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西暦2017年






壱.






 『春』
 誰がその言葉を創ったのだろう?だが、四季の移り変わりの一幕。この緩やかな空気を『春』という言葉以外では表現出来ないだろうと思う。昔の人が言葉をどういう思いで創ったのか。それを知る術は、今はもう無い。
 目の前を一片の花弁が舞い落ちてゆく。薄紅の、儚い。
 17年間その身を飾る事の無かった木々は、唐突に眠りから覚める様に咲き誇り、もう二度と目覚める事は無いだろうと諦めていた人々の心を、驚愕させ、浮かれさせ、和ませた。桜が咲いた。過去、日本の多くの民に愛された樹木。そしてこれからもまた愛されるであろう樹木。
 レイは始めて桜を見た。レイだけではない。自分達以降の年代には始めて目に映るその木は、素晴らしく綺麗で、そして儚い。あっという間に咲き誇り、まるでその命を一瞬で燃やし尽くすかの様に、あっさりと散り往く。儚い。だが、だからこそ美しく思う。余りにその咲き様が綺麗だから、だからレイはその咲き乱れる桜を、立ち止まり穏やかに見つめる。
「どうかしたのかい?」
 不意に後ろから声がかかる。鈴鐘の様な声。もうすっかり聞き慣れた同居人の声である。
 学校ヘの通学路。彼は何時もと変わる事の無い微笑を張り付かせ、何時もと変わる事無くレイの後ろから付いて来ている。転校したての頃は別に二人とも気にもせず、二人並んで歩いていたのだが、最近ではこれが定位置だ。別に大した理由がある訳では無い。一つ年上の同居人。本来ならば彼は高校生である。彼の誕生日は2000年の8月15日。それはSEELの偽造でも何でも無く、オリジナル本人の紛れも無い正確な日付である。その彼が何故レイと同じ学年で中学三年生をやっているかと言えば、何の事は無くNervの保安上の問題である。書類上彼は療養・入院の為一年間休学していた事になっている。まあ、何はともあれ中学生とは言え男女。それが周囲には物珍しく写ってしまう。ましてや一人は類稀なる容姿と風貌を誇る壱中の五大美少女の一人。もう一人はこれまた類稀なる容姿と風体で一躍アイドルと化した少年である。目立たぬ方が可笑しく、また様々な憶測が飛び交うのも必然であった。勿論そんな事は雀の涙程もありはしないし、当の二人はその事に気付きもしない。というか馬耳東風。それを不憫に思ったのか、少女の親友であり姉役であるもう一人の少女の一言でこの定位置は決まった。
「アンタは周りに誤解されない様にレイの後ろを歩きなさい!!レイの半径1m以内立ち入り禁止っ!!」
 元使徒の少年はその意味もよく分から無いくせに、微笑を浮かべたままその公約を守り続けている。
 渚カヲルは少女の視線を追い、得心する様に笑みを深める。その笑みは何時もの様な貼り付けた微笑とは違い、優しさに溢れていた。
「...綺麗だね。」
「...えぇ。」
 穏やかに。流れる時。朝一番の二人は何時もこんな物だ。途中仲間と落ち合い騒がしいお喋りを開始するのだが、最初に落ち合うアスカの自宅に着くまでの僅かな時間。二人に会話は無く、しかし気まずい訳でも無い。ただ、穏やかに。
 アスカの住むコンフォート17より僅かに離れた小高い丘の上。その閑静な住宅街の一角に彼女等の自宅はある。そこからのちょっとした坂道。其処から望む川沿いに、咲き乱れる桜並木があった。
 珍しくカヲルが話題を振ってきた。
「そう言えば、例の四人。どうなったんだい?」
 彼女の目覚めから二週間。あの後、他の三人もそれに呼応する様に目を覚ました。彼女達には一様に記憶が無く、唯、名前だけを覚えているいると言う。身体的には異常が見止められ無かったものの、事情が事情だけに直ぐに彼女達が開放される事は無く、未だに検査や調査に時間を取られ病室に拘束されている。拘束と言っても自由はそれなりに有り、ある程度は保証されているのだが実状はそんな物だ。
 レイとアスカのじゃれあいの最中に、最初に目を覚ました金髪の少女。
 “ジャンヌ・D・メリフォード”
 続け様に目を覚ました三人の少年少女。
 “ロバート・シューマッハ”
 “役烈”
 “フランシス・フォーチュン”
 それが四人の名前だった。
「今日退院するわ。予定通り、葛城二佐の保護下に入るそうよ。」
「ミサトさんも大変だね。アスカちゃんに加えて四人の面倒とは。行かず後家にも磨きが掛かるという物だね。」
「...報告しとくわ。」
「...冗談だよ。」
「そう。」
 冷静な声の割りにカヲルの顔は真っ青だ。先日食べさせられた『ミサトカレーすぺしゃる』には、さしもの彼も病院送りとなり、病室で『やぁ。サキエルにアラエルじゃないか。おや、他の皆も一緒かい?懐かしいねェ。』等と魘されていたらしい。それが原因かどうかは定かではないが、Nerv作戦部長の恐ろしさは身を以って経験したばかりである。その為の反応だった。それでもアルカイック・スマイルを崩さない辺り流石だろう。尤も微かにレイの唇が攣り上がったのを見た者はいない。
 二人が再び坂道を下り始める。カヲルは続けてレイに話し掛けた。
「碇司令は何と言っていたんだい?」
「別に。問題無いって。」
 カヲルは未だに自宅でもゲンドウを“碇司令”と呼ぶ。以前茶目っ気を出して“お父さん”と呼んだ時に、フォークが目の前を翳めて以来、二度とそれ以外の呼び方をした事は無い。元使徒でも学習はするらしい。
「何時も通りか。チルドレンへの登録は?」
「退院と同時に。本人の意思も確認済み。」
「...ふむ。」
 歩みを止めずに大仰に考え込むカヲル。何だと言うのだろう。カヲルはこの間からあの四人の事を根掘り葉掘り聞いてくる。何か気になる事でも有るのだろうか?
「...何?」
「ん?あぁ...君は、彼等に何か感じ無かったかい?」
 ぴくりと反応するレイ。レイとカヲルは良く直感が働く。それは使徒としての経験と記憶、そして人間としての第六感がそれを告げているのだが、特にそれと気付いている訳ではない。ただ他人より感が良く当たると言う程度だ。そしてカヲルが今言った“感じる”と言うのがそれであり、また“何か”が危険を予兆したのかとレイは思ったのだ。
「いえ。何か、感じたの?」
「いや。何も無いよ。」
「...」
「只ね。余りに不自然なんだよ。突然地上まで落下して来た謎の衛星。その中に冷凍睡眠で幽閉されていた記憶の無い四人の少年少女。おまけにEVAにシンクロ出来るときた。これだけ条件が揃えば誰だって怪しむよ。事実Nervは彼等の保護に乗り出した。今更知らぬ存ぜぬでは世間様は許しちゃくれないしね。だが、どう考えてもこれは...」
 そこまで一気に語った少年は、俯いていた顔を上げレイを見詰めてきた。レイは以前の様に出来るだけ無表情で、しかし内心動揺を押さえじっと見詰め返す。沈黙。暫しの膠着状態から抜け出したのはカヲルだった。ふと、何時もの微笑へと。
「...いや、これは僕等が考える事では無いか。済まないね。」
「...」
 レイは疑念を持ちつつもそれ以上追求する事は無かった。只、心の中は靄に包まれたままだったが。
 二人が再び坂道を下る。カヲルがレイには聞こえぬ声でぽつりと呟いた。
「神の怒りに触れし塔、か。」










弐.






「あら?今日御帰国でしたか。」
 涼やかな声がケイジに響いた。ゲンドウは声のした方へ顔を向けた。漆黒に流れる髪を後ろで軽くポニーテールにした、たおやかな風貌。ティア・フラットが其処に居た。自らを"魔女"と名乗った少女。が、その実三百二十六歳だと言う。アーカム財団創始者で、今はこの計画の責任者の彼女にゲンドウは軽く会釈した。
「ええ。午後のフライトで戻ります。」
 応えながら軽く手元のアタッシュケースを持ち上げて見せる。こちらに来る時は妻が積め込んだ着替えが数着しか入っていなかったが、帰りはそれに加えここで収穫した重要書類がたっぷりと収まっている。普段ならばここのMAGIから直接データを送れば済む話なのだが、今回はそうもいかなかった。
 気が付くと少女はゲンドウの隣で、今まで彼が見ていたモノを見上げている。自分もまた同様に見上げた。
「『B.B.L.』、ですか。」
「...えぇ。」
 ぽつりと少女が呟く。少女、という程の事も無いのだがゲンドウから見れば18、9でもやはり少女だ。だが少女の言葉は落ち着き払っていて、その貫禄を思わせる。本部からの報告書が頭の中を翳める。
「船体に刻印されていた。今だ足跡は不明。おまけに記憶喪失者が四名。厄介ですな。尤も御陰でチルドレンが増えたが。」
「ふふっ、大変ですわね?Nevrも。」
 今日初めての笑み。成る程、これならば少女と疑わない。ティアの言う通りどうも最近子供の御守が多過ぎる。まぁ、冬月に任せておこうと企む。
 少女が見上げながら静かに呟いた。
「ご存知ですか?バベルの塔は二つあったんですよ。この地球上に。」
「...は?」
 唐突な告白に、ゲンドウは珍しく呆気に取られた。バベルの塔位は知っている。世界七不思議のうちの一つ。旧約聖書の創世記第11章に縁れば、世界の言語が一つであった昔、人々は集って天まで届く塔を造り始めた。神は此れを見て人間の尊大を懲らしめる為、言葉を乱し、互いに意志が通じ合わないようにした。その為塔の建設は中止され、人間は以後各地に分散し其々の地方の言葉を話すようになった――そしてその塔は実在し、新バビロニアの王ネブカドネザル2世が造ったと云われる神殿がそれである。尤もその情報はSEELが探り当てた物だ。一般には未だに諸説様々、止まりである。その塔は推定で縦横高さ共に90mの大きさの四角錐で、7段になっており頂上へは螺旋状の階段が設けられているという、実質ピラミッドの様な物だ。今思えば大した高さでは無いかもしれないが当時の人々にとっては、正に天まで届く塔だったのだろう。
 その事をティアに告げると、あら、詳しいんですね。と笑みを深めた。自分には博識は似合わなかっただろうか。尤もSEELと裏死海文書に関わったゲンドウにとっては、その関連書籍で知らない事は殆ど無い。
「そうですわね。確かにそれがバベルだとされていますわ。一般的には。」
「一般的?」
 隣の少女はゲンドウやSEELが知る情報が一般的だと一笑に臥す。一頻り笑った後ティアは視線だけこちらに向けた。
「あれはうちが流した情報ですわ。まぁ、彼等にはバベルは価値或る物とは写らなかったのでしょう。」
 驚いた。セカンド・インパクト後、彼女達アーカムはSEELに干渉してはいないと言いながらも、その実こうやって情報を捻じ曲げていたのだろう。一瞬、補完計画さえ彼女達の手の上で踊っていただけでは無いかと思い、背筋を怖気が走った。それを知ってか知らずか、ティアは続ける。
「まぁ、我々も真の意味で旧約聖書に記されたバベルを発見した事はありません。それらしき物が多すぎて。でも、諸説混沌とする中に一つだけ明確な物があったのです。イタリアの山岳都市ロッキス。その古い教会から壁の補修中に発見された『混乱の魔方陣』。それが塔の在り処を示していたのです。」
「そ、それでは...」
 やはりバベルの塔は存在したのか?しかしそんな巨大な塔が今までどこにあったというのだ?それが顔に出たのか彼女はくすりと笑い、
「ですから、それは旧約聖書で言う所のバベルでは無かったのです。一般的には知られる事無く教会側が必死に隠していまました。陰の世界で延々と語り継がれていた謎の遺跡。それが『リバースバベル』だったのです。」
「リバース?」
「えぇ。『バベル』は天高く建設され、一方で『リバースバベル』は地中深くに建造されたのです。<ロッキスの外典>にはこう書かれていました。『嘗て古代バビロンには、神との会合に使われし塔と、魔王<パズス>を呼び出す為の塔、二つの塔があった。しかし、魔王<パズス>を呼び出す事は失敗し全ては滅んだ』と。此れを聞く限りはどうやら旧約聖書に書かれた『バベル』とはこっちの様な気がしますけどね。どこかで記述が歪められたのかもしれませんし。」
 そんな話は少しも聞いた事は無かった。ゲンドウにとってはバベルと言えば遺跡と言うイマージュが染み付いている。だが、ティアの話し方では本当に神や魔王が実在するかの様な口振りだ。魔女に魔王にと、少々思考が鈍ってきている。だからだろう、ゲンドウは率直に聞いてしまっていた。
「魔王が、出たのですか?」
 言ってから、間抜けだと反省する。案の定、少女はきょとんとした顔を見せ、途端に甲高い笑い声を上げた。笑いの途中で、やぁだぁ、碇司令ったら。等と言われる始末。むぅ、私のイメージが。
 やがて一頻り満足したのか目元に滲んだ涙を拭って説明を再開した。何も泣く程笑わなくても良かろう...
「ぷ、くく。ご、ごめんなさい。し、司令にしては御茶目な質問でしたから。で、何だったかしら?そうそう。『リバースバベル』は『混乱の塔』とも呼ばれていました。そう言う意味ではより旧約聖書の『バベル』に近いですね。それで最終的にはイラクのバグダットに眠っていた『リバースバベル』が発動しかけ、我々がそれを封印したのですけれども、その時の最底部に存在した<混乱の魔方陣>で起きた現象は正しく『混乱』<カオス>でした。『混乱』<カオス>とは便宜上そう呼んでいるのですが、此の世の物理法則に左右されない圧倒的な力の事です。呼び出された『混乱』<カオス>は地球上に生きる全ての情報を掻き乱し混乱させてしまう、と言う物でした。」
「...よく、判りませんな。」
「そうですね。もう少し判りやすく説明すると、我々の住んでいるこの地球を一つの生命体だと考えて下さい。」
「ガイア<地球>説、ですな?」
「はい。地球は、その上で生活する我々人類を含めた生命体全てを統括管理する、一個の生命体であるとする説です。まぁ、我々の業界では通説となってますが。その中の一説として、生命を全うしたモノの情報を吸収し、次世代に生まれ来るモノに対して更に進化させる様に情報を送り出している、と言う物があります。そして『混乱の塔』とはそんな地球<ガイア>のメカニズムを知り利用した超古代人の究極の遺産―――個々の人間が持つ記憶や思想、価値観等を全て消し去り<無>からの再生を可能にするのです。大量の生命エネルギーを触媒にして。」
 つまり、自然科学的なシステムを利用した天地創造マシン。それが『リバースバベル』だと言う事か。
 ふと何かに気付いた。ゲンドウの良く知る何か。
「...ま、まさか。」
 ティアがにこりと微笑む。しかしゲンドウには笑う余裕等無い。審判が下る様な思いだった。
「えぇ。補完計画と同じですわね。」
 そうだ。全てを<無>、生命の源たるLCLに還元し、依代の意思によって更なる人口進化を遂げる禁断の儀式。それを記した裏死海文書。そしてそれは目的半ばまで実現し潰えた。少なくとも夢物語のような儀式が実現する事だけは間違い無かった。圧倒的な脅威と共に。
 それにしても、と思う。その様な超自然プログラムが(否、人工だろうか)他にも存在していたとは。驚愕するゲンドウにティアは変わらず静かに続ける。
「結局、発動しかけた『リバースバベル』は我々の手で封印、いえ。破壊したのです。もう、二十四年前の事ですわ。」
「そ、そんな以前から貴方方は知っていたのですか?そんな危険なプログラムが存在すると?」
 ティアはゆっくりと笑みを深めた後、再び見上げた。
「その為の、アーカムですわ。」
 その言葉は余りにも重い。創設者である彼女はその意味を知り、人間の手に余る代物を探し出し封印し続け生きて来たのだろう。彼女は見て来た筈だ。人の醜い欲望と闘争の歴史を。そして、ここに居る自分は悪魔のシステムに手を下しておきながら、のうのうと生きている。
「...私は、何れ裁きを受けねばなりませんな。私が犯した罪は余りにも大きすぎる。許される物ではない...出来る事なら貴方の様な人に裁かれるのが一番良いのかもしれない。」
「あら?それは違いますわ。」
 涼やかな声の少女は何時の間にか自分に向き直って、長身の自分を見上げる様に見詰めていた。
「だって、彼方は自分の罪に気付いてそれを悔いて、こんな事をしているんでしょう?世界中の子供達の未来の為に。でしたら態々私が彼方を罰する必要なんて無いじゃありませんか?彼方はもう、罪を償い始めているのですから。」
「...」
「人間とは、何度も過ちを犯し、何度も後悔し、何度も悔い改め、それを繰り返して生きていく生き物ですわ。」
「ティア・フラット...」
 彼女は微笑を崩す事無く自分を見上げ、とつとつと説いて来る。それはまるで悪戯を仕出かした息子を叱る優しい母の様であり、ゲンドウの苦悩を溶かして行く。
 少女はふふっと笑い最後に明るく笑い飛ばした。
「でも、息子さんが戻って来た時には、きちんと謝っておくべきですわね?碇司令。」
 その顔は既に何時もの少女の物に戻っていたが、ゲンドウにはそれが彼女らしいとも思えた。
「ところで、碇司令?」
「?」
 唐突に始まったティアの質問にゲンドウは無言で先を促す。それを受けティアは続けた。
「彼等には直ぐEVAは必要ですか?」
 何時もはしない若干遠回しな話し方だ。この半月程で彼女の話術が直接的でありながら、その実多くの事柄が含まれている事に気付いた。自分と同じ側の人間でありながら、見た目や振る舞い、清涼な声音がそんな裏側の様相を微塵も感じさせはしない。しかし、彼女は間違い無く裏の人間で、その言葉の端々にゲンドウ達と同じ匂いを感じ取らせている。それでも誰もが少女と見紛わないのは、彼女の容貌が大きな要因であり彼女は得だと思う。自分等、只の強面で本当にやくざな商売をしている。それはさて置き、彼女の話し方は裏の人間には珍しく、しかしゲンドウには好感が持てた。そんな姿勢を今まで崩していなかった彼女が、妙に言い淀んでいた。
「...まぁ、直ぐにという事はありません。改修中とは言え本部には五機あるのです。尤も一機は封印中ですが。今はそれ程急く必要も無いでしょう。彼等を権力者に渡す訳にはいきませんが、無用な挑発までする必要は無い。」
「良かった。」
 ティアは先までとは打って変わってにこやかにそう言った。その笑顔は呆れるほどに少女だ。案の定と言うか、続く言葉は父親にお強請りをする娘の様な口調だった。
「実は他に当てがありましたの。ほら。どうせこれはプロトタイプですし。徹底的に弄繰り回してその子に任せようと思ってましたの。彼等には始めからきちんと設計したG-Typeを用意したいんです。」
 今まで見た事の無い少女っぷりにゲンドウは暫く呆気に取られていた。だが話している内容はとてもそんなお気楽な物では無い。それに、ゲンドウには聞き捨てなら無い部分があった。
「...今、当てがあると仰いましたな?その子、とはどういう事です?」
 我意を獲たりと、ティアは笑みを深めとつとつと、しかし声の調子を変える事無く。
「まだ、適格者かどうかは判りませんわ。でも、ちょっと試したくて。不味いでしょうか?」
 暫し思案の後ゲンドウは仕方無し、と諦め顔で頷いた。
「貴方が考えている事だろうから信用はしますが、余り無茶はしないで下さい。」
「判っています。Nervが不利になるような事は致しませんわ。ご安心を。確認が取れたらちゃんと御報告しますわ。」
 嬉々としている彼女の表情を見る限り、暫くは少しも教えてはくれないのだろう。それこそ悪戯を企む少女、否、子供か?結局、ここの責任者となった彼女に一任するとして話しを切り上げた。もう直ぐ日本へ戻る時間である。早く帰ってレイの喜ぶ顔が見たい物だ。土産はばっちり購入済だ。アメリカン・クラッカー。うむ、問題無い。
 それにしても、と思う。ティアは自分の妻に似ているかもしれない。“弄繰り回す”という言い回し等、正に妻のマッドサイエンティスト振りに通づる物がある。あな、恐ろしや。
 ゲンドウはアタッシュケースを持ち直しケイジを出ようとして、思い立った様に再び上を見上げた。
 其処には、白銀の装甲の一部を外され、新たな鎧を纏い始めている巨人が居る。
 回収されたEVANGELION四号機。
 彼は何を見て来て、何を見ているのだろう。取り止めの無い思考の中、指示を出し始めたティアを横目に見つつ、ゲンドウはケイジを後にした。

 Nerv総司令がケイジを出て行くのを横目に見つつも、Nervアメリカ第壱支部総責任者代理となっていたティア・フラットは、技術部の人間に指示を出すのを止めない。ここに居る殆どは顔も碌に見た事の無い者達ばかりだが、間違い無くアーカム選り抜きの精鋭達である事に変わりは無く、黙っていても作業は進む。が、責任者としての任は進めなければいけないし、まぁ、各担当が持ってくる書類に目を通して、GOサインを出す位である。
 今この支部で目下進めなければならないプロジェクトはこの目の前に居る大きな巨人の改修作業だ。
 ティアは拘束されている大きなEVAの顔をアンビリカルブリッジから見上げ、彼の目を見詰めた。ケイジを支配するのは新しい装甲を取りつける甲高い重機の音と技術者達の怒声だけ。だが、ティアと四号機の回りはそんな物を無視して微動だにせず、まるで静寂に支配されているかの様だった。
 やがて、ティアがその薄い唇を開き、涼やかな、しかし今までゲンドウとの会話の様な緩やかな雰囲気では無く、寧ろ凍て付く様な氷の響きだった。
「彼方と相性は会うのかしら?彼...」
 会話、なのだろう。恐らく。しかし相手は何も喋る事は無い。只、巨体を其処に鎮座させているのみである。女は続ける。
「まぁ、嫌でもやって貰うけどね。」
 ふっ、と口元を歪め笑みを浮かべる。それは人前では絶対に見せない、ある部隊に就く時だけに見せる、それは魔女の表情。
「彼方には最強の獣になって貰うわよ?時間は掛かるけど、我慢してね?御主人様も、今現在史上最強の人よ。満足すると思うわ。」
 静寂が途切れる。ティアの周りは再びケイジの喧騒が舞い戻ってくる。既に先程までの表情は消え、少女のそれへと戻っている。一通り指示を出し終わっていた彼女はケイジから出て行く。他にも仕事はあるのだ。ドアが開き出ようとして、歩みを止め振り返る。
 巨人の横顔を見ながら、静々と呟いた。
「...大昔、人々の言葉は一つだった。そしてある時、一人の王が言った。『この地に巨大な塔を造り全ての人間とここで暮らそう。』人間が集い、頂きが天にも届く大いなる塔が建造された。しかし、それは同時に神へ仇為す行為でもあった。神<ヤハウェ>は人間達の言葉を乱し共に生きる術を無くした。言葉の通じなくなった人々は各地に散っていった。それから人々の言葉は細分化され、それは人間同士の諍いが尽きぬ原因になった。以後、この塔。『混乱』<バベル>の塔と呼ばれる...か...記述は当てにならないわね。」
 自嘲気味に呟いた後、ティアは何か思い立った様に再び呟く。

「...『混乱』、『バベル』、『B.B.L.』、か...調べてみる必要、有るわね。」

 巨人を見詰めていた少女は、勢い良く振り返りケイジを後にした。
 白銀の巨人は変わらず佇んでいた。










参.






「へ~。じゃあ、今日来るんだ?新しいパイロット。」
 良く通る声は、長年学級委員長なる物をやって来た為に培われた物かもしれない。レイは取り止めも無くそんな事を思っていた。
「そうなのよ。で、毎度の宴会モードに入ってるって訳よ、ミサトの奴。」
 先日、相模湾で弐号機に回収された所属不明の巨大衛星。その内部から発見されたのは、冷凍保存された四人の少年少女だった。四人は奇跡的にも無傷で収容され、Nervの技術力によって解凍・蘇生された。覚醒した四人に外傷等は特に認められず、蘇生は成功したかに見えた。しかし、彼女達本人の口から聞かされたのは、記憶喪失という現実だった。四人が四人共、名前以外の記憶が欠落していたのである。この手の症状の場合、生きて来た経験上で脳が蓄積した記憶、つまり言葉・思考・人格・生活様式等は残っており、一見して記憶喪失を起こしている様には見えない。ところが本人達が経験して来た過去の事象を記録した記憶野に、何らかのショック・ダメージを受けると、人は途端に記憶を失う。『自分は何者か』『何処から来たのか』と言った事をすっぽり忘れてしまうのだ。これには人によって、生まれて来てからの全ての記憶を失う者もいれば、ほんの一時間の出来事が思い出せなくなる者もいる。もし脳に致命的ダメージを被っているのならば、後々障害となる事もある為、それ等の検査はNervの優秀な技術スタッフの手により細部までに及んだ。その為に二週間も検査に時間が掛かっていたのだ。しかしNervが誇る頭脳碇リツコ女史によれば、
「恐らく保存状態の良し悪し、セカンドインパクト時の何らかの障害、機体と連動していたであろう冷凍睡眠プログラムの異常、解凍時に起きた得た何らかの障害と、まぁその辺で何らかのショックが起きたんでしょうね。それ位しか考え付かないもの。」
 と、彼女を持ってしてもその原因は推測の域を出なかった。結局経過を見つつ判断を保留という命が下され、四人は適格者予備役という位置付けに決定した。
 そして今日、彼女達は無事退院の運びとなり、当面の保護者となった葛城ミサト二佐の住むコンフォート17へ入居する運びとなったのだ。但し、葛城家は既にアスカと言う同居人を抱えており、只でさえ部屋数の少ない所に四人もの大所帯を抱え込む事は不可能と判断され、隣家に別部屋を二つ借り、そこに少女二名、少年二名を別々に住まわせる事となったのだ。何故二部屋に分かれたかと言うと、Nervが誇る司令塔葛城ミサト女史によれば、
「そりゃあ、御年頃の男の子と女の子だもの~。何かあったら困るじゃなぁ~い?まぁ、堅苦しい事言う気も無いしぃ、アタシの見てない所でやってくれれば良いんだけどさぁ。」
 と、保護者っぽい事を言いつつも実に無責任な一言により部屋割りは決定した。で、これまたNervが誇る宴会部長同葛城ミサト女史の手により、本日葛城家にてささやかに入居パーティを開こうと言う事に相成ったのだ。
「それでミサト先生朝から機嫌良かったんだ。通りで。」
 レイにとって第二の親友とも言える洞木ヒカリが納得の声を上げた。
 今レイの周りには、第壱中学が誇る五大美少女軍団が集い、屋上で和気藹々と中学生活最後となるランチタイムを満喫していた。レイを筆頭に、惣流・アスカ・ラングレー、洞木ヒカリ、霧島マナ、山岸マユミ。余談だが、この五人の人気のバロメーターを上昇させ続けたのは、影で第壱中学の需要と供給に多大な貢献をした一人のカメラ小僧がいた事は周知の事実である。彼女達は無事、第三東京市立第一高等学校への進学を確約され、明日の卒業式を控え最後の晩餐をしていたという訳だ。
 で、昼食後の御喋りタイムで真っ先に話題に上がったのが、朝からエンジン全開で元気を振りまいて歩く、我等が担任英語教師葛城ミサトだった訳である。
「あのぉ。何で宴会があるとミサト先生が御機嫌になるんでしょうか?」
 おっとりとした口調で場の雰囲気を微妙にずらせるのは、マユミの特技と言ってもいい。とレイは思っている。尤もアスカやマナ辺りは突然乱れるペースにギクシャクしているだろうが。
「そうか。マユミやマナはまだ知らないわよね。」
「何がよ。」
 アスカの納得にマナが怪訝な顔をする。世の中には知らない方が幸せな事もあるのに、とレイは思うがそれを言う気は更々無い。だって自分達だけあの地獄を知っているのは不幸だと思うし、不幸は皆で分かち合う物だと。だから先に承諾を得る事にした。
「来るでしょ?今日のパーティ。」
「え?えぇ、まぁ構わないけど。」
「私も、別に今日は何も有りませんし。」
「ふっふっふっ。知らないわよぉ。」
 二人の出席を確約した後、絶妙のタイミングでアスカの忍び笑い。レイとアスカの罠に嵌った事にこの二人は今だ気付く気配は無い。
「な、何よぉ、アスカ。何かあるの?」
 それでも何か悪寒を感じたのか、マナの不安気な声に出し惜しみしておく。
「それは夜の御楽しみ。」
「あぁ、またあの惨劇が繰り返されるのね...はぁ。」
 隣でヒカリが冬月副司令の様な溜息を付いているが、気にしないで置く。自分だって今夜は出ざるを得ないのだ。やはり不幸は皆で分かち合わないと。
「まぁ、四人共一つ年上らしいけど高校は同じになる様だし、今のうち面通しして置いても良いんじゃない?」
 アスカが購買の珈琲牛乳を飲みながら三人に言う。今回のパーティの名目は言わばチルドレンの交流会なのだが、彼女達四人が来月から第一高校に転入する事は、ミサトから直接聞き及んでいた。だからここにいる五人とアスカ命名『ネオ三バカトリオ』にとって彼女達は同じ高校に通う先輩という事になるのだ。
「まぁ、そうね。Nervでも顔合わせる事になりそうだし。今の内に会っておいても良いか。」
「私とヒカリさんとは先輩という事になるんですね。」
 どうやら二人の宴会参加は決定的な物となったようだ。ナイスよアスカ。レイが影で拳を握り締めていると、不意に思い出したかの様にヒカリが声を上げた。
「あ、ねぇ?渚君が高校に入ったら進級するって聞いたけど、本当なの?」
「らしいわね。今までは保安上チルドレンを一つ所に纏めておいた方が何かと都合良かったんだけど、流石にここまで人数が増えるとそう何人も同じクラスに置いて置けないし、違う年齢なのに転入して来るのも不自然だしね。だから、警備の方が方針を変えて人員増強するらしいわ。それで兆度良いから、カヲルも進級させちゃえって事らしいわ。ま、アイツが年上ってのは未だに納得出来ないんだけどね。学力には問題無いし。元々一年上で入れても問題無かった訳だから、当然と言えば当然の処置よね。」
 結果、チルドレンは高校進学と同時に二クラスに分散する事になる。これはアスカもまだ知らない事だが、元々適格者候補として集められた三年A組の生徒達はその殆どが同高校への進学を希望・受験した為、Nervの介入する事無く全ての子供達がそのまま希望通り進学する事となる。しかし、第一高校においてはもう既にNervが介在していた。三年A組生徒はそのまま一年A組へとクラス編成されているし、二年A組は例の四人とカヲルを含め担任の教師もNerv保安部職員が担当する旨が決定している。更にミサトが第一高校に転勤、同高校一年A組、つまりレイ達のクラス担任を引き継ぐ事までも決定事項だ。当然、これらがNervが誇る親バカ夫婦によって決定した事であるのは、何れ白日の元に晒されるであろう。
 ヒカリが納得したような、不審そうな顔でアスカに尋ねた。
「ねぇ、アスカ。何時も教えてくれるのは有り難いんだけど、いいの?私達にそういう事教えちゃって。一応機密とかじゃないの?」
 一瞬、きょとんとした顔になったアスカは、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ。この程度の事ならどうって事無いし、ヒカリやマユミは身内同然だからね。その辺でぽんぽん喋らない限りは全然OKよ。」
 マナが殻になった空き缶を弄びながらアスカに聞いて来た。
「所で、私達は学校終わって直ぐアスカん家に行けば良い訳?」
「あ、そうだ。アタシとレイとジャージと方向音痴はNervで顔合わせするってミサトが言ってたから、その後よねぇ。う~ん、じゃあ、七時にアタシん家に集合って事にしましょ。メガネも連れて来てやってよね。」
「分かったわ。でも、あの三人には言ってあるの?今日の事。」
 ヒカリの疑惑に全員の目がアスカに向いた。長い長い沈黙。グラウンドではしゃぐ男子達の声が聞こえて来る。もうすっかり気温が上がって、春風が心地良い。レイは御弁当箱を片付けて教室に帰る準備を始める。アスカ、早く認めた方が良いわ。
「てへ♪」
 屋上を春風が吹き抜けて行く。すっかり春ね。気持ち良い。皆早く戻りましょう、もう時間よ。
 一人黙して屋上を去る春真っ盛りのレイを尻目に、四人は見事な程に極寒の冬を満喫していた。










四.






 青葉シゲルが大きく溜息を付いて発令所の自分の席に深く腰掛けた。ここの所の激務に正直身体が悲鳴を上げ始めていた。久しく帰っていない自宅の布団が恋しくなってきた。尤もそれはまだ暫く先の事になりそうではあったが。

 実際、中央作戦室長としての職務に然程重圧は掛かっていない。使徒のいない今作戦司令部は、国連本部の情報支援や各国の情報分析ヘと比重が移るのはある意味必然だ。平和な世の中とは言え今だ地域紛争や内乱、テロの類は絶えない。現在地球上で最強の軍隊として存在するNervが、各国情勢を把握しない訳には行かないのだ。しかしそれも殆どは優秀な部下達が必要な事をしてくれて、自分はそれに目を通すだけで事済んでしまう。後は的確な指示を部下に返してやるだけだ。それ程安普請な部署でも役職でも無いのだが、苦になっていないのも事実だ。
 今自分が重責を背負っているのは、代理・兼任している情報調査部の方だ。同じ様に兼任している冬月副司令が上に就いているとは言え、実働面では自分が殆どを賄わなければならない。不慣れな青葉をサポートする意味で冬月が判断を下し、青葉がそれを指示して行く。しかも、情報調査部には先日アーカム財団より補充された選り抜きの七十名からなる精鋭を、不慣れな青葉が指示を下しているのだ。噛み合う話や意気投合する話題のある技術部はまだ良い。事実向こうは上手くやっている様だ。しかし情報調査部を隠れ蓑にしている諜報部や日向マコトの受け持つ保安部はそうもいかない。存在意義が彼等の持つ技術・体力に掛かっている部員達には、そう簡単に蟠りを無くさせる事は出来ない。言わば体育会系のノリだ。事実、既に彼等の中では体術訓練と称された喧嘩によって上下関係は明確に区別され、旧Nerv部員とアーカム補充要員は大幅に入り組み改編されており、今は辛うじて均衡を保っている。しかしそんなプロ中のプロを相手に、兵隊としては若干下を行く青葉には、彼等を取り纏めるのは重荷以外の何でも無い。それでも、部内で揉めたのがその一度きりだったのには、安堵している。一日でも早くあの人が戻ってくれば、この部もスムーズに稼動する事だろうと思う。
 専ら、今彼等に課せられた任務の主軸は各国の情報収拾である。セカンド、サード・インパクトの余韻は今だ完全には鎮静していない。況してサード・インパクトから一年、日本の様に早々に落ちついたのは大国のみで、中東、南米等は今だ混乱の中にあるのだ。何時何処からNervに牙が向けられるか分からない。各国の監視はそこに真意がある。
 ふと、先日の報告書を思い出す。アフリカ各地で地域紛争・テロが多発傾向にあると言う物だ。詳細な原因は不明だが、あそこは昔から貧しさの中にある国々だ。セカンドインパクトで海に沈んだ南ア共和国の消滅後は、更に拍車が掛かっている。抗争が絶えないのも無理は無い。先日の第十三次国連総会でも資金援助の増額が決定している。しかしそんな物で紛争が消えるならば今頃とっくに無くなっていても良さそうなものだが。
 そう言えば先日加持から入った連絡で、彼が妙な事を言っていた。アフリカ中部で奇妙な行動を取る武装集団がいるらしい。主立った情報は教えてくれなかったが、注意して置いた方が良いとだけ言ってとっとと電話を切ってしまった。どうやら彼はまだ帰って来る気は無いらしい。まぁ、彼の言う事だからと、指示は出して置いたのだがその後進展は無い。
 実際、他にも青葉の頭を悩ませる仕事は山の様になっているのだが、それを愚痴手も仕方ない。
 取りあえず大きな溜息をもう一つ付いておいた。

 そんな青葉の苦労を知ってか知らずか、僅かなこの休憩時間に、隣の日向マコトは漫画本を読み耽りくすくすと忍び笑いしている。
 日向は現在、戦術作戦部作戦局局長という役職についている。が、これもまた案外暇そうであるのは、彼と彼の上司を見ていれば大方想像付く。彼等の部署は基本的にNevrの根幹を成す汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンの運用に集約される。運用に必要な設備整備はその特殊性から殆どが技術部ヘと回される。その代わり後方支援、つまり第三新東京市の電源、戦闘区域、特殊ビル、支援兵器、支援車両、等など、緊急戦闘時における整備が随時必要になって来る。しかしこれは使徒戦争時より繰り返されて来た事で、今更苦になる様な事でも無い。先日の未確認衛星捕獲作戦が最近の唯一の任務らしい任務だった。が、手馴れた物で一週間もあればそれ等の後片付けも全て完了してしまった。更に作戦部長がお気楽中学教師と言う監視行動に就いている為、日向が保安部の管轄も取り仕切っている。先の青葉の様な事態は保安部でも起きていたのだが、どうやら日向はそう言う事を余り苦にしたりしないタイプらしい。その図太い神経が少し羨ましく思う。

 更にその隣では今だ実年齢とは結び付かない童顔の伊吹マヤが、休憩時間を省みず何やらキーボードを操作している。
 マヤは今、エヴァンゲリオン零号機・参号機・伍号機の改修作業に手一杯になっている筈だ。技術開発局の方がアーカムの補充要員とも上手くやっているのはマヤや碇リツコ博士から聞き及んでいる。改修作業において人手不足が原因でスケジュールの遅延が懸念されていたが、事ここに至っては既に既存のスケジュールを大幅に巻き返している。彼等はその経歴も然る事ながら、その旺盛な技術屋魂がNerv職員に受け入れられ、EVAやMAGIといった未知なる技術を面白い様に吸収していった。結果、彼等は短期間でその全てを熟知し、あっという間に三機の改修作業を最終段階にまで扱ぎ付けて、既に弐号機の改修作業にまで入ろうとしているのである。こうなるとアーカム様様である。
 早速と云わんばかりに、先日決まった適格者予備役にさえ、新造機を用意しようと意気込むアーカム陣営だったが、それは碇リツコ女史によってやんわりと却下された。当然である。三機のEVA再建造計画は漸く国連、延いては全人類相手に扱ぎ付けた物だ。そう簡単に次ぎから次ぎへとEVAを建造・占有する訳には行かない。事実、先日発見された四号機は、アメリカ支部での再整備・就任で納得させた。Nerv支部間の遺恨もまだ残っているのだ。結果、新造機建造案はゲンドウの元に届く前に棄却。それがNerv主脳部の下した判断だった。だからこそ、四人を“予備役”扱いにしたのだ。訓練は積ませる。しかし、EVAに乗せる気は無いと意思表示しておかねばならない。それが今本部が取れる最良の方法だった。

「さてと、そろそろ行くとしますか。」
 独り言を呟いて立ち上がったのは、珍しく休憩を早く切り上げた日向だった。不審に思い声を掛けた。
「何だ、もう終りか?」
 椅子で脱力していた自分の声に、マヤも手を止めこちらを見た。日向はさも気にした様子も無くさばさばと答えてくる。
「あぁ。今日は例の四人が配属になるだろ?葛城二佐が学校終ったら迎えに来るからさ。それまで配属の説明と施設の案内と今後の説明と。ま、色々済ませて置かないとならないんでね。」
「あぁ、今日でしたね。彼女達の退院。」
 マヤの明るい声が発令所にも良く通る。成る程、今日は確かに適格者予備役の就任日となっている。デスクの片隅に置いたカレンダーを確認して納得した。しかし、作戦部は作戦部でここの所子供の御守が増えている。Nervがその重要性から勢力を拡大すれば、EVAの運用上適格者が増える事は当初から思慮されていたが、実際にこの数ヶ月で六人増えているのだ。実戦中は三人しか実働していなかった事に比べれば、いやはや。平和になったと言う事なのだろう。尤も青葉は好んで子供の御守をしたいとは思わないが。
「あ、それじゃぁ、今夜、ですか?」
「?...何が?」
 マヤが言いずらそうに上目使いで聞いてくる。マヤ、お前幾つのつもりだ?
「あの、ほら...葛城さんの、宴会。」
 三人が一斉に固まった。マヤは正確には間違った言い方をしているのだが、言い得て正解である。『葛城さんの宴会』では無く『新人チルドレン就任及び御引っ越し祝い』である。しかし実情は、葛城二佐の提案により催されるありとあらゆる宴会と名の付く物は、尽く『葛城さんの宴会』と化すのは、Nerv職員周知の事実である。
 しかも、今回は久々の宴会とあって、葛城作戦部長こと葛城宴会部長は殊更張り切っており、今夜の惨状は凄まじい物になるに違いない。しかも、宴会部長とタメを張れる某技術部長も今回は出席する事は知らされている。当然、ここにいる三人も強制参加を余儀なくされている。
 硬直していた三人の脳裏に今夜の惨劇が明確に浮かび上がり、三人は顔を青くした。

 その頃、第三新東京市立第壱中学校教職員室で教員の一人がくしゃみを漏らしたのは余談である。





EPISODE:03

A.D.2017 New Tokyo No.3






伍.






「皆、御疲れ様。上がっていいわ。」
 『赤木リツコ』という女性を端的に表す言葉として、
「科学の為に生まれ、科学の為に生きる。正真証明の科学者ですっ。」
「あれだよな。怒ると恐いよ、やっぱ。」
「やっぱさ、男っ気無いんだろ?」
「あっちは30代。私は20代♪」
「マッドよ。マッド。」
「いつも私を見てる。気に入らないのね、私が。」
「赤木君も苦労が絶えんな。」
「問題無い。」
 というものがあった。あったというのは要するに、今の彼女は碇いう性を名乗るようになってから、その表現が変わったことを現している。
 そして『碇リツコ』という女性を端的に表す言葉として、
「仕事と家庭を両立するなんて。さすが先輩、素適ですっ。」
「あれだよな。最近小皺増えたろ、やっぱ。」
「やっぱさ、苦労してるんだろ?」
「あっちは30代。私は永遠の20代♪」
「マッドよ。マッド。」
「いつも私を見てる。愛されてるのね、私。」
「リツコ君も碇の相手は大変だろう。」
「も、問題無い。」
 まあ、他人の見た目は多種多様。しかし、彼女が人として丸くなったのは確かだ。様々な経験と辛い過去を背負っても、彼女は確かに今幸せを掴んで生きている。
 それはそれとして、
「…い、いいから早く上がりなさい…」
 彼女の溜息の数が増えたのだけは確かだ。

 EVAパイロットに寄るシンクロテストが行なわれていた。今日のテストは予定ではこれで終りだ。後はシンクロ結果の報告と、本日最大のイベントが待っている。正確には遊びでは無いので、そんなに浮かれては拙いのだが、まあ上司が上司だ。然したる問題は無いだろう。
「アスカ、シンクロ率74.5%。前回より5ポイントのアップね。この調子で頑張って。」
「ま、エースとしては当然ね。まっかせなさい。」
 ふんぞり返るアスカを尻目に、リツコは娘に視線を転ずる。少女は何時もと変わらず静かに佇むのみだ。
「レイ、63.2%。同じく5ポイントアップ。」
「や、やるじゃない…」
「アスカにばかり任せてられないもの。」
「な、何がよ…」
「…色々…」
「クッ…」
「フッ…」
 この時点でリツコの額には血管が一つ浮き出ているのだが、高名な碇リツコ女史がこの程度で感情を発露する事は無い。冷静と言うか、冷徹と言うか。
「…トウジ君、52.6%。2ポイントアップ。もう少し頑張らないとね。」
「ん~、中々上手く行きまへんなぁ。」
「だ~れも、ジャージに期待なんかして無いわよ。」
「はっ!おのれなんぞに期待されのぉてもええわい。」
「はっ!単純馬鹿の相手してくれるのはヒカリくらいなもんよ。感謝しなさい!」
「な、何でそこで委員ちょが出てくんのやっ!!」
「あら?な~に照れてんのよ。あんたにゃヒカリは勿体無い位なのよっ。とっととこんな単細胞には見切り付ければ良い物を。」
「だ、誰が単細胞やっ!!」
「あんたよっ!万年ジャージ男!!」
 この時点でリツコの額には血管が二つ浮き出ているのだが、高名な碇リツコ女史がたかがこの程度で感情を発露する事は有り得ない。人間が成っていると言うか、辛抱強いと言うか。
「……な、渚君、64.6%。7ポイントもアップよ。頑張ったわね。」
「ありがとう御座います。」
「なっ!?な~んでナルシスホモがトップなのよっ!?リツコッ!アンタ計測間違えたわねっ!?」
「言い掛かりは止し給え、アスカ君。これが現実というものさ。」
「アンタどっかネジブッ飛んでるんだから余計な事言うんじゃないわよっ!この宇宙観測的方向音痴!!」
「あぁ…何と醜い。斯くもリリンは醜いものだろうか。シンジ君には程遠い。まるで獣…そう。猿だね。」
「きーっ!!アンタ言ってはならない事を言ったわね?!言ったんだわ!?言ったっ!!覚悟は出来てるんでしょうね~、ナルシス方向音痴ホモッ!!」
「醜い猿が何か吼えているよ。あぁ、醜いねぇ。」
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる…」
 この時点でリツコの額には、血管が一気に増えて九つ浮き出ており、唇の端がヒク付いているのだが、高名な碇リツコ女史が、たかが子供の金切り声で感情を発露する等、大人のやる事ではなかろう。無我の境地と言うか、尊敬に値すると言うか。
 もう周りは手の付けようが無い有様である。ありとあらゆる物が飛び交い、日向と青葉が凶器代わりに降り回され、マヤが机の下で座布団被って泣き叫び、何故かミサトが参戦し、呆気に取られる技術職員を尻目に、レイがアスカにしがみ付いたが降りまわされ、トウジとカヲルが極楽浄土をさ迷いつつある。
 流石の高名な碇リツコ女史も、ここまでくれば堪忍袋の尾も切れると言う物である。
 今まで突っ立っていたリツコがすっ、と一歩踏み出しただけで、コントロールルームの空気が激変する。勿論リツコが発した怪しげな妖気の為だ。全員がその場で硬直する
「…ひ、人が大人しくしてればイイ気になって…」
 はたと自分の立場を思い出した葛城ミサト作戦部長。凶器の日向を片手に持ったまま青い顔で弁明しようとしたが、その阿修羅の形相に何も言えなくなっていた。
「…覚悟、出来てるんでしょうね?」
 第三実験棟は一瞬で地獄絵図ヘと姿を変えたそうだ。
 とかく、世界は今日も平和だ。

「で、テストはこれで終りだけど、これから貴方達には新たに仲間になる四人を紹介するわ。」
 どうやってあの惨状から復活したかは不明だが、葛城ミサト作戦部長が凛々しい顔でチルドレン四人を見やった。流石にここでおちゃらけては、隣の阿修羅を復活させるだけだと本能が悟っているらしい。
 先程出て行った日向がコンソールルームに四人の少年少女を連立って戻って来た。
「さ、入ってくれ。」
 始めに入って来たのはレイとアスカの知る少女。ジャンヌ・D・メリフォードと名乗った少女。薄い金髪に整った欧州の顔立ち。白い肌に輝く瞳はエメラルド。ジーンズにキャミソールという案外ラフな格好が、彼女の華奢だが大人びた身体を主張している。
 おそらく私服をNervに揃えて貰ったのだろう。アスカはそう判断した。軽く手を振る。ジャンヌの緊張気味の表情はアスカとレイを見て微笑へと変わった。
 続けて入って来た少女、と言うか女性に近かい印象だ。アスカとレイはあの時のごたごたで他の三人を見てはいない。今日が初の顔合わせだ。が、彼女が保護されたもう一人の少女だろう。しかし少女と言うには成熟している。どう見ても18、9に思える。
 正しく美人と言う奴だろう。ジャンヌと同じ金髪ではあるが、明確に色が付いている。綺麗なロングヘアだ。ダークブルーの瞳、整った、しかしジャンヌの様な人形的な物ではなく、何処か幼い印象のある顔だ。ミサトに近いだろうか。同じく私服だろうが大胆だ。まるでミサトの部屋着である。それがミサトに近い印象を与えるのだろう。右肩に奇妙な刺青をしている。
 男だ。総毛立った短い茶髪、攣り上がった目。顔立ちは明らかに日本人だ。華奢ではあるが肉付きは良い。ストリートチルドレンの様な雰囲気だ。両耳のピアス、胸元のシャツを開け放った着こなしに、黒のレザーパンツ。一見普通だが、ちょっとヤバそうな雰囲気が見て取れる。ポケットに突っ込んだ手からナイフでも出てきそうな雰囲気だ。
 最後に入ってきた男は、長身だ。180cmを軽く越えているだろう。痩躯に見えたが意外と筋肉質だ。長身の為だろう。縦長の顔と切れ長の目、そして金髪。まぁ、ハンサムだ。こちらはジャンヌ同様ラフだ。グレーのスラックスに、スカイブルーのシャツ。シャツは小さかったのだろうか。腕をまくり胸元も開いているが、それでも彼の体躯が鍛えられている為か多少窮屈そうだ。
「さて、まぁ、皆も知っての通り、先日の未確認衛星墜落事故の際救出されたのが彼女達四人よ。外傷は無かったものの、四人全員が記憶喪失、一応Nervでは冬眠装置の欠陥の為と判断したけど、どっちにしろ彼女達の面倒をNervで保証する事に決定しました。しかし、本当の理由としては、彼女達が適格者だと判明した為。今の御時世チルドレンを野放しにしては危険だわ。そこで、Nervで保護する事に決めました。」
 今までの経緯を一通り話し終え、ミサトは彼女達四人に並ぶ。そして、私達に向き直った。
「彼女達が適格者、チルドレンに就役したのは、勿論自分達の意思で決めてもらったわ。ここで行なわれる主旨も説明済みです。ただし、諸事情により今直ぐEVAパイロットとして配属には出来ません。そこで作戦部では、四人をパイロット予備役として登録する事に決定しました。勿論、パイロットが不備の際彼女達にも操縦出来る様、訓練は積んでもらいます。ただ、当分はそう言う扱いになるから、滅多な事では危険な目には会わないわ。貴方達は安心してね。」
 最後にそう言って、ミサトは笑顔を四人に向ける。続けて、私達に向けチェシャ猫の様な笑みを向けた。真面目な顔は三分と持たない所は、やはり姉らしい。
「あんた達は先輩なんだから、しっかり四人の面倒見てあげるのよん。最も、彼女達の方が一つ年上…あ、渚君と同じ歳か。」
「同朋が出来るのは喜ばしいですね。子守りよりはずっと楽です。」
「あ~に言ってんのよ!アンタの方がよっぽど手が掛かってるじゃない。」
「んっ、んん…」
 カヲルのボケにアスカの突っ込みが入った途端、割って入った席払いは眉根を寄せたリツコのものだった。慌てて不動直立する二人に不思議そうな視線を送る四人。
 ミサトは苦笑しながら後を続けた。
「さて、小難しい説明はこれで終り。じゃあ、早速自己紹介と行きましょうか?貴方からよ。」
 そう言って戸惑い顔のジャンヌにウインク一つ送り、ミサトは一歩下がった。
 ジャンヌは承服したのか一歩前へ出て、軽く頭を下げた。
「ジャンヌ・D・メリフォード、16歳です。何も分かりませんが、よろしく御願いします。」
 一斉に拍手が上がる。一瞬ぴくと震えたが、笑顔で答え元の位置へ戻り、隣の少女に視線を向けた。少女は困惑した顔をしてミサトを見やると、ミサトが一つ頷いたのを見て、ジャンヌと同じく一歩出る。
「あ、えと。フランシス・フォーチュン、16です。よろしく。」
 フランシスと名乗った少女は、拍手が上がってもやはり困惑顔で、少し照れた様に下がった。
 続け様に一歩出た少年は、やはり少し強面だ。
「あー、役レツだ。何だかよくわかんねぇけど、まぁ、よろしく頼むわ。」
 外見通りのいい加減そうな喋りに、皆も少し戸惑いながら拍手を返す。『エンノ・レツ』と言う変わった読みから察するに、やはり日本人なのだろう。
 最後に長身が一歩出る。やはりデカイ。
「ロバート・シューマッハだ。よろしく。」
 言葉少なな彼はそれだけで、何の感慨も無さそうに定位置に戻った。落ちついた声音は何か達観している様にも見えるし、只大人しい様にも見える。
 一通り紹介を終えた所で、ミサトは寄り掛っていたコンソールから身を起こす。よっこらしょって、ミサト。歳食ったわねぇ。
「はい、どうも。じゃあ、こっちもざっとだけど紹介しとくわ。日向君は知ってるわね?」
 日向が四人に軽く手を振る。どうやら彼女達はここの説明を予め、彼から受けていた様だ。
「んじゃ、私ね。このNervの戦術作戦部長を務める葛城ミサトです。貴方達の直属上司と言う所ね。で、今後貴方達の保護者にもなるわ。よろしく。」
 そう言って軽く笑顔を向ける。四人は上司という言葉より保護者と言う方に反応した様だった。四人が揃って礼をする。
「そんで、彼女が碇リツコ博士。技術部長でここの総司令、碇ゲンドウ大将の奥方よ。因みに私と大学時代からの腐れ縁。」
「ミサト、余計な事はいいの。改めまして、碇リツコよ。よろしく。体調が悪くなったら私に言って頂戴。健康面も私が見るわ。」
 四人は入院時からリツコに会っているからだろう。大人しく礼を返したのは、既にリツコの恐さを知っている為か、知らずそれを察知した為か…
「それから中央作戦室長の青葉シゲル一尉、技術局局長の伊吹マヤ一尉。主に情報や技術の面で貴方達のサポートをしてくれるわ。」
「よろしく。」
「よろしくね。」
 ミサとはざっと周りを見まわし、
「まぁ、ここにいる他の皆は主に技術部の人間だけど、一人一人は無理ね。ま、その内憶えて頂戴。」
 と、本当にざっとの説明で終らせてしまう。
「あと、さっき言った、司令や副司令もいるんだけど、そっちは今度ね。それじゃ、貴方達の先輩であり仲間の紹介ね。」
 ミサトの視線はアスカに固定される。勿論直ぐ様その意を察知し、アスカは一歩前へ出た。
「セカンド・チルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ。ま、事実上チルドレンのエースパイロットね。ミサトの家に同居してるから、貴方達の家族にもなるわね。仲良くやりましょ。」
 この辺はやはり仕事の話しよりも、身近な話題の方が良いだろう。そうは言っても、アスカにとっても家族が増えるのは大歓迎だ。彼女達にもそれが心の安定剤にもなるだろう。
 予想通り、彼女達は安心した様で、微笑を浮かべる。が、
「一緒に住むのか?こいつと?」
 トサカ頭、レツが嫌そうな声を上げた。冗談ではない。それはこっちだって願い下げだ。
「冗~談じゃないわよっ!何でアンタと一緒に住まなきゃなんないのよっ!」
「喧しい女だなぁ~。こんなのたぁ、一緒には住みたくないぜ。なぁ?」
「な、な、ななななななな…」
「……」
 アスカがどもっている間にトサカが話を長身、ロバートに振ったが彼は無視。ミサトが苦笑しながら補足を入れた。
「安心して頂戴。部屋は別々。男部屋と女部屋に分けたから。」
「なんでぇ。それを先に言ってくれよ。なぁ?」
「……」
「…無口だねェ。」
 苦笑を漏らす周囲に、アスカは漸く言葉を吐き出せた。初対面でアタシにその態度たぁ、イイ度胸じゃない。
「ちょっとアンタァッ!!」
「あん?」
 つかつかと歩み寄るアスカに、人差指を突き付けられて、少年は思わず仰け反った。
「トサカ頭の癖してアタシに盾突くんじゃ無いわよっ!!炊事係のアタシに盾突くと御飯に有り付けなくなるわよ!!」
「と、と、トサカァ!?」
 レツの奇声に周りから忍び笑いが聞こえて来る。彼が顔を赤くするのを見て、アスカはニヤリと追い討ちをかけた。近くにいた少女二人を抱き寄せて、高々と見下ろす。
「我が家は女性優位なのよっ!大蔵大臣のアタシに逆らうと、ミサトだって禁酒責めに合わせてるんだから!!」
「ぐっ!!」
「無様ね。」
 レツはレツでやり込められているのだが、何故か同時に家長のミサトまでへこんでいたりする。親友の突っ込みも絶妙である。
「お、おい…イイのか?これで?」
 少年は徐にもう一人の少年に振る。が、答えは詮無い物だった。
「…アホ。」
 開いた口も塞がらない。呆気なく裏切られるレツであった。
 まぁ、悪いかなと思いつつも、アスカはこの少年を利用させてもらっていた。戸惑っていた彼女達も今は二人のやり取りに笑っている。ま、こんなモンで許してやるか。
「よろしく、ジャンヌ。取りあえず、女は優遇。大歓迎よ。」
「えぇ、よろしく。良かったわ。家事が出来るか心配だったから。」
 くすっと笑いを漏らす。ジャンヌが綺麗な微笑を向けた。
「よろしく、フラン。あ、フランで良いよね?」
「え、えぇ、呼びずらいし。よろしく、惣流さん。」
「あ、私もアスカで良いわよ。呼びずらいでしょ?それに!家族になるんだし。ね?」
「うん。ありがとう。アスカ。」
 女同士の和気藹々とした雰囲気とは裏腹に、犠牲となった少年は少々鬱屈を溜めた表情を見せていた。そこに空かさず和を取り持つのは、やはりこういう事にだけは敏感なこの少年だった。
「まぁまぁ、そういきり立たんと。あの女はどうにも手に終えんからなぁ。ま、安心せぇ。そう悪い奴でもないんや。」
 肩に手を置き、気さくに笑う日焼けした少年、トウジは、レツとロバートに向け弁明した後、自らの紹介に転じた。
「わいは、フォース・チルドレンの鈴原トウジや。ま、宜しゅう。」
 闖入者が入り込んだ。銀髪紅眼美少年である。
「ま、男と女の間には海より深い溝があると言う事さ。僕はフィフス・チルドレン、渚カヲル。カヲルで良いよ。」
「ロバートだ。ロイで良い。」
「あ、あぁ。役レツ。レツで良い。関西人か?」
「んー、まぁそんなモンや。わいもトウジでええで。」
 僅かに四人の場が和み、しかしトウジが間を置かず目をぎらつかせた。
「しかしな、あれはワイらにも天敵やさかいな。ワイらがしっかりサポートしたるでっ。」
 何のサポートをするかは不明だが、地獄耳の少女には潜めた声も無意味に等しかった。
「鈴原!!アンタ、今夜のパーティーに欠席したい様ねぇ~?」
 振り向いたアスカの眼に、トウジの背筋に特大級の悪寒が走り抜けた。しかし、トウジにとってはそんな事より、
「そ、そりゃ殺生やっ、惣流~。わいだけ退けもんかいなぁ!?く、食いもんがぁ~…」
「…だ、駄目駄目じゃん…」
 情けない食欲魔人の轟沈とレツの突っ込みに、一斉に笑い声が上がった。
 不意にアスカの袖が引っ張られる。振りかえるとそこには紅眼蒼銀髪の少女が不満顔を浮かべていた。
「あ、レイ。あ!?そうか。ゴメン、ゴメン。ハイ、どうぞ。」
 そう言ってレイに場を譲り、彼女は静々と二人を見やった。
「ファースト・チルドレン、碇レイ。博士と司令の娘よ。それに“一応”アスカの親友なんかやってるわ。」
 “一応”の部分にやたらと力を込め、ニヤリと笑うレイ。
「レ、レイ~。別に忘れてた訳じゃないんだからさぁ~。」
 今度は一転して弱みを握られたエースパイロットが聴衆の笑いの種になっていた。
 二人はなんとか笑いを堪え、改めてと挨拶を交わした。
「さてと。これで全部ね。ま~ったく。あんた等に任せると時間掛かってしょうがないわ。面白いけど。」
 ミサトが腹を抱えながら子供達に近付き、締めの言葉を言おうとした時、

「サードはどうした?」

 静かに、しかし良く通る彼の声は、一斉に場を静めた。
 ロバートだ。一同の中で最も冷静に見える彼が、やはりこの矛盾を読み取っていた。楽しげな場の雰囲気に逆らうでもなく、静かに追風になっていた彼が、ここに来て逆風へと切り替わった。
 ロバートがレイを、そしてチルドレンを順に見詰めて行く。
「ファースト、セカンド、フォース、フィフス…後が居ないのはまぁ良い。しかし、何故サードが抜けている?」
「そう、いやぁそうだな。何処に居るんだ?」
「あ、あのね。サードは欠番なのよ。ちょっと都合があってね。」
 ミサトが困惑の様相で言葉を紡いだ。が、ロバートはそれを許さなかった。とても16やそこらの少年とは思えない迫力だ。
「都合、とは?」
 黙り込むミサトに、一つ溜息を付いたリツコは重い腰を上げた。
「…ミサト。彼等だけに隠しても仕方ないわ。公になっている事ですもの。」
「…うん。そ、だね。」
 もう一つ溜息を付くと、リツコが説明を始めた。
「ロイ君、他の三人も聞いて。使徒戦争の概略は聞いてるわね?」
 四人が静かに頷く。リツコは続けた。
「サード・チルドレン、碇シンジはその最終戦以後消息が不明なの。サードインパクトの時にね。」
 四人の表情が一斉に強張った。声を発したのはレツだ。
「お、おい、碇って…」
「ええ。碇司令の息子。そして私の…正確には違うけど、息子で、レイの兄よ。」
 一瞬言い淀んだのはリツコの引け目だろう。フランシスが聞いた。
「あの…正確って…」
「私は、碇司令の後妻になのよ。レイは事情があってその時養子として引き取ったの。」
 リツコの確りとした口振りに、逆に四人が恐縮している様だった。
 『碇シンジ』と言うのはアスカの、否、Nervと言う組織に空いた風穴の様な物だ。下手をすれば組織自体が揺らぐと言う、危険を孕んだ、弱点。弱み、後悔、懺悔…罪の証…呆気なく崩れかける砦。
 不意に。意外にもそれは、逆風が優しい追風となって吹き抜ける事で、呆気なく幕を閉じた。
「済まない。込み入った事情があったようだ。聞くべきではなかった。謝ろう。」
 ロバートだった。落ち付く声だとアスカは思う。優しく他人を包み込む。そう、例えば父親の様な…
「いえ。何れ分かる事ですもの。聞いてくれた方が良かったわ。こっちからじゃ、どうしても言い難いことだったから。」
 そう言って、リツコはロバートに微笑んだ。ロバートは…
 ロバートは、ここに来て始めて微笑んでいた。
「よっしゃ!!」
 突然大声を上げたのはミサトだった。気合いを入れ直して笑顔を浮かべる。彼女の十八番は『空元気も元気』。
「な~んかしんみりしちゃったわ。ごめんねっ。」
「いえ。こちらこそ、立ち入った事聞いてしまって。」
「気にしない、気にしない。リツコの言った通りなんだから。」
「…はい。」
 二人に笑顔が戻る。うん、そうだ。元気出さなきゃ。せっかく家族が増えたんだからっ。
 レイが、手を握ってくれた。
 見るとレイも笑顔だった。うん、大丈夫。私は、大丈夫。
「さ~てっ!!んじゃあ、さっさと仕事片付けるわよっ!!今日はなんたって二ヶ月振りの宴会だもんねーっ!!四人の歓迎会含めてパーっと行くわよっ!!パーっとぉ!!」
 四人がきょとんと困惑を浮かべて見詰め合っている。まぁ、彼女達はこれから始めて体験するのだ。無理も無い。見なさい周りを。今日来ない連中はホッとしてるし、来る予定のマヤや青葉さんや日向さん、子供達全員青い顔しているじゃない。そう、それ程に壮絶になるのよ、今夜の宴会は。何たって二ヶ月振りだもんねぇ。二ヶ月も溜め込んじゃぁ、拙いわよぉ……ちょっとレイ。何逃げようとしてんの。空かさず握られていた手を握り返してホールド。
「駄目よレイ…逃げようったって…」
「…御願い、アスカ。碇君が呼んでる…」
 呼んでない、呼んでない。滝の涙流したって駄目よ。
「さ~っ!!早くしなさーいっ!!ビールが私を待ってるわ~っ♪」
「…ぶ、無様ね…」
 リツコ…後悔しても遅いわよ…
 …私も…逃げようかしら?










六.






 午後の気だるい時間には、やはり眠気が襲ってくる物だ。いい歳になった今では、老体に鞭打っての激務はやはり堪える。そう思いつつも、書類に目を通し、ディスプレイに文字を打ち込む。手が止まる事はない。
 だが眠気にはやはり勝てない。徐に机の脇に置かれたインターホンに手を伸ばす。僅かな時を置いて女性の声が聞こえて来る。
『はい。向井です。』
「あぁ、私だ。悪いが珈琲を持って来てくれんか?」
『はい。直ぐ御持ちします。』
 実は先日のアーカム財団の増員の際、事務員に余裕が出来、冬月にも秘書が付くようになっていた。とは言っても、正確には上層部専任の秘書と言う事でその中の一人、先程応えた向井と言う女性が冬月の秘書として割り当てられたのだ。専ら冬月自身がゲンドウの秘書のような事をしていたものだから、今更と言う気にもなるが、しかし居るのと居ないのでは大違いだ。仕事も大分楽にはなっている。
 暫し目頭を押さえ解していると、軽いノックの後ドアが開き副司令執務室に若い女性が入って来た。向井である。
「あぁ、済まんな。」
「いえ。御疲れですか?」
 ゲンドウのだだっ広い部屋程では無いにしても、それなりの大きさがある。ここには機密事項などは無い。冬月自身の私物の方が多い筈だ。だから彼女はすんなりと入って来れる。余計なセキュリティーはここには付けていない。
「もう歳だな。碇の破天荒に何処まで付いて行けるやら。」
 冬月の愚痴にくすりと笑みを漏らした彼女は、執務机の横に立ち、持って来た盆から湯気を湛えるマグカップを置き、同じく持って来た手拭きを手渡した。
「どうぞ。少し休まれては?」
 手拭を受け取り、広げてから両の手を拭う。熱気が両手を包み、気持ちが良い。
「そうもいかんさ。碇が夜には帰って来るからな。今日はそのまま帰るだろうが、明日の朝に書類が片付いていないと五月蝿いからなぁ。」
 愚痴愚痴と溢した後、自然の流れで広げた手拭きを顔面に押し付ける。熱気が目蓋の疲れを解す。更に顔を拭こうとして、下げた所ではたと手が止まった。
 冬月と向井の目が合った。
 しかも冬月は手拭きで顔を拭っていると言う間抜けな状態。思わず赤面して数秒、そそくさと手拭きを畳み机の端に置く。
「あ~、い、いかんなどうも。歳を取ると、爺臭い事ばかりしてしまう。」
 向井はきょとんとした後、またくすりと笑う。別に卑下するような物ではなく、見守るような。
「その為に持って来たんです。モニターで御疲れの様でしたから。どうぞ、使って下さい。別にそんな事思ってませんから。」
 そう言う意味もあるにはあるが、若い、しかも向井のような礼嬢然とした女性を前に堂々と顔を拭けるほど、冬月は図々しくはなれない。だからこその赤面だったのだが。
「あ~、否、じゃあ後でな。」
「冬月先生。」
 びくりとする。女性にこう呼ばれるのは正直心臓に悪い。最近ゲンドウが人目憚らずこの呼び方をするので、秘書達に定着しつつあるのだ。おのれ碇、わざとか?
「後じゃ冷めてしまいます。熱いから効果があるのに。目の疲れは仕事の能率にも影響します。ディスプレイと一日中睨めっこしてたらそれこそ疲れてしまいますよ。」
「あ、否、そうではなくてな…」
「あ!私目薬ありますよ?挿してあげましょうか?」
「い!?いや!いいっ!!だ、大丈夫だよ向井君。そんなに疲れてる訳ではないから。」
「…そう、ですか?」
 溜息。どうも最近彼女に頭が上がらない。
 この向井、向井ヒロミと言う女性は、履歴書を見る限り中々の経歴を持つ。アーカム傘下の大手企業社長秘書を二社経験し、しかもその内の一つの常務取締役の娘なのだ。大学もその年トップの成績で卒業している。まだ23歳でここまでのやり手は珍しい。それを呆気なく引き抜いて来たティアもティアだが、一方で自分の秘書にはせず、こっちに回したゲンドウもゲンドウだ。不審に思っていたが、理由は会って直ぐに分かった。
 たおやかな物腰と風貌。漆黒のロングヘアとモデル並の容姿。そして礼嬢独特の毅然とした態度が見て取れた。顔は伊吹一尉に若干似ているだろうか。だが彼女より大人びているのは確かだろう。年上の彼女には悪いが。まあ、かなりの美人なのは、幾ら女性に疎い冬月にも直ぐ分かった。が、
 しかし彼女には欠点…と言うか長所と言うか…彼女は余りに誰にでも親しすぎるのだ。まぁ、冬月にとっての感想ではあるが。しかし、碇も余りその手の人間は得意ではない。と言うか苦手だ。私とて似たような物だが。それを直ぐ様察知したか、若しくは予めティアに聞いていたのか、彼女を私の秘書として振って来た訳である。勿論仕事は出来る。出来過ぎと言っても良い程だろう。頼めば直ぐに上がってくる。細々とした事も良く気が付く。整頓、書類整理、管理。何でも御座れだ。ただ一つ、悪い事では無いし好感は持つが、彼女の親和性は冬月の苦手とする所だ。
 別に親しくする事が嫌では無いのだが…やはりこれほど若い娘が相手では、恥ずかしい。
 珈琲に口を付けつつ、そんな事で悩む自分が結構情けなかったりする。
「何か御手伝い出来る事がありましたら言って下さい、副司令。」
「あぁ。しかしこれはこっちでやらんと拙いのでな。好意だけ受け取っておくよ。」
「そうですか、分かりました。それでは…」
 不意に、内線の呼出が鳴った。向井は冬月が手を伸ばすより先に受話器を取る。
「はい。副司令執務室です。」
 やはりこういう所は敵わんな。はきはきとした彼女の声は、聞いてて気分が良い。さて、もう一踏ん張りするとするか。
 幾度の返事の後、向井が受話器を下ろし冬月に渡した。
「副司令、総司令から1番に御電話です。」
「碇から?上か。」
 向井から受話器を受け取る。向井は受話器を渡すと直ぐに一礼し部屋を退室して行く。総司令と副司令の会話を、秘書が聞いてて良い訳は無い。まぁ、その辺は普通の秘書でもそうなんだろうが。
「それでは、副司令。」
「うむ。すまんな。ありがとう。」
「いえ。何時でも御呼び下さい。」
 そう言って向井は笑顔で部屋を退室した。

 すっと一呼吸置き、冬月は外線に繋いだ。
「私だ。」
『問題は?』
「特に無いよ。平和な物だ。あぁ、今日だったな。予備の就役は。まぁ、問題は無かろう。葛城君とリツコ君に一任してある。彼等の詳細は明日見せよう。」
『そうか。』
 ゲンドウは暫し黙り込み、ぽつりと言う。
『冬月、非常回線に切り替えてくれ。』
「?…分かった。」
 電話機のボタンを一つ押す。ディスプレイの一部に『cordon』と赤文字が浮かぶ。
「いいぞ。どうした?何かそっちであったのか?」
 非常回線を使うと言う事はそれなりの問題か、機密の話しか…
『否、問題は無い。国連の配当予算も先に送った資料通り、予定通りだ。』
「なら、何だ?」
『先に概略だけでも報せておこうと思ってな。四号機だ。』
 ぴくりと眉根が上がる。
「成る程。で?」
『…どうやらあれは、自力で出て来たらしい。』
「馬鹿なっ!!」
 何処からとは言わない。四号機が“出て来た”と言えば一つしかない。“虚数空間”からだ。
 あの時。第十ニ使徒レリエルを、ずたずたに引き裂いて生まれ出初号機が脳裏に浮かんだ。
 流石の冬月も思わず立ち上がって、机を叩き付けていた。
「パイロットも無しに、どうやってEVA単体で出て来たと言うのだっ?!」
 EVAに意思は無い。否、在るには在るが自力で如何こう出来る物ではない。コアに移植された人格が目覚めるのは、あくまでパイロットという切っ掛けが無ければ有り得る事では無い。
『…どうも不可解なのでな。第一支部の連中を締め上げたら出て来た。あの日、パイロットは乗っていたらしい。』
「な、何?…」
『乗っていたのだよ。だがな、回収された四号機のエントリープラグには何も無かった。何もだ。』
「…どう言う事だ。」
『不審に思ったのでな。コアを調べたら、パーソナルデータが資料とは違っていた。』
「何んだと?」
『それも第一支部の連中は知っていたよ。あの実験の時、コアは空だったのだそうだ。』
 コアが空だと?と言う事はそれはパイロットではなく…脳裏に浮かんだのはあの日。ユイが消えた日。
『そうだ。パイロットでは無く、移植だよ。取り込まれたのだ。』
「ふぅ…第弐支部め。謀っていたか。」
 結局あの頃から本部は孤立していたのかもしれない。全ての支部はSEELに付き、同じ組織はいがみ合っていた事になる訳だ。まぁ、分かっていた事では在るが。
「しかし、そうなるとコアの書き換えも止む為しか。」
『あぁ、恐らくな。』
「?…恐らく?」
『…第一支部は彼女に任せて来た。』
「あぁ、ティア嬢か。」
『…彼女は…リツコと同じだよ。』
「?」
 一瞬意味を推し量りかねる。リツコ君と同じ?ティア嬢が?何処がだ?
 困惑する冬月を置いてゲンドウは続けた。
『…改修計画は進めているが、恐らく彼女の趣味が多分に入るな。』
「……あ、あぁ、そういう事か。まぁ、良いのではないか?やる気があると言う事だろ。」
『…どうかな。目が危なかった。』
 思わず苦笑を漏らしてしまう。あの魔女がリツコ君のように危ない目付きで機械弄りしているのだ。中々に滑稽である。
『それとな。四号機はそのまま第一支部に残留だ。これ以上の戦力集中はやはり拙い。』
「ふむ。そうだな。それは彼女が仕切るのであれば、まあ問題は無かろう。」
『…最も気になる事を言っていたがな。』
「気になる?」
『…パイロットに心当たりがあると。』
「……どう言う事だ、碇。俺は彼女が適格者を所持しているなど聞いてないぞ。」
『私だって初耳だ。』
「危険ではないのか?」
『分からん。』
 沈黙。確かに憶測では何も分からない。ティア・フラット、否。アーカムが如何なる存在かは、深層の部分では今だ不明だ。何時反旗を翻すかも判らぬ。敵か味方か。
「そういえば、アーカムから例の資料が来ていた。見たよ。」
『SPRIGGANか。』
「あぁ…恐ろしい奴等だな。たった一人で一個師団さえ潰すとは。」
『…明日、見よう。』
「そうした方が良い。彼女達の見方が変わるよ。」
『四号機の詳細は明日直接資料を渡す。お前が最後だ。そのまま燃やす。』
「リツコ君には見せんのか?」
『…問題無い。』
 ふと、悪戯したくなった。知ってて向井を宛がった仕返しである。
「碇、夫婦で隠し事はいかんぞ?」
『…も、問題無い…』
 取りあえず満足し、反撃が帰って来る前に話しを進めてしまう。
「明日という事は、今日は直帰だな?」
『あぁ。』
「まぁ、久々の長期出張だったんだ。今日はゆっくり休め。詳細は明日聞こう。」
 特に切る時の合図は無い。御互いの呼吸はこの十数年で染み付いた。だから、話しが終れば無言で切る。
「ふぅ…」
 暫し椅子に持たれ掛かり、休息を取る。
 ふと視線が机の脇に行った。手拭きが転がっている。手に取る。冷めていた。
「…まぁ、いい。」
 ごしごしと顔を拭く事で、多少の眠気は覚めた。
 暖かい手拭きを持って来て貰おうと思ったが、向井にじっと見られるのも嫌なので諦めた。
 ゲンドウから聞いたティアの一言が気になった。
「心当たりがあるだと?コアの書き換えもせずに……」
 手拭きの影から覗く眼光が一瞬、鋭くなった。
「……まさか……“適格者”ではあるまいな?」
 呟きに、応えた者は居ない。










七.






 第三新東京市は本来、使徒迎撃用要塞都市として建設された計画都市である。
 勿論、それはもう過去の話であり、今は学術都市として、未来型計画都市の役割を担う為、昨年度末に再建が完了したばかりの先進独立型都市であると、日向マコトからは聞いている。
 それでも、有事の際には直ぐ様、戦闘態勢に移行可能なのだと言う。記録映像にもあった戦闘区域や各兵装ビル群は、その数を減らしたものの今だ健在なのだそうだ。
 しかしながら、今四人の目の前に広がる光景は、確かに未来型都市という景観は何となく理解出来るものの、戦術要塞都市と言う印象は欠片も見当たらない。
 その事を漏らすと、アスカは、
「ま、以前よりは遥かに判別不可能にはなってるわね。一般人じゃぁ区別は付かないわ。例えば、あれとあれとあれは迎撃武装ビル。常駐型だから一般のビルに偽装してあるわ。あっちはEVAの電源用、あれも常駐型ね。EVA用の武器格納ビルや他の兵装ビルは殆どが下に潜っちゃったわ。戦闘形態に移行した時に入れ替わりで出てくるの。ま、滅多にそんな事は無くなったけどね。学術都市って意味では、外からのお客さんも多くなって来たし、あんまり露骨のは避けるべきだって事なんだと思うわ。でも、EVAの操縦する以上は、その辺の事は確り覚えておかないと、いざと言う時悲惨な目に会うからね。」
 と、得意満面の笑顔で説明してくれた。
 ふと思う。
 ここは、本当に“未来”なのだ…
 夕日の眩しさに、目を細めた。

 宴会部長の命により一足早く帰路に付いた一行は、各自一旦帰宅し約束の時間に集合と相成った。
 コンフォート17でアスカ達と別れたレイとカヲルは、着替えの為帰宅していたのだが、早々に着替えを済ませレイがリビングに戻ると、カヲルが着替えもせず制服のまま、街を展望出来るベランダでぼっと突っ立っていた。物憂げな表情は確かに絵になると思う。黙っていれば。
「…どうしたの?」
「…何でも無いよ…先に行っててくれないかい?僕も直ぐ行くよ。」
「逃げても無駄よ。」
「ふふっ。葛城ニ佐相手に逃げられると思うかい?」
 振りかえらずに応えるカヲルを不審に思うものの、まぁそれもそうかと納得し、レイはその場を立ち去った。
「…先、行くから…」
「あぁ。頼むよ。」
 玄関のドアが閉まる音を最後に、再び静寂に包まれる屋内。リツコは今だNerv。ゲンドウも出張中。今居るのはカヲルだけ。ベランダから住宅街を駆け下りて行くレイの姿がちらと翳めた。
 カヲルは静かに夕日を見やる。暫しの静寂。赤く染まる空。物憂げな美少年。十分に絵になる光景だ。が…
 僅かに視線を反らし、高級住宅の立ち並ぶ丘の麓。そこに新しい入居者を迎えているだろう、コンフォートマンションが夕日の中に浮かんでいる。別にどうと言う事は無い。美しい風景だ。だが…
 少年は僅かに口元を開いた。
「…どう、なるんだろうね…これから…」

 レイがアスカ達の住む11階に到着すると、アスカとジャンヌとフランシス、それに何故かヒカリまでが玄関の前に屯してた。アスカは今だ制服のままである。
 不思議そうに近付いて行くレイを逸早く見付けたのは、今となってはアスカの次に親友と呼べる様になったヒカリであった。
「あ、レイちゃん。早かったのね?」
「どうしたの?」
「二人の部屋を見てたのよ。ま、殆ど同じレイアウトだからそんなに違いは無いんだけどさ。」
 どうやらアスカが制服のままここに居るのは、今までジャンヌ達の部屋を探索していた為という事らしい。自分が着替えてここに付くまで、大方御喋りにでも興じていたのだろう。女が集えば姦しい。と言う事は、レツとロイはまだ自分達の部屋の中と言う事か。しかしヒカリが居るのは何故なのか?約束の時間まではまだ一時間近くあるのだが、
「準備があるだろうと思って、先に来たの。大人数みたいだったし、アスカとレイちゃんに任せるのも悪いと思って。マナ達には言って来たから大丈夫よ。」
 と、世話好きの彼女らしい返答だった。
「そう。でもアスカ、いいの?」
「な、何が?」
 真面目顔で迫るレイに、アスカが思わずたじろいだ。ふふ。アスカってからかい易いわよね。
「こんな所で油打ってると、料理する時間が無くなるわ。」
「うぐっ!?わ、分かってるわよぉ!」
 うーん。可愛いわね。真っ赤になってアスカは自分の部屋へと入って行く。私達は苦笑でそれを見送る。
「ほら!!早くしなさいよ!!」
 玄関で喚くアスカに言われる筋合いは無いのだが、急ぐに越した事は無い。ヒカリと言う心強い応援が来てくれたものの、今日の人数を考えると準備は一苦労である。
 部屋に入ろうと玄関に入ると、不意にアスカが口を開いた。
「レイ。おかえり。」
 はたと気付く。アスカは笑顔だ。だから。
「…ただいま。アスカ。」
 二人の儀式を不思議そうに見つめるフランシスに気付き、アスカはちょっと赤くなって説明を始めた。
「あ、レイはね。以前アタシ達と同居してたの。ほら、表札にまだ有るでしょ?」
「綾波?…レイ?」
 ジャンヌが不思議そうに聞いて来た。綾波…そう、もう使わなくなった、でも大事な私の名前。綾波…
「私の旧姓。戦いが終って養子になるまでは、ここで暮らしてたの。」
「…碇…シンジ、って…」
 一つ上に有る表札に気付いたのは、フランシスだった。そう。もう一人の、住人。
「…シンジもね。ここに、住んでたんだ。」
「あ、ご、ごめんなさい…」
 済まなさそうに謝るフランシスに、アスカが慌ててそれを正した。
「あぁ、いいのよ。ただね。ここは、初めのチルドレンの三人が過ごした、始めて家族になれた、大事な場所だから…だから残してあるの。何時でも帰ってこれる様に。アタシ達は家族の居ない、淋しい子供達だったから…だから、いつでも私達は『おかえり』って迎えてくれるこの家を、大事にしたいの…そして、『ただいま』って帰って来る家族を、迎えてあげたいの…」
「…だから…あなた達も、今日からは私達の家族よ。」
 レイはアスカの言葉を二人に向けて続けた。ジャンヌとフランシスは戸惑いつつも、
「ありがと…」
「…ただいま。」
 と。
 レイとアスカは声を揃えて、
「「おかえりなさい」」
 と。
 新たな家族が、この家にやって来た。

 フランシスが靴を脱ぎながら、何の気為しに聞いて来た。
「ねぇ?アスカは何時からここに居るの?」
 アスカは人差指を顎に添え、上を向いて暫し耽った後に答えた。
「え?ん~と、もう直ぐ二年くらい…かな?」
 ジャンヌとフランシスがぴくりと反応して、アスカに迫った。中々素早いわね。
「それって、使徒だっけ?と戦ってた頃ってことよね?!」
「って事は、レイのお兄さんとも一緒に住んでたって事!?」
 立て続けの尋問にアスカは暫く放心した後、意味が飲み込めたのか急激に茹蛸へと変身した。アスカの口がパクパクと開くが声は出ていない。…お魚?…
「「それって、同棲してたって事っ!?」」
 ぽんっと湯気を上げて、アスカが反撃に転じる。と言うよりは良い訳にしか聞こえない。アスカ。認めなさい。それは事実よ。
「ち、ち、ち、違うわよっ!!わわわ私達の保護者がミサトだったからああああれはやむを得ずに一緒に住んでいたんであってさささ作戦上仕方無く始まった同居生活であってでなきゃババババババカシンジなんかとこのアタシが一緒に住もうなんて事が有るわけ無いじゃないっ!!だだだ大体アイツは奥手でそんな事は絶対に起り得なかったしそそそそれにキキキキキキスしたのだって一回だけであれはお遊びみたいなもんで数の内に入らないしああああの時のは無理やりしちゃったから数には入れたくないし」
「そう。キスしたの。」
「だだだだからあれは数の内には入ん無いしなんか恥ずかしくて嗽とかしちゃったけどちちちちょっと可哀想かなぁとか思ったりもしたけど」
「そう。したの。知らなかったわ。」
「だだだだからあれはしたって言うかまぁしたのはしたんだけどななななんて言うかもうちょっと雰囲気作ってヤッときゃ良かったなぁなんて思いもしないでもないけど………え?」
 あら。もう気付いたの?もう少し引っ張って詳しく聞いておきたかったわ。ジャンヌもフランシスも笑いを堪えて蹲ってる。もうアスカの扱い方を憶えるなんて中々やるわね、二人とも。あ、来るわ。耳塞いだ方が良いわよ。
「ふ、ふ、ふ、不潔よぉぉぉっ!!!」

「なぁに、玄関先でやってるんだか…」
「あ、レツ…」
 暴れるヒカリをレイとアスカで押さえ付けていた為、レツが部屋から出て来ていた事に気付かなかった。ジャンヌがそれに気付き応えたが、先のやり取りの為未だ苦笑している。
 レツが苦笑して私達を見、ロイがレツの後ろから表札を見ている。どうやら大分前から居た様だ。話しも聞かれていたのだろう。ふと視線が合った。
「聞いて良いか?碇シンジがどういう人間なのか…」
 レイは暫し考え、アスカを見る。アスカはこくりと頷き、いいわ、と返事を返した。
「レイ、任すわ。取りあえず、中に入りましょう。仕度もしなくちゃ。ヒカリ、始めるわよ!」
 アスカはヒカリを連立ってキッチンへと消えて行き、玄関に残った四人はレイの案内に従った。
 アスカは今、悩んでいるのだろう。薄れゆく記憶と、進み行く時の中で…あの少年の事を。
「…こっちよ。」

 レイにとっては、この部屋は未だ聖域に近いかもしれない。襖を開け、そんな事を思った。
 この部屋に初めて入ったあの日。もう一年も前の事だ。
 窓際のベット。使い込まれた机と椅子。幾何学模様の絨毯。クローゼット。ライトブルーのカーテン。それがあの時この部屋にある全ての物だった。
 今は、違う。相変わらず簡素では有るが、物がある。
 ベットに畳まれた布団一式。机には中学二年の教科書やノート、僅かの書籍。S-DAT。クローゼットには彼の衣服が入っている筈。机の脇に置かれた、チェロケース。
 この空間は、時が止まっている。
 私の中にも、あの人の記憶は辛い。
 兄と言う存在は、頭では理解出来ても、実感は未だ沸かない。レイにとって彼を、『碇君』としか認識出来ない自分が居る。しかしレイの中でも彼という記憶は徐々に薄れつつある。それが、辛い。
 薄れゆく記憶を、一つ一つ、丁寧に摘み上げてゆく。
「…碇君は、強かったわ。殆どの使徒を単独で倒し、危うく死にかけた私達を何度も救ってくれた…でも、碇君は、自分を強いとは、思ってなかったと思う…そんな事は、望んでいなかったと思う。碇君が欲しかったのは、きっと…優しさ、だと思う。あの頃は、私には分からなかったけど、今はそんな気がする…母親を知らず、お父さんに捨てられ、三年振りに会ったのに、無理やりEVAに乗せられて…傷付いて、傷付いて…それでも私達には優しくて…なのに…私達はそれに気付けずに…」
 あの頃の無感動な自分とは思えない言葉ばかりが、自然と出ていた。明確な事は殆ど言えず、今頃になって感情の奔流となって蘇って来る。辛い…辛いの…帰って来て、碇君…

「…部屋、残しているのね…」
「…えぇ。私が居た時は、荷物だけ倉庫に入れてあって、この部屋を使ってた。でも、私が引っ越した時、また元に戻したの。碇く、お兄ちゃんが、何時ここに戻って来ても良いように…」
 ジャンヌの質問に答えるのには少々辛い思いをしなければならない。筈だった。
「捜索はしたのか?」
「最終戦の後、二ヶ月近く探し回ったけど…父さんは、まだたまに捜索の指示を出しているらしいけど…」
 ロイの言葉が直接的に突き刺さる。だがレイの中で薄れ行く記憶は、その感慨さえ何処か遠い物にしてしまっていた。
 それが、嫌だった。私は…諦めかけているの…?
「…戻ってくるって、信じているのね。」
 フランシスの言葉が嬉しくもあるが、自信は無かった。
「信じ切る、自信が無い…自分達のやっている事は無駄じゃないか?って思ってしまう時がある。兄が生きている保証は何処にも無い。信じていたい……筈なのに、そんな事、考えてる。自分が、嫌になるわ。」
 すっ、と、レイの身体が包まれた。フランシスだった。
「…大丈夫。思いは、大事よ。自信とか、そんな物は関係無い。生きたいという思い。生きていて欲しいと言う思い。それって、大事よ。思いはきっと、届く物だもの。」
「…フラン…」
「…大丈夫。」
 母親のような温もりが、嬉しかった。ジャンヌの手がレイの頭を撫でてくれた。
「お兄さんは、幸せね?レイにも、アスカにも思われて。お父さんにもNervにも、皆が心配してくれてる。だったら、」
 ジャンヌの、精緻な顔が笑った時、聖母という者が居たのならば、そんな風に笑うのだろう。そう思うほど、美しかった。
「…きっと帰って来てくれるわ。きっと。」
 兄を思ってくれる人が増えた。それが嬉しい。まるでこの二人は、姉の様だ。ミサトや、アスカと同じ様に。
 ずいぶん自分には姉が居たものだ。それが少し可笑しくって。だから、笑えた。
「…ありがとう。」

 リビングに戻って詳しい話しをしようと思ったのだが、生憎と予定の時間まで幾許も無く、話しは後回しとなった。
 レイがキッチンで格闘している二人に加わり、次々と料理が生産されつつある。
 実はこの三人はかなりの腕の持ち主である。ヒカリは言わずもがな。一家の家事を支え続け、加えてトウジの腹を支えているその腕は、昔懐かしおふくろの味を大量生産してゆく。アスカに到ってはそのヒカリ当人直伝の腕前。最近では洋食のレパートリーも徐々に増やし、本日は主にそちらを担当である。アスカ曰く「和食の方がヘルシーで好きだけど。」そしてレイに到っては、この二人からの教育を受け、更にここ最近では、意外にも料理の腕がシンジ並に美味い事が判明した父ゲンドウのレクチャーによって、和洋中何でも御座れの腕前となっていた。実は専ら碇家の台所を仕切っているのはレイだったりする。
 そんな訳で、この三人は各家庭の台所を任される御大臣様なのである。まさに三強揃い踏み。これで拙い料理が出て来る訳が無い。幸い宴会部長自ら腕を振るう事は、今回に限っては無い。
「レイ!そっち御願いねっ。」
「分かった。」
「アスカ!そろそろ生地上がるわよっ。」
「オッケー、ヒカリ。」
 てなもので、最早四人に出る幕は無い。
「…暇ね…」
「…暇よね…」
「良いんじゃねぇか?一応主賓、らしいし…なぁ?」
「………」
 四人がボーっとしてると、不意にチャイムが鳴り、アスカの声がリビングに聞こえて来た。時刻は6時45分。予定より少し早い。
「手が離せないのーっ!誰か出てーっ!!」
「私、出るわ。」
 そう言ってジャンヌが玄関のロックを外すと、ドアの向こうから現れたのは、黒のジャージと迷彩服。
「お、えーと、ジャンヌさん、やったか?」
 色黒のジャージ少年は、不可思議な喋りで、聞いて来た。隣で迷彩服が何やら喚いている。
「え、えぇ。鈴原、君?早いのね?」
「おぉ。腹減ってもうてな。つまみ食いしに来たんや。」
 そう言って照れるトウジに、肘で合図を送る迷彩服。
「あ?あぁ、そやった。こっちのは相田ケンスケ。わいの同級で、一応Nervの関係者や。」
 トウジの紹介が終るや否や、迷彩服の少年はトウジを押しのけジャンヌに迫った。
「私っ!相田ケンスケ15歳っ。Nerv技術部にて見習いをしてますっ!!よろしく!!よろしく!!よろしく!!」
 と、ジャンヌの手を取りぶんぶんと握手(?)をしてくる。取りあえず愛想笑いで受け流しておくジャンヌ。
 何だかんだと三人がリビングに移った途端、迷彩服は再び雄叫びを発し、フランシスに擦り寄って再び握手(?)を求めていた。
「私っ!相田ケンスケ15歳っ。Nerv技術部にて見習いをしてますっ!!よろしく!!よろしく!!よろしく!!」
 フランシスは妙に脅えている。まぁ、気持ちは分かる。光る眼鏡が恐い。
 リビングの入り口で突っ立っていると、間を置かずドアが開き入って来たのは宴会部長と母上様と童顔娘。そして大きなケースを抱えて御付きの二人が入って来た。
「たっだいま~っ。どう?アスカ、間に合いそう?」
「何とかねーっ。あぁーっ!?ミサト!!またそんなにビール買って来たわねーっ!!」
「まぁまぁ。良いじゃないのぉ。今夜は無礼講よん。無礼講っ♪」
「アンタはいっつも無礼講じゃないっ!!頭ん中いっつもお祭りの癖してっ!!」
「ひ、酷いわっ!!アスカったら、お姉さんに向かってそんな事をっ…よよよよ…」
 態とらしく泣き崩れるミサトに、駆け寄り慰める日向。
 ビールケースに潰されかけている青葉。
 無視してリビングに入って行くリツコに、付き従うマヤ。
 ジャンヌとフランシス相手に撮影会を始めてしまうケンスケ。
 抓み食いを画策するトウジと、それを追い払うヒカリ。
 ミサトを無視し黙々と料理に精を出すアスカとレイ。
 阿鼻叫喚の様相を呈して来た葛城家の中、リビングの隅でポツリとレツが呟いた。
「…いっつも…こんななのか…?」
「………」
「俺達…やっていけるんか?…」
「……知らん…」
 何故かロイの顔色は悪かった。

 時間丁度にやって来たマナとマユミを加え、数々の豪華料理も出揃った所で、いざ乾杯と相成ったのだが…
「…カヲルはどうしたの?」
 いけない。忘れてたわ。なし崩し的な展開に、すっかり同居人の存在を忘れていた。
「…先に行っててくれって。」
「逃げおったな。」
「逃げたな。」
 トウジとケンスケの合いの手に、やはり引き摺ってでも連れて来るべきだったかと思う。否、然して心配などはしていないのだが。
 無視して宴を始めようと思ったのだが、
「失礼だね、君達は。僕がそんな卑怯な事をすると思っているのかい?」
「遅いわよ。」
「お待たせ。」
 音も無く席に付いたのは他ならぬカヲルであった。何時来たのかしら?神出鬼没ね。新しい技かしら。
「…何、してたの?」
「なに、ちょっと野暮用があってね。」
 レイの冷めた目線をカヲルは飄々と流しているのだが、額に浮かぶ汗は何を意味しているのか…
「…何時出たの?」
「一時間前かな。」
「……迷ったわね。」
「………いやあ。アスカ君の家は意外と遠いねぇ。」
「……迷ったのね。」
「………」
 暫しの硬直から逸早く解けた宴会部長は、ビールを掲げ宴の開始を宣言した。取りあえず、今の妙な間は無視と言う暗黙の了解である。まぁ、あまり理解したくは無いわね。
「か、かんぱぁぁぁぁぁぁいっっっっっ!!!!!」

 既に疲れ切っていた四人が、本当の地獄、『阿鼻叫喚』というものを知ったのは直ぐの事である。










八.






 光り輝く摩天楼。しかしそれは嘗て彼女が見た景色とはまるで違う。
 セカンドニューヨーク。皆はそう呼ぶ。しかし彼女には何の感慨も無い。所詮人の幻想が詰まった只の街。
 グラスのワインを一口その小さな唇に付け、眼下に広がる摩天楼を物憂げに望む。つくづく自分にこういう場はそぐわないと思う。着飾ったシックなドレスも、胸元を飾る煌びやかなネックレスも。
 まぁ、相手からの指定では仕方有るまい。只、こういう演技は苦手だ。
「素敵な御嬢さんがお一人とは、最近の男達はなってませんな。」 
 不意に声が掛かった。渋い声だ。まぁ、そんなに歳を食った声ではないのだが。
 着崩したタキシードに、緩めたタイ。シャツの首元のボタンを外し開け広げてある。普通この場でそういう格好はマナー違反なのだが、彼に限ってそんな事は無いらしい。寧ろそれが彼の正装だと言われた方が、彼女にはしっくり感じた。
「あら。自分から誘ったデートに遅刻してくる方が余程なってないと思うわ。」
「こりゃまた、手厳しい。」
 苦笑した男は不精髭を擦りながら、飄々と受け流して向かいの席に付いた。ソムリエが直ぐ様テーブルへ寄って来て、食前酒の注文を取りに来る。本日の御薦めとやらに男はあっさりと決め、彼を追っ払った。
「…高いわよ?それ。」
「なぁに。経費で落します。」
「まぁ。告げ口しましょうか?」
 男は再び苦笑で受け流した。だが、彼の目が笑っていない事は解っている。何とも、噂通りの油断ならない男の様だ。
「御用件を覗いましょうか?これでも忙しい中遠出して来たんですのよ。“Wildcat”さん。」
 男。加持リョウジは、苦笑したまま、しかしその鋭い眼光をティアに向けたまま反らさない。
「…それとも、内務庁査察部員さんかしら?…あぁ、SEELの方もやってらしたわね。おまけに次期Nerv情報調査部長とは。三足草鞋は大変ではなくて?」
 加持はすっと目蓋を閉じ、にこりと微笑んだ。威圧感は消えている。
「二足も三足も同じでしてね。それに、もう俺は死人って事になっていますし。」
「でしたら、生き返ってからは一つに絞る事をお勧めしますわ。大事な彼女が悲しむわよ?」
「こりゃまた、手厳しいっ。」
 今度の苦笑は本当に苦しそうだった。

「余り無謀な事はお止めになって下さいね。こんな所で貴方と密会している事が彼女にばれたら、私殺されてしまいますわ。只でさえ怨まれそうだったのに…」
 ティアは態と艶っぽく溜息を付いて見せる。案外嵌っていたりもする。こういう演技なら好きなんだけど。
「…お会いになりましたか。葛城と。」
「えぇ。本部で。綺麗で元気な方ね。大事にしてあげないと罰が当たりますわよ。」
 男は少し照れた様子で、
「まぁ、一段落すれば。」
 と、御茶を濁した。続く刀は茶目っ気たっぷりの視線でティアを見やった。
「今はこの時間を有意義に過ごすとしましょう。折角の美女が目の前にいらっしゃる。」
「…ぷっ…老婆心から言っておきますわ。オイタは火傷の元よ?」
 暫しの忍び笑いが二人の間に流れた。ソムリエが戻って来て加持の元にグラスを置き、丁寧な手付きで深紅の液体を注ぎゆく。僅かに頭を下げ、ソムリエが立ち去った。
 加持はグラスを掲げ飄々とした顔で言ってのけた。
「麗しの姫君との出会いを祝して。」
「…御上手な厭味です事。」
 軽くグラスを合わせると、澄んだ音色がテーブルに響いた。
 加持は碌に味わいもせずワイングラスを一気に飲み干し、そそくさと脇から何かの小箱を取り出した。
「遅れたお詫びと言ってはなんですが。」
「…物で女を釣ろうなんて、意外と嫌らしい方ですのね。」
 ティアの厭味に特に反応も見せるでもなく、すっとテーブルの上を滑らせ小箱を差し出した。綺麗なライトグリーンの包装紙でラッピングされ、赤のリボンが結んである。
 ティアは加持に一瞥をくれ、リボンを解き包みを開ける。
 中から出て来たのは古めかしい小さな木箱。鍵穴が付いている。
 ティアはもう一度加持を見やる。加持は微動だにせず。手を添えると小箱に鍵は掛かっておらず、静かに開け…
 閉めた。
「……ほんっと。嫌らしい人ね。」
「お気に召した様で。」
 ティアの呆れかえった溜息に、加持は余程満足した様だ。
「…よくこんな物を見付けて来たものね。」
「なに。ちょっとした余興ですよ。」
「で。私にどうしろと?」
 加持の我意を得たり、といった笑みがちょっと憎らしくも思える。どうやら彼は一流のスパイというだけでなく、一流の交渉人(ネゴシエイター)でもあるようだ。こっちが了承せざるを得ないのを承知でここに来ている。食えない男だ。
「今ギニアで奇妙な武装集団が横行しています。貴方なら、御存知だと思いますが。」
「…驚いた。貴方そんな事まで…」
「ま、餅は餅屋でして。」
 そうは言う物の、この情報は現地人でも知る者は少ない虎の子の情報だ。何故なら彼等は武力征圧を目的としたテロ集団ではないからだ。何より彼等に出会った者は生きて帰っては来ない。彼等が居る山に入り込めば、問答無用で駆逐される。目的は要として知れないが、それだけの武力を持っているのは確かなのだ。
「…『デプイの怒り』…現地人はそう呼んでいます。」
「えぇ。彼等がデプイに潜んでいるのは確かな様です。先日妙な噂が届きましてね。アンヘルの滝が“消えた”と。」
 南米ベネズエラはギニア高地にあるアウヤンデプイと呼ばれる最大のテーブルマウンテン。通称「悪魔の山」。その一角にエンジェルフォール、「アンヘルの滝」と呼ばれる世界最長の滝が流れているのだ。それが…消えた?
「…本当?」
「間違いないようです。今まで絶えず流れていた滝が一夜にして途絶えた。何かある。」
「……」
 デプイで何かが起きているのは確かなのだろう。問題は、“我々”が出張る必要が果たしてあるのかどうかだ。そしてこの男は何を…
「アーカムは、どうするおつもりです?」
「…情報が少なすぎるもの。第一、その程度の事で我々が動く理由にはなりませんわ。」
 加持がニヤリと笑う。…まだ、隠し弾があるの?
「では、彼等がこんな事をしていても?」
 そう言って加持が懐からテーブルの上に出した…写真?
「!?…あなたっ、これを何処でっ!?」
「しーっ。声が大きいですよ、ティア・フラット。」
 慌てて口元を押さえる。私とした事が。思わず顔が赤くなる。幸い周囲にはそれ程気に掛ける者は居なかったらしい。直ぐに談笑が戻ってくる。
 改めて写真を見る。暗闇に浮かぶ松明の炎の輪。揺らぐ陽炎。その合間で真っ黒なローブを被った数人の人間達。だが、その中で最も目を引くのは、その中央に描き据えられた幾何学模様。魔法陣。
 黙り込んだ自分に、加持が静かに経緯を語り出した。
「それは俺が頼んだ現地の情報屋の仕事ですよ。貴方なら解るでしょう。」
「…黒ミサ。」
「えぇ。貴方は確か白の方でしたか?」
 思い出した。そう言えば彼は、
「…なるほど。貴方の御家、思い出しましたわ。でも邪道に詳しいって事は分家かしら?どっちにしても知ってて不思議じゃないわね。」
「分家も分家。今じゃこれっぽっちも繋がっちゃいませんよ。専ら仕事の方で覚えた知識です。」
「そう…」
 三度写真を凝視する。禍禍しい。写真の中で気が蠢いている。本物だ。
「どうします?これでも放って置きますか?」
 加持のにやにや笑いは消えない。解っててやっているのだ。
「…私に何をさせたいのかしら?加持リョウジ。」
 ティアは始めて本名で呼んだ。それは漸く彼女が目の前の人物を、亡霊でも死人でもなく一人の人間として捉えた証だ。
「簡単な事です。これを知った以上貴方は動く。それは結構。御自由にどうぞ。二つ程御願いが有りますが…」
「…どうぞ。」
「俺を、その部隊に同行させて頂きたい。」
「…それは、Nerv情報調査部としての依頼かしら?」
「そうです。」
「……良いでしょう。」
 ここまで出来る男だ。足手纏いにはなるまい。契約を結んだNervからの要請と言う事であれば問題は無い。ふと思う。碇司令は御存知なのかしら?
「で、もう一つとは?」
「…御同行には『ブラック・ハウリング』を御願いしたい。」
「!?」
 今度は驚きすぎて声も出なかった。この男は何処まで裏の事情に精通しているのか?予想外の展開に、ティアの防衛本能が働きつつあった。
 不意に。僅かに流れていた周囲の談笑が消え去る。耳に痛い程の、静寂。
「…結界、ですか。噂には聞いていたが、凄いですね。まるでATフィールドだ。」
 加持はまるで天気の話しでもする様に喋る。今までと何ら変わらない。別にそれは良い。そう言う男なのだ。只単にこの会話だけは誰にも聞かれたくは無かった。
「…何故、貴方が知っているのかしら?」
「一騎当千。出会った者は等しく黄泉へ旅立つ。その姿を見て生きて帰ったものは居ない。正しく一騎にして千騎に等しい、でしたか?」
「…そう。存在さえ知る者は身内だけ。」
 ふふ、と加持は笑う。そんな事は有り得ないと。
「彼だって生きている。その足跡を完全に消し去るのは不可能に近い。僅かな足跡さえあれば、俺には判りますよ。」
 緊張に振るえる空間。が、それも僅かなものだった。ティアが溜息を付く。
「…なるほど。判りました。隠し事は出来ないって事ね。」
「そう言う事です。」
 加持がにこりと笑った。ティアの緊張が解れる。しかし結界が解かれる事は無かった。
「只、今彼が何処に居るのか。それは流石の俺でも判りゃしない。追えば逃げる。下手すりゃ噛み付かれる。そこで、向こうから出て来てもらおうと。」
 それはそうだ。彼はそういう男なのだから。我々だって滅多な事では連絡を取ってはいない。
「…どうして、彼に会いたいのかしら?」
「そりゃぁもう。敵としては最悪の相手でも、味方としてなら見ておきたいと思いますよ。その実力とやらを。」
「…そんなに、甘くわないわよ。」
「勿論、承知の上です。」
 等と上っ面の話しをしているが、ティアの頭の中ではもう算段は付いていた。今我々の中でこの手の仕事で動ける人間は他には居ないのだから。
「分かりました。貴方に、SPRIGGAN『ブラック・ハウリング』の同行を認めましょう。」
「有難う御座います。ティア・フラット。」
「日時や場所は後日。」
「了解です。連絡方法はこれに。」
 そう言って加持が手紙を渡すと同時に結界を解く。
 受け取ったティアの小さな手が、不意に覆われた。勿論加持だ。
「では、仕事の話はこれで御終いにして、今夜はゆっくりとディナーを楽しみましょう。」
 彼女の余った左手が、目に見えない速度で加持の手を叩き落とした。勿論、力加減は押さえたがそれでも彼には相当効いた筈だ。案の定、渋い顔で右手を押さえている。
「いった筈よ。プレイボーイさん。オイタは火傷の元だって。」
「こりゃまた、手厳しい。」
 ティアの忍び笑いと加持の苦笑するテーブルに、ウエイターが料理を持ってやって来る。

 眼下に広がる摩天楼は、今だ何かを誇示するが如く光り輝いていた。










九.






 午前0時、前。

 ごく普通の御家庭ならば、お子様は寝静まり、テレビを見足りない子供達や、遅くまで勉強に励む子がいることだろう。
 ごく普通の御家庭ならば、大人達は深夜番組に興じ、残業で今だ帰らぬ夫を待つ妻や、夜の勤めに励む夫婦もいたかもしれない。

 まあ、ごく普通ならば。
 では、ごく普通では無いとすればどうだろう。

 例えば、葛城家。
 本日この家は、不夜城と化す…筈だった。
 だったのだが、まあ、不測の事態というものはいつ何時も起き得る訳で、今この家は静かに寝静まっていたりする。
 最も、電気は煌煌とベランダから漏れているのだが、如何せん静かだ。寝息に混じって鼾が幾つか聞こえて来るのは御愛嬌か。
 何はともあれ、今夜葛城家の新たな家族を迎える宴は、予想を遥かに上回る急ピッチであっ





 という間に、死屍累々の山々が出来上がったのである。必然と言えば必然。無謀と言えば無謀な挑戦であった。

 超酒樽戦艦と化した葛城ミサトを前に、生き残れる物はこの場には一人としていなかったのである。
 御約束の様に敢え無くコップ一杯で轟沈した山岸マユミに続き、霧島マナ、相田ケンスケ、フランシス・フォーチュン、ジャンヌ・D・メリフォード、鈴原トウジと続き、粋な一人ボケ突っ込みという特技を見せるも碇レイ呆気なく轟沈。
 経験上大人の意地を見せる事もままならぬ内に伊吹マヤ、日向マコト、青葉シゲルのオペレーターズ撃沈。意外な奮戦を見せたのは葛城家の賄い頭惣流・アスカ・ラングレーと何故か飲み慣れている役レツ。が、これまた缶ビール四十本目に突入しようかという葛城ミサトの前では為す術も無く撃沈。
 最も対抗馬として期待されていた碇リツコは、余りの急ピッチに恐れを為し、部屋の隅でちびちびと飲んでいた所を、敢え無く御用となり爆沈。
 驚異的な底力を見せたのは、普段の素行からはとても見るに絶えない形相の洞木ヒカリと、どれだけ飲んでもクールな表情を崩さないロバート・シューマッハであった。しかし、調子に乗って飲み続け、七十本目に突入しようかという葛城ミサトが遂に限界領域に達し、究極兵器を発動。ヒカリ共々謎の液体に塗れ極楽浄土へと旅立った。最後まで残ったかに見えたロバート・シューマッハは、実は中盤戦で既に意識を失っており、無意識下の防御本能で飲み続けるという、凄惨且つ無謀な手段で翌朝の頭痛に悩まされる事になる。

 結局、今夜の世にも恐ろしき宴は、午後10時の時点で既に終わりを告げていたのである。

 静寂に包まれてはいるものの、これが普通の御家庭であろう筈は無い。





 さて、もう一つ。普通では無い御家庭があったりする。
 これは、某特務機関のとある人物から密告された、録音テープの一部である。





「…冬月…」
「碇か。どうした?もう家に着いたのではないのか?」
「あぁ。」
「ならば、こっちに電話などしなくても良かろう。ゆっくり休めば良いものを。」
「…いない。」
「?いない?」
「あぁ。」
「リツコ君なら帰ったがな。」
「レイもいない。」
「それはおかしい……おぉ!!」
「何か知っているのかっ!?」
「そう言えば、今日は予備役の歓迎会をやるとか言っておったな。すまんすまん。すっかり忘れておった。」
「………」
「………」
「………」
「………」
「冬月先生。」
「何だね。」
「見損ないました。その歳で呆けるなど…」
「…碇。人間、老いには勝てんよ…」
「………」
「………」
「………」
「………」





 少なくとも、これも普通の御家庭ではあるまい。





 深々と夜は更けて行く。
 間も無く、長かった一日が終ろうとしている。










拾.












…困った物ね。これが予定通りなのかしら?


…それは無い…明らかなイレギュラーだ。


…いい加減な仕事をしたもんだ。もう少し利口かと思ったが…


…今更悔いても仕方ないわ。それに…彼は来るわ…ここに。






…ならば良いわ。修正はまだ可能よ…


…もっと情報が欲しい。其の為にはここに止まるのも良い…


…予定外とは言え、力も手に入る様だ。プログラムは正常だ…


…もう一つ。確かな事は…






…えぇ。人類は生き延びた…


…三度のインパクトは“進化”ではなく“揺らぎ”を齎しただけだ。それももう元へは戻らぬ…


…ヒトは歴史を繰り返す、か…


…もしそうであれば、あの方はまた堕ちてゆくわ…






…我々は、何者なのか…


…我々は、何処から来たのか…


…我々は、何処へ行くのか…


…我々は、何の為に…






…我々は…







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First edition:[1999/11/29]

Revised edition:[2000/09/20]