するのか?否。普通の人間の反応はこうなのだろう。自分から進んであんな物に乗りたいと思う者は稀だ。だが…カムイ程の男が何故嫌がるのか。そんな事があるのだろうか?
 寧ろシンジはそちらの方が気になり、何時の間にか視線の噛み合わぬ睨み合いの中に首を突っ込んでいた。
「…あのさ、カムイ?」
「?」
 突然上がった予想外の呼び掛け。このまま膠着状態かと思っていた所に。
「…何で、嫌なの?あ、いや、EVAに乗りたいって奴の方が珍しいとは思うんだけどさ…」
「……何が言いたい?…」
「んと、その…何て言ったら良いか判らないけど…」
「…はっきり言えよ。」
 シンジは困った。本気で困った。何せ何故聞こうと思ったのか、本人が判っていない。そして、自分の中にある感情にも…
 結局シンジは無難な返答しか返せなかった。言いたい事の半分も言えず。
 否、理解出来ず。
「ほ、ほら、そんな不安定な機体なら起動するかどうかなんて保証無いしさ。起動しないならしないでそれでお終いだし、もし起動したら、その時にまた考えれば良いんじゃないかなぁ、って…なら一回ぐらい乗って見るのも良いんじゃない?…」
 シンジがあたふたと説得している間に、何時の間にやら殺気が自分に向けられていた。焦ったシンジは更に何が言いたいのか訳が判らなくなり。
「あああの、だから…えっと、そのっ…」
 沈黙。重い。重い沈黙。
 一体どれだけの時間そうしていたのか、シンジには判らなかった。
 やがて。ふと執務室に充満した殺気が消え去った。
「…ったく。分ったよ。但し。さっきシンジが言った通り、一回きりだからな?」
 そう言ってティアに念押すカムイ。流石のティアも渋々了解せざるを得なかった。
 シンジは…背中に滝の様な汗を流し、シャツをぐっしょりと濡らしていた。
『た、助かったぁ~…』
 然も有りなん。
 取り敢えずシンジは、一日分の体力を使い果たしたが如くソファに凭れ掛かり、その様子を加持が苦笑で見守っていた。









 

四.





 

2017年3月25日 午後1時50分
日本 第三新東京 Nerv本部





 食後の朗らかな時間帯。
 今日は天気も良く、こんな日は思わず外で日向ぼっこでもしたくなる。が、生憎少女にはこの後予定が入っていて、それは適わないだろう。
 ソファに座り手に持ったカップから、芳しい香りを立てる紅茶。今月の初めからこの部屋に道具一式持ち込んで、ここの主が居る時、もしくは自分がここへ用がある日には、必ずこうして午後の一時を満喫している。勿論、親睦を深める有効な時間としても。
 少女の名は碇レイ。
 半年前までは綾波という姓を名乗っていた少女。
 今いる部屋は総司令執務室。
 彼女の正面でやはり茶を飲んでいる男は、この部屋の主。
 名を碇ゲンドウ。
 レイの父であり、国連特務機関Nervの総司令である。
 今二人は昼食を終え、この部屋で食後のティータイムと洒落込んでいる。少女は兎も角、男の方には些か似合わぬ光景だが。
「え?」
 少女の囁くようなか細い声が、僅かに驚きの意を表した。
 ここに入り浸るようになったのには、実は訳が有る。この父が月初めに長期出張で第壱支部から帰って来た日、家族全員がその事をすっかり忘れ、チルドレン予備役歓迎会に勤しんでいた為、彼はすっかり機嫌を損ねたのだ。そこで御機嫌取りに大抜擢されたのが、レイだったと言う訳である。おかげでゲンドウの機嫌はすっかり良くなったのだが、ここ最近両親の様子がおかしかった。始めは気のせいかとも思ったが、一ヶ月近く持続している所を見ると、どうやら相当根が深い喧嘩らしい。何があったのか聞こうにも、雰囲気が余りに気まずく両親とも忙しい身だという事もあり、中々聞けずに居たのだ。
 そして今日。焦燥しきったゲンドウを見て流石に心配になり、喧嘩の原因を聞いてみたと言う訳である。
 最も、その答えが余りにもレイの範疇外にあった為、理解し切れていなかった。
 そして父はもう一度、ぼそりと呟いた。
「…四号機だ。」
 先程と全く変わらぬ答え。やはり理解出来なかった。
「…四号機は第弐支部と共に消滅したわ…何故?…」
 口数少ない彼女の言わんとしている事を読み取るのは、初対面の者には中々に難しい作業だろう。しかしそこは長年の付き合いもあり、ゲンドウはレイが何を言わんとしているかを正確に読み取っていた。尤も、ゲンドウもゲンドウなのだが。
「いや。実はな、これはまだ極秘事項なんだが、先月に北極点で発見された。それはリツコも知っていたのだが…」
 驚きの表情。レイにしては、だ。だがレイは本気で驚いていた。消滅したと思われていた四号機が、実はまだ存在していた。しかも発見されたのは北極点。まるで関係が無い場所で。一体これが何を意味しているのか正直気になる所ではあるが、今はただ黙って聞く事に徹する。
 暫し逡巡するゲンドウ。レイは待った。
「長期出張していたのは、第壱支部で四号機の回収と改修計画の為でな。」
「…よく、分らない…」
「いや、つまりな…その…」
 言い淀むゲンドウに首を傾げる。何が問題なのか。ゲンドウは大きく溜息を付き、ぼそぼそと続けた。
「四号機は第壱支部共々アーカムに任せたのだ。それがリツコは気に入らんらしくてな…」
 ようやく納得。成る程。母の技術屋魂が疼いていると言う事か。しかし、そんな事だけで母があれ程機嫌を損ねるだろうか?アスカとトウジの喧嘩の方が余程リツコの怒りを買いそうである。
 どうもゲンドウの様子がおかしいので、レイは突っ込んで見た。しかもストレートで。
「…それだけ?」
「う、うむ…そ、そのな…その後の状況も教えていない…」
「………それはお父さんが悪い。」
「レ、レイぃ……」
 じと目のレイに、顔が情け無くなる程に崩れてしまっているゲンドウ。しかしそんな顔されても困る。どう考えてもそれはゲンドウが悪いだろう。あの母を相手に興味ある仕事を奪う所か、その事後報告さえも怠るとは。怒らせて当然である。
 が、ふと疑問が浮かぶ。どうやら伝えるのを忘れたというよりは、ゲンドウはわざと教えていない様だ。
「…何故、言わないの?」
「だ、だからそれは極秘事項で…」
「…………」
「…わ、判った。話す。」
 更に鋭くなるレイの視線に、流石にレイまで敵に回すのは拙いと思ったのか、ゲンドウは早々に折れた。娘には甘い親である。が、急に真面目な顔に戻ると、
「だが、これは本当に極秘だ。誰にも言うなよ。」
 こくりと。頷きだけで返す。
 ゲンドウは始めから事の詳細を話し出した。四号機の消滅の真実。ディラックの海から自力で帰還して来た事。そして支部間の勢力争いを、四号機を第壱支部に明渡す事で回避し、しかしアーカムによる人事転換で謀反を防ぐ事。四号機という危険な存在が世間から反感を買うであろう事からの、後継機建造という偽装改修計画。そして予備役達の為に用意する新機種建造の為の、四号機プロトタイプ化計画。
「それが今第壱支部において、アーカム総帥ティア・フラットの手で行われている事だ。」
「…そう、彼女達にもEVAが来るのね…」
「あぁ。だがまだ先の話しだ。予算が取れなくてな。少なくとも一年以上は見ないとならん。」
「…四号機は?」
 四号機が完成すれば先ずは一機確保出来る。支部間の事を考えると、チルドレンを分散する事になるのだろうか?と不安になったのだ。下手をすれば今いるチルドレン達でさえ…
 しかし、ゲンドウはまた少し話しをずらして来た。
「あぁ…レイにはまだ話してはいなかったな。」
「?」
「お前なら意味は判るだろう…シンジは適格者だった…」
 突然出て来た記憶の中の少年。レイの中でしこりとなっている人。ゲンドウが過去形で呼んだ事に、更に胸の中で何かがが軋みを上げた。
 そしてまた、ゲンドウの言った意味も些か不可解だった。今更何を…
「?…お兄ちゃんは、サードだわ。」
 そう。サードチルドレン碇シンジ。選ばれし、そして仕組まれし子供。自分もまたその一人。
 だが、ゲンドウは首を振った。
「そうではない。適性の事だ。『適格者』だよ。」
「!?」
 念を押されればレイでも判った。レイは知っていた。EVAという本来の意思に直接コンタクト出来る、計画当初に想定していた、しかし誰一人として見付からなかった、本当の意味の『適格者』。
「碇君が…」
 驚きの余り以前の呼び方に戻ってしまっている事を、特にゲンドウは何も言う事は無かった。
 そして続けて告げられる更なる事実。
「それに、あの四人もそうだ。だから本部で保護した。」
「!!」
 言われて見ればそうだ。過去にタイムスリープに着いた者達が、いきなりチルドレンとして登録されるのはどう考えても不自然だ。そしてその真相は、今ゲンドウが語った通りという事か。
 不意に、以前カヲルが漏らしていた言葉を思い出した。どう考えても不自然。そういう事なの?…
「で、四号機だがな。」
 突然話しが戻った。そうか。そうなると、あの四人はどのEVAであろうとシンクロ出来る事になる。少なくとも一人が第壱支部へ行くことにはなりそうだ。
 せっかく仲良くなれたのに、と悲しんでいると。
「誰一人シンクロせんのだ。」
「………え?」
「起動出来る者がおらんのだよ。試しに全チルドレン…勿論シンジも含めてだが、それに世界中の適性年齢の子供達のパーソナルデータを、第壱支部に送ってはみたが、まるっきりダメだった。あの機体は起動どころかパイロットさえ受け付けん。」
 そんな事が、あるのだろうか?レイは俄に信じ難かった。そして一つの可能性を思い付く。
「…コアの再インストールは?」
 コアに書き込まれている情報の書き換え。それによりレイは一度初号機に実験搭乗している。起動可能なのではと思ったのだが。
 ゲンドウはまたも静かに首を振った。
「それは当然我々も思い付いたよ。だが、いざ書き換えようとしたが、四号機はそれさえも受け付けなかった。報告では、おそらくディラックの海に沈んでいた間に何らかの影響を受け、拒絶反応を示すようになったのでは、とされている。尤も真相は判らんがな。」
「……そう…」
「それ故のプロトタイプ化だ。始めは支部配属も考えたが…それも暫くは保留だ。技術検証が終った段階であれはそのまま封印だな。貴重なEVAが二体も封印とは…我々も所詮は税金の無駄使いをしている…」
 父はぐったりと背凭れ、天井を見上げそのまま暫し盲目した。今父の心に、先刻まで問題にしていた母の事は無いのだろう。今彼の心を支配しているのは、Nervという組織の運営の為の問題を、どう解決するのかと言う事。世界を如何にして守って行くかと言う事。そしてそれはそのまま、行方知れずとなり消息さえ掴めない、実の息子の償いへと。
 その思考は何処までも父を苛ませる事だろう。だから敢えて、思考を元に戻させた。
「…それで、お母さんに言わないのは、情報漏れを恐れて?」
「あ、あぁ…まぁ、な…」
「でも、何れ後継機建造の公式発表は必要になるのでしょ?なら、話してしまった方が良い。お母さんなら、心配無いわ。何よりNervの技術部長なんだもの。それならば…」
「そうか。そうだな…」
 ようやく頷いた父は、少しばかり肩の荷が降りて居たようだった。それを見て取ったレイは僅かに表情を緩めた。少しでも父の力になれた自分が、嬉しかった。
「…レイ。」
「?」
 その様子を見ていたのか、ゲンドウが僅かに微笑んで言った。
「…お前も、成長したな。」
「……あ、ありがと…」
 頬を染める少女に、父は変わらず微笑を送った。









 

伍.





 

2017年3月25日 午前1時03分
アメリカ フロリダ州 Nervアメリカ第壱支部





 全員で晩い夕食を取った後、加持とシンジはNervのカード---無論偽造だ---を作る為執務室から姿を消した。
 今居るのはアーカム財団に所属する二人。
 カムイは彼女を説得するのは時間が掛かりそうだと、午前中の件を保留にし今回の任務の報告を行なっていた。あくまでもアーカム財団所属特殊部隊SPRIGGANとして。一度受けた仕事はきっちり最後までこなす。それがカムイの信条だった。
「…そう。結局判らずじまい、か…」
「あぁ。手際だけは早かったな。尤も、相当数食われたか、もしくはトンズラしたんだろうが…それらしい痕跡は無かったな。」
 先日起こったデプイでの龍脈解放未遂。一体何処の誰が?それこそ二人が最も危惧した所なのだが。残念な事にそれを知る術は残されてはいなかった。僅かに残った犠牲者の衣類片や、残された機材。そして随伴していた武装部隊。どれを取っても寄せ集めで、全く決め手にはならなかった。
「まぁ、仕方ないわね。今回は取り敢えず事無きを得た事で、良しとしましょう。」
「そりゃどうも。」
 立ち上がったティアにカムイも付いて、二人は執務室を後にする。向かうのはケイジ。そこでシンジ達と落ち合う手筈になっている。
 ティアは話しを続けた。実は部屋を出た瞬間に、二人の周囲の空間を捻じ曲げて、音と光りを遮断している。これも彼女の能力の一つ。
「それにしても驚きね。あんな所に龍脈があったなんて。」
「ま、20億年も前から存在してた土地だ。何かあっても不思議じゃない。それより警護、付けとけよ。」
「判ってるわ。とっくに手配済み。それより、そんな場所どうやって見つけたのかしら…それらしい古文書さえ見た事も聞いた事も無いわ…」
 二人は会話を続けつつも歩みを止めず一直線にケイジへと向かう。途中擦れ違う職員達が居るものの、彼等が二人の存在に気付く事は無く。
「さぁな。でも、可能性はあった。何せ滅多に人が立ち入らない場所だ。それに以前データベースで報告書を読んだぞ?インディオが降霊するって奴。あれに近いんじゃねぇか?機材も観測用らしい物ばかりだった。」
 前世紀。あるSPRIGGANがその任務に就き、インディオが龍脈を解放する儀式を行なう所を目撃している。その時現れた現象は、巨大な意思のような物が現出し、そのまま消え去ったと言う物だった。詳細は不明。計らずもその時は何事も無かったらしいが。
「あぁ、成る程…でも、それなら怨霊って言うのは?」
「それこそお前の専門だろうが?大方失敗した霊媒に、そこら中に封印されていたもんが取りついたんだろ?何せ世界最古の土地だ。何があっても可笑しかねぇ。」
「でも、それにしたって…そんな巨大な怨霊が?」
「あそこな、調べた方が良いぞ。」
「え?」
 疑問を浮かべるティア。何か問題でもあるのか、と。しかし、カムイは単に出し惜しみしているに過ぎなかった。気になる事であるのには変わり無いが。
「あの滝な。あれは楔だ。」
「楔?」
「あぁ。あの地域一帯を維持する為のな。気配で判る。ありゃ霊的に操作された土地だよ。何があるのかは知らんが、遺跡の一種だろうな…おかげで怨念も一緒に押さえ付けられてた訳だ。」
「じゃあ、あの滝が消えたのは…」
「間違いねぇな。何かやろうと企んでる奴はいる。」
 それは、また何者かがあの地を開放しようとする可能性があるという事か。もしくは、巨大遺跡があるのなら…
「判ったわ。調査隊も行かせましょう。」
「あぁ。そうしておきな。」
 突如戻る世界。静寂の世界から一転、微かに機械類の駆動音が聞こえて来る。ティアの結界が消えた証拠だ。
 二人の前にはエレベーターホール。ティアが下行きのボタンを押し、暫し。
 やがて開かれたドアの向こうには、シンジと加持が居た。
「あら。もう終ったの?」
「えぇ。慣れてますんで。」
「余り誉められた事じゃないわね。」
 当然、カード偽造の事である。二人はエレベーターに乗り込み、四人が地下ヘ向かう中加持がカムイに真っ赤なカードを渡し説明を始めた。
「ほら。司狼の分だ。それさえあれば何処のNervでも出入り可能だ。」
 当然シンジも所持している。その為に執務室を抜けていたのだ。
 それよりも、カムイには気に食わないことがあった。
「…なぁんか、テメェ等から作為的なモンを感じるんだけどなぁ…お前等、俺を有耶無耶の内にNervに入れようとしてねぇか?」
 カムイのじと目を前に、三人は在らぬ方向を向いて乾いた笑いを上げただけ。これにはカムイも溜息を付くしかない。
「ま、まぁまぁ。それより四号機の事だけど…」
 そう言った瞬間今度はカムイが視線を外し盲目し壁に寄りかかった。今度はティアが呆れ宥めるしかなかったのは言うまでも無く。
「もう…ちゃんと聞いてよ…ほら、貴方自分で言ったじゃない?この世界情報が基本だって…」
「聞いてるよ。」
「………」
 私の立場は?とも思ったが流石にそれは口にしなかった。取り敢えずは聞いてくれる様なので、三人に向け説明を始める。勿論結界を再度張ってから。一瞬シンジがきょろきょろとあたりを見まわしたのを見て居たが、薄く笑っただけで特に説明はしなかった。
「さっきも言ったように四号機は現在改修作業中。しかも後継機型へのヴァージョンアップも兼ねているから、一からの建造より厄介なの。正直手間取ってるわ。まだアーカムから来た技術員達が慣れてなくて。でも、ようやく軌道に乗った所よ。」
「あの…」
「なに?シンジ君。」
「後継機を造る意味は判りましたけど、具体的にはどういう風に?」
 シンジは単純にEVAと言えば、初号機を始めとするあの形状しか思い付かない。後は、量産機か。確かにあれは異質だが。かと言ってシンジの乏しい想像力では、最終的にどういった姿になるのか思い付かない。非常に気になる所ではあった。
「ふふふふ…気になる?」
 シンジの質問が余程嬉しかったのか。ティアは不気味な笑みを漏らし、今までの凛とした雰囲気を消し飛ばし、悪戯っ子の少女の様に目を爛々と輝かせた。
 カムイがちらりと薄目でティアを見、直ぐに目蓋を閉じたのを加持だけが見ていた。
『あぁ…鬼門か…』
 そんな事を思う加持の心の呟きが届く筈も無く。シンジはただ冷汗を流していた。そう。記憶に残るもう一つの、同じ様な笑み。
『…リ、リツコさんと、同じだ…』
 正解である。しかしシンジの危惧を余所に、ティアはあっさりと引いた。
「んふふふふぅ~っ♪……な・い・しょ♪」
「………は、はぁ……」
 取り敢えず、この人にだけには逆らうまいと、改めて誓ったシンジである。
 やがて目的階へ到着したエレベーターは、開いたドアから四人を吐き出した。ティアを先頭に歩き始める四人。
 一方再び真剣な顔で説明を始めるティア。結界は、解かれていない。
「ま、何れにせよ起動実験は後一ヶ月は待ってもらうわ。それまではここで各種検査とシンジ君から操縦のレクチャーも受けて貰うから、頼むわよ?カムイ。シンジ君。」
「げぇ…めんどくせぇ。シンジ、省いちゃマズイのか?」
「そうも行かないよ。何せデリケートな代物だからね。まぁ、操縦はそれ程でも無いけど、検査がね。EVAって相性が全てだから。」
「そう言う事。我慢して頂戴。」
「へぇ、へぇ。」
 カムイは最早諦めの境地に近い。まぁ、せめて一回だけという約束を取り付けただけで良しとしているらしい。
 一方情報を売りにする彼には、まだまだ入手しておきたい事があった。勿論加持である。
「ところで、本部に居る予備役の機体はどうするんです。それもここで建造ですか?」
「えぇ、そのつもりよ。」
「しかし、予算が追い付かないんじゃぁ…」
 一年経ったとは言えサードインパクトの余波は確実に残っている。公開機関となった今、そう易々と予算が手に入る程Nervは金回りは良く無い。特に今年に入ってからは。
 だが、ティアから発せられた言葉は余りにも予想外だった。
「あら、アーカムはそれ程ケチはしませんわ。四機分くらいならうちが持ちます。総司令にはまだ言ってませんけど。」
「え?」
「加持さんは直ぐあちらに戻るのでしょう?だったらお伝え下さいな。勿論、内密にね。」
「は、はぁ…」
 随分とアーカムは大きく出た物である。しかし、加持は思惑を巡らす。もしカムイが四号機に搭乗可能となればアーカム製のEVAが計五機。そしてNerv製が同じく五機。計十機のEVAシリーズ。はてさて。何処の軍隊だろうが最早Nervに敵う相手は無いだろう。
 しかし加持が危機感を抱くのは、寧ろその身内。つまり、アーカムその物である。
 もし、五機のEVAをアーカム、つまりは第壱支部で完成させてしまえば、下手をすれば本部との敵対関係さえ成立つ。しかも最新鋭の技術を注ぎ込むであろう、後継機が全てアーカムの手に渡るのである。どう考えても不利な状況。
 勿論、ゲンドウとてその事は理解しているだろう。アーカムがNervと同等かそれ以上の力を持つと言う事。だからこそ加持は、カムイを引き抜く事を考えていたのだが。
 まぁ、アーカムとて早々事を起こす事は無いだろうが、しかし加持は予断を許すべきではないと十分理解していた。
 ただ、未だに判らないのは目の前を行く魔女。総帥ティア・フラットである。彼女の思考パターンは全く読めない。一見理路整然としている様で、その実突飛な事をする。魔女だから、と言われればどうしようも無くなるが。
 どちらにせよ今はただ、自分の疑心暗鬼であると祈っておきたかった。
 不意に何か気付いたと言ったように振り返るティア。
「そう言えば、シンジ君はどうするつもりなの?」
「はい?」
「…戻るん、でしょ?」
「あぁ…」
 その事かと気付くシンジ。そして、今はそれに即答出来る事が、シンジには嬉しかった。
「…はい。」
「…そう…」
 笑顔を見せるティア。まるで少女の様に純真なそれに、シンジと加持が見惚れたのは在る意味当然でもあった。
 唐突に、シンジは身動き取れなくなった。彼女に抱かかえられてしまったから。
「…良かった……お父様、いえ、皆が心配してるわ。」
 ティアの胸に押し付けられた顔を真っ赤にし、どうして良いやらあたふたしていたシンジだったが、ふと気になった。
「父さんを?」
「えぇ。勿論。たくさん聞かせてもらったわ、貴方の事。本当に悔いていたわ、貴方を失った事を。」
「…父さんが…」
 父がNervで尽力を注いでいる事は知っていた。しかしゲンドウが自分の事をどう思っているのか。未だ確信は持てて居なかったのだ。それを、ようやく人伝とは言え一端を垣間見た。それが、嬉しく。
「だから、早く、戻ってあげなきゃ…ね。」
「は…はい…」
 シンジはそれを言うのがやっとだったのだ。ティアまでが本気で自分を心配してくれていた事を、判ってしまったから。
 一方で認識を改めた人物が一人。
『…成る程…こう言う事ですか。碇司令?』
 取り敢えず疑心暗鬼で済みそうだ。これがもし演技ならば彼女は余程の詐欺師か、魔女と言う存在が元来そういう者だったと言う事か。
 そして今一人は、彼女が本気でシンジに信頼を寄せて居る事だけは信じてやり、またそれが、まだ彼女にも感情が残っていたかと言う安堵感を生んでいた。
 やがて見えて来たケイジ入口。
 ティアは扉横のスリットに自分のカードを通しながら言う。
「まだきちんと服も着せてない状態だけど。勘弁してね。」
 軽い音と共に開かれたドア。
「…これが、四号機…」
 目の前に広がる巨大な空間、そして…









 

六.





 

2017年3月25日 午後11時43分
ドイツ ニュルンベルグ郊外 Nervドイツ第参支部





 その広大な空間に本来在るべきものはそこに無い。
 勿論、無いには無いなりの理由も在る。
 一つはこの地が呪われし者達によって汚され、その制裁措置としてもそれが置かれる事は後数年も先の事になるであろうという事。今一つはそれが例えあったとしても使える人間がこの地には一人もいない事。
 つまりここには冠と設備だけが整った無用の長物に等しかった。
 それでも、管理されている以上数名の人間が整備や警備に囚われている。それなりの地位を持った冠を掲げてしまっている以上、無駄な事と解かっていてもそれが彼等の任務だった。
 そんな、ものけの殻に等しいケイジ。
 各支部に必ず設置された地下設備は、今現在地球上で最も最強の生物を捕らえ置く施設として、常時二又は三機のそれを常駐させるだけの広さが在る。
 そんな広大な空間の中を、名目だけの設備整備をする数名の技術職員と、名目だけの警備をする為の保安部員が、何時も通りの職務に就いていた。
 さて。人は有り得ない光景を前にした時、どういった反応をする物か?
 勿論、驚くだろう。
 しかし、それが余りに理解の範疇を超えた物だった場合は?
 例えばこの今ケイジに入って来た保安部員。
 辺りを見回し何時も通りの光景に欠伸など漏らす。がらんと広がる無意味な空間にも見飽きているのだろう。だらだらと巡回を始める。勿論こんな一目見ただけで見通せる場所に巡回も糞も無いのだが、もしスパイなどが紛れ込んでいては困る。何より責任を負わされるのは自分だ。落魄れたとは言えそれなりの給料を貰っている以上、それなりの仕事はしなければならなかった。職務に就く技術員にも異常が無いか見回しながら広いケイジを歩く。
 唐突に。否、瞬間に、だ。
 視界の正面。
 何も無い。何も無かった筈のその空間に、突如として現れた『それ』。
 保安部員は何が起こったか理解等出来ない。ただ呆然と見上げただけだ。
 何せ瞬きさえしてない内に、何も無かった空間に、コンマ1秒経った次の瞬間には、『それ』がそこに居たのだ。
 眼球が、脳が、思考が。全く反応出来なかった。
 巨大な足、だろう。そして上に向かって聳える巨大な『それ』。
 100m近いそれを頂点まで見上げた時、
 確かに、目が合った。
 次の瞬間。
 彼の思考どころか存在自体が消え去った。
 夜勤の為発令所に向かい廊下を歩いていた彼女は、今正にその発令所に入ろうと、ドア横のスリットにカードを通した瞬間だった。彼女は首筋から真っ赤な液体を噴き出し、その場に崩れ落ちた。
 何の前兆も無く異常な崩れ落ち方をした彼女を見止めた、オペレーター職務の彼は悲鳴を上げる前に、その首を異様な方向へ捻じ曲げ絶命した。
 今一人。居眠りをしていた彼は、突然悶絶し出し口から血の混じった泡を吹き出して、死亡。
 漸く事の異常さを認識した彼女は、悲鳴を上げながらその眉間にダガーを突き立てられ、倒れる。
 次々と出来上がって行く異常な死体の山に、発令所の面々は只々恐怖の表情のまま絶命して行くしかなかった。
 相手の姿を碌に確認する事も出来ずに。
 最後の一つの悲鳴が消え去った時、そこは血臭漂う修羅場と化し、何一つ動く者は無かった。
 静謐。
 そして、発令所の最も高い位置に、何時の間にやら十二の影が佇んでいた。
 男が長を務めるこの場所が、そんな事態に陥っている等とは露とも知らず、憮然と本部からの書類に目を通していた。
 ドイツ支部司令。
 大きな腹をでっぷりと抱え、椅子に座り執務机で紫煙など燻らせている。
 本部と支部の軋轢は確かに生じていた。実質、SEELEに付いた各Nerv支部は、世間一般にNervとしての権威をすっかり失っていた。白日の元に晒されたそれを前に反論など出来る筈も無く、国連の指示に甘んじる事しか出来ずにいる。それは自業自得なのだが、それでも本部との待遇の差は余りに大きかった。支部と本部の間に軋轢が生じるのも、ある意味必然ではある。
 それにしてもこの男は、組織の長に就くには余りにそぐわぬ旧態依然とした、旧世代の遺物のような男だった。それだけで彼が、SEELEに近い位置にいた事は窺い知れるのだが、それでも命を存えていたのはNervと言う組織に属していた為であろう。尤も、その幸運に彼が気付き、その性根を改める事は無さそうだ。もし積極的誠意があれば少なくともドイツ支部は、この様な不抜けた組織にはなっていなかっただろうし、各支部の対応もまた変わっていたやも知れぬ。
 案の定と言うか。
 男から漏れたのは一年前から何度吐いたか判らぬ、何時もと変わらぬ愚痴だった。
「ふんっ…本部ばかりで改修計画とはな。あの男も随分と大きく出た物だ。所詮あ奴等とて偽善者だな。」
 自分は偽善すらも出来ぬ存在だと気付けない、愚者。
 そして、そんな男には、やはり鉄槌が下されるべきなのか…
 唐突に喉元に添えられた、鋭利な、殺意の結晶体。
「!?」
 ドアなど一度も開いてはいない。誰かが侵入した気配すら無かった。
 にも関わらず、彼は居た。
 でっぷりと越し掛ける男の左真横に整然と立ち、伸ばした右腕が握った長剣を、ぴたりと喉元に据え付けていた。
 漆黒の陰。
 刃を据え付けられた喉から僅かに流れる血液。
「…き、貴様…一体…」
 言い終わる前に今度は右側頭部に、ごつりと冷えた鉄塊が据えられた。
「な、何者だ!!何処から入ったっ!?」
「やれやれ。所詮は腐った爺のお仲間だな。」
 右横で銃を構える金髪の青年は、呆れた口調で漏らした。そこには全く男の質問に答える気等無く。
「こ、答えろっ!!い、今すぐ保安部を…」
 圧倒的に不利な状況下でも権力にすがる男。それがどれ程の力があるのかも理解せず。また、既にそんな物が何処にも在りはしないという事にすら気付かず。
 そして、青年は侮蔑の瞳で男を射った。
「死ね。ブタ。」
 銃声。
 男はゆっくりと執務机に突っ伏し、その頭部から濁った赤黒い液体を流し続けていた。
 刃に付いた僅かな血液を一振りで吹き飛ばし、手馴れた手付きで鞘に収める。何処から現れたのか、その肩に黒鳥が止まった。
 反対側では銃を腰のジーンズに無造作に突っ込む青年。
 静寂が訪れた司令室に、唐突に開いたドアから美しい少女が現れた。蝶をあしらった仮面が頭部だけに奇妙なシルエットを作って。
「全ての征圧。完了しました。」
「おうっ。御苦労。」
 軽く手を上げた青年は醜い肉塊が倒れ臥す机の、血の付いてない場所を選びそこに腰掛けた。
「ドイツ戦犯が裁判に掛けられたこの地で、お前等愚者は逆の立場に立った訳だ。どうだ?気分は?ん?」
 ふざけ半分。本気半分。
 過去の歴史を準えて、死体相手に笑み送る青年。
 それで満足したのか、視線を少女へ向けた。
「さて。これで俺等の城が確保出来た訳だ。思う存分やれるってモンよ。」
「良かったのか?」
 漆黒の男が呟く。金髪は不思議そうに聞き返した。
「何が?」
「整備員は使えたのではないのか?」
「んな物いるかっ。邪魔なだけだろうが。」
 ひらひらと振る手が、本当に邪魔だと体現しているようだった。
 少女が続けて聞く。
「直ぐ次の作戦に移りますか?」
「いや、少し様子を見ようじゃ無いか。奴等がただの馬鹿か、それとも真の救世主となり得るか…なぁ?」
 問い掛ける青年。しかし陰は無言。
 呆れたように肩を竦め、改めて青年は指示を出す。
「って訳だ。行動開始は翌朝。それまで適当にやってな。」
「御意。」
 そう言った彼女は、全く無駄の無い動作で司令室を後にした。
 静謐。
 血臭漂う室内に、明確な殺気が漂い始めた。
 それは、青年の邪気。
 凶悪な笑みを浮かべて。
「さぁて。奴等は、どう出る?」
 漆黒の陰はちらとその様子を見止め、そして盲目し呟いた。
「…為すが侭に。」
 黒鳥の不気味な鳴き声が執務室に響いた。
 日本時刻。3月25日、午後9時12分。
 数刻遅れてドイツ第参支部の異常がNerv本部に報じられた。









 

七.





 

2017年3月25日 午前11時09分
アメリカ フロリダ州 U.S.A.Nerv第壱支部





 すっかり惰眠を貪ってしまっていた。
一昔前のシンジならば正確に早朝6時に目を覚まし、朝の支度を済ませていた物だったが。今の彼にはそういった極日常だった所からは程遠い生活へと、その身を投じてしまっていた。
 況して昨夜はかなり遅い時間まで後継機の説明を受けていた為、余計に身体が睡眠を欲していたのだ。まだまだ自分は成長著しい年頃。良く食べ良く寝る。否。それは一般論だ。シンジ達の場合は違った。食える時に食う。寝れる時に寝る。それが生き延びる術だったから。だからこそ、比較的身の安全が保てる今日の宿では、思わず惰眠を貪ってしまうという物だった。
 勿論、いざとなれば瞬時に身体は目を覚まし、戦闘に対応出来るくらいにはなっている。例え寝ていたとしても、脳は半覚醒状態でいつ何時でも、異常や気配を察知しその身を叩き起こす事も出来る。尤も実戦で寝込みを襲われるような愚を冒した事は無いが。何せ彼の師匠はその性格柄、抜き打ちテストをよくやらされる。一番始めに襲われた時は、本気でシンジを殺そうとしているのではと思う程、殺気を全開にして来たのだ。最近では彼が気配を殺してベットから起きあがるだけでも、シンジは目を覚まし、師匠もまたそれを察知して再びベッドに潜り込むのだ。今では定例行事に近い。
 そんな訳で、珍しく師匠の夜襲も無く、安全な地での睡眠という事もあり、こんな時間まで寝ていたと言う訳である。
 しかし、体力温存にしては少々寝過ぎたようだ。昼夜が逆転する生活が多いとはいえ、やはり人間、日の出ている内に起きていたい。とシンジは思う。
「…あれ?…居ないや。」
 同室で寝ていた筈の彼等は既に居らず、どうやら自分だけが残されていたらしい。
 身を起こしてふと気付く。あれだけ酷かった左腕の複雑骨折。それが今は魔女の手による手厚い看護の為、跡形も無く元に戻っている。正直驚いたものだ。初見とは言え、まさかあのような現象を目の前で見せられるとは。一種の白魔術だと彼女は言っていたが、シンジには名を聞いた事があっても、どういった理由でそれが起こっているのか等皆目解からない。
 とは言え、シンジの身体でも全治一ヶ月の負傷が、僅か数分で完治した事に文句等ある筈も無く。
「…何処行ったんだろ…」
 呟いて、再びベッド代りだったソファに深く座り直す。
 シンジは本日の宿―――Nervアメリカ第壱支部司令執務室で再び思索に耽る。
 昨夜見たEVA四号機。白銀の鎧を全て取り払われて貯水槽に沈められていたEVAは、正にグロテスクの極みだった。剥き出しの筋肉組織と、人間とは異なる体構造の巨体。ヒトに似て非なるモノ程異常さを感じる物は無い。改めて自分が乗っていたモノの本質を見せられた気分だった。
 ティア・フラットが言う事を一つ所に纏めればこうだ。
 『EVANGELION次世代型後継機種建造計画』
 それが四号機の新たな姿に与えられる称号であり、またNervが考えあぐねた末の処置である、と。そしてその為に四号機を新機種建造の為の礎としてプロトタイプ化していると言う事。勿論この事はNerv首脳陣しか知らず、世間一般、況してや国連にさえ知らされることは無い。彼等が知るのは次世代機の開発・建造のみであり、四号機がディラックの海から帰還した事は一切知らされないのだ。
 当然の処置だろうと思う。もしシンジがゲンドウの立場に居れば、あの得体知れぬ空間から舞い戻って来た、と言う事実は早々公開出来る事では無い。今の世界にそれを受け止める寛容さは無いだろう。寧ろ不安を煽るだけだ。
 だが、あの機体を使用する。と言う点に付いては些か疑問視してしまう。半永久機関を搭載しパイロットも無しに、永劫の次元の狭間から舞い戻った鬼神。シンジの脳裏を過ぎったのは、禿鷹の如き量産機と、そして初号機。前者はS2機関を取り外され、ダミープラグを破棄された今、最早自力で再起動する事も無い。後者はターミナルドグマ最下層に封印されており、サードインパクトの起動キーとなったシンジが乗り込まない限り、再び厄災を齎す事は無いだろう。そう言う意味では、四号機は両者に匹敵する何かを持ち合わせている様で、何とも不安が残る。
 しかし、今や全ての現存するEVAの改修計画は完了し、S2機関を搭載したそれ等の攻撃力・防御力は共にアップしているという。
 シンジは改めてEVAという存在に徐々に歩み寄っている。しかも今度は自分の足で。たった一年半。されど一年半。存在を忘れていた訳ではないが、それなりに距離がある事で、離れた位置から今までの事を見直せた。数奇な運命から己が知らぬ所で全ては決められていた。汚濁に塗れた罪と罰に縋り付いた一年。齎された厄災。そして贖罪と断罪の為の流浪の一年半。たった一つのキーワードによってそれ等は齎されてしまったのだ。EVAという名の。
 シンジには未だに解からなかった。
「……EVAって…何だろ……」
 思索に耽る少年の久々のゆったりとした昼下がりは、唐突な闖入者によって遮られた。
「…シンジ君…」
「…加持さん?…おはようございます。」
 ドアを開け放ち現れた加持リョウジに、既に遅くなった挨拶を呑気に返すシンジ。尤も加持にはそんな事に気を配る程の余裕は無かった。
「挨拶してる場合じゃないぞ。どうも雲行きが怪しくなってきた…」
「え?」
 口調は変わらないが何処か切迫した加持の雰囲気に、何か大事があったのだと察し、シンジは加持に付いて執務室を後にした。
「おっせーぞ。」
 発令所に連れられて来たシンジを出迎えたのは、何時もと変わらぬ何処か気の抜けた声だ。
 ここに来るまで職員にじろじろと顔を見られるような事は無かった。既に失踪時の面影は自分には残ってなかったし、凡そパイロット候補生だとでも見られていたのだろう。いや。それ以上に職員達は、何かに切迫した様子で館内を駆け巡っていた。Nerv内をうろつく少年一人程度に、気を止めるような者は居なかったのだ。
 そして彼を出迎えたのは、目付きの悪い青年と、静かに佇む女性だった。コンソールに就く職員達は、職務に忙しいらしく、やはりシンジに気を止める者は居ない。
 シンジの記憶にある物とは微細は異なるが、正面を埋める大型スクリーンとMAGIレプリカを備えた、ピラミッド型の発令所は、久し振りにシンジの郷愁を誘った。尤も、今はそれに浸ってる暇は無いと解かっていたが。何せ周囲の様子は明らかに異常な何かが起こった事を示していた。
「どうしたの?」
「ドイツの第参支部が、何者かに占拠されたらしいの。」
「ドイツ?第参支部が?」
 シンジの疑問は少女顔の女性によって幾分解消された。確かに大事だが、それで何か進展があった訳でもない。寧ろ後退気味だ。ドイツという名の地に、真っ先に赤髪の少女が胸中を過ぎる。
「どういう事?だってあそこには何も無いじゃ無いか。ひょっとして叛乱とか?」
「それはまだ解からんよ。現地の十二時頃…今から約五時間前に突然連絡が途絶したそうだ。本部が定時報告時に確認してる。ネットワークは全て不通…と言うよりは無反応に近いらしい。」
 加持が真剣な顔でモニタを見据え呟く。モニタにはドイツ周辺含めた地図が展開され、幾つもの光点が地図中心を取り囲む様に点滅している。画面右上には『Nerv:Germany No.3』の文字と、おそらく現地時刻表記であろう『05:13:23』。下二桁は刻々と時を刻んでいる。
 そして地図の中心には本来ある筈の支部表示では無く、『Unknown』の文字。
「三時間前に本部の指示で、ベルリンの第壱支部から調査隊が向かった。が、三十分後に連絡は途絶。二時間前にも特殊工作部隊を向かわせているが、これも連絡が途絶えた。第参支部…ニュルンベルグ近辺は何者かにより、強力なジャミングが掛けられてる。衛星からの偵察も不可能な程のね。」
「正にブラックボックスて所ね。よく短時間でこんな事やって除けた物だわ。余程前から準備してあったのか…」
「でも、何も手が無い何て事は…」
 眉間に皺寄せ、何やら思い悩む加持とティア。それでも全く手が無い訳ではないだろうと思い、口を開いたシンジだったが、
「ちょっとね…覗き見してみたんだけど、ダメだったわ。式が反されたの…ただのジャミングじゃ無いのよ。」
「…呪術的な…って事ですか?」
「えぇ。そうね。迂闊に手は出せばこっちまで食われるわ。」
 要するに、自分達には何も出来ず、こうしてただ行く末を見守るだけと言う事か。
 ふと視線を反らすと、禁煙の筈のこの場所で堂々と紫煙燻らせる青年。ただ静かに天井を見上げ壁に寄り掛かる。彼は…何も感じないのだろうか?
 そんなに長く眺めていたつもりも無かったが、それでも彼は自分の視線に気付いていたらしい。
「何だよ?」
 顔も見ずに呟かれた言葉。
 ティアと加持は離れた所で対策を話し合っている。どうやら本部とは別に対応を決めておこうと言う事だろうか。
 カムイと並びモニタを見やる。
「いや…」
「…そんなに不安か?」
 見ると横目でカムイがにや付いてる。ホントに、人が悪い…
「そうじゃないけど…でも、気になるんだ…」
「何が。」
「ほら、あいつ。『米軍機械化部隊(マシンナーズ・プラトゥーン)』の。」
「?…アレがどうした。」
 シンジはモニタに再び視線を戻し、画面中央の一文字を見つめる。その一言の裏にあるモノを見出さんとするが如く。
「言ってたんだ…裏の世界ではSEELEが消滅した御陰で、今まで息を潜めていた様々な特殊組織が集結してるって。標的になるのは、当然Nerv。そしてEVAと…パイロット。チルドレン達だ…もしコイツ等がそうなら…」
「で?」
「…え?」
 余りにも軽く返されて逆にシンジは応えに詰まった。カムイなら何か知ってるのではと思ったのだが。結局カムイは情報を提供する気は無いらしい。解かってはいた事だが…
「お前、もう帰るって決めたんだろうが。」
「…う、うん。」
「だったら、」
 再び交錯する二つの視線。気負いも配慮も無い、呆れた声。只、それがカムイの結論だという事だ。そこから先はシンジ自身が決める事。
「いざとなりゃすっ飛んで行きゃ良いだろうが。奪われそうだったら奪え返しゃ良い。」
「………」
「悩む必要あるか?」
「…無い、ね。」
「だろ?」
「うん。」
 そう。そうだ。自分はもう決めたんだ…戻るって。一年以上前から判ってたんだ…僕の大切な人達を自分の手で守り通したいって。悩む必要等、何処にも有りはしなかった。
 それでも、この男との長旅が無駄だったとは思わない。彼女達と離れて暮らした事に悔いは有るかもしれない、がしかし。今確実に彼女達を守る術を持つ自分。そこに後悔は無い。
 後は、何が起ころうと彼女を守り通す。
 自分に出来るのは、それだけなのだから。
 隣で未だ紫煙燻らす男に感謝する。この青年は何時もこうやって自分に助言をくれていた。結して決め付けるのではなく、全ての判断を自分に決めさせていた。出て来る言葉は自分の考えのみ。それを強制もしないし正論にもしない。ただ『俺はそうするだけだ』と。それが自分達の生き方(スタイル)だった。
 それにしても。彼は否定するだろう。彼は何だかんだ言いながら、何時も他人を思い遣っているのだ。その口からは悪態と嘲りばかりでも、その視線は鋭く相手を射抜くとしても、それでも彼はきっと心の何処かで相手を思い遣っている。もし自分がそれを指摘しても、彼は鼻にも掛けずこう言うに違いない。「んなめんどくせぇ事するかよっ」と。
 だから面と向かっては言わない。感謝は、目に見えぬ所でして置く方が、彼も喜ぶというものだ。
「もしヤバくなったら、四号機掻っ攫ってすっ飛んできな。お前なら無理矢理にでも叩き起こせるだろ?」
「あのね…四号機は僕じゃ動かないってば…それに、そんな事したらティアさんに殺されるよ?」
「…違いない。」
「でしょ?」
 取り敢えず。暫くは情勢を見る事にし、見付からない様に苦笑を押さえるのに苦労していた。









 

八.





 

2017年3月26日 午前5時26分
ドイツ ニュルンベルグ郊外 Germany Nerv第参支部





「いかん。イカンなぁ~。」
 発令所の頂点。組織の長が座すそこに、今はまだ歳若い青年がにやにやと笑みを張り付け、ワイン片手にモニタを見ていた。未だ血臭漂うその場で、血のような赤の液体を飲み干すその様は、何処か冗談地味ている。
 青年の真横に配すのはライトブルーのワンピースを纏い、純白のコートを羽織った、蝶の仮面の乙女。
「未だトラップを越えた者は居ません。二度のアタックは問題無く殲滅。以降動きは有りません。」
「これで世界最強だってんだから笑わせる。」
 青年の言葉に全く反応を示す事無く、距離を置き佇む漆黒の影と純白の聖女。巫女姿の少女は静かに茶など啜っている。漆黒の男は微動だにせず、コンソールに腰掛けて座すのみ。
 くつくつと笑う金髪の青年を余所に、背後で不意にドアが開かれる。現れたのは高級スーツを着こなし、ステッキ片手に歩く白髪―――否、プラチナブロンドの青年と、純白の着流しを纏い、緩い微笑を湛えた黒髪・長髪の青年。
「ミシェル。式が来おった。」
 然して周囲の者達と歳の変わらぬ筈の銀髪の男は、その涼やかな声音に似合わない、妙に年寄り臭い科白で低く唸った。それに反応したのは寧ろ隣の椅子に座り、紅茶を飲んでいた少女の方だ。ティーカップを持つ手を下すと、すっと大きな眼を細め話に聞き入る。
 先刻まで笑い続けていた青年―――サミュエルはモニタを見据え沈黙し、仮面の少女は静かに目蓋閉じその横に佇む。
 名を呼ばれた漆黒の影はと言えば、それでもやはり身動きせず。二人の男はそれを当然の如く受け流していた。着流しが口を開く。
「中々に強力な霊力でしたよ。入れはしませんでしたが。」
「一体誰が?」
  巫女が小さく呟く。然もすれば消え入りそうな程の声音を聞き逃す事無く応えるのは、老成した科白。
「魔女じゃな。現役の中であれ程の物は奴で無ければ召還(よ)べん。」
「誰だ、そりゃ。」
 今まで黙して居たサミュエルは俄かに疑問を唱えた。スーツの銀髪は、かつんと杖を一突きして振り返り、サミュエルを見据えて続けた。
「『WITCH of WITCH』…正真証明、齢三百を越える魔女じゃ。」
「世間ではこうも呼ばれて居ますよ。アーカム財団総帥、ティア・フラット・アーカム。」
 サミュエルはにやりと口端を歪め、再び笑いを湛え始める。
「クックックッ…おもしれー。天下のアーカム財団はNervに付いたって事だ?…いいねいいねぇ!御先祖様の因縁対決も入り乱れてくんずほぐれつっ。こりゃ良いや!ようやく駒が揃って来たってこった。」
 馬鹿笑いを続けるサミュエルを余所に、長髪の青年は微笑崩さぬまま、すっとミシェルに近寄り呟いた。隣では再びカップに口を付けつつ、実は聞き耳立てている少女。
「宜しいのですか、ミシェル?」
 漆黒の影は暫しの沈黙の後、漸くその口元を真横に裂けるのではと思われる程に歪めさせた。
 それは正に悪魔の笑みか。
「…構わん。元より駒の内…」
 成る程と納得した笑みを深め、青年は一歩下がる。少女もカップに口を付けつつ微笑。老人…否、青年はステッキに両手添え、静かに佇むのみ。
 再び開いたドア。
 が、そこは何故か壁に被われて…違う。それは人間だ。筋骨逞しい2m近い巨漢。その後ろから剣、俗にレイピアと呼ばれる剣を携えた細身の美女と、同じく日本刀を帯剣する色黒の短髪の青年が現れた。
 美女は開口一番、不満げに異議を唱えた。その様子に色黒の青年は薄く苦笑し、巨漢も僅かに困惑の顔を浮かべた。
「サミュエル。Dが五月蝿いわ。」
 足を組んだままくるりと椅子を回転させ彼女に対すると、サミュエルはくすりと鼻で笑い先までの下卑た雰囲気を一掃させた。
「女王よ。彼はアレが生き甲斐なのです。どうか御容赦下さい。」
 淀み無く紡がれた科白と声は、まるで宮廷にでも迷い込んだが如く。サミュエルは美女の左手を取り軽く口付ける。しかしこの場はどう贔屓目に見ても宮廷御殿の類ではなく、血臭漂う無機的な作りの発令所に過ぎない。そしてまた彼の科白が如何に洗練されていようとも、それが冗談以外の何物で無い事は全員が知っていた。
 金髪の美女は暫し黙したまま数刻。身動きしない彼女にちらと見上げたサミュエルに向け、待ちかねた様に冷たい一言を吐いた。
「おべっかはいいからDを黙らせなさい。ついでに一緒になって遊んでるエドにも仕事をさせなさい。」
「うむ。君の言う通りだ、セシル。」
 打って変わって軽い口調に戻ったサミュエルは、そそくさとコンソールに向かう。予想より美女の怒りの度合いが大きかった様だ。その様子にくすくすと苦笑漏らす、仮面の乙女と巫女の少女。
 セシルと呼ばれた美女はその魅惑的な肢体から、ようやく力を抜いて嘆息を漏らした。
 サミュエルがコンソールのボタンを一つだけ押し、回線を繋ぐ。
 繋がるまでの暫しの間。
 そして、
「はっいはーいっ!エッドでっすよーっ!!」
 正面の巨大モニタ一杯に現れた巨大な顔面。大音量にと大画面にびくりと身を強張せた女性陣。一方で男達はこうなる事を予想でもしていたのか、静かなものだった。モニタでは向日葵の様な笑顔が咲き誇っていた。
「エ~ド。顔がでかいよ。」
「はにゃ~?」
 にこにこ顔で受け流すサミュエルと、萎れてしまう向日葵少年。モニタからぴょんと離れた少年を見る限り、態々踏み台まで用意して、少年の背では届かないカメラを覗き込んでいたらしい。
「エド、ところでDはどうした?」
「ここーっ!」
「ぐえっ!?」
 モニタの中でぴょんと跳び上がった少年が着地した瞬間、蟇蛙の潰れた様な声が上がり、そして静寂が訪れた。
 思わず冷汗流した金髪青年は、何も見なかった事にして話しを元に戻す。
「エド。オモチャは出来たかい?」
「うん。何時でも遊べるよっ。」
「何だ。早いじゃ無いか。」
 そう言ってセシルに振り返り、微笑浮かべるサミュエル。そんな彼に少々困った顔を返す美女一人。しかし、
「ねーねー。合体とか変形とかしなくていいのぉ~?」
「「「「「「要らんっ!!」」」」」」
「はにゃ~…」
 奇しくも揃った三女三男の声に、少年は更に凹んでしまった様だ。余程やりたかったらしい。
 サミュエルは再び椅子に佇むと、にこりと微笑を浮かべ直し、少年に語り掛ける。
「エド、Dを連れて上がっておいで。」
「D寝てるよー?」
「構わん、引き摺っておいで。朝飯にしよう。」
「わーいっ!!ごはんーっ!!」
 ぷつんと途絶えたモニタに、一息付いた女達。その様子にサミュエルは微笑浮かべたまま、椅子に深く身を沈め両肘を付いて顎でその手を組む。
 満足そうなその顔に、美女と巫女は何処か不満げだった。仮面の少女からは何も伺えはしない。それを感じ取ったのか、サミュエルは静かに微笑んだまま呟いた。
「何だい?」
 巫女の少女はその顔から不満を取り下げ、変わりにレイピアの女剣士が口を開いた。
「良いのか?あんな子供を。」
「良いじゃ無いか。彼のおかげで我々は明るく楽しくやっている。エドが居なきゃ今頃皆魔術師殿の様に陰鬱な性格になっていたぞ?」
 相変わらずの悪態に息を潜めたのは、セシルが話題に上った当人の報復を恐れてだ。しかし。本人は何処吹く風で未だ静かに座している。それを見て取ってから、取り敢えず話の方向を修正する。
「そうではないだろ。あんな子供まで誑かして…」
「エドはあれでも16だ。」
「違うっ!そういう問題ではないだろうっ!?」
「じゃあ、どういう問題かな?」
「だ、だから…」
「はっきり言い給え、はっきり。」
「わ、我々は戦う為に集ったのであって、決して遊びの為では…」
「セ~シ~ル…」
 何時までも続くかと思われた一方的な騙し合いは、唐突に低い声音で遮られた。何時もの冗談と変わらぬ口調にも関わらず、その裏に潜むのは、明確なる殺気。
「………」
 沈黙しか返せない美女にとって変わり、悪鬼は未だ一人で化かし合いを続ける。
「我々の目的は何かな~?」
「……エホバの…意思のままに…」
「良く出来ましたぁ~っ。」
 沈黙する女剣士を、嬉しそうに笑み深め柏手一つし両手広げる西洋彫刻。彼は人在らざる者なのか。
「なぁに。彼だって全てを知ってここに集ったのだよ。余計な詮索は必要無いさ、女王様。」
「…あぁ…」
「よしっ。アンジェラ、外の三人も呼んでくれ。そろそろ御出迎えの準備だ。」
「…了解。」
 勢い良く立ち上がった青年は、隣に付かず離れず付き添う少女に、明るく言って聞かす。少女もそれに異論は無い様で、そそくさと部屋を後にした。
 青年はそのまま振り返り、最早固まってしまったのではと思える、今一人の同士に呼び掛けた。
 それはまるで予定調和の如く。
「ミシェル。彼の御方は何処に居わす?」
「……今は彼方に…やがて、彼の地に……」
 満足そうに頷いたサミュエルは、小気味良くコンソールを操作し、まだ何も映らないモニタの向こう側を見据えた。
「では。行こうか諸君。」
 其処は、第三新東京市。









 

九.





 

2017年3月26日 午前6時31分
日本 第三新東京市街 高級住宅街B14地区





「……ん…」
 僅かに身動ぎした銀の綿毛は、隙間から漏れ入る朝の日の光を浴びて、綺羅綺羅と薄蒼に輝いていた。
 何時もとは違う寝床の為か、何時もならばまだ惰眠を貪っている筈の時間に、今日は珍しく早く起きてしまった。今は春休み中なので然程早起きする事もないから。精々両親を送り出すくらいだ。それでも朝にやらねばならぬ事は結構ある。
 少女は如何にも仕方なく、と言った風情で寝床からもぞもぞと起き上がる。その双眸は未だ開き切らず、薄目のまま眉間に皺を寄せ、気難しい顔をして見せている。尤も、今の少女の思考に何等重大な悩みも、問題事もありはしない。如いて上げれば、それは「まだ寝足りない」といった所だろうか。昨夜は結構遅くまで夜更かししてしまったから。
 昨晩は久々に彼女の親友であり悪友でありライバルである少女が、自分の部屋にお泊りしていったのだ。普段彼女が使っているベッドは、その少女がたった今すやすやと占領している訳で、自分が床に敷いた布団で寝ていたのはその為である。
 が、今の彼女にはそんな事はどうでも良かったりする。問題は…
「………………朝………」
 そう。朝である。紛う事無き、朝である。それ以外に有り得ない。
そして、少女。碇レイは、朝に尽く弱かった。おまけに夜更かしの翌日早朝。これで彼女の思考処理速度は24%にまで低下している。見事な低血圧ぶりである。
 レイは少しでも処理速度を上げる為、しぶしぶのそのそずりずりとろとろのろのろ布団から出る。勿論朝の目覚めに欠かせない、花も恥らう乙女の必須条例。朝風呂の為である。実は彼女が、朝のシャワーを欠かさない理由は、もう一つある。レイの寝起きの頭は凄い。はっきり言って早々他人様にお見せ出来るような代物ではない。何せかなり強情な癖っ毛の彼女である。一晩明ければそれはそれは大爆発である。そんな訳でレイは朝のシャワーを欠かす訳にはいかないのだ。
 布団を出て脱衣所まで到着するのに約十分は掛かる。先ずはバスタオルを入手する為に、箪笥の前に赴く。その前で約一分考え込む。
「………タオル…何処……」
 そうして漸く何時もの反復運動を思い出し、下から三段目の引出しに手を掛け引っ張り出し、タオルに手を付ける。実はこの瞬間がかなりの踏ん張り所なのだ。何故かと言えば下し立てのタオルの肌触り程、凶悪な物は無い。手に触れた瞬間頬擦りしたくなり、そのまま深い深い眠りの海へと落ちてしまうのだ。その誘惑に絶える事約三分。
 何とか堪えた眠気を引き摺りながら、直ぐ隣に仕舞ってあるショーツも手にし脱衣所へ直行。とはいえ。実はレイの家は二階一戸建てでおまけに結構大きな造りだ。当然風呂場も脱衣所も一階にある。そして自分の部屋は二階の一番左奥。何故風呂場の隣に自分の部屋が無いのか呪いたくなる瞬間である。そして今日も働かない頭と身体で、のろのろと26段の階段を降り行く事約三分。
 そしてほぼ毎日リビングに繋がるドアを開け忘れて激突してみたり、意味も無く敷居につま先ぶつけてみたりと、まぁ、脱衣所に到着するまでにやはり三分は要する。ここまで来ると最早天然を通り越して、奇跡である。
 漸く到着した脱衣所で、持って来たバスタオルとショーツを脱衣籠に放り込み、もぞもぞとパジャマとショーツを剥ぎ取ると、目も覚める様な白い肌と、戦役中の時とは比べ物にならない程成長した、魅惑的な肢体が顕わになった。尤も当人の目は一向に覚めてはいないが。
 とてとてと風呂場に入ると、アスカや家族の為にタイマーで沸かしておいた湯船が、誘惑的な湯気でレイを誘っている。しかしここでその誘いに乗ってはいけないのだ。アスカの様に朝に比較的直ぐに目が覚めるのであれば、何等問題は無かっただろう。しかし自分は違った。ここでもし湯船に浸かれば、再びその暖かさと心地好さに、湯に浸かったまま三秒で眠りの彼方に落ちてしまうのだ。だからレイは朝はシャワーだけと決めている。
 シャワーの蛇口を捻ると、勢い良く水流がレイの柔らかな肌を打つ。レイは一瞬だけびくりと身を震わせ、頭から水流に身を任せる。レイが捻った蛇口は青色の、つまり水だ。冷たい水流が火照っていた身体を一気に冷まし、脳と身体を覚醒させて行く。ゆっくりと流れに身を任せ、全身を水の流れに包まれるのを待つ。やがて冷え過ぎない程度に熱が引いた所で、赤の、湯の蛇口を捻り、温度を調節して程好い暖かさになるまで待つ。再び全身を覆い始める、しかし今度は暖かな湯。それを手で少し身体に引き伸ばす様に撫でる。アスカほど大きくは無く、小振りだが形の良い乳房の表面を水流が流れ落ちて行く。
 一通り冷気が消えた所で、腰掛けを引き寄せ座る。先ずは洗顔料を手に取り、泡立ててから細かな所までよく洗う。泡を洗い流し、顔がさっぱりした所で今度はシャンプーを手に取る。美容室で教わった通り、二度は洗わないと髪の毛の油分は落ちない。何せ癖っ毛だ。念入りに髪を傷めない様丁寧に洗う。そしてリンス。昔はこんな物を使おうとは思った事も無かったが。髪全体に染み込ませる様に馴染ませた後、ハンドタオルで頭を被う。このまま暫く馴染ませてから洗い流すと、髪が滑らかになり艶も出る。その間にボディーソープをスポンジに染み込ませて、身体を洗ってしまい、最後にもう一度シャワーを浴びリンスと全身の泡を洗い流す。
 ここまで来るともう大分目も覚め、脳も覚醒しているのだが、レイは最後の仕上げを欠かさない。十分に身体が温まるまでシャワーを浴び続け、十分だと思われる所で再び冷水を浴びる。火照った身体を再び冷水が冷やして行くが、最後はざっと浴びただけで蛇口を止める。そうすれば程好い火照りが残り、血行も良くなって身体が上手い具合に目を覚ましていってくれるのだ。
 何せこの後レイは家族全員の朝食の準備をし、叩き起こすという大役を仰せ付かっている。何といっても両親は夜遅くまで仕事がある場合が多いし、朝はどちらかと言えば弱い。同居人の少年など自分に匹敵する程低血圧で、寝起きに意味不明の言葉を連発するのだ。低血圧少女の朝は、それ程のんびりと惰眠を貪ってはいられない。
 尤もレイはそれに不満など感じた事は無く、寧ろ幸せだと思っていた。
 脱衣所に上がり持って来たバスタオルで、身体に残る水滴を拭って行く。一通り水気が無くなった所で小さく丸まっていたショーツに足を通し、腰まで引き上げ下腹の茂みを覆い隠す。パジャマは着ずに、バスタオルで体を被って部屋まで戻るのが何時もの事だ。
 が、今日は伸ばした手がバスタオルに届く前に、その動きは止まった。
 脱衣所に設置されている洗面台。そこには大き目の鏡がある。
 レイは思わず自分自身と見詰め合っていた。
 今年で16歳になるレイ。
 一年半も前に住んでいた筈の、あの崩れ掛けの様なマンションでも、やはり湯上りに映った自分自身と対峙した覚えがある。あの頃とはもう違う、レイという少女。
 皆は変わったと言う。
 昔よりずっと素敵になったとヒカリさんは言う。
 昔より良く喋る様になったと鈴原君は言う。
 昔より明るくなったと相田君は言う。
 昔より良い顔するようになったと山岸さんは言う。
 昔より大人っぽくなったと霧島さんは言う。
 昔より繊細な心になったとカヲルは言う。
 昔より、『良い女』になったと、アスカは言う。
 昔より…自分は変わったのだろうか?
 レイは今一つ実感を持ってはいない。確かに変わったのだろう。だがそれは表層的な部分ではないのだろうか?
 自分の、『綾波レイ』としての本質は、何一つ変化していないのではないだろうか?
 目の前に映り込んだ『碇レイ』という16歳の少女。白い肌の、蒼銀の髪の、紅い瞳の、少しだけ変わったかもしれない、16歳の少女。
 心の家族を得て、親友を得て、多くの友人を得て、契りを交わした親を得て、他にも沢山の、幸せを得た…
 変わる切っ掛けをくれたのは…
「………私は…変わったの………?」
 そっと冷気を持った鏡面を境に、二人の少女は時を隔てて、時空を隔てて、全く同じ動きで掌を合わせる。
 微かに揺れる紅の双眸。
 不意に。
 一粒の水滴が頬を伝った。
 それは拭い損ねた水気だったのか…
 それとも…
 リビングに出ると、壁掛け時計が7時丁度を指し示していた。
「…朝御飯…作らなきゃ…」
 折角拭い去った筈の眠気。しかし何処かレイの頭の中は霞掛かっていた。淡く白い靄の様な、何処か頭の奥隅の方でちりちりと燻る火種の様に。
「…ん…」
 首を振ってそれを振り払おうとするが、逆に不快感は増す。まるで、降り回した頭の中で、記憶が散らばって火種が引火した様に。徐々に燻る火と、立ち昇り始める煙。脳内の血液が徐々に沸騰し始める様な感覚。言い知れない不快感。
 こめかみを左手で押さえながら見上げた部屋は、まだカーテンが閉め切ってあり薄暗い。
 そうだ。まだ眠気が残ってるのかもしれない。日の光を浴びれば身体も目を覚ますだろう。
 そう思いレイはのろのろとベランダに近寄る。頭の中で火が炎へと変化しつつある。早く眠気を取り払いたくて、レイは自分がバスタオル一枚身体に巻き付けただけの姿だという事さえ忘れ、カーテンを開け放った。
 朝日がレイの眼を白く塗り変えて行く。部屋の空気が、否。頭の中の熱気に耐えられなく、朝の冷気を浴びたくて、そのままベランダの窓も開け放つ。
 一気に充満して居た熱気が、外気と入れ違いに爽快感をレイに提供してくれた。
 まだ眩しさに薄目のまま暫し、朝日と冷気を浴びる。
 その姿はまるで、世界に生まれ落ちた素肌顕わな、『イヴ』の如く。
 僅かな逡巡の後、その目蓋を開き、紅の瞳に世界を映し出す。
 頭の中の熱は何処かへ引いてしまい、代わりに何処かで警笛が鳴り響いていた。
『………何?………』
 何かがオカシイ。
 何時もの風景。
 高台にある家からの風景。
 軒を並べる高級住宅。
 マンションや商店街。
 その合間を掛け抜ける幹線道路。
 朝霧に霞む高層ビル群。
 連なる街並み。
 その先にある芦ノ湖。
 そして背後に聳え箱根を取り囲む山………
「………なに?………」
 レイはまだ自分が眠気を取り払えていないのかと思った。
 だからこんな幻影を見るのだと。
 否。
 そこまで脳は理解していない。
 だってそれでは遠近法が狂ってしまって、
 それは居て当然の、
 なんかいっぱいで取り囲まれて、
 ここは第参新東京で、
 こんなにある筈無いし、
 でも今は警報も鳴ってなくて、
 あんなの見た事無いけど、
 あれ?今日訓練?
 でもアレは間違い無く、
 でもまだ朝早いし、
 あぁ。
「………夢?………」
 レイはまだ自分が寝ているのだと思った。
 アスカが起きたつもりでも実は夢の中だったという経験があると言ってた。
 だからこれもソレだと思ったのだ。
 だが、
 現実だった。
「………え?………」
EVANGELIONが、十四機。





EPISODE:05

Jehovah Children




 


拾.





 

2017年3月26日 午前7時10分
日本 第三新東京市 最終防衛線最外苑部





「おやおや。随分とのんびりしてるものだ。」
「致し方無かろう。これが彼等の限界というものだ。」
 巨人が二人。腕組みをし、眼下に広がる街で慌てふためく黒蟻達を眺めている。黒蟻達は一様に巣穴へと逃げ込もうとし、その頭上で喧しく警笛のラッパが鳴り響く。それ等を歯牙にも掛けず静観し、巨人達は呟く。
 一方は金色の冠を被り、両肩に巨大なマントを纏う巨人。もう一方は青銅の鎧纏いし巨人。各々が全く形の異なる一振りの剣を、地に突き立て佇むその様は、正に戦国時代の武将か、はたまた中世からさ迷い出た将軍の如く。
「では、我等が作戦部長殿なら、この戦況をどう見る?」
 その問いは己達に向けた物では無く、彼等の相手に向けて。
 青銅の巨人はちらと金色の巨人を見やり、再び正面を見据え呟く。
「そうだな。彼我兵力差は五対十四。否、実質四だ。先ず勝ち目は無い。」
「んじゃ、ケツ捲くって逃げるか?」
 金色の巨人が楽しそうに笑う。青銅の巨人は特に関心も無く続けた。
「否。交渉という手も有る。」
 金色は再びけたたましく笑うと、その視線を正面に戻す。
「そりゃイイ。俺達相手に交渉か。」
「敵が何者か判らぬ内に手を下すは愚行。」
「その前に手前ぇの程度を知れってんだ。」
「彼女とて武人の端くれ。その程度は弁えて来るだろう。ならば接触を図る筈。」
「ふん。面白ぇ。んじゃ、今回は引越しの挨拶だけにしとくか。」
 金色の巨人は右手の尾根に立つ、灰色の巨人を見やり声を上げた。巨大な皿の如き頭部を持った灰色の巨人は、先程から変わらぬ直立姿勢で佇んだままだ。
「全回線、何時でも開ける様にしておけ。向こうがノックしてきたらドアを開けてやんな。」
「了ー解っ。」
 態々右手を高々と上げて能天気な返事を返す灰色の巨人。金色の巨人は再び身を正し、剣を携え直立する。
 彼等が他愛も無い会話を繋ぐ間も、黒蟻達は未だ地を這いずり回っている。金色の巨人はその様を嘲笑をもって見つめた。彼にとって見れば自分等以外の存在は、正に黒蟻に程度にしか思えない。例えそれ等が、自ら思考し、二本足で直立し、道具を造り出し、文化的な生活を営み―――それ等が例え自分と同じ『人間』と呼ばれる存在であっても、だ。
「…醜いな。人は自分の身を弁えん。」
 哀愁さえ漂う、しかし能面の顔の巨人。朝の日を浴び金色の表皮は更に輝きを増していく。
 蟻達の住処を取り囲む巨人達は、皆一様に口を噤み、静思するのみ。その脳裏にどんな思いがあるのか。蟻達にそこまで気が回る筈も無い。彼等は今、その身を隠す事に必死だから。
「…それが人というモノだ。」
 漆黒の、光すら取り込もうとするかの様な巨人。彼はただ左手に剣を持ち、金色の巨人と相対する山の尾根に、微動だにせず立ち尽くしている。その彼がぼそりと呟いた。それでも呟きは一字一句洩らさず皆の耳に届いて往く。
 そしてその呟きに金色の巨人は、再びクツクツと苦笑を漏らし、その呟きに応えた。目の前の街を通り越し、漆黒の巨人を見据えて。
「…そう。それが人だ。だから我等が、起こす…」
 何時の間にか逃げ惑う蟻達の姿は無くなり、静寂が街を包み込んでいた。
 金色の巨人に呼応し、居並ぶ巨人達が呟き始めた。それは、眼下でその姿を変え始めた街の隅々まで響き渡る。
 藍色の巨人が、
「それが闘争也…」
 灰色の巨人が、
「それが知識也…」
 黄色の巨人が、
「それが流れ也…」
 赤白の巨人が、
「それが闘志也…」
 青銅の巨人が、
「それが戦争也…」
 濃赤の巨人が、
「それが恐怖也…」
 黄緑の巨人が、
「それが価値也…」
 濃紫の巨人が、
「それが欲望也…」
 純白の巨人が、
「それが輪廻也…」
 白黒の巨人が、
「それが摂理也…」
 赤色の巨人が、
「それが相対也…」
 青色の巨人が、
「それが運命也…」
 漆黒の巨人が、
「それが変革也…」
 そして。
 金色の巨人が、
「それが、楽園也…」
 巨人の口が陽炎に歪む…
 完全に姿を変え静謐に覆われていた広大な街という空間に、不意に地の底から地鳴りが轟く。
 地の底から這い上がらんとするは、邪悪なる魔か。
「ミシェル。彼の御方は?」
 金色が街の底を見透かすかの様に凝視する。
 日差し照り付けるアスファルトが、熱気と蒸気を放出し、彼の口元を更に歪めゆく。彼の問いに答えるは漆黒の巨人。
「…見ておられる。」
「結構。」
 ゆっくりと呟くと、金色の巨人は高らかに嘶いた。
「さて諸君。御出迎えだ…」
 街―――第三新東京市。ゼロ区画。
 地の底から這い出でしは、魔人か、鬼か。









 

拾壱.





 

2017年3月26日 午前7時38分
日本 第三新東京市 Nerv本部発令所





「全くっ…何だってのよっ…」
 いらつく思いを押さえ込み、葛城ミサトは戦略という名の思考を巡らす。先程から拳には力が入りっぱなしだ。腕を組み爪を噛み、貧乏揺すりは一向に止まる事が無かった。
 Nerv本部発令所は昨夜から一睡もして居ない。正確にはこの発令所から、一年中明かりが消える事等有り得ないのだが。しかし、昨夜未明から夜通し、職員から機材一式までフル稼働状態になったのは、正に使徒戦争以来の事だ。火が灯っていなかったのはEVAのあるケイジくらいなものだった。
 始めはドイツ第参支部で起きた他愛無い通信不通に過ぎなかった。しかし通信機器やケーブル断裂の類では無い。
 それが…
 指示を出し第参支部に向かわせた第一調査隊の通信途絶に始まり、続く第二調査特殊部隊も消失。軍事衛星さえ受け付けない。強力なジャミングが一帯を覆っている事が発覚し、実質ドイツ第三支部は、何者かに占拠されているという事実を露呈させた。そして第三調査部隊による遠方よりの徹夜の睨み合いを、たった三十分前まで続けていたのだ。
 敵。相手が見えないという事は、Nervに大きな不安を与えた。始めはドイツ第参支部の謀反行為かと思い込んでいた。何よりここ数ヶ月の各支部の反発は目に見えて大きくなっていた。そこに通信途絶である。常識的な範疇での予測であった。MAGIすらも70%強の確率を弾き出していた。所が。こちらが手を出す度に様相は変化した。見えていた筈の支部叛乱という敵の名は、徐々に霞の彼方に消え去り、最後には敵だという明確ささえ消え去り、朧な靄が目の前を覆って、Nerv本部の目を暗ましていた。
 そして、いい加減微動だにしない状況と、終りの見えぬ睨み合いに、疲れの溜まり始めた職員をシフトさせようと、ミサトが指示を出そうとした瞬間、事は急変を告げた。
 ミサトのポケットからベルが鳴り響き、発令所に響いた。ポケットの中から取り出すとそれは携帯電話。しかもディスプレイには碇レイからの秘守回線通信の表示。何事かと思いつつ彼女は電話に出た。
「ミ、ミサトさ、ん…EVAが…」
 電話の向こうからは途切れ途切れの、意味不明の言葉。
「レイ?どしたのぉ、朝っぱらから秘守回線なんかで。EVAがどうかした?」
 幸い今回の事件に、彼女達チルドレンを巻き込む惧れは無いと思われていた為、彼女達には知らせていない。事の進展によってはEVAの出撃も有り得たのだろうが、まさかいきなりレイ自身からEVAの言葉が出て来るとは、ミサトは思ってもいなかった。
「ミサトさん…今、何処ですか?…」
「え?Nervだけど…」
「直ぐに外を見て下さいっ。大変なんですっ、早くっ。」
 レイにしては珍しく、焦りと緊張と彼女にしてみれば大きな声が、電話の向こうから響いた。何が何やら解からぬまま、ミサトは言われた通りシゲルに指示を出す。コンソールの操作音と数刻の間。
 次の瞬間、発令所は凍り付いた。
「………え?………」
 ミサトは奇しくも、少女のそれと同じ反応をしてしまった事を知らない。尤も彼女の場合は、徹夜で幻でも見ているのかと思っていたのだが。発令所の職員達とて同様の反応だった。
 次の瞬間、彼女の頭の奥で、カチンと何かが鳴り響いた。
「何やってるのっ!!大至急索敵っ!!総員第一種戦闘配備!!全市民に緊急非難勧告!!」
 彼女の中からドイツの事等は遥か彼方に吹き飛び、二年前の戦場の中へと再びその身を置いていた。握り潰しそうな程力を込めていた携帯電話を再び口元に寄せ叫ぶ。
「レイッ!!直ぐに本部へ来なさいっ!!保安部を寄越すわっ。アスカ達には私から連絡するから…」
「アスカなら今日は家に泊まってますっ。カヲルと一緒に叩き起こして連れて行きます。」
「OK!じゃ、残りはこっちで。急いでっ!」
「了解。」
「一体どうなってんのよっ!!富士の観測所は一体何やってたのっ!?」
 電話を切り即座に文句の叫びが出る。即座にパイロットの召集を掛けるミサト。
 と、不意に背後から震えた声音が上がった。
「………な…何よ…これ………」
 警報を聞き付けて発令所に現れたのは、昨夜に出戻りで帰宅し損ねたリツコだ。ミサトはお門違いなのを承知の上で叫んだ。リツコの頭の中は、目の前の大型モニタに映った、怪奇の原因を探し出す為に彼女の返事所では無かったのだが。
「何でMAGIはこんな所まで接近を許して黙ってんのよっ!?」
「どうなってるのよっ!ミサトッ!?アレは一体何!!??」
 混乱して全く会話が噛み合って居ない二人に、シゲルとマコトの第一報が冷水となって二人の頭の熱を冷ました。
「パ、パターン…え?…レ、レッド?……だ、だって…エ、EVAです…よね?…アレ……」
「…駄目です…絶対防衛線上とは言え、か、完全に囲まれていますっ…十四体もかよっ……」
 明らかに自分達の良く知るそれとは異なる外観。しかしそのサイズや、人型である事。何よりそのモノの発する気配が全てを物語っていた。
 モニタに映るそれ等は、間違い無く福音の名の巨人である事を。
 ミサトの脳の中で先程から喧しい程の警笛が鳴り響いている。ヤバイ。これは冗談じゃなく拙い。十四体のEVA。出所とか、目的とか、何者がとか、そんな事は今どうでも良かった。問題なのは…間違い無く、この第三新東京市が再び戦場になるという事。学術都市として再建されてはいるが、戦闘体型に移行出来ない訳ではない。とは言え、やはり再建されたこの街は、その戦闘能力を著しく落としている。そうでなくとも手持ちのEVAは五体。今すぐ稼動出来る物とて四体しかない。
 どうやろうと先の展開は明らかだった。陥落と言う名の二文字が脳裏を過ぎる。が、その考えは即座に振り捨てた。
「マヤッ!EVAの起動準備進めといてっ。パイロットが来たら即座に出すわよ。青葉君!引き続き観測、および情報収集!分かってるわね?少しでもいいから奴等の正体暴きなさいっ!日向君!作戦部召集!速攻でプログラム組むわよっ?最終戦の比じゃぁ無いからね。パターンa16-Bをベースに準備しといて!」
「「「了解!!」」」
 喧騒に包まれ始めた発令所を余所にリツコは思索に耽る。本来有り得ないのだ。EVAという自然界に存在し得ないモノ。それを制御し得る技術はNervにしか存在しない。そしてまた創り出す事も。だが、
「…どういう事…Nervのスペックじゃないわ…」
 見た目にも派手な色合いを持つのは、汎用人型決戦兵器としての特性故だ。そしてそのサイズも。確かに、今モニタに映るそれ等はNervが誇る決戦兵器と酷似している。しているが、余りにカスタマイズされ過ぎているのが、リツコにははっきりと解かった。十四体全てが。SEELEの時の様に量産仕様ならば有る意味理解は出来たのだ。物量でNerv本部を落とす。それは戦術としても有利だ。それは即ちNervに謀反を企む輩が考えそうな事にも繋がる。
 だが今、目の前に在るモノ達は、余りにも無駄に装備され過ぎていた。只の装飾としての意味しか見出せない、無骨な装甲。接近戦を前提とした日本刀、洋刀。用途不明の皿状や冠の様な頭部パーツ。終いには漆黒やら真紅のマント。余りにけれんが効き過ぎていた。
 それが余計にリツコの思考を戸惑わせる。
「…一体、何者なの…」
 数刻遅れで発令所に姿を現したのは、名実共にこの組織の頂点に上り詰めた男と、その補佐役。
「状況を報告しろ。」
 何時もと全く変わらぬ口調は、一時とは言え職員から不安を取り除いた。
『所属不明機、計十四体!最終防衛線外苑部で完全に包囲されていますっ!目標は依然沈黙!』
『目標装備概要不明、MAGIはパターン=レッドを回答、EVAとは確認出来ません。』
『避難状況イエロー。後十分程で完了の予定。避難完了後戦闘体型へ以降。』
 次々と発令所に響き渡る報告の山。ゲンドウと冬月は静かに佇みその報を受ける。微動だにしない彼等だったが、俄かに冬月が口を開く。その声はゲンドウにしか届かぬ、囁きに近かった。
「…やはり現れたな。何時かは敵対組織が沸いて来るのは解かっていたが…意外に早かったな。」
「あぁ。しかも随分と羽振りがいい連中の様だ。」
 ゲンドウはあの相手を見透かすような視線をモニタに叩き付け、両手で口をとを遮る。冬月同様の囁きが、僅かにくぐもって返って来た。二人の姿勢はモニタに正対したままで、周囲には会話を交している様には見えない。
「しかし、どういう事だ?何故MAGIは保留ではなく回答を出した?」
「恐らくは…」
「…裏死海文書か?しかしあれはもう終わった筈だ。これ以上何が在ると言う?」
「文書と言えば聞こえは良いがな…あれは不明瞭な部分も含めMAGIに全て移植されている。」
「MAGIが回答を示したと言う事は…」
「何か関連があるのは間違いなかろう。」
「ふむ…」
 一度も目を会わせる事無く会話は終了し、冬月は意味深に一息付く。僅かの間を置いて出た呟きに、応えるモノは無かった。
「…どちらにせよ。危機的状況だな…」
『ミサトッ!!どういう事よっ!?観測所もMAGIも居眠りしてた訳じゃないでしょうねっ!?』
 メインモニタに突如乱入したウィンドウは、開口一番、ミサト同様の叫びを発した。
 アスカが安眠妨害され、言われるままに寝惚け眼でソレを認識するまでに約数分を要し、急転直下で理解した瞬間、彼女の鉄拳が昨晩御世話になった宅の居候を、半殺しにまで追い込んで叩き起こした後、着替えも碌にせず三人で本部へと飛んで来たのだ。それでもプラグスーツに着替える際に、一通り髪に櫛を通したりしているのは、女性の嗜みと言うべきか、彼女の気質と言うべきか。
「ある訳無いでしょ。突然出現したのは確かよ。おまけにアレだからね。誰も敵だなんて思わなかったみたいよ。」
 アレとは要するに、何処からどう見ても目標がEVAにしか見えない事だ。御陰で出勤ラッシュ前の市民達でさえ、演習か何かだと思い込んだ為に、発見が遅れた感は否めない。にしても、観測所もMAGIも異常を示さなかった点では、どちらにも落ち度がある事に間違いは無いのだが。今それを論じても始まらないのは、ミサトもアスカも重々承知していた。
『で?どう行くの?』
 一転して、アスカの口調は落ち着いた物に取って代わった。見ると彼女は最早己の職務を全うする為に、コンソールと睨み合い機体チェックに入っている。既に他のパイロット達もエントリープラグに搭乗し、直ぐにでも出撃が可能という状態。最早少年少女達は自らの意思で、望んで戦場に身を置こうとしている。自らが護るべきものを自覚出来るようになった彼女達に、ミサトは嬉しくも在り、一方で心配で致し方ない。しかし。今の彼女にそれは許されないのも重々自覚している。だからこそ、ミサトに出来る事は只一つだった。
 ミサトは一息付き、マイクを手に取る。
「見ての通り彼我兵力差は四対十四。圧倒的不利な状況よ。よって、作戦はa16-Bをベースに、零、弐、伍号機を前衛に、参号機を後衛に回すわ。前衛は最低でも一人四体は殲滅なさい。後衛の先制攻撃。ポジトロンライフルで二機は仕留める事。良いわね、鈴原君?」
『任しといて下さい。伊達にシューティングゲームばっかしとりまへんわ。』
 ミサトの指示を聞きつつ作業に没頭していたトウジは、己の名を呼ばれると同時に、屈託無い笑みをモニタ越しに浮かべた。当時に実戦経験は無い。それ故に後衛に回したが、さりとて彼が抱える重圧は相当な物だろう。それでも、笑み浮かべる少年から純粋な心の強さを受け取り、ミサトは満足げに頷いた。それ以上言葉は必要無いとばかりに、続けて作戦を伝える。
「前衛は各自の判断に任せます。相手が見た目通りなら重火器は持って無いわ。接近戦で叩く事。好きな武器を持って行きなさい。」
『『了解。』』
 だが返って来たのは二人の返事だけ。不審に思いつつも、ミサトは彼女が言い淀んでいる理由を朧ながら理解していた。
 何よりも今、この状況はあの時に酷似し過ぎていたから。あの悪夢の様な日に。それ故だろうか。ミサトは無意識に彼女を気遣うように呼び掛けていた。
「アスカ?」
『…任せなさい。最終戦の時より余程楽だわ。』
 返って来たのは冷静な少女の声音。震えも不安も無く、寧ろ静かに力強い。
「…御免。何時も作戦なんて言える程、大層な物を出せないわね。迷惑掛けるわ。」
 静かな、闘志篭るその返答に、逆にミサトは不安を拭い切れない。アスカにとってあの最終戦での陵辱は、トラウマになっていても不思議ではなかったから。自然と、ミサトの言葉が家族のものへと変化したのは、自身が最早復讐と言う名の束縛から解放されているからであろうか。彼女が過去、どれ程強がった生き方を選択していたか知っているから。
 しかし、アスカはそれほど弱い少女でも無く、寧ろ一年前とは比べ物にならぬ、確かな強さを手に入れていた。その返事はいっそ爽快な程力強く。
『気に病む暇があったら、もっと相手の情報が欲しいわね。』
 ミサトは逆に少女から励まされてしまい、くすぐったい気分になる。彼女の口の悪さは今に始まった事では無い。寧ろ姉として喜ぶべき返答だった。
「…分かってる。頼むわ、アスカ。」
『安心なさい。速攻で決めてやるわ。』
 彼女の笑顔に救われる。それは自分だけで無く、Nervという十字架を背負った全ての者達が。
 だから。ミサトは自分の持つ全てを駆使して、彼女自身の戦いを試みる。愛しい娘達を生きて生還させる為に。その為にはミサトは鬼にも蛇にもなる覚悟だった。
「それも良いけど…一つだけ試したい事があるの。直上に射出後、指示が出るまで待機。良いわね?」
『何をやる気?』
「…ちょっちね。見極めたいのよ…何が、したいのか…」
「…?…」
 不信に首傾げる少女を横目に、ミサトは不敵に笑み深める。
 それは戦争のプロとしての意地だ。
 彼女の号令と共に、鬼神達が地に降り立つ。









 

拾弐.





 

2017年3月25日 午後9時23分
アメリカ フロリダ州 U.S.A.Nerv第壱支部





 リアルタイムに流れ来る映像に映った、真紅の戦乙女に思い馳せる少年を横目に、男は一人ごちた。
「…成る程。シンジが世界より女を取ったのも頷ける。なぁ?」
「ホント。いじらしいわね。」
 それに応えたのは名目上の、彼の雇い主。思わず溜息等吐く。
 切迫感滲み出るメインモニタとは程遠い緊迫感の無さに、少年と今一人の男は乾いた声を上げた。
「………あのね。」
「…はは、はははは…」 
 この状況で平然としている男の心境が少年―――シンジには理解出来ない。まぁ、彼の言わんとしている事は判ってはいるのだが。こちらの考えを熟知しているのか、男―――カムイの続く言葉は極平坦な、それでいて身に凍みる訓告。
「言ったろ?今出来る事なんぞたかが知れてる。ま、戦況をよく見る事だな。問題はそれからだ。」
「…分かってる。」
 が、シンジにはどうしても言っておきたい事もあった。
「でも、今のは戦況には関係無いと思うけど?」
「当たり前だろ。な?」
「そうね。感想だもの。」
 すっかり二人の玩具にされる自分が、かなり情け無い。
 それでも、今自分に必要なのはモニタの向こう。第三新東京市で起きている異常事態を見届ける事であり、今後自分が何をすべきかを見届ける事であった。故に、早々に思考を切り換える。この辺の起点の早さは目の前の恩師の御陰だろうか?それとも以前の保護者の御陰だろうか?
 カムイは取り出したMarlboroが空になっているのを見て、箱をそのまま握り潰し口を開いた。
「神経使い過ぎなんだよ。お前は。」
「でも…」
 決して不安は拭い切れない。自分の生きる糧を守る為に生き延び、鍛え上げ、悩み抜いたこの一年半。が、自分が戻る決心をした途端に、何者かにそれを潰され様としているこの状況に、平然としていられる程シンジは大人では無い。況してや今自分には為す術が何一つ無いのだ。
 再び自分の未熟さを指摘されると覚悟していたシンジだったが、肯定は別の所から出て来た。
「でもな司狼。どう考えてもこの状況は不利だぞ。どう見たってアレはEVA以外の何者でも無い。ぱっと見だが有線動力じゃない。明らかにS2機関を積んでる。本部も四機が稼動するとは言え、最終戦と同等の苦戦は必死だ。」
 加持の指摘は正しい。あの日、九機の量産型相手に奮戦したアスカも、最終的には再起動した量産機に蹂躙されたのだ。こちらもS2機関を手に入れたとは言え、実戦経験の無いトウジの参号機や、実力未知数のカヲル等、決定的兵力の差は埋められない。勿論、相手の実力もまた未知数なのだが。
 もし。もし今の自分があの場で初号機を駆っていたならば…あるいはその差も埋まっただろうか?それを思うとシンジには歯痒さばかりが募る。
 一方で新しいMarlboroを何処からとも無く取り出したカムイは、ZIPPOで火を点すと深深と紫煙を吸い込む。それを横目に応えたのは、所構わず煙草を吸うカムイに批難の視線を送るティアだった。
「それは余計な心配と言うものかしらね。けれんが効き過ぎよ、アレは。」
「え?」
 シンジの疑問の声と同じに、モニタからミサトの一声が響き渡る。結果問い質す事を諦め、シンジはモニタを見やる。
 第三新東京市直上に姿現す、四つの巨人。零、弐、参、伍号機は御互いに背を向かい合わせ、周囲を取り囲む鬼神達を睨み返すように布陣し、そのまま静寂に包まれた。
『所属不明機に勧告する。即刻この場から立ち去るか、若しくはそれ相応の応答が無ければ、実力を持って殲滅に移る。』
 静寂を打ち破り、あらゆる回線を通じて、シンジの元保護者である女性の声が響き渡る。それは凛々しくも、彼の記憶に在る行動とは些か違いが見て取れた。が、彼女とて軍人の前に一人の人間だったと言う事か。シンジにはミサトが、子供達を少しでも危険から遠ざける為に、あらゆる手段を講じ様としている事を理解した。
『繰り返す。応答せよ。さもなくば実力を持って殲滅に移るっ!』
 再び静寂。
 一分。
 二分。
 三分。
 そして、動きは再び声によって齎された。
『ぎゃははははははははははははははははははははっっ!!!!!!!!』
 御返しだとばかりに全回線を通じて返って来たのは、下卑た嘲笑。
 入れ替わりにモニタに割り込んだのは、金髪の整った顔立ちの青年。嘲笑を湛えたままその禍禍しい瞳を、シンジに向けて来た。
 シンジの顔が俄かに歪み睨み据える。紫煙に埋もれた男の瞳孔がきゅうと絞られた事に気付いた者は居ない。
『期待通りの反応で嬉しいよ。世界の救世主Nervの諸君。』
 シンジが彼と合い対している訳では無い。無いのだが。シンジには未だ嘲笑を張り付けたままのその青年に、嫌悪感を抱かずには居れなかった。
 青年がエントリープラグ内から通信回線を開いている所から見て、彼があの十四体の中の一体に乗り込んでいる事は確かなのであろう。西洋彫刻が動き出したかにさえ見えるその容姿からは、到底及びも付かぬその邪気は、モニタ越しにさえはっきりと掴み取れていた。
 余りに不釣合いなソレ。第一声となった嘲笑から、シンジは何処か現実感を失っていたのかもしれない。それはシンジのみならず、本部全員も感じている事だった。
 突飛な事態に反応しかねるNervに待ち切れなかったのか。声は再び挑発を持って時の流れを促した。
『どうした?応答してやったぞ。Nerv戦術作戦本部長葛城ミサト二佐殿?』
 名指しにぴくりと反応した本人は、苦渋の表情を浮かべ返答を持って交渉に移る。
『……まさか応えるとは思わなかったわ。』
『なぁに。礼儀を尽したまでだ。』
『……何者?』
『知りたいかね?』
『…知りたいわね。』
『ふむ。』
 幾度の化かし合いの様な応酬に、青年は片肘付いてにやと微笑む。
 モニタの片隅で金色の巨人がマントを翻し、大仰に両手を翳すと、まるで神に捧げる賛美歌の如く高らかに言い放った。
『我等、エホバの名の元に集いし、エホバの御使い、エホバ・チルドレン也っ!!』
 静寂。
『ぎゃははははははははははははははははははははっっ!!!!!!!!』
『っ!?っざけんじゃ無いわよっっ!!!!』
 嘲笑に重なった激昂は、交渉に応じていた女性の物では無く、うら若き戦乙女のそれ。真紅の機体がじり、と半歩踏み出したのを、シンジとそしてミサトもまた見逃して居なかった。
「ダメだアスカッ!!」
『止めなさいアスカっ!挑発に乗っちゃダメッ!!』
 シンジの叫びが届く筈も無いのだが、ミサトの制止さえも無視し、アスカの弐号機はその巨体に似合わない駿足で、物の数秒で金色の機体に捕り付かんとしていた。
 弐号機が振り翳したソニック・グレイブが、頭部から真っ二つに切り裂いたかに見えた瞬間。
 轟音。
 その光景は僅か一秒にも満たない寸前の状況からは考えられない、有り得ない光景。
 弐号機はグレイブを持ったままうつ伏せに平伏し、その背を金色の鬼は片足で踏み付け、厭味たらしく覗き込んだ。
『おぉ。これはこれは。御高名なる弐号機専属パイロットの、惣流・アスカ・ラングレー嬢では無いですか。御初に御目に掛かる。我はエホバ・チルドレン総統、サミュエル・メシングと申します。貴方と同じドイツ出身です。いやぁ。この様な所で、我等の誇り高き同胞に御会い出来るとは。至極光栄ですよ。惣流・アスカ・ラングレー嬢。』
『なっ…な…な…な…な…な…な…』
『な?…納豆はいけませんな。私の口にあの食感は馴染まない。日本人の心は理解出来ませんなぁ。』
『な、な、な、な、な、な、な、な、な、』
『あぁ、茄子がお好きでしたか?では今度是非御土産に御持ちしましょう。私も好物ですよ。』
『なっ、なんなのよっこれは~~~~っ!!』
『踏み付けですな。』
 緊張感の欠片も無い応酬に、半ばシンジは呆れ返っていた。心配した自分が馬鹿らしくなる程に。実はモニタの向こうの発令所でも、戦場に居る少年少女達も半ば同様の心境なのだが。
『ンな事聞いてんじゃ無いわよっ!このナルシスキチガイ派手派手男っ!!』
『おや?派手ですか?』
『ったり前でしょっ!?とっととこの足退けなさいよっ!!!』
 金色の巨人の下でじたばたと足掻く弐号機は、有る意味滑稽な姿ではあるが、シンジは僅かに違和感を感じた。
「…弐号機が…」
 背中を片足で踏み付けにされているだけ。にも関わらず弐号機の動きが小さい。退け様と思えばATフィールドでも使って吹き飛ばせば済む筈なのだが。まるでそれは巨大な天井に押し潰されている様な動きで。
「…まさか、ATフィールドで…」
 シンジの呟きはある意味正解でもあり。そしてそれに応えたのは、化かし合いに全く反応する事無く、一部始終を見据え続けていた男。
「完全に押さえ込まれてるな。それ以前にあれじゃ身動きなんぞ出来ん筈だ。剄を堰き止められてるからな。」
 本来人間の動作には、脳からの運動神経による指示伝達と、筋肉の収縮によって動作が為される。しかしその神経伝達系、所謂運動神経を“気”でもって堰き止める事により、相手の自由を奪う事が出来る。その流れの総称を『剄』と言うのだが、勿論その知識はカムイ自身から教えられた格闘術の一種だった。
「成る程ね。EVAという“人造人間”だからこそ出来る、ある種裏技かしらね。」
 淡々と告げるカムイもティアも、先程からの間抜けな応酬には少しも興味を引かれていない。寧ろ敵の本質を見抜く事に集中しているのか、その視線は依然として厳しく睨み据えられていた。
 不意に。
 今までのとぼけた口調に変化は無いにも関わらず、シンジの背筋を悪寒が走り抜けた。
『それは出来ませんなぁ。かと言ってこのままなのも何ですし…御退場願おうか?ラングレー嬢。』
 底冷えのする、明確なる殺意。それを感じたのはシンジだけではなかった。
「アスカッ!?」
『っ!!??』
 シンジの叫びと同時に、弐号機はビルを薙ぎ倒して吹き飛び、残り三機が断ち尽くす元の射出地点に舞い戻っていた。
 金色の巨人が軽く蹴飛ばしたのを確認出来たのは、冷静に戦況を見据えていた、カムイとティアだけであろう。何せその“軽く”を目視出来た人間が少ない。シンジも見てはいただろうが、彼の意識はそれ所では無かった。
『アスカッ!?』
 モニタの向こうで弐号機を抱き抱えるレイの零号機。モニタに映るプラグ内でアスカは完全に意識を失い昏倒して居た。
 早くも一機、戦線離脱してしまった事態に、本部の発令所は戦々恐々としている。そんな事にもお構い無しに、金髪の青年は先程までとは違い、厭味を前面に押し出して吶々と語り出した。
『さて、Nerv諸君。ゲームと洒落込もうじゃ無いか?我等エホバ・チルドレンが攻撃、君等が守備。黒き月を舞台に人類の生存を賭けた、デスマッチだ。我々はあらゆる手段を講じて君等を駆逐して行く。どうだ?楽しいだろ?』
 けたけたと笑う西洋彫刻。その挑発に乗ったのはアスカ亡き後、熱血漢のトウジが動くのも必然だったのか。
『じゃぁかあしいぃっっ!!!』
 参号機の抱えるポジトロンライフルが火を吹き、一直線に金色騎士を射止めた。と、誰もが確信したのだ。だが、
『なんやとっ!?』
 光は巨人の体内を素通りすると、遥か背後で着弾し爆炎の炎が燃え上がる。金色の巨人は背後に紅蓮の炎を携えて、その体皮を極彩色に明滅させる。
 神々しい筈のその状景に、しかし誰一人として嫌悪と恐怖しか抱かなかったのは、神の名を抱きし者に刃向かった者の報いか。
『聖戦の狼煙は上がった。終焉という名のプレリュードを、神に刃向かいし愚かなる人類全てに捧げよう。』
 マントを翻した金色の騎士は、剣を抜き高々と掲げる。それは未だ冗談の様な光景でしかなかった。
『心して待つが良い。我等エホバの名の元に、終焉が齎されるその刻を。』
 そして、
 十四体の巨人達が陽炎の如く消え去る様こそ、
 正しく冗談以外の何物にも見えなかった。
 残されたのは轟々と燃え続ける大地だけ。









 

拾参.





 

2017年3月26日 午後10時13分
日本 第三新東京市 Nerv本部発令所





 惣流・アスカ・ラングレーの容態は余り芳しい物とは言えなかった。
 胸骨の骨折一、罅三。着地時に受けた殴打に寄り左肩に罅、及び額に裂傷。外観的に見ればまだ軽い物と言える。この様な環境に於いては。問題はその身体機能の著しい低下にあった。原因は正確には不明。しかし想定されたのは敵の一撃を受けた際、“気”の流れを乱された事に寄り一時的にとは言えその治癒能力が著しく低下している、というのが海の向こうで状況を見ていたティア・フラットからの意見であった。暫くすれば“気”は霧散し身体は元の治癒力を取り戻すので問題は無いだろうとの助言があった物の、然して葛城ミサトの心中の平静を取り戻す術とは成り得なかった。そして今彼女は未だ意識の混濁している少女の手を握り締め、ベッドの隣で項垂れる様に寄り添い離れようとしなかった。
「………」
「…絶対…許さへん…」
 握った紙コップの中でコーヒーが細波を立て湯気を立ち昇らせる。休憩所でベンチに項垂れるトウジはぼそりと呟き、まだ熱いコーヒーを一気に胃に流し込んでぐしゃりとカップを握り潰した。
「女に手上げるどころか惣流を半殺しにしよって…あの野郎っ…」
 低く唸り潰れたカップは塵箱に叩き込まれる。自販機に寄り掛かりトウジの様子を眺めていた少年は、静かに口を開いた。何時もと変わらぬ口調。
「トウジ君。物に当たっても意味は無いよ。」
 瞬間息荒げた少年は、任務待機の為自分同様未だプラグスーツ姿のカヲルの胸座を引っ掴み、怒声を張り上げた。
「おんどれは惣流が傷め付けられとうて、よう平気にしとるなっ!?余裕のつもりかいっっ!!」
「………」
 カヲルは静かに目蓋を開き、また何時もと変わらぬ口調で言う。だがトウジは真正面からその瞳を見た。真紅の瞳が烈火の如く燃えているのを。
「…守るよ。アスカ君はね…」
「………」
 一転して黙り込みカヲルを解放したトウジは、その目を見続けられなくなり背を向ける。カヲルには分かっている。心に宿る待ち人の最も大切であろう人を、彼は何も出来ずに蹂躙されるのを見ていただけだった。それが余計に口惜しく、彼女を守れなかった自分が許せなかったのだ。しかし…それは僕だって同じだよ…
「やるべき事は山程ある…そうだろ?」
「わぁっとるわいっ!!」
 背を向けたままカヲルの言葉を怒鳴り付けたトウジは、しかし暫しの沈黙の後「済まん…」と残しその場を立ち去った。カヲルはトウジのそんな様子にふと表情を緩め彼の背に「気にしなくて良いよ」と返した。視界の去り際に彼の手だけが軽く上がった。
『戦力増強は急務です。』
 それが彼女の結論だった。そんな事は解かっているのだ。しかしそんな予算が何処に在ると言う。リツコの苛立ちは臨界点を今にも突破せんとしていた。
「だからっ、それが無理だと申し上げているんですっ!」
 広い司令執務室の一角に設置されたモニタに映る深窓の麗嬢。そのモニタの前にリツコ、冬月。ゲンドウが静かに執務机で腕組をして座している。モニタの向こうでは同じ執務室であろう机に座すティア・フラット。
「リツコ君の言う通りなのですよ。正直今のNervにそれだけの予算は無い。況してやチルドレンの数が増えたとは言えその錬度は明らかに劣る。何よりも現状最も最強のチルドレンたるアスカ君が、ああもいい様にあしらわれたのです。果して戦力の増強だけで…」
 冬月の悲観的な言葉を遮る様に、ティアはその鈴音を響かせた。
『その点に付いては余り心配はしていません。恐らく…まだ時間はあります。』
「?……」
 モニタを見上げた冬月が見たのは優雅に微笑み、しかしその瞳に宿る明確な意思だった。
『碇司令。新造機の発表、早めて下さい。そうですね…一ヶ月後には間違い無く予備役の四機、御用意致します。』
 その軽やかな報告は、しかし余りに唐突であり驚愕となって三人を射貫いた。
「……ティア嬢…」
 この男としては珍しい唖然とした口から、彼女の呼び名が漏れ出た。少女の笑顔も口調も変わりは無い。ただ、少しだけ和らいだだけ。
『何の為に私が貴方方と手を組む事にしたのか。その事をお忘れになら無いで下さい。こういう不測の事態の為です。今から素体の構築に取り掛かれば何とか仕上られます。アーカムを潰してでも仕上ますわ。』
 幼女の様に笑い冗談とも取れない言葉に、何時の間にかリツコの怒りは何処かに消し飛んでいた。と言うよりは飽きれ返っていただけかもしれない。
『それから、彼等は…“ゲーム”だと言い切りました。何より今日の襲撃は余りにけれんが効き過ぎです。』
「……彼等にとっては“遊び”…だと?」
 ゲンドウの思考が今日一日の記憶を振り返り、夢でも見ていた様な心境を吐露する。余りに演出の過ぎた襲撃。彼等は今直ぐにでも落とせたであろうNerv本部にも、この第三新東京市にさえ指一本触れ様とはしなかった。弐号機が撃墜されたのは、言ってしまえばアスカが暴走したに過ぎない。その結果導き出される答えは、
『えぇ。確かにあれだけの戦力…況してやEVAを十四体も所持している以上、確かに彼等のバックに何等かの組織がある事は確かでしょう。彼等は明らかにその力を誇示しようとしている。ドイツ第三支部陥落もその前兆だったと考えるべきでしょう…しかし、彼等は仕掛けては来なかった。』
 漸くその意味を捉え始めた冬月が後を続ける。腕組し既にその聡明な頭脳は言葉の内容の先を歩み始めていた。
「やった事と言えば降り掛かる火の粉を蹴散らしただけ。特にこちらの損害を望んではいなかった…本来の目的は…」
「…唯…自分達の存在を知らしめる為…」
『そういう事です。』
 本質に辿り付いたリツコの呟きをティアは静かに肯定する。冬月が思わずごちた。
「まるで子供の悪戯だな…」
『見た目通りと言う事でしょう。そして彼等は世界一危険な子供達ですわ。EVAを操っている以上、彼等はチルドレンであり…』
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!?彼等がチルドレンだとっ仰るのですか?!」
 慌てたのは当然リツコだ。当然だろう。現存するチルドレンは全てNervにしか存在し得ない。況してや候補さえNervが総括しているのだ。だが現実にEVAを操っていた以上、リツコも十分その事を認識していた。ただ、認めたくは無かっただけ。
『…リツコさん。貴方は御存知無いでしょう。EVAという物体…いえ。“存在”を消し去る事は可能だと思われますか?』
「え?…そ、それは…」
 出来る筈が無いのだ。EVAは使徒とは違う。突然出現したり消滅したりする為の機能は持ち合わせては居ない。何よりEVAは種として既に人とは異なる。その存在感だけでも“気配で違う物がそこに在る”と感じる。それは普段からEVAと接して生活している自分が一番良く知っている事だ。出来る筈は、
『あれは人外の法…魔術と申し上げた方が宜しいでしょうね。あれは正しくその場から“消えた”のです。そういう子供達なのですよ…彼等は。一般的には存在しない世界です。私達と同じ様に世界の裏に住む、子供達なのでしょう。彼等は…』
「………」
 リツコは既に思考停止していた。ゲンドウは既に彼女のそういった部分を十分に理解している。自分等が足下に及ぶ筈も無い。彼女がそう言う以上それは事実なのだろう。
「時間が…あると仰いましたな?」
 その言葉に静かに頷く少女。
『確信は持てませんが、目的が何にせよあくまで彼等はゲームを突き通すでしょう。彼等は確実にこちらの動向を見ています。今日の事で我々がどう行動するのか、何処かで楽しんで見ている筈です。次の襲撃を指折り数えて…』
「だからこそその間に万全の体制を整えるべきだ、と?」
 ゲンドウの言葉が執務室に静かに木霊する。我が意を得たりと微笑むティアは締めだとばかりに口調を早めた。
『えぇ。機体の方はお任せ下さい。リツコさん?』
「は、はいっ。」
 突然呼出され思わずどもって再起動するリツコ。
『B-Typeの資料見せて頂きました。御見事です。こちらもB-TypeをベースにGの建造に当たります。助かりますわ。』
「い、いえ…」
 思わぬ所からお褒めの言葉。拍子抜けしたリツコは唖然と相槌を打つしか出来なかった。 
『碇司令、チルドレンのスキルアップも必要です。こちらから一つ提案があるのですが?』
 今までと質の異なる笑み。ゲンドウは僅かに気後れしつつも頷く。
 細まる彼女の瞳に少なからず背筋が凍り付く思いをしたのは気のせいだろうか?
『SPPRIGANを一人、そちらへ派遣しますわ。』
「………」
 四人はじっと病室の向こうで昏睡し続ける少女と、保護者となった女の蹲る姿を心配げに見つめ続ける。ロングヘアの金髪女は静かに心配げな瞳を向ける。
「………」
 四人に会話は無い。難しげな顔でガラス越しに家族を見やるだけだ。痩躯の男は手に持った胡桃三つをごりごりと廻しながら俯いている。
「………」
 四人の周囲に人気は無く、室内と室外の二つの空間がそこにひっそりと在るだけ。長身の男は壁に寄り掛かり静かに腕組をし佇む。
「………」
 四人の内の一人、薄い金髪の一目見て西欧の顔立ちをした女が、静かに瞼を開けそのエメラルドの瞳で眠る少女を見た。
「……そう…動き始めたのね……」
 静かに。
 呟き一つ。
 悪寒が走り抜ける。今は居ない一人の利用者が戻ってこない以上、この更衣室を使う人間は自分だけだ。
「………」
 今朝感じた脳の片隅で燻り続ける火種が、彼女の思考を不安定にさせその心を揺さぶり続ける。更衣室に備え付けられた簡素なベンチに座り、未だ解けない待機の為にその身を包むのは、何時でも出撃出来る様に純白のプラグスーツ。先日アスカ達と共に新調した物だ。その左手首に掛かった右手がコントロールパネルを操作し、設定温度を3℃引き上げる。身を屈める様に両膝を抱え込みベンチに蹲る少女。寒い?…違う…これは、何?
「……何なの?…この感じ……」
 微熱の様な感覚に犯されながら、レイの脳裏に浮かぶ一面の緑あふるる草原を駆け回る命達のあふれる生命をそっと見守りし青々と繁る巨大な樹木の優しき
「……な……に……?……」
 暴走した脳に浮かんだ光景は瞬時に消え去りレイは強烈な睡魔に襲われる。
 脱力した彼女はそのままベンチに崩れ落ち、そのまま意識を失い静かに深い眠りへと落ちた。









 

拾四.





 

2017年3月26日 午前11時23分
アメリカ フロリダ州 U.S.A.Nerv第壱支部





 通信を終えたティアは静かに溜息付き、椅子にぐったりと腰を据えた。
「宜しかったのですか?アイツを送るつもりなんでしょ?」
 傍らから彼女に呼び掛けるのは部屋の隅で煙草を吸っていた男。ティアはその質問にくすりと苦笑し自嘲的に述べた。
「どうかしらね。正直、説得はもうしたく無いわね。」
「…確かに。」
 苦笑しつつ煙草の火を消し、ティアの傍らへ移動する加持は徐に切り出した。その顔には微塵の欠片も躊躇は見当たらなかった。
「午後、発ちます。」
「……そう。ならもうこちらの世界には立ち入らぬ事ね。彼女、泣かせちゃ駄目よ?」
「WildCatも卒業ですね。」
 恥ずかしそうに頭を掻き、しかし加持はすんなりと言い切った。その様子を優しく嬉しげに見つめるティア。そう。彼にはその方が良い。愛する者の為に生きるのならばこっちには居てはいけない。
「では。Nerv情報調査部、加持三佐。これを、碇司令にお届けして頂けます?読後は焼却処分で。」
 そう言って一枚の書類を手渡され、加持は暫し視線を落とし読み耽る。その顔が徐々に青褪めていったのは決して気のせいではあるまい。
 加持は面を上げ涼しい顔のティアを見やった。
「…本気ですか?」
「致し方ありません。起動さえままなら無いであろう四号機が、実戦に耐えられるとは私にだって到底思えないわ。となればG四機の素体が完成するまでに、スペック検証はプロトタイプでやってしまうのが順当です。G-1は今日から換装作業に入っています。後は彼で試しに起動してみて、可能であれば四機の実機テストまで。でも流石にそこまでは時間が許さないわね。だからそのままG-1は封印よ。はぁ…残念……」
 艶っぽい溜息を吐いた彼女は本気で口惜しそうな顔をしていた。流石に加持もこの辺の領域に飛び込む愚は犯しはしない。何せ似たような親友に散々愚痴られた経験がある。不用意に近付くよりは寧ろ離れるべきで、話題は早々に引き戻す事にした。
「…それでこの配置転換、ですか?」
 視線を書類に落とし再び難しい顔になる。
「と言う訳でも無いわ。それは寧ろ今日のアレに対する布陣です。彼等が神出鬼没である以上、戦力分散は危険過ぎます。今回のがいい例よ。あれが最終宣告だったら今頃本部は残って居なかったわ。それに戦力が一つでも期待出来なくなる以上、一極集中は戦略として必須よ。」
「確かに……しかし、これは……」
 書類の一箇所を指差しティアに見せる。ティアは意地悪い笑みを浮かべのうのうと言い放った。
「ダミーよ。」
「は、はははは……はぁ…」
 がっくりと項垂れた加持は、凛と切り替わった声音に背筋を伸ばした。
「決定よ。各支部はEVAの戦略拠点と援助としてのみの機能を残し他の組織形体を破棄。ここも現行の建造が終了次第、職員は本部に移します。」
「…了解。」
 敬礼した加持に、ティアも立ち上がり握手を求める。彼女は、軍人にはなり得ないから。加持もそれを分かってか、その小さな女の手を握り返す。とても異質な存在とは思えない。世界を牛耳る財団総帥の手とは思えない。極普通の少女の様な小さな手だった。
「…シンジ君は明日向かわせます。黙ってなきゃ駄目よ?」
「分かってますよ。ビデオにでも撮っておきますか?」
「あら、それ素敵っ。御願いね♪」
「了解。編集しておきます。」
 悪戯好きな大人達が意地の悪い笑みを浮かべ満足げに頷き合った。
「よぉ。加持の奴とうとう観念したらしいなぁ?」
 入室した第一声がこれでは些か気も抜ける。挨拶ぐらい覚えないものか。自分は。しかしこれも染み付いてしまっている。今更な気もするし、この部屋の住人も既にその事には慣れ過ぎていた。
「あら。聞いたの?」
「あぁ…で?用ってのは?」 
 加持が託った呼出しで司狼カムイはティア・フラットの居る執務室に顔を出した。加持から丁度これから第三に戻るという旨を聞き、散々からかってやった後この部屋に来てみれば、彼女は黙々と書類制作と確認に精を出している最中だったらしい。ま、忙しくなって来たのは確かだしな。
 カムイが彼女の机に腰を下したのを待っていたように、彼女が書類に落としていた視線をすっと自分に向ける。咥えていた煙草に火を点す。
「シンジ君を、明日戻すわ。」
「あぁ。良いんじゃないか?」
「……意外とあっさりしてるわね。」
「意外も何もあるかよ。俺は加持から預ってただけだ。」
 ふっと緩めた表情は、何処か姉を思わせる顔。自分に向ける物としては珍しい部類だ。
「そお?結構可愛がってたみたいだから、今際になって駄々でも捏ねると思ったけど。」
「あほ。」
 くすくすと笑み漏らすティア。こいつも柵から解放されれば素直な少女に戻れるかもしれない。先ず無理な事であろうが。悲劇の女か…それとも喜劇か…?下らない事が頭の隅でぼやいている。
「で。それだけな訳ゃ無いよな。」
 ティアは身を正すとその瞳を氷を纏い付かせた。仕事の顔。魔女の顔。アーカムの顔。SPPRIGANの顔。
 いや。ティア・フラットという女の、哀しみの顔、だな。カムイの顔に紫煙がたゆたう。
「彼方の感想が先。どう思った?」
「……ま、一筋縄じゃねぇ事は確かだな。あんだけの事やらかすんだ。バックがあるのは確かだろうが…ありゃどっか切れてる。派手なガキの喧嘩だよ…アレは………」
 言い掛けて止める。ティアが見つめる。……バレてたか。
「……ただ…どっかに意思が在った。それだけは感じた。」
「…………ヤバイ、のね?」
「だろうな。」
 視線が逸れる。今彼女の脳味噌はフル回転している事だろう。頭脳戦と妖魔大戦争は彼女の担当だ。少し苦めの紫煙がゆっくりと肺を満たす。彼女が口を開いた。
「OK。やっぱり彼方にやってもらうわ。今までさぼってた分働いてもらうわよ。」
「うっげぇ。」
「文句言わない。」
「へぇへぇ。」
「取り敢えず回って来て。」
 間無く飛んで来た指令は、抽象的だがしかししっかりとカムイの脳に伝わった。ふぅ~ん、ま、それもアリか。
「了~解。デカブツの相手は?」
「換装作業に入ったばかりよ。調整作業もあるし…他の四機のロールアウトと略同じ一ヶ月後ね。二十日後。それまでに探って来て頂戴。」
「うぃっす。」
 椅子変わりに腰掛けていた執務机から立ち上がり、応接デッキの灰皿に吸殻を押し付ける。そのまま部屋を立ち去ろうとしたが、彼女の声が掛かった。また、優しさが含まれる暖かい吐息。
「…ねぇ?…兄貴の気分って、どうだった?」
「?」
 振り帰れば、やはり先程の笑顔。ふっ…何だろうねぇ…人間の心が戻って来たか?それとも、こいつが言うように、アイツのお陰か?
「……そうだな…悪かねぇ。」
「…そう…」
 今度は引き止めも無く、カムイはその場を立ち去った。
 何時もの匂いと気配があった。15m先の休憩所。やっと見付けた。
 足を止め深呼吸。うん。大丈夫。少しだけ早足になる。気が、競っているのかもしれない。やはり居たのはカムイだった。丁度お気に入りのMarlboroに火を点けた所。ふわりと紫煙が漂う。
 躊躇する事無く彼の正面のベンチに座る。カムイは知っていた癖に朧な瞳で「何だよ」と聞いた。
 静謐。慌しい筈のアメリカ第弐支部のその一角は、何故か静かに時が流れていた。
 交わる視線。唐突にシンジの脳裏に様々な物が過ぎる。
 嫌だった。人に触れるのが。傷付けるしか出来ない自分だから。だから流される事を選んだ。父に捨てられた事を恨んだ。父自身を恨んだ。恨んで居た筈なのにあの地に行った。そして苦痛を味わった。EVAに乗せられ、戦いを強要され、そこに自分の意思は無いものだと思った。思い込んだ。馬鹿だった。幼い少女が居た。何も知らない少女だった。壊れそうなその心に恐る恐る触れては引きの拙い関係。育まれた筈の心は一瞬で壊れ去った。向日葵のような少女だった。自分より遥かに優れて、自分より遥かに高見に居て、何よりも高潔だった。そう思ってた。毎日の煩くも楽しかった日々。楽しかった筈の時間は何時しか凍り付いて行った。そして完全に閉ざされた末に、彼女の凍った心は砕け散った。友を手に掛けた。助けられた筈の自分。その力を持ちながら、自分は戦う事を恐れた。挙句制御を奪われ嘆きの中友を手に掛けた。そして癇癪を起こし挙句追放。のこのこと戻り二人の少女を助けんが為戦いはしたが、果してそれは正しい事だったろうか。絶望の中たった一人の、全てを曝け出しても惜しく無い愛しき友を得た。裏切られたと思った。使徒だった彼を、今度こそ己自身の手でその命を奪った。それは正しかったのだろうか。全ての闇の中姉に引き連れられ、彼女に罵られ励まされ愛をくれた。もう一人の自分の母さえ自分は守れず只見送ってしまった。少女の蹂躙と少女の異形の中、全ての事象は混沌へと自分達を誘った。
 僕は…僕の選択は正しかったのだろうか。
 殺そうとした少女の元を離れ、さ迷い歩いた一週間。偶然の再会。生きていた男。泣き喚く自分。優しく包み込んでくれた初めての兄。一昼夜話し込んだ。涙は後を絶たず、しゃっくり上げながらも声が枯れるまで喋り続けた。全てを吐き出し呆然と赤い海を見つめていた自分の頭に、ぽんと乗っかった男らしい手。「頑張ったな。シンジ君。」その一言で、全てを理解した。僕は逃げてた。全てから。世界から。他人から。恐怖から。愛情から。何よりも…自分から。守りたい。今度こそ守りたい。僕の愛する全ての人を。そして自分は男と海を渡り、この男と出会った。愛する人達が皆生きていた。それが一層己を強くする為の糧となった。それもまた、在る意味逃げだったのかもしれない。男の教えは全てに及んだ。生き方。考え方。戦い方。そして自分自身。男の教えは厳しかったが、それでも楽しかった。そこには自分が常に在った。己と言う存在を常に見守って、支えて、共に在った。しかし彼が答えをくれる事だけは結局一度も無かった。僅か一年半。しかし今はもう遥か昔の事のように思える。果てしなく長い度。そうして僕は自分自身で答えを出せた。もう迷わない。恐れていても始まらない。罪を背負ったならば償おう。守りたい者があるから守ろう。例え自分を受け入れられなくとも。それはもう、僕自身の願いだから…
 どれだけ思索に耽っていたのだろうか。カムイが何時の間にか三本目の煙草に火を点けている。駄目だな。こう言う所は昔っから変わらない。それでも。只黙って自分の言葉を待ってくれている彼に、唯今は感謝したかった。
 彼は自分にとって何だったのだろう?師匠?保護者?親?兄?友?尊兄?
 交わる視線。ぼやけた瞳。朴訥な男。
 そう。そうだよね。カムイはカムイだ。それ以外では言い表わせない。それで良かった。
「…決めたよ。僕は戻る。」
「そりゃこないだも聞いた。」
 そう。こういう所がカムイだ。この捻くれモン。
「色々な人に御世話になっちゃったね。メイゼル博士やマーガレットさん。ティアさんも。御礼、言っといて。」
「気にすんな。保護費、養育費、食費、授業料諸々、纏めて加持に請求出しとく。そういう契約だしな。」
「…泣いちゃうよ?」
「泣かせとけ。」
 全く。湿っぽいのは苦手らしい。自分もそうだが。しかし言わなければ伝わらない事もある。自分はそうやって後悔し続け、そして知ったのだから。今の自分がここに在るのだから。
「……有り難う、カムイ。」
「…あほ。」









 

拾伍.





 

2017年3月27日 午後6時00分
ドイツ ニュルンベルグ郊外 Germany Nerv第参支部





 古惚けたパイプに火を点す。中々年期の入ったパイプだ。好事家達が高値で買うに違いない。尤も持主に売る気等無いだろうが。
「当たり前じゃ。」
 まるで少年の考えを詠んだ様に、銀髪の青年は独特の老人臭い口調で答えた。リーが首を竦め詫びた。
「御免。聞こえた?」
 青年は特にそれに答えず美味そうにパイプを吹かす。彼の傍に居た白ずくめ青年は苦笑し青年の好みそうな質問を出した。
「随分とお気に入りの様ですが何年物です?」
 吐き出した煙が空間に消えて行く。普通の紙巻煙草よりは少し濃い色の煙だと思う。吸った事も興味も無い少年には解からないが。
「四百と五十六じゃ。」
「それはまた。手入れが大変でしょう?」
「なぁに。“止めて”ある。」
「あぁ。」
 意味が解からなかったが、青年は理解したらしい。まぁ、どうでもいい事だ。
「……気に入らねぇ…」
 不意に掠れた言霊を発した男。全員の視線が集まる。少年の視線は見ている様で逸れている。余りこの男が好きでは無いからだ。彼の視線をまともに受けると正気でいる自信が無い。
「…何故、頭は殺さなかった……アレで一気に蹴りが付いた物を…」
 白い着流しの青年が何時もと変わらぬ清涼な声で彼を諭す。彼は何時も調停者であり自分達の副官的な役割を果す。そして銀髪の青年は常に傍観者であり相談役だ。自分は…ま、手足だな。彼は、闇だろう。自分達の全ての影だ。
「…セト。我等はあくまで駒です。あの御方の指示に従うのが我等の役目。」
「あいつは自由にヤれと言った。」
「……セト…」
 瞬間、気配が入れ替わった。否。今まで彼が発していた邪気が、それを上回る何かに押さえ込まれたのだ。リーにもそれだけは解かった。
 セトは額に一滴汗を流し、しかし口調も態度も変える事無く不遜に呟いた。と同時に消える気配。
「…ふんっ…解かっている…」
「……暫くは様子見です。その内彼方の好きな様に出来る。」
「………」
 セトは無言のまま青年を睨み返し、そのままその場を立ち去った。圧搾空気のドアが僅かに悲鳴を上げこの空間を再び閉じた。溜息。青年が苦笑しつつ言う。
「ま、彼なりの心配です。そう邪険にする事も無い。」
「……そうは、見えないけどね…」
「性格的に鬱憤も溜まるんでしょう。ほら。そこにも一組。」
 うぐっ。一番今関わりたく無かった所を突く青年。こっちよりはセトの相手の方が何倍もマシだ。何せさっきから続く艶っぽい喘ぎと淫靡な臭気を意識から塵袋に詰めてドラム缶に放り込みコンクリート詰めにして遠い彼方にポイしていたのだ。それが青年のたった一言の突っ込みの御陰で、今宅配のお兄さんが住所不定でカムバックして来てしまった。
「…んっ…あぁ……いっ…はぁ…」
「どうだ、リー。いっしょにヤルか?」
 自分より一個上だとは聞いているが、自分にして見ればそんな事やっている連中は遥かに大人な世界。あっという間に顔面が真赤になって、トマスの言葉の意味を認識した途端、ぶんぶんと首を振る純情少年な自分だった。当然、コンソールの上に仰向けになって乱れた服から零れ落ちる少し小振りな乳房も卑猥な音を立てている陰部も彼女の白い肌もその上に覆い被さり腰を振り続ける彼も二人が醸し出す汗と濃密な蜜と体臭と卑猥な合唱も、まともに見れる筈も無いので絶対に目を会わせる事など出来よう筈も無い。
「なんだ?い、いいのか?」
「…あっ…リー君…なら…うっ…可愛い…から、あっ…シてあげるの、にっ…」
 ぶんぶんぶんぶんぶんぶん。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。見るな見るな見るな見るな見るな見るな。
 セシレアの甘ったるい誘いに、脳味噌が蒸発しそうな思いで拒絶を示す少年。
「ほら。何時までやってるつもりです。戦えないのが不満なのは解かりますが、やるなら見えない所でやって下さいな。」
 やがて気の毒に思ったのか青年の助け船。というか彼方が原因でしょう、ハルアキ…脱力する少年。
「…取り込み中だ…クリス…」
 ちょっとだけ邪魔され機嫌悪そうなトマスの呼び掛けに、クリスは僅かに視線を交すと右手に持っていたパイプをくるりと宙で回した。瞬間、艶っぽい喘ぎも淫靡な臭気もその場から掻き消え、静寂が訪れた。
 漸く自我が戻って来たリー。クリスは愚痴っぽく一人ごちて、ハルアキはちょっと困り顔で、深く深く溜息を吐いた少年を見ていた。
「全く。アイツ等も御主もガキじゃのう。」
「彼方ももう十六でしょう?そういう知識はもう御持ちだと思ってましたが?」
「…だ、だからって、その、聞くのと見るのとでは…況してそう簡単に出来る事じゃ…」
 どもる少年を優しげに見守る青年は、どこか兄を思わせる。だから自分は彼を慕えるのかもしれない。
「ま、それはそうですがね。彼方も経験次第でしょう。」
「…ぐっ…で、でも…そういうのは…やっぱり、思い合って…お互いそう言う気持ちになってから…」
「なら、早く好きな娘を見付ける事です。」
 うぐっ。やはり彼の少し意地悪い所は慕えない。
 と、ハルアキの言葉と略同時に発令所のドアが開く。そこに居たのは朧げな気配しか無い純白の少女。腰まで伸びる漆黒の髪。巫女の少女。
 唐突に。カグヤの開きかけた口よりも早く、ハルアキの爆弾が少年に落とされた。
「カグヤさんなんか如何です?素敵な御相手だと思いますが?」
 ぼんっ!!
「?……何の事?」
 きょとんとした少女が意味を解せず聞いてくる。ハルアキは涼々と笑顔を返し、クリスは素知らぬ顔でパイプを吹かしている。結果。カグヤはリーに視線を定め、俯く彼の赤ら顔に気付き心配げに覗き込んだ。
「どうしたの?リー…顔赤いわよ?具合悪いの?」
 悪意は無い。無いのだろう。心配げな彼女の顔はそれを語っている。が。
 結果的に覗き込んで腰を曲げた彼女の髪がふわりと垂れ下がり、その女性特有の甘い香りがリーの鼻腔を擽り、重力に引かれ着物の胸元が広がった隙間から、少しだけ覗いた眩しい程の白い肌と胸の谷間が純情少年の目の前にあった日には、貴方。それはもう彼の脳は暴走もしようと言う物だ。
「………あ、ふっ………」
「ちょ、ちょっとリーッ!?」
 それっきりリーは夢の世界へと旅立ち、慌てて倒れ込む彼を抱えた彼女の柔らかな感触を堪能する機会を逸し、そのまま眠りへと着いたのだった。
「ちょ、ちょっと…どうしたのよ?…」
 華奢な彼女にはリーが小柄とは言え、意外な程引き締まっている彼の身体は事の他重い事だろう。少しだけ彼が気の毒になりハルアキはカグヤから少年の身体を引き取った。
「…やれやれ…報われない子ですねぇ…」
「…何の事?…」
「気にしないで下さい。その方が彼の幸せと言う物です。で、どうしました?」
 相変わらず冷静な口調の彼の声音に、よく理解しきれないまま彼女は自分の要件を思い出す。幸いなだったのは、彼女がこの瞬間少年の倒れた理由を追求する事を忘れた事であり、少年にとっては幸運と言うか哀れと言うか。
 凛と涼やかな声音が彼女から発せられる。とは言え彼女の声は普段から小さい。余り大声を出せない性質なのだろうとハルアキは踏んでいる。
「ミシェル様、何処にいらしたか知りませんか?さっきから探してるんですけど…」
「ミシェルなら先程サミュエルの所に行きおったぞ。」
 今まで黙したままパイプを吹かしていたクリスが答えた。コンソールの席に深々と座りモニターを見据えている。モニタに今だ点滅しているのはこの施設を昨夜から取り囲む、Nervの実行部隊。結局彼等は碌に手も出せずその場に居座ったままだ。実に不利益且つ労力・財源の無駄じゃな。
「そうですか。有り難う御座います、クリス様。それじゃ、ハル。リーの事御願いね。」
 少女はふわりと踵を返し、軽やかに舞う少女は扉の向こうに消え去る。
 静謐。ハルアキは徐に抱えていたリーを席に座らせ、リクライニングを倒し彼を寝かせた。
 唐突に呟き。
「出来た娘じゃ…」
「本当に。」
「ん?サミュエルとミシェル?…いや、見てないが…」
 振り返ったDに思わず吹き出してしまいそうになり、それでも懸命に堪えられたのは奇跡に等しい。カグヤはそう思っている。
「…そ、そう………と、所で…何、やってるの…?」
 訂正。声も顔も引き攣っていた。彼を挟み向こう側では大爆笑する二人の男。一人は大柄で筋骨隆々。黒色人種特有の肌とその厳つい顔の造りを見る限り、その辺に居るだけで威圧感は計り知れない。筈なのだが、今はその2mの巨体を屈めて腹を抱え涙している。もう一人も比較的大柄なのだが隣の男の御陰で幾分華奢に見える。が、彼もまた鍛えられた筋肉を持つのは知っている。しかし彼もまた普段は肌身離さない愛刀を床に取り溢し、只管己の腹を抱え涙している。
 で、問題の男。
「何。今特訓の成果を見てもらおうと思ってね。エドがこれなら絶対うけると言ってくれたんで、ムハマドとシロウに見て貰ってた所だっ。」
 意気揚揚、笑顔満面で答える男は、最早人類の顔をして居なかった。例えるならばそう…
『……………………駄目…例えられない………』
 得体の知れない脱力感と、少しの衝撃で均衡を崩されそうな衝動を押さえる為、今カグヤは相当の労力を要した。別に後ろでのた打ち回っている二人の様に、笑ってしまっても構わないのだが、今笑うと一日二日はそのままのような気がして、今の最重要目的の為には笑いを堪え何とか用件を聞き出し、早々にこの場を立ち去るのが吉だと思ったのだ。
「…そ、そう……じゃぁ、私、ミシェル様探さないといけないから…これで、失礼するわね……」
「おやっ、そうかい?じゃぁ、今度ゆっくり僕のネタを披露するから。」
「………え、えぇ……暇な時にね………」
 立ち去ろうとするカグヤを見送り手を振るDの後ろで、ぐしゃぐしゃになった涙顔で地べたに這い付くばって救いの手を差し伸べる二人の屈強な戦士達に、カグヤは目尻に微かな雫を浮かべ小さな口元を抑え可憐に立ち去った。
『………御免…なさい……二人とも……』
「さぁ!!次のネタ行ってみようかっ!?」
「「ぶぃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」」
「どうしたの?」
 心底不思議そうな顔で蝶の仮面が心配していた。
「…い、いえ…何でも……プッ…」
「「???」」
 打ち合せをしていた女性二人。一人は茜の髪をしなやかに腰まで伸ばし、ライトブルーのワンピースドレスを着こなした少女。正に絶世のプロポーションを誇る彼女のその顔は、何故か大きな蝶を模した仮面。彼女がその素顔を人前で見せる事は無い。今一人はこちらもまた絶世の肢体を持つ美女。若干その体付きが確りしているのは、彼女が剣技を嗜んでいるからだろう。しかし、服の上からその様子を窺うことは出来ない。寧ろ細身のその身体にタイトな真紅のレザーパンツとレザージャケットを羽織り、開いたジッパーの内着のタンクトップから大きめのバストの谷間が見える。この三人の中では彼女が一番グラマーだろう。これだけ見た目の差が激しい三人だが、皆十七歳というのも妙な話しだ。
「ご、御免なさい。そう、サミュエル様とミシェル様、何処にいらしたか御存知無いですか?」
 普段の彼女ならばミシェルを先に呼ぶだろう事をセシルは知っている。しかし仮面少女の前でそれをしないのが彼女の律儀な所だ。大方用があるのもミシェルの方だろう。彼女がサミュエルに用がある事は滅多に無い筈だ。
「…先程外に出られたわ。二人で。」
 蝶が答える。些か険の篭った声で。セシルはそれを見逃さない。全く。敵愾心が見え見えだ。コイツのそういった忠誠心が余り好きでは無い。かと言ってカグヤの人身御供的な献身さもやはり好きでは無い。この二人は圧倒的に正反対の性格過ぎるのだ。柵さえなければもう少し仲良くやれる二人だろうに。まぁカグヤの空振り的な性格があるからこそ成立つ関係だろう。
「あら、そうですか…どうしましょう…」
「…何か問題でも?」
 心底困ったような様子に流石のアンジェラも少し気になったのだろう。事態に問題が起こったのであればあの二人を探し出し報告もしなければならない。一瞬セシルも身を硬くした。
 のほほんとしたカグヤの声音が響く。
「いえ…ちょっと御洗濯がしたいので外出許可を頂こうと…」
「「………………………」」
 黙り込んだ二人を不思議そうにきょろきょろと見比べるカグヤ。一方で仮面ごと顔面を覆い、天井があり見えない筈の遥か遠い空を見上げる少女。今一人顔面をどうしようもない影が覆い尽くし、おまけに背後にまで何か暗い影を背負い込む美女。
「……何か、変な事言いました?私…」
「……偶に私、貴方の性格羨ましくなるわ……」
「……あぁ…いいな……何か悩み無さそうで……」
 全く動かずに深く落胆する二人を、心底不思議そうに見やり首を傾げる巫女の少女。
 不意に、重く淀んだ空気が吹き飛ばされた。
「いたぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」
「「「!?」」」
 突如飛来した大陸間弾道弾級の大声に三人の女達はその身を強張らせた。ドアから飛び込んで来たのは小柄な少しだけ日に焼けた少年。意味深な笑顔の落書きがプリントされた半袖Tシャツに黒のスパッツという井出達で、跳び回る様に三人の女達の周囲を掛け回る。
「エ、エドっ…ったく…ビックリさせないでよ…」
「んーーーーーーーーっ…」
 ぐるぐるとセシルの座る椅子の周囲を回るエド。
「ちょっ…エドったら…危ないからっ…」
「んーーーーーーーーーーーーーーっ…」
 ぐるぐるとアンジェラの立っている周囲を回るエド。
「きゃっ…ちょ…ど、どうしたのよ、エド…」
「んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ…」
 ぐるぐるとカグヤの立っている周囲を回るエド。
 三人の周囲を観察して回って、ぺたんとその中央に座り込み腕組して考え耽る少年。とても彼が十六歳だとは思えない。寧ろその辺のレストランでお子様ランチでも頬張ってそうな十歳くらいのお稚児さんだ。いや、普通の十歳ではお子様ランチなど頼みそうも無いが、見た目がそう言う感じなのだ。
 動かなくなった少年を不思議そうに、少しだけ心配になって恐る恐る覗き込む、三人の神妙な表情の美少女達。
 まるで錆び付いたロボットの様にぎぎぎぎと音でも立てている様に、少年の顔が振り返った。
 美女に。
「……エ、エド?…」
 その顔は…満面の笑み。
「セシルっ!決定ーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
「っきゃああああああああああっっっっっ!!!!!!」
 予備動作無しにどうやってジャンプしたのかは限り無く謎だが、エドが跳び上がりセシルにびったりと獲り付いた事は確かであり、その不気味な動きに後退りした二人の美少女の心中も尤もと言う物である。
 問題は…
「ぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅん」
「うきゃはきゃいやっんっはわっんきゃんみゃ」
「「………………………」」
 問題は美女の若干乱れつつあるふくよかな胸元に、少年が顔を埋め一心不乱に谷間を蹂躙している事だろう。どうすればそんな恐ろしい動きが出来る物なのか、ぐわしと両の手で胸を外側から掴み頭を左右に振っている。というか頭ごと回転して見える。美女は為す術も無く手が宙を掻き抱き、悶絶している。
「ぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅんぅん」
「うわきゃふわぃいやっんはっんんんんんんんっっっ」
 何かに詰まったような声音を上げ、セシルは漸く少年の頭を捕らえ引き剥がしに成功。
「っっっっっっっくぉおおらぁあエドッ!!!!何するのよっ!!!」
「ほえっ?」
「「………………………」」
 唖然と見ているしかなかった二人の美少女がほんのりとその頬を桜色に染めている。蹂躙された美女はと言えば言わずもがな、真赤である。ただ一人少年がほけっとセシルを見返し答えた。
「気持ち良くなかった?」
「「………………………」」
「………い、いや…そりゃ……ちょっとは…ってなぁに言わすのよっ!!??」
「んじゃ、もう一回…」
「人の話しを聞けぇええええええええっっっっ!!!」
 ぜぇぜぇと息も絶え絶えで叫んだセシルはどっと溢れた疲れを覚えながらも、少年の頭を掴んだ手だけは離さなかった。懸命な判断である。
「……ったく…どっからこんな事覚えてきたんだか……」
「とます。」
「「「………………………」」」
 嫌な予感。と言うよりは確信。
「女の子はこうすると気持ちいんだって。せしれあもきもちーって叫んでた。」
「「「………………………」」」
「胸が大きいと感度は良く無いなんて言うけどそれは嘘なんだって。だからセシルに決定。」
「「「………………………」」」
「嫌だった?」
「……ちょ、ちょっと、ね……」
「んじゃ次に大きいアンジェに…」
「わっ、私は遠慮しとくわっ!!!」
「……んじゃカグヤっちに…」
「けっ、結構です!」
「………んじゃやっぱセシリーに…」
「待てコラッ。」
 ぐわしと少年のほっぺたが引き伸ばされる。良く伸びるものだ。
「ったくあの色呆け野郎…碌な事教え無いんだから…いい?エド。こういうのは普通やっちゃ駄目なの。」
「ぶゎむぇ?」
「駄目。」
「ふぁふぁっは…」
「よし…」
 漸く解放されたエドの頬は少々張れ上がっていた。別にセシルの力が強過ぎた訳ではなく、必要以上にエドがその痛みを無視して豊潤な谷間に強引に近付こうとし続けた為だ。
 セシルの膝の上でちょこんと座るエドは…指を咥えてセシルの胸を凝視し続けていた。それに気付き思わず胸元を両腕で覆うセシル。流石にもう一度あの攻撃を受けて回避出来る自信が無いらしい。ふいっとアンジェラの胸元にその視線を向けるエド。空かさず隠される彼女の胸。すいっとカグヤの胸元に視線を向けるが、既に彼女の両腕ががっちりとブロックしていた。
 正面…セシルの胸ではなく視線へと泳ぐエドの瞳。
「………え?」
 エドがぽんと大した反動も無しにセシルの膝の上から跳び下りる。まるで猫だ。が…その後何故かエドはとぼとぼと足取り重く三人の間を抜け出口ヘと向かう。その様子を見て神妙な顔付きで顔を見合わせる三人。
「…………はぁ~っ……エード。」
「?」
 振り返ったエドの目に、涙。
 ちょいちょいと手招きするセシルは、ちょんちょんと自分の膝元を指差す。不思議そうに首を傾げセシルに小走りに近付くエド。椅子の脇でぼへっと突っ立つエドに、溜息一つ。セシルがエドの軽過ぎる身体をひょいと持ち上げ、その膝に座らせる。まだ不思議そうに座るエドの頭をセシルは飽きれた顔でぽんぽんと叩き、そのまま胸元へ誘った。
「???」
「動くなよ。大人しく寝るなら許す。」
「………………」
 きょとんとその胸の谷間からセシルの穏やかな笑みを見上げ、エドはにぱっと笑顔を作り気持ち良さそうに、ちょっとだけもぞっと身を屈めて、猫の様にセシルに抱かれ物の二秒で眠りに着いた。
「……後で代わってよ?」
「あら。代わりたく無さそうな顔だけど?」
「凄く似合ってると思います。」
「やめてよぉ。この歳で母親にはなりたくない。」
 天使達の微笑が、少年の安らかな寝顔を何時までも見守っていた。
 ベルリン市街。ベルリン大聖堂。
 夕闇迫るこの時間。西の空が焼ける様に燃え上がっていた。その光を受け聖堂は更に荘厳さを増している。
 本来この地に居る筈の無い二人。否、例えドイツ第三支部に居ようと、第三新東京市に居ようと、彼等にはそこに“在る”事だけが真実かもしれない。
「…日はやがて落ちる…世界の終幕と共にな。」
 天蓋部。本来そこに登る術は用意されては居ない。観光出来る場所でも無い。そこに居る二人の青年と一匹の黒鳥。
 ごろごろと喉を鳴らすその様は些か不気味だ。
「日はまた昇る。」
「その時は既に我等の王国だ。」
 黒ずく目の男の低い声音に、金髪の男は珍しく静かに答える。別に周囲の道路に人の往来がある為では無いだろう。何せ小一時間彼等はここでこうして立ち尽くしている。誰一人、彼等がこの様な危険な場所に居る事に気付いていない様子であった。
 漆黒を身に纏った男は、漆黒のスーツ。漆黒のコート。左肩に同じく漆黒の鳥が留まっている。唯一つ、携えた刀剣らしき物が、落ちつつある日の光を受け鈍く光っていた。その肩口まで伸びた黒髪が緩やかに微風に靡いている。
 もう一人は対照的に白のワイシャツ。装飾が施され襟元を飾っている。絹目から見てシルクで出来た上等品だ。微風に靡く金髪と、そこから覗く横顔がまるで西洋彫刻が如く完成された端正な造りである事が、より一層彼を高貴な生まれだと見せている。しかし、その腰から下は隣の男と同じ黒。レザーパンツを組み合わせたその姿は、やや異質さを醸しつつしかし彼は全く見劣りさせずに着こなしていた。
「……動き出す様だ。」
「…っくくくくくく…」
 漆黒の主語の無い呟きに、西洋彫刻は静かに、しかしやはり下卑た笑みを漏らした。漆黒の影は未だ瞳を閉じたまま天蓋に腰掛け黙している。
「…面白いねぇ…世の中何処でどう組み合わさってるのか解からないモンだ。」
「…それが、運命(さだめ)だ…」
「どうかねぇ…俺は運命なぞ信じねぇ。俺自身の力で生きてぇだけだ。」
「…為すがままに…」
「…好きだねぇ。『Let It Be』…てか?マリアさんは何処にも居ませんでしたってな。だが…」
「…主は、居ませり…」
「全くだ。だから世の中面白しれぇ。」
 不意に予備動作も無く漆黒は立ち上がる。黒鳥が一瞬巨大な羽根を羽ばたかせやがて落ち着きを取り戻した。それに呼応した様に夕日を背に振り返る西洋彫刻。顔とその微笑に濃い影が落ちる。
「さぁてっ。そろそろ戻りますか。エホバと、小五月蝿いガキ共と、晩飯が待ってる。」
「………」
 漆黒の左手と刀剣が僅かに上がり、二人の眼前に不意に現れる漆黒の扉。
 黒鳥が変わりに答える様に嘶いた。
 二人の姿は闇に吸い込まれ、闇もまたその空間に解け込んで消え去った。
 残されたのは嘶きの残響と、街の喧騒と、夕日のみ。






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First edition:[2000/09/17]

Revised edition:[2000/09/20]