^






壱.






 それにしても、随分と簡単に言ってくれたものである。MONSTER 900 cromoを疾走させ、全身に風圧を受けて荒涼の大地を駆け抜けてゆく。
 指令が出たその日の内に一端南米に戻り、しらみ潰しに情報を漁って回った。特に有力な情報は、無し。続いて北米大陸に移り、フロリダから西海岸へ、そこから北上しカナダを回り、今再び東海岸へ向かっているが、こちらでも特に手掛かりは無く、海を渡りヨーロッパ方面を目指すつもりだ。
 御嬢からの情報を総合すれば、Nerv近辺で事が動き出したのは、どうやら本当に、先日のドイツ第参支部の占拠からということだった。そして翌朝には本部襲撃。余りにも用意周到過ぎる。何かしら足跡を残していても、おかしくは無い筈なのに。
 例えばEVAの技術情報の漏洩。しかしこれは余りに捜索範囲が広過ぎた。Nervや御嬢は、そうは思っていない様だが、しかし実際には、SEELEという組織が、量産型を製造していた事実がある。となれば幾ら加持を始め、Nervが奴等を解体したとはいえ、サードインパクトから殲滅までの、数ヶ月間という空白の時間が、確かに存在していたのだ。しかも崩壊間際にいたSEELE残党達に、機密漏洩もクソも無かった筈だ。案外、ちょいと腕の立つ人間が、SEELEさえ知らぬ間に、拝借していたなんてことも有り得る。それを高く売った人間も、買い取った人間さえも、いるやも知れぬ。ま、そんなちゃちな盗人風情ならば、即、消されているだろうが。
 問題は奴等が、どうにかして手に入れたそれを元に、しっかりと十四体ものアレを造り上げたという事実だ。はっきり言って、国連予算のウン百倍は必要な代物である。おまけにカスタムメイドと来てる。そんな大枚を叩ける人間は、今の世の中そう何人も居ない。しかも表の世界でそれは出来なかった筈だ。自ずと、裏世界の人脈で稼いでいる連中であり、その数も一気に絞られる。むしろこちらから攻めるべきだろう。
 他にも手掛かりとおぼしき者は思い付くが、如何せん確定出来ていない事項なので、これは留保した。
 そしてもう一つのキーワード。これは間違い無く確定している。魔術。これこそ御嬢の分野なのだが、ま、今は俺が動くしか致し方あるまい。とは言え、今の時代では、そうおいそれと見付かる連中では無い。否、数自体が絶対的に減っている。実際御嬢以上の使い手を俺は知らない。あぁ。異色だが、似た様なのはもう一人居るな・・・ま、アレは別モンだ。
 そんな訳で、一先ずは裏社会の、金の流れを追ってはいるのだが。どうにもこの手の分野は苦手だ。むしろ加持の得意分野だろう。
「全く。人使いが荒いぜ・・・マジで転職考えっかな?」
 気に懸かる事も、幾つかある。一つは、ここ数ヶ月で起きた異常事態。手始めが二月、突如虚数空間から、自力帰還したという四号機。続く所属不明衛星、コードネーム『B.B.L.』の墜落事故と、そこに冷凍保存されていたという、四人の少年少女(チルドレン)。そして自分自身がその目で確認した、ギアナ高地の『龍脈』解放未遂。
 一つ一つは全く関連付け出来ない事柄の様ではあるが、しかし今になれば、密接にNervと関わっていると知れる。先二件は言わずもがな、EVAとチルドレンという二大要素が絡んでいる。最後の件はどうかとは思ったが、よくよく考えればシンジはNervどころか、今の世では最重要人物だ。おまけに自分も、アーカムと言う看板を背負っている以上、全くの関わり無しでは無い。おまけにシンジを匿っていたのだ。尤も相手がそれを、知っていて仕掛けた罠・・・とも、思えなかったのだが・・・
 そして極め付けに、ドイツ第参支部の占拠と、本部強襲。
 モニタに映った金髪彫刻の嘲笑が、未だに背中をちりちりと焼いていた。
「・・・なぁんか・・・ヤバ気ビンビンだなぁ。今回は・・・」
 確信は何処にも無い。だが、予感だけははっきりしていた。俺達も、ひょっとすると敵さえも、見えぬ“何か”に、引き寄せられている感覚・・・
 唐突に、ブルが脳裏で呟いた。
『・・・天の子等が門を開けようとしておる・・・』
 天の子・・・神の子・・・神・・・ヤーウェ・・・エホバ・・・・・・か・・・おまけにバベルも落っこちて来て。いっその事、旧約聖書でも読み返してみるか?
 延々と続くハイウェイの先に、マンハッタンの摩天楼が立ち昇って来る。
 一気にスピードを上げ先を急いだ。
『・・・時間が、無いのかもしれない・・・』



 暗闇に潜む影、数多。何時の世も裏の人間が、表舞台で日の目を見る事は、無いに等しい。だからこその、裏家業なのだ。
「上の仕入れた情報は正しかった。三日前CAINDが、第三でThirdの身柄を確認。たまにはお偉いさんの情報も、役に立つものだな」
 新横須賀港。港近くに造られた公園は、周辺住民の憩いの場として、設けられている。海に沈んだビル群は、いささか情緒には欠けるが、それでも海岸線沿いに展望台として整備され、市民が安らぐスペースになっていた。その欄干に佇む、壮年の男が二人。明かに日本人では無いが、別段この近辺では珍しい事では無い。況してやラフな服装ならば、たまの休日に散歩にやって来た、どこぞの軍人さん程度にしか見えまい。
「ほぅ・・・では、作戦は予定通りに?」
 お互いぼう、と海を眺め、煙草の煙を吹かし会話している。だが知っている者が見れば、彼等はしきりに視線を動かして、周囲に気を配っている事が、窺い知れた事だろう。おまけに、彼等が着込むジャケットの左脇は、僅かに膨れ上がっていた。だが、生憎とこの公園には、近所の主婦と子供達、せいぜいが海を見に来たカップル、程度にしか訪れていないのが実情だ。
「あぁ。例の件もあるが、向こうも予定通りだ」
「俺達はラッキーだな。好条件が揃い過ぎてる。これで失敗しない方が可笑しいよ」
 一人が煙草の火を、欄干で揉み消し、そこから離れた。
「気は抜くな。腐ってもNervだ。あの碇ゲンドウのいるな」
「分かっているさ。でも、奴も家庭を得たお陰で、今じゃすっかり腑抜けちまったと聞くぜ?」
 今一人も、吸殻を地面に放り投げ、踏み付ける。苦笑しながら呟く男達。
「違いない」
 その身を起こし、立ち去り掛けて、海を見やった。
「・・・何時の世も、やってる事は同じだな」
「そんなモンさ。特に俺達はな」
 男達の囁きは、潮風に流され、誰の耳に届く事も無く消えた。



 ハルアキとクリスしか居ない発令所。正確に言えばドイツ第参支部には、今この二人しか滞在していないのだが。
「まぁ、たまには静かなのも、良いものですがね」
 文庫本片手に腰掛け、一人ごちるハルアキに、ちらりと視線だけを向け、再び瞑想し、お気に入りのパイプを吹かすクリス。静寂が訪れる。実際先日までの騒乱が、今は嘘の様に静まり返っている。時折、コントロールパネルが、周囲の状況を示して、LEDとビープ音を指し示すだけだ。
 何時までも続くかと思われた静寂も、不意に動いた空気の流れが、二人の青年の意識をそちらに向けさせた。気付けば、全くそんな素振りも見せずに、彼は居た。ドアもエレベーターも稼動してはいない。にも関わらず、彼はそこに居た。まるで数時間前から、そこに座っていたかの様に。
「お帰りなさいませ。いかがでした?あちらは」
「・・・下らん猿供の吠え面を拝んだだけだ。別にどうという事も無い」
 黒衣の青年は静かに瞳を閉じて、司令席に佇み、腰掛けていた。どこからともなく現れた黒鳥が、音も無く彼の左肩に止まる。ハルアキは静かに微笑み返した。
「まぁそんな事だろうとは思っていました。ところでサミュエルは?御同行では無かったのでしょう?」
「奴ぁ〝実家〟じゃよ」
「あぁ、成る程・・・」
 答えたのは透き通った声音の、しかしながら老人口調のクリス。これにもまたハルアキは、微笑で軽く返した。もっともそこに感情は篭らない。彼にとってはどうでもいい事らしい。実に静かな会話が流れる発令所は、只でさえ広い空間の、ほんの僅かな場所でしかざわめかず、至って平和な一時に見える。
 ・・・唐突に。〝アマデウス〟が羽根を広げ、けたたましく一鳴きすると、それに呼応した様に、黒衣の青年は口を開いた。
「四つの門を開く・・・同時にだ」
「そりゃあまた、随分と急ぐのぅ?」
 今までぴくりとも動かず、モニターを見据え続けていたクリスが、その一言で漆黒に振り返った。会話は繋がっている様には思えないが、それでも〝若年寄り〟には、意味が通じているらしい。それは隣に座る、着流し青年にも言える事ではあったが。
「何か問題でも?」
 青年の黒髪が揺れ、その口元が僅かに歪んだ。
「・・・厄介な奴が動いている。目晦ましにもなるのでな・・・」
 その呟きに、喜ぶようにごろごろと喉を鳴らす〝アマデウス〟。二人は静かにそれを受け止めるのみだった。
「ハルはメテオだ。クリス、ネムルットへ。アンコールはカールにやらせる。チチェンは俺とマックスだ。」
「カール一人か・・・大丈夫かの?」
「奴は逆らえん。マックスの方が手綱を引かんと、何をするか分からん」
「ま、それもそうじゃな」
 禅問答を繰り返す二人は、それで納得したのか、静かに腰を上げた。ハルアキもそれに続きつつ、静かに問うた。
「起動時刻は?」
 黒衣を静かに翻し、青年はその場を立ち去って行く。
「86時間後だ」



 朝日の射し込む部屋の中。ベッドの布団が、静かに上下動し、寝息を立てている。
 ここ数日、どうにも体調の優れぬこの部屋の主は、『連日連朝』寝坊の危機に陥っていた。だが今日ばかりは違ったらしい。何せ今までの低血圧ぶりが嘘の様に、がばりと毛布を退けて、起き上がったのだから。この少女にとっては奇跡に近い現象だ。それには、昨日からこの家に住まうようになった、待ち侘びてた兄の存在があるからか否かは、定かでは無い。
 だが・・・
 むくりと起き上がった、彼女の真紅の瞳は、明かに目を醒ました者の、それでは無かった。
 開き切った瞳孔。揺れる瞳。焦点の合わない視線。
 緩み出した涙腺が、一滴の哀しみを流し出す。
 蒼銀の冷気を伴なって、少女の感情が、何かを見出していた。

「・・・・・・アナタ・・・ダレ?・・・・・・」






闇の回廊






弐.






 午前六時。彼等は定刻通りに、その場に到着し顔を合わせた。
「戦略自衛隊陸軍本部第二一歩兵小隊所属少佐、後藤ケンジ以下二十三名。辞令により本日付で着任致しました」
「高野山真言宗総本山金剛峯寺、法名霊丈。貴殿等の召喚状に寄り、大僧正御命賜り、只今参上仕りました」
 同年の二人の男の声だが、全く質の異なる口調で、総司令執務室の大部屋に響き渡った。そんな些細な違いを、興味深く聞いていたシンジは、何時の間にか自分が、前者の軍人寄りの口調に、聞き馴染んでいる事実に気付いた。まあ、今となっては実際、もう軍人なのわけだが。
 相変わらず、サングラスを掛けたままの、ふてぶてしい面と姿勢で、父ゲンドウが執務机から睨みを効かせている。一昨夜のリツコとレイに対する腰の低さは、一体何処に仕舞ってあるのか?この地に戻って三日と経っていないのに、シンジの中であれ程だった父への畏怖が、180度転換させられたのは言うまでも無い。そんな訳で、こんな父の補佐を勤める彼等の方が、余程確りしているのである。
「うむ、御苦労」
「こちらがNerv副司令官の、冬月コウゾウ中将。そしてこちらが最高責任者総司令、碇ゲンドウ大将だ」
 冬月が労いの言葉を、加持が手前供の紹介を済ます。ちらりと視線を寄越し、シンジの紹介は流された。後回しという事らしい。あくまでこの人たちは、もったいぶりたいらしい。
 先ずは着任した彼等に、各自辞令が言い渡されて行く。小難しい口調のお坊さんは、『戦術作戦部 作戦顧問』。階級一尉。軍属としては異例の抜擢推薦といえよう。もっとも、本人はどこ吹く風で、全くその事は気に止めた様子が無い。辞令を受け取った下がり際、一瞬シンジと目が合う。明かに自分を意識して視線を向けていた。豪奢な袈裟と香の臭いが、シンジの横を通り過ぎる。法名『霊丈』―――本名、佐沼ヨウキチ、三十一歳。
 続く元戦自次官達。後藤ケンジが『保安部警備局局長代理』。一先ず彼が保安部の総責任者になる。『代理』が付くにはそれなりの理由もあるのだが、シンジも加持も、今はその事を深く考えたくは無かったりする。同時に彼等は、『保安部警備局零班』に配属され、事実上保安部のトップグループとなる。所属員僅か二十三名だが、その実力は、加持が押す程なのだから、折り紙付きと言って差支えないだろう。皆が皆、辞令を受けた去り際にシンジを見て行く。どうやら要らぬ事を、加持から既に吹込まれているらしい。鍛え抜かれた野郎供から、次々と熱い視線を頂く中、少々驚いたのは、女性士官が若干名いた事。最後に呼ばれた彼女もやはり自分を見ており、おまけにウインクまでプレゼントされてしまった。偏見がある訳では無いが、軍属でそれなりの実力を持っているにも関わらず、かなりの美人さんだ。
「性急な召喚に応じてくれた君等には感謝している。Nerv代表として君等の敬意に感謝する。各人実力相応の配属をさせて貰ったつもりだ。君等の働きに期待しているよ」
 一回りした所で冬月からの慰労の言葉に、ようやくNervのトップたるゲンドウが、その重い口を開いた。今では単なる、面倒臭がりの粋を出ないのかもしれぬが。もしくは只の冷かし好きか?
「・・・もっとも、君等の実力の程は、加持二佐から聞き及んだに過ぎぬ。霊丈顧問は別格としても、後藤少佐以下、新設零班には、今後Nervの骨格となる部署を、預けるに値するか否か。それだけは実際に、この目で見極めさせてもらおう」
 不敵に笑み溢すゲンドウ。実際、この父にそんな物を見極める力は無い・・・筈だ。要するに、そのとばっちりは全部自分に回って来る訳で。
「ほぅ。それはつまり、我々が元戦自所属であり、まんまとSEELEに乗せられ、ここを攻め落とすような輩を、早々信用出来んと言う事ですな?・・・総司令殿」
 返す後藤も、実に挑戦的な嘲笑を返す。ヤバイ、似た物同士か?
「フッ・・・我々がそこまで懐狭く見えるかね?私が言っているのは、このNervの安全を預けるに値するか、否か?それだけだよ」
「成る程。要するに実力の問題だと。ではそれをご自分の体で、お確めになってみますかな?」
 ほうら、やっぱり僕に回って来るんじゃないか・・・まぁ、責任者になった以上は、そうなるとは覚悟してたけど。
「フッ。紹介しよう。零班責任者、つまり君等の上司となる、碇シンジだ。非公開ではあるが、君等も知っての通り、EVA初号機専属パイロットであり、先日帰還したばかりの、世界を救った男でもある」
 要するに、只の親馬鹿かもしれない。文句は今日家に帰ってからにしよう。
 空かさず敬礼し、名乗りを上げるシンジ。さぁ。ここからが、僕の再出発点だ。
「戦術作戦部零課課長兼、同一班班長兼、保安部警備局零班班長、碇シンジです。宜しく」
 熟練の士官二十三名が、一糸乱れず一斉に敬礼を返す様は、まさに壮観と言っていい。それが自分の拙い敬礼に返されたのだ。背筋に一瞬、武者震いが走った。
「では、一尉が我々の腕試しをやって頂けるのですかな?」
 後藤が本当に嬉しそうな笑みをシンジに向けた。あぁ、この人それで・・・
「こちらこそ、お願いします。若輩ですが、宜しく」
 視覚と聴覚の脇で、加持と霊丈の会話が聞こえた。向こうは向こうで早速打合せかと思えば、
「お前は如何する?何なら案内するが」
「否、私も見学させてもらおう。興味が・・・湧いたのでな」
 シンジに嫌な疑念が湧く。大人達にモテるのは、果たして喜んで良い事なのだろうか?



「で、どなたから来られます?」
 場所をトレーニングルームに移し、なぜか奇妙なギャラリーに取り囲まれた中、零班に配属されたばかりの屈強な  兵隊共が、きょとんと呆れた顔をして並んでいた。観客席ではゲンドウと冬月が、バリバリと草加煎餅を齧り、加持と霊丈が静かに並んで、小声でぼそぼそと話している。
「・・・こりゃ参ったね。一尉は俺等全員と張り合おうと?」
 流石にそれは無理だ、と言いたげな後藤に、皆が失笑する。まぁ当然の反応かも知れぬ。昔なら思慮深く、遠慮もしていただろうが、これから先シンジが父に代わり、Nervを背負っていく為には、自分も少々腹を括り直す方がいいと思った。
「あぁ、なんなら全員いっぺんにでも、構いませんよ」
 さらっと、なんでもない事のように言い放ったシンジの一言は、さしもの彼等にも頭に来たようだった。顔色が一瞬で変わった。そう、先ずは貴方がたの実力を、見極めさせて貰いますよ。皆を守らなきゃいけないんだ。その為の力足り得るのか?その信用があるのかどうかを・・・
 先ず動いたのは、細身の男。瞬時に頭の中に入っているデータを引出す。金井ヨウジ、二十六歳。体術系統は柔術、常用武器はダガー。戦自の中では変わり種の第二一歩兵小隊においても、更に異種の人材だ。
「・・・大した自信だな、坊主」
 ルール無用の無制限勝負。相手に致命傷、もしくは即死に至る攻撃を与える・・・寸でで勝負あり。実力が伴なわなければ通用しない、ふざけたルールだ。が、今のシンジにとって、その位の事をこなして貰わねば、裏舞台に立つ零班には必要無い者、と判断するつもりだった。
 早速と云わんばかりにダガーを取り出す金井。指間に四本ずつ隙間無く埋め、両手を銀の猛禽で彩る、猫科の獣。正にそんな印象だった。他の者達は静かに見守るのみ。仕方ない。先ずはこっちも軽くウォーミングアップだ。本当は、彼等の実力と潜在能力を見る為にも、ここが戦場だと思って、自分を殺す気負いで挑んで貰いたかったんだが・・・まずは、仕方あるまい。
「何時でもどうぞ。金井さん」
「ふっ・・・上等っ!」
 叫んだ瞬間に金井の体は“しなり”、その銀の刃が一直線にシンジの五体を貫き・・・そのまま後方のウレタンマットを敷き詰めた壁に突き刺さった。と、同時にルーム内に響き渡った轟音。ダガーが突き刺さった壁とは全くの反対方向で、金井の全身がウレタンマットに張り付いていた。そのまま崩れ落ちる金井と、部屋の中央。金井が元々立っていた位置に、鶴の如く右の蹴り足を、金井が弾き飛ばされた方向に掲げたままの、シンジが超然と立っていた。
 ただただ、呆然とその光景を見やる、後藤を始めとした観衆達。
「一つ、言っておかなければなりません。僕はNervと、この街にいる人達とを守る為に、零班への入隊を希望しました。貴方がたを束ねる者として、僕は貴方達の実力を見極める必要性がある。それも早急に。」
 吶々と語るシンジに、いつしか残る二十二人の戦士達の目から、余裕というものが消え去って行く。そう、それでいい・・・
「どうぞ、僕を殺す気で来てください。でなければ、僕と貴方達はこの先、共に戦う仲間として、二度とお互いを信用出来ませんから」
 後藤がちら、と加持と視線を合わせる。加持はただにやにやと薄笑いを浮かべるのみ。後藤もまたそれに薄笑いを浮かべた後、シンジに答えた。
「正直、半信半疑だった。加持のアホが妙に期待持たせるんで、どこまで本気か分からなかったが・・・まさか、ここまでとは思いもしなかったぜ。特にお前さんの優しそうな面ぁ拝んでからは、期待外れだと踏んでたんだがな・・・」
 後藤がコンバットナイフを抜き、腰を落として正対する。と、申し合わせた様に残りの戦士達も、徐々にシンジとの間合いを詰め、シンジを取り囲む様に展開し始めた。
「・・・久々だぜ・・・こんなにワクワクすんのは。震えが止まらねぇ・・・!!」
 少なくとも。彼だけは戦況という物を、正確に嗅ぎ分ける嗅覚を備えているらしい。後藤がこちらの隙を見出そうと、じりじりと間合いを量っては来るが、その瞳は既に敗北を確信しているのが、シンジには見て取れた。つまり、先の科白はシンジの技量を量る為の物では無く、己の技量が自分という化け物相手に、どこまで試せる物なのか?それを確めようと、自らを鼓舞する為のようだった。
 どうやら彼は最早、自分を零班のトップに置く事に、異存は無いらしい。そういう事であれば・・・
「・・・いい機会です。あなた方に本当の僕を、知っておいて貰いましょう・・・」
 シンジは緩やかに微笑し、早朝の宴は次の瞬間、二十三名の骸が転がる事で、呆気なく幕を閉じた。



 半透明で粘着質の液体が、まるで唐突に意思を持ったかの様に、ずるりと起き上がる。
「おはよう。どう?具合は?」
 碇リツコがカルテと計測結果を横目に、その物体に話し掛ける。赤味を帯びたスライムは、既に引力に引かれ、元の住処に戻る為、いそいそと柔肌の上を這い下りて行く。
 〝レッドスライム〟は他でも無い、擬似シンクロ用LCL溶液に浸っていたアスカである。通常のエントリープラグとは違い、治療用として造られた、バスタブ状の治療カプセルに浸されたLCLは、通常のLCL濃度よりも高く、EVAのコピープログラムに擬似的にシンクロさせる事で、人間の治癒力を数倍に高める。アスカ曰く『リツコが造った物の中では、珍しく人の為になる作品』だ。もっとも難点は、ただでさえ不快に纏わり付くLCLが、更にしつこく纏わり付いて来るという事であろう。電化中はそれ程気になるものでも無いのだが、カプセルから出る時は一際不快なのだ。おまけに医療用という用途上、微細な情報の変化を捉える為には、何時ぞやの様に素っ裸でこの中に入らねばならない。そんなアスカのオールヌードを包み込んでいたLCLが、只でさえ彼女の張りのある肌を、てらてらと光らせながら流れ落ちていく様は、ある意味普通のヌード姿よりもエロティックだ。生憎とここに、そんなあり難い姿を拝ませてもらえる幸せ者は居なかったが・・・それに・・・そんな輩はお宝を拝顔する以前に、彼女自身の手で骸と化していたに違いなかったが。
「うぇ~・・・きっもちわるぅ~・・・」
「まだ気分悪い?仕方ないわ。今回は効くかどうかすら怪しいものだったもの。骨折やひびの方はともかく、気の乱れなんて捉えようの無いものまではね・・・」
 リツコがLCLを拭き取る為の、バスタオルをアスカに渡しながら説明する。が、アスカは不機嫌な顔でそれを否定した。
「ちっがうわよっ。LCLが気持ち悪いって言ってるのっ。丸一日も浸かってたら、幾らアタシの玉の肌だってふやけちゃうっつーのっ!」
 やかましく開く口とは裏腹に、アスカの手は、濡れる体からLCLを拭き取る為、忙しく動き続ける。
「半日ぐらい我慢なさい。これをやらなきゃ今頃貴方は指一つ動かせずに、あと三週間もベッドの中だったのよ?残り半日をわざわざ睡眠時間に当てて治療してあげたんだから、文句言わないで頂戴」
「・・・分かってるわよぉ・・・で?もう絶対安静の必要はないんでしょ?」
 電子カルテから視線を外し、リツコは厳しい表情をアスカに向ける。
「何言ってるのっ。普段の生活に戻れるってだけで、絶対安静には変わりないのよ?この技術だって決して万能ではないのだから」
「ハイハイ分かってます。第一こう気分悪くちゃ、走り回る気にもならないわよ・・・」
「なら、文句言わずおとなしくしてなさい」
 アスカが薄手の患者着を羽織ったのを見計らって、リツコはカルテと計測用モニタとに、視線を行き来させアスカの診察を始める。さしものアスカも前回の戦闘が相当堪えたのか、それ以上文句を言うこともなくおとなしくしている。
 かと、思いきや。
「・・・・・・ぐふっ・・・どぅふふふふふフフフフフフフフフフフフフッッッッッッ」
「?!」
 唐突に上がる不気味な含み笑い。無論アスカのものであるのだが、その様相はある種・・・というより相当不気味だ。笑い声といい、そのにやけ顔といい、冷静なリツコがおぞましさに仰け反ったのも、無理のない話だった。
「な、なによっアスカ・・・気味悪いわねぇ・・・」
少女の不気味な笑いに、診察も忘れ思わず後ずさるリツコ。アスカは恍惚の表情で涎を垂らし呆けていた。
「・・・えへ、ぅえへへへ・・・・・・あ、あぁあ、涎が・・・」
 陶酔した表情から、ふと我に返ったアスカが、自らの口元を拭いだす。いまだ夢心地で心ここにあらずといった様子だ。
「いったいなんだっていうのよ突然?びっくりするじゃない」
「い、いやぁ、ちょっちね。思い出し笑いよ。うん」
「思い出し笑いというより、完全ににやけてたわよ?どうせ、寝てる間にジンジ君の夢でも見てたんじゃないの?」
 やや狼狽するアスカを見て、カルテに再び目を通しながら、リツコは何の気なしにアスカをからかう。もっともそれが実は正解だったりするわけだが。当然図星を喰らったアスカは狼狽し始め・・・
「なっ!な~に言ってんのよリツコっ!私がそんな夢観るわけないでしょーがっ?!それにねぇ、仮にアイツが私の夢に出てきたとしたって、私がそんなあいつの自由にさせるわけないでしょっ!そもそも、アイツがあんなにカッコ良くなってる訳ないじゃないっ。あのおどおどした馬鹿シンジがそんな・・・」
 最近とみにNervでは、アスカは大人たちのいいオモチャになりつつある。もちろん、懲りずに少女をからかう某一級名人の友人であるリツコが、このアスカのうろたえ様に、事の次第に気付かぬ筈もない。ただ、某一級名人よりリツコのほうが狡猾である。自らに報復を呼び込むようなやり方はしないのだ。
 だからリツコは、延々と持論(独り言)を展開し続けていたアスカに対し、至って平然と受け答えをし始めた。
「・・・なのよっ!だから絶対にそんなことはありえないわっ!!」
「そう?ま、そうかもね。それより、胸骨を骨折しているんだから・・・他にひびも入ってるんだし、本当に絶対安静よ?日常生活に支障ないレベルまで回復したとは言えるけど、さっき話した〝気〟の事もあるし、容態が悪いと思ったらすぐに私に連絡。わかった?」
「心配性ねぇ。私はエヴァのエースパイロットなのよ?この非常時に、今の自分の役割くらい心得てますっ」
 リツコはしばし、じっっとアスカの目をみつめた後、おもむろに席を立ち、用意してあったアスカの私服を手に取った。
「じゃあ、一応退院は許可します。でも、一ヶ月の通院よ。いいわね?」
「は~い」
 ゆったりとしたワンピースを受け取ったアスカは、いそいそと更衣室で着替えを済ませ、診察室を出て行く。ねやを去り際、
「リツコ。心配掛けてごめんね。アリガト」
 と、一言忘れず掛けられるようになったのは、彼女も大分素直になった証拠なのだろう。
 アスカの去った診察室で、しばらく思慮の中に沈んだリツコは、おもむろに受話器を取り、何処かへ内線を掛ける。
「・・・・・・・・・あぁ、私よ。アスカの事なんだけど・・・」
 リツコの口元がニヤリとゆがみ、受話器のむこうで何者かの企てが進行し始めていた。



「それ、間違いないのね?」
 作戦部長の凛とした声音が、念を押す。
『えぇ、夢の中の事だと思い込んでるようよ。録画しておいて正解だったわね』
 作戦司令部に向かっていたミサトの携帯電話が、よからぬ誘惑を持ちかけていた。もっとも本人、十分確信犯なのだが。
「了解。じゃあ後は任せて」
 まんまとその誘惑に乗せられる、お祭り好きの作戦部長殿。余程懲りない性分らしい。
 しばし、司令部に向かって歩を進めると、案の定。現状確認する為か、司令部に向かおうとしているアスカを、前方に確認したミサトは、すかさず彼女に声を掛けるのだった。
「アスカ!もう出歩いたりしてっ!」
「ミサト?」
 ワンピース姿のアスカが振り返る。なぜか緩んだ口元から涎を垂らしながら振りかえったアスカ。慌てて涎を拭きながら声の主に向き直った。左肩のひびを固定する為のサポーターが、ぱっと見彼女を病人然とさせている。
「大丈夫よ。リツコにはちゃんとお墨付きもらったし、普通に生活する分には問題ないって」
「そうやって、いつも無理してるのがアスカだってのは、あたしがよぉ~く分かってんのよ。絶対無理すんじゃないわよっ?」
 態々目線を合せ、しっかりとアスカの正面から見据えて、いつもの調子で軽い言葉をかけるミサトを前に、思わずクスリと笑みをこぼすアスカ。ミサトのそういう所が、すっかり自分の家族なのだと認識した自分自身が、少しおかしくも嬉しく思えたのだ。
 すかさず安心してもらう為の言葉を返すのを、忘れないようになった自分も、ずいぶん変わったものだと思うが、とっとと自分の用件を伝えるのも忘れないところは、昔ながらの自分の特筆すべきところだとも思う。
「大丈夫よ、ミサト。この前の事は完全に私のミス。アイツの言ってる事聞いてたら、ついカッとなっちゃって・・・ごめんね。迷惑かけちゃって」
「アスカ・・・いいのよ。私だってあのガキの言ってる事聞いてて、ムカついたものっ」
「もう~っ。ミサトまで熱上げてどうすんのよっ、作戦部長の癖に・・・それよりっ!!状況は?私が入院してもう一週間もたってるでしょ?一応大丈夫だってリツコからは聞いてるけど?」
 二人は発令所への歩を進めながら、状況の確認を進める。
 まず、奴ら・・・[エホバチルドレン]と名乗った彼らが、その後根城としたドイツ第三支部に立て篭もっているらしいという事。そしてその後は何の音沙汰もないという事。依然ドイツ第三支部は硬直状態にある事。
 次ぎに敵性勢力。彼らの「EVA」らしき機体(モノ)。それらを、MAGIがブラッドパターン=タイプ:レッドと認識したものの、その詳細は依然不明な事。
 この機に乗じた対応策として、次世代型EVANGELIONの四機同時建造、及び予備役チルドレンを正式ナンバーズに加える事含めた戦力増強、などの現状の概略を伝え、最後にこう締めた。
「今頃みんなトレーニングルームで、特訓中よ。見学にでも行ってみる?」
「そうねぇ・・・そんな状況じゃ当分暇になりそうだし・・・そうね。陣中見舞いにでも行ってみるわ」
「あのねぇ・・・見舞われるのはアスカの方でしょうがぁ?」
 あきれたようにミサトが愚痴てみるが、どこ吹く風でアスカは目的地を変更し、歩き始めた。
「アタシはもう退院済みなんだからイイのっ。じゃね。なんかあったら呼んでよね。これでもアタシがエースなんですからっ」
 自由を奪われなかった右手で、ひらひらと手を振り発令所前を去ってゆくアスカ。
 一方、かわいい妹の強気ぶりに半ばあきれながらも、とあるお方の報告通り、彼女がいまだ夢から覚めていないことに確信していた。
 颯爽ときびすを返し発令所に乗り込むミサト。いつものメンバーが振り返り彼女に挨拶を交わす。
「おはようございます。葛城さん」
「おはよ。早速だけど日向君・・・A30~B50までの監視カメラをメインモニタに。アスカを追って。トレーニングルームに向かってるわ」
「?・・・了解」
 やたらまじめな表情で作戦部長が言う以上、今日退院したセカンドチルドレンの容態が心配なのか、その様子を見たいのだろうと日向マコトは思い、コンソールに向き直り操作を開始する。そんなやり取りを横目で訝しげに見守る、青葉シゲルと伊吹マヤの二名。
 メインモニタに約50個所の監視カメラがずらりと並び、アスカの映ったモニタだけがクローズアップされる。
 と同時に後ろから上司の声が。
「録画開始して」
「はい?・・・・・・!?」
 不審な指示に振り返った日向は、上司の顔を見て確信した。横目で見ていた二人もまた確信した。
 あ~ぁ、また何かやらかす気だよ・・・この人は・・・
 日向はしぶしぶといった表情で、コンソールを操作し、録画データを「葛城作戦部長娯楽ファイル」へ放り込んでおくのだった。

「さぁ~っ、アスカ?・・・楽しませて頂戴よぉ~っ♪」



 トレーニングルームにたどり着いたアスカ。無論、自分が上司に監視されている事になど気付かない。否、普段から監視されているため、今更カメラが自分を追尾していても気にもならなかったのだ。最も今はそれが命取りなのだが・・・
 扉横のスリットにカードを通し、中へ入ると同時に、鈴原トウジが教官に投げられ、ドスンと大きな音を立てていた。他の連中も、教官相手に指導を受けているようだった。一段落付いたところだったのか、不意にレイと目が合う。と、彼女はタッと駆け出し、アスカに近寄ってきたと同時に叫んだ。
「アスカッ!?」
「ハ~イ」
 軽く手を上げそれに応えるアスカ。が、それでもレイは不安顔のまま、アスカの目の前で立ち止まった。周りのみんなもレイの声でアスカに気付き、訓練を一時中断したようだ。
 不安げな弱々しい声がすぐそばから聞こえてきた。
「もう、大丈夫なの?アスカ・・・」
「だ~い丈夫よぉ。ま、一ヶ月ほど無理は利かなくなちゃったけどね」
「ホンマに大丈夫なんか?まだ大人しくしとった方がえぇやろ?」
 さっきマットに突っ伏していた筈のトウジまでが駆け寄ってきて、珍しくアスカの心配をして見せた。無論先日の件以来、彼の中にアスカを守れなかった悔しさと、自分の不甲斐なさによる悔しさからでた言葉である事は明白であるが、アスカはそれをわざと空元気で吹き飛ばして見せる。自分がつっ走った事に対する謝罪が入るあたりは、彼女も成長した証だろう。
「見ての通り。普段の生活レベルはOKもらったわよ。このあいだは悪かったわね。私が突っ走ったばっかりに、みんなを危険な目に合せたわね・・・ゴメン・・・」
「なに、気にする事はないよ。結果、向こうが引き下がったからとはいえ、他のみんなは無事だったんだから」
 今一人労いながらも、珍しい心配顔を見せたのはカオルだった。いつもは飄々としているくせに、さしもの彼も今回の事には、自分の身を案じていてくれたらしい。
「ん、アリガト。ほーら、ミンナ湿気た顔すんじゃないわヨっ!?これから反撃に出るんでしょっ?聞いてきたわよ新型四機投入。すごいじゃないっ?ミンナ気合い入れないとっ!」
「えぇ、アスカ。あなたに掛かってた負担を、少しでも軽減できるようにしてみせるわ。みてなさい」
 少し強気の返事を返してきたジャンヌ。ちょっと見ない間に、なにやら気迫が感じられるようになった。彼女の身体能力が自分に最も近いとアスカは思う。女だてらになんとやらである。
 フランシスはといえば彼女の後ろで、少々心配そうにしている。やはり彼女に前衛は厳しいだろう。恐らく後衛。守備に徹する方がいい。
「作戦部長の話では今後の結果次第だが、前衛は俺達が担当する予定だ。無論ヘッドは君だ。自由に使ってくれ。」
 ロバートとレツが静かに微笑む。彼らの能力は既に、自分と同等か、パワーがある分更に上だろう。ミサトの判断も頷ける。軽く微笑んで、ウインクで了解の意を二人に返した。
 皆がすっかり戦闘体制なのを改めて確認し、アスカにもふつふつと戦闘意欲が沸き始める。あのクソ金髪に一矢報いるまで腹に溶岩を抱えねばならないと思うと、余計に彼女の闘争心が沸き立つのだった。
「くっそっ~っ、悔しいナァ~ッ。早く私もみんなと特訓したいわっ。一ヶ月もチンタラしてまた奴らが来ないとも限らないんだからさぁーっ!」
 動けぬ自分への嫉妬も半分に、悔しがるアスカ。そんな空元気の彼女に苦笑する一同を横目に、一人。アスカの背後から、怪我の無かった右肩にぽんと軽く置かれた繊細な・・・でも大きな手。

「ほら、落ち着いてアスカ。今は絶対安静でしょ?」

「だぁから、もうだぁいじょう、・・・ぶ・・・・・・・・・」

 声の主に振り返りながら返事しかけたアスカだったが、不意に硬直し固まる赤の戦乙女。
 声をかけた本人も思わず戸惑うその行動に、今一度声を書け直してしまっていた。

「?・・・・・・アスカ?」
 あまりに反応が無いので、目の前で手を振ってみたりするが、未だ無反応。困り果てた頃合に、ようやく彼女は再起動し、
「・・・・・・シ、」
「?」
「シ、シ、シ、シッ、シッ、シっ・・・」
 再起動ではなく、システムエラーだったようだ。しきりに追い払う・・・否、固体名頭文字をリピートする赤い少女は、白い肌を真っ赤に燃やし始め、登頂部から今にも湯気が噴出さんばかりに暴走を始めていた。そうして暴発寸前でようやくその固体式別名を、その麗しい唇から吐き出せたのであった。

「シィッ、シンジーッ?!?!!」

「ど、どしたの、アスカ?」
 ようやく自分の名前を呼ぼうとしていた事は理解したシンジだが、いかんせんその意味が理解できない。シンジとしては既にアスカとの感動再会は済ませているのだから、当然といえば当然なのだが。もっとも当の本人がその記憶を夢として処理している以上、その反応は望むべくも無い。
「なっ、どっ、だっ、ゆっ、イッ、でっ」
「?」
 やっぱりシステムエラーを起こしつづけるアスカ。翻訳しよう。『何で?どうして?だって・・・夢だったんじゃ?いったいどうして?でもっアレは夢だし????』といった内容である。いや、内容も何も無く、彼女は確実に混乱していた。
 そして、彼女を救う・・・・・・否、どん底に突き落とすのは、他でもない姉の仕業だったりもするのだ。戦乙女の報復すらいとわずに娯楽を追い求める探求者は、まったくもって貪欲である。
 唐突に設置されたモニターにミサトの顔と音声が届いた。
「あぁ~ら、アスカちゃん、今ごろお目覚めぇ?アナタのラブラブな夢は、残念ながら夢じゃないのよぉ~っ?ほーら、ポゥォチットなっ!」
 わざわざフィルムカウントまで入っている造り込みようのVTR。
 そして、アスカとシンジの記憶にまだ残る、感動の光景がそこにはあった。





「ほらっ。寝てなきゃ駄目だよ…」


「………………………………」




「………………………」


「………………………」




「…ウソ…」


「…夢じゃないけど?…」




「…ウソだ…」


「…信用無いなぁ…」




「…ウソよぉ…」


「…本物だよ…」




「…ウソ、なんだぁ…」


「…アスカ…」




「…ウソだ、もぉん…」




「…ただいま…アスカ…」


「……おかえり、なさい……」






――――春の夕日の射し込む柔らかな空気の中――――


――――二人の影がゆっくりと近付き一つに重なったその日――――


――――碇シンジと惣流アスカの、思いも一つに重なるのであった――――






 何故かナレーション入りである。しかもいつ録音したのやら、ナレーションは碇ゲンドウのソレであった。唯一の血縁縁者のあまりの愚行に、思わず片手で顔を覆うシンジ。
 隣では更に真っ赤になってモニターに見入り固まるアスカ。もはや何も言うまい。
 ひゅーひゅーと、はやし立てる仲間達。さすがに初見のラブシーンを前に黙ってはいられなかったらしい。その辺はまだまだお子様か。若干一名、戸籍上は兄妹となった娘が、少しだけ不機嫌にそのモニターと、本人達を見比べていたりする。頭で理解している事でも、やはり乙女心は複雑らしい・・・
そして、お昼も近い頃合に、発令所に向かって放たれる怒りの鉄槌を、彼女の身を案じ何とか引き止めようと必死にしがみ付く成長したはずの?少年であった。
「くぅぉーらーっ!!!ミサトォーッ!!!出てくぉーいっっッッ!!!」
「暴れちゃ駄目だってばっ、アスカ~ァッ?!」





 第一発令所で血の惨劇が起こったその日の夕刻。
 惨劇の場とはいささか趣きの異なるその部屋。若干薄暗く、また発令所のそれとはサイズが異なり大分縮小されている部屋だが、正面のモニター群には、第三新東京市のあらゆる監視カメラと監視レーダー群を始めとする情報網が、所狭しと並び切り替わってゆく。狭いとはいえ、およそ二十四名からなるこの部隊全員の席があり、各機材、コンソール類が所狭しと並ぶこの部屋は、それなりの規模を誇っていた。無論、その性能もこの世界ではトップクラスの物が、揃えられているといっていい。
 その縮小版発令所―――『保安部警備局二課零班』―――の中枢的役割を担う二名が、指揮所に座していた。
「それで、潜入した部隊の所属と規模は?」
 若年の指揮者―――零班隊長、碇シンジ一尉が隣に座る年配の副隊長、後藤ケンジ少佐に状況を確認する。本来なら階級が下の者が、上官に向かってこのような態度を取れよう筈も無いのだが、しかしこの部隊は何もかもが特殊であり、そもそも公に存在すらしていない、闇にのみ潜む存在。何よりこの班長自身の特殊性ゆえであった。
「部隊規模は少数。ロシアの遺物『スペツナズ/旧ソ連特殊部隊』だ。確認できたのは33。まだ潜んでる可能性もあるし、外で待機している可能性も否定できん」
「バックの可能性は?」
 ちらりとシンジを見て、すぐモニターの状況に目を戻し答える。後藤は先日から自分の上司となったこの少年の能力に舌を巻いていた。数日前に行なわれた顔合わせの歓迎体術訓練では、部隊全員が完膚なきまでに打ちのめされ、皆彼の能力の高さに一目を置かざるをえなかった。そして今この指揮所をあてがわれて以降も、彼の洞察・判断力の高さに、再び舌を巻く事になっている。もはや彼をただの少年でもなく、エリートかぶれでもなく、純粋に自らの付き従う「主」として、身体が認識し始めていた。それは部隊の全員が同じ思いである事も。
「無論あるだろう。こいつらは既に国を出ている。雇われで生き残ってきた以上、バックボーンも小規模な者に留まっているだろう」
「・・・でも、ドイツに繋がっていないとも言い切れない。違いますか?」
 やはりこの少年は抜け目無い。自分が助言をするまでも無いのだから。
「あぁ。まったくだ。必ずヘッドを捕らえて吐かせる」
「えぇ。手段は選ばないでください」
 軽く驚く、が直ぐに納得もする。そう。この少年は、“そういう”少年だ、と。
「あぁ、分かった」
 すっと立ちあがり少年が自分に向き直る。その黒耀の瞳が、微塵の揺らぎも無く己を射貫く。
「僕は囮としてチルドレンに付きます。明日から高校です。敵も恐らくそのタイミングを狙ってくるでしょう。皆さんには引き続き監視と報告をお願いします。マイクロホンは常に付けてますので、夜中でも随時お願いします」
「だが、大丈夫か?いくらボス一人でも9人全員をフォローするってのは・・・」
 後藤にはいささか不安も残った。シンジの強さにはもはや文句の付けようも無いくらいだ。しかし通常の保安警備二課が付いているとはいえ、まだ彼らとの連携も満足ではない。
 だが我らが隊長殿は、まったく想定外の事を言い出した。
「今後の事を考えれば、今回は零班のオーソドックスなテストケースとして見れるでしょう。皆さん実践訓練だと思ってください。無論、懸案も残ります。どの規模で敵が強襲をかけて来るかも今は分かりませんし。でも、この規模ならまずまずです。我々だけで対処すべきでしょう。保安二課との連携パターンは追々詰めるとして、今回は今後の試金石になるよう、配慮しましょう」
 唖然とするしかない。彼の言葉にはそれ以上の裏の意味も込められている。その規模と深さとに。彼はまさしく先を見据えて発言し、行動しているのだろう。その器が、将来の事も含め、自分達には大きく映るのだ。
「了解だ。隊長」
「司令への報告、お願いしますね」
 薄暗い部屋に瞬間光が差し込み、次ぎの瞬間、その部屋は闇の中へと埋もれていく。
 一日が終りを告げようとしていた。






[to Next] 

[to Contents

First edition:[2004/08/20]

Revised edition:[2005/09/12]